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第一部読了。※現代文学への辛口含みますm(__)m
クッソやべぇ(笑)昔のA川賞って最高だな!(ノ∀`) 後の『砂の女』や『箱男』に通じる物質や存在の不確かさ、W W 2の前後に世界中を席巻した(ということが最近立て続けに読んだこの時代舞台の小説によって改めて思い知らされた)「革命」的社.会主義思想への鋭い考察や批判をも含む、カオスな中に彼自身の主義主張や意見が垣間見えるようでいて、やっぱりそういうものは単なる洞察に過ぎない、読み手を振り回す楽しい実験的お遊びにこちらが付き合わされているような不思議な感覚。だが決して不快ではない。面白い!えー、このレベルの作家さん、どっかにまた現れてくれないかなぁ? 何で日/本の純文つーか某賞のレベルあそこまで退化しちゃったの? M吉に業界ネタ以外の話書けると思う? 所詮ハルキを崇めているようななんちゃって読書家の域を出ないのに?(;´д`) 台.湾出身の方のヤツはルーツ含め面白そうだから文庫化したら読んでみたいと思ってるけどさ。
I川氏による壁についての序文から始まり、名前をなくした主人公という一見何の関係もなさそうな奇妙な出だし、この時点でワクワクが止まらないのだが、一転主人公の胸のどうしようもない虚無感「空っぽ」のもの寂しさが、人生通してずっと自分が自分に対して感じてきた思いと重なり過ぎてつい込み上げてくるものが(´;ω;`) 名前を奪った犯人は他ならぬ「名刺」でつまり名前自らに逃げ出されてしまったのだ、という事実に愕然とする主人公。名前をなくしたことによって心が空っぽになる、じゃあ私も名前をなくせば存在を消せるのだろうか、とか色々病んだ方向に考えてしまった(^^; イヤこの現代社会で名前を持たないことがどんな重大な意味を持つかはよく分かっておりますが・・・。
病院の待合室の雑誌に写った曠野の風景に、『砂の女』の砂丘の原型を見たような。どこまでも絶対的な不動の塊である壁と、流動する物質である砂との対比、あるいはどちらにせよソレに閉じ込められ、運命を支配される人間の物悲しさに変わりはない、とかそういうことを一連の作品で表現したかったのかな(・・;) 名前を忘れ「十五番さん」と呼ばれて喜ぶ主人公はマイナ○バー制度の良い広告塔になりそうだな!(笑)私もこの番号制好き。食堂とか、公共の場で名前知られたくないし管理する方も便利じゃん。親しい関係の相手でもない限り個を認識されたくないんですよ、その他大勢に埋もれていたいから。空っぽ過ぎて何でも吸い込んでしまうほどの「ぼく」の胸の陰圧を「許容すべきでない非科学的な事実」「市民社会の秩序を乱す実証精神に対する侮辱」と言うドクトル。「異常ではないとは認めがたい。」との診断で窓から突き落とされた主人公は並木の下の画家に問う、「描かないで何を待っているのか?」と。「何を待っているか、それが分るくらいなら、誰も待ったりはしません。」この答え、深いっつーか何故か共感した。私も動かずにただ待ってるだけ。審判かもしれないし、ただの終わりかもしれないし、救い出してくれる何かかもしれない。でもいつまでも待っている余裕は現実の世界には存在しないんだよね・・・(´-`)
動物園に行き、彼が胸の中に吸いとってしまった曠野に惹かれて寄ってくる動物たち、取り分け美しい瞳のラクダを吸いとりたい誘惑に「ぼく」は必死に抗う。「あくまでも自分自身でありたい」という最後の人間としてのプライドのために。けれどそこから事態は急転直下、彼は「被告」として知人だらけの裁判の席に立たされることに。胸の陰圧によって見たもの全てを吸いとってしまう主人公は有罪か無罪か? 喚問された証人の中で彼を無罪だと庇ってくれたのは会社のタイピストY子ただ一人。「ぼく」の中で急激に大きくなっていくその存在と彼女への想い。「白黒がハッキリしないなら裁判の意味がない」とか抜かしやがる法学者()に哲学者が睡そうに告げる言葉の矛盾がヒャーッハッハ!(^∀^)σ「もし裁判がなかったら被告というものもなく、被告というものがなくなれば犯罪も不可能になる。犯罪が不可能ということは、物を盗りたいと思うものがあっても盗り得ないということ。従って物を盗りたいものが自由に物を盗れるためにこそ、裁判が必要とされる」「この裁判が行われている事実は被告が有罪を望んでいる証拠」な ん と い う(呆)
「そんな馬鹿な理屈があるものですか!」と当然激昂する常識人Y子を「理屈が馬鹿なものであることは昔から決っている」と切り捨て・・・意義深いがカオス極まりない問答が続いた末に何と第八の証人・食堂の少女が登場し、ようやく「被告が名前をどこかに落とした」という可能性が提言される。が、結局下された審判は名前を持たず法が適用されない状態の彼は「有罪でも無罪でもなく、またどちらでもある」よって永久に裁判が続き法廷は彼を追い続ける、というものだった(((゜ロ゜;)))gkbr 暗いトンネルを脱け出してY子と共に元の動物園に戻った彼は、今度はY子を空っぽの胸の内に吸収してしまいたいという誘惑に襲われる・・・何か段々主人公の気持ちに同調してきちゃうから怖いわ>< 名前が帰ってきて元の彼に戻るまで、目覆をしていない「ぼく」に近づく知り合いはいないのだろうか、と考え「自由をうばわれた孤独、それは独房の孤独」と表現する主人公にようやく壁と格闘する囚人・エドモンのような姿が見えてタイトルに近づいてきたような印象。
『箱男』貝殻草の夢のような情景の中で、無機物たちによる革命の決起を目撃する主人公。全ては逃げ出した「名刺」を主導者とする身の回り品の反乱に端を発するものだった、というおとぎ話のような展開に(笑)「死んだ有機物から生きている無機物へ!」矛盾極まりないスローガンを掲げた闘争はこの時代の若者たちを覆い尽くしていたイデオロギーと学生運動への容赦ない皮肉が覗いているような(-_-;) あるのか無いのか分からない革命歌に意味もなく歌声喫茶で繰り広げられる熱狂を、敵意を持たれることもなく道具として正しく愛用され続けながらその「搾取」に耐えられないとして持ち主への革命を起こそうとする姿に、大学という当時誰もが進めたわけではない高等教育の場で学ぶ権利を与えられながらその意味すら真面目に考えることもしなかった学生たちへの醒めた視線を、そして何より高尚な言葉で彩りながら無意味に相手を敵視する主義主張の空虚さが浮き彫りになって虚しくなる。一方で九十九神という発想がある日.本人ならではの、面白い暗喩・「革命」、搾取者が被搾取者を打倒するという構図の一定の正当性をも認めているのではないか、と考えられる部分もチラホラ。本当、掴めなくて不思議な作家さんや・・・(@_@;)
一連の不可思議かつ不条理な出来事について思い起こしながら「ぼくは理性は人間を不自由にするものだと考えてきたけれど、こんな具合に理性が役立たなくなり自由がなくなると、必然と偶然のけじめがまるでなくなって時間はただ壁のようにぼくの行手をふさぐだけ。たとえすべてが想像だとしても、それがみんなに共通の想像であれば同じこと。現実からこのおかしな想像をマイナスすればいったい何が残るというのでしょう。」と考える。段々異常な状態に慣れすぎて感覚が麻痺していく主人公が切ない(つд`)
翌朝、現れた「パパ」に助けを求めてすがろうとする「ぼく」を彼は冷たく振りきろうとする。この「パパ」の正体は何だったのか、ちょっと最後までよく分からなかったでござる・・・orz 結局身の回り品の抵抗にあってY子との約束の時間に著しく遅れてしまった主人公。サラリーマン生活の虚しい描写は『砂の女』にも出てきたな。公房さん残酷で鋭すぎる!(*_*; そーしーて、何と発見した名刺と語り合うY子もまた人間を敵視する無機物・初恋のマネキンでした\(^o^)/ 「人間ってやつは悪をなさんと欲して善をなし、いや善をなさんとして悪を・・・下らないことに変りはない。やっかいな人間どもは堕落も異常も悪いことは全部おれたちになすりつけようとする。こうしたことは全部人間の卑劣な責任回避の口実にすぎない。・・・」この名刺の哲学の全てが私たちに突き付けられた強烈な現実への皮肉、当時ヒッピーが流行り物質社会や資本主義叩きが横行していた中で、結局必要最低限の物質に頼らずには生活ができないことや、批判が向けられる側の物質自体の立ち位置は私たち人間というものがこの世に現れ、彼ら「道具」を生み出した瞬間から使役され、搾取されるという意味では「革命」を求める労働者や若者たちと何も変わらないのだということ、色々考えさせられてしまいますね(・・;)
その後、かつてY子のマネキンと並んで立っていた男のマネキンに事態の解決法を示唆される「ぼく」。このマネキンの言う「検事も裁判官も何もかも委員たちが兼ねていて、歴史に記載されたすべての裁判があなたに関係しあなたの責任であるという論告になっている。なぜならそのどれにもあなたの名前が記載されていないから」「あなたの名前がないのだから、否認する根拠はない。あなたが名前を取戻すまで、そのあいだに起ったすべての事件がことごとくあなたの罪状として加えられてゆくわけですから、あなたが名前を取戻せば、まず死刑はまぬがれない」どこの共/産国家だよ!?(((゜ロ゜;)))gkbr
そしてマネキンは主人公が名前を取戻す可能性を否定し、名前がない彼には永久に法律の保護がなく裁判は不利になる一方だから、二重の苦難から逃れるために「世界の果」への逃亡を勧める。マネキンの語る「人権というのもつまりは名前に関するもの」というセリフは真理かもしれない。だからこそ他人の名前を汚すことが罪になるんや・・・ウンウン(-_-)) で、マネキンからビラと切符をもらって世界の果に関する講演会に向かう「ぼく」、もう異常を認識する気力もないみたい。講演を行う奇妙なせむし男が見せたのは例の曠野。そして世界の果の入口は自分の部屋の壁にあることに安堵する主人公。「かつて天動説が支配的だった時代、はるか遠くにあると考えられていた果は現代、地球が球体になって四方八方から追いつめられ、ほとんど一点に凝縮してしまった。それを想う人たちにとって、もっとも身近なものに変化した。みなさん自身の部屋が世界の果で、壁はそれを限定する地平線。真に今日的な旅行くものは、よろしく壁を凝視しながら、おのれの部屋に出発すべき」この演説には正直ゾッとさせられた。カフカ読んで以来、こんな天才がこの世にいるのか?と。生きてて辛くなかったんだろうか、世の中の正体がこんな風に余りに残酷にありのまま眼前にさらけ出されてしまっていた公房氏は。イヤ普通に日曜の父ちゃんたちの悲哀描けてる辺り、凡人の感覚を理解する能力も持ち合わせていたんだろうけど・・・ソレに、人間という生き物にずっと興味を持ち続けられたから生きて書き続けられたのか?
そして遂に「ぼく」はスクリーンの中に突き飛ばされ、劇中の「彼」と化してしまいました(/_;) 彼は自分の部屋の中の壁の存在に歓喜する。古い人間のいとなみ、実証精神と懐疑精神の母体としてソレに郷愁を覚える一方で、一度消えて帰ってきた壁に見出したものは耐えがたい重圧。「おれが刑務所と要塞で一番発達したのもおまえの責任」初めて壁が発した言葉が、まさしく人類全体のカルマを背負わされた彼の運命を暗示させる。そして遂に彼は壁を見つめ続け吸収する。「おまえの中で、もう何ものからも呼ばれないただの石になって、よみがえろう」という壁の最後のセリフと共に彼はようやく世界の果にたどり着く。そこでは吸いとった壁がぐんぐん成長しそびえ立っていった。壁のドアを開けた先の階段を降りて現れた酒場にかかってきたのは「成長する壁、生命のある壁」に興奮する調査団からの電話。「敵」の作り出した「壁」の存在が、図らずも無機物たちのスローガン通りの「革命」をなし得た証左をもたらしたのかもしれないと思うと皮肉ですね>< 電話を終えた彼の後ろにいたのは肖像画だったはずの、半分がマネキンで半分がタイピストのY子。「愛することができたにちがいない唯一の人」と告げると同時にマネキンから本物になったY子の悲しい拒絶。そこに訪れた「調査団」の「ドクトル」と「パパ=ユルバン教授」の狂気。「彼」の胸に解剖刀が突き刺さろうという瞬間に歌いだしたY子の悲しい歌。「不幸な私 不幸なあなた」対してマネキンY子は明るい調子の唄を歌い、二人の調査団は揉め始める。ここでの本物のY子と思われる側の想いが何とも切ない。その隙に「彼」は調査団を説得し、解剖から逃れることに成功する。Y子との「最後の別れ」という表現に。・゜゜(ノД`)ウワアァカルマさーん!
ドアを開けるとそこは何と元の彼の部屋で曠野も成長する壁もない。そこで事態はますます狂気的な方向に。「科学(この状況でまだこの言葉出てくんのが物凄い矛盾だけど^^)を投げ捨て、神の恩寵によってその限界に迫る、矛盾のない信仰の世界が開ける」と言ったユルバン教授の考えは聖.書の通りラクダを「彼」の目の中に送り込むことでした\(^o^)/ 二人にとって「彼」はもう被告でも患者でも息子でもなく、ただの「被験物」でしかない模様。ラクダに乗って教授が目の中冒険するくだりなんかひっどいカオス、何じゃこりゃ(爆笑)ミイラになったノアさんとボロボロに朽ちた方舟とか出てくるし、ホントやべぇとしか言い様がないな!@夜中なのに興奮最高潮(((^∀^)))↑ そりゃ息子としては泣きたくもなるっつの。結局鼻汁(汚ねぇ!笑)と一緒に出てきて去っていった二人に残された「彼」はとうとう胸の中の壁で体がいっぱいになってしまう。「見渡すかぎりの曠野、その中でぼくは静かに果てしなく成長してゆく壁なのです。」やっと「ぼく」に戻ったのに・・・(´;ω;`)ブワッ
I川氏による壁についての序文から始まり、名前をなくした主人公という一見何の関係もなさそうな奇妙な出だし、この時点でワクワクが止まらないのだが、一転主人公の胸のどうしようもない虚無感「空っぽ」のもの寂しさが、人生通してずっと自分が自分に対して感じてきた思いと重なり過ぎてつい込み上げてくるものが(´;ω;`) 名前を奪った犯人は他ならぬ「名刺」でつまり名前自らに逃げ出されてしまったのだ、という事実に愕然とする主人公。名前をなくしたことによって心が空っぽになる、じゃあ私も名前をなくせば存在を消せるのだろうか、とか色々病んだ方向に考えてしまった(^^; イヤこの現代社会で名前を持たないことがどんな重大な意味を持つかはよく分かっておりますが・・・。
病院の待合室の雑誌に写った曠野の風景に、『砂の女』の砂丘の原型を見たような。どこまでも絶対的な不動の塊である壁と、流動する物質である砂との対比、あるいはどちらにせよソレに閉じ込められ、運命を支配される人間の物悲しさに変わりはない、とかそういうことを一連の作品で表現したかったのかな(・・;) 名前を忘れ「十五番さん」と呼ばれて喜ぶ主人公はマイナ○バー制度の良い広告塔になりそうだな!(笑)私もこの番号制好き。食堂とか、公共の場で名前知られたくないし管理する方も便利じゃん。親しい関係の相手でもない限り個を認識されたくないんですよ、その他大勢に埋もれていたいから。空っぽ過ぎて何でも吸い込んでしまうほどの「ぼく」の胸の陰圧を「許容すべきでない非科学的な事実」「市民社会の秩序を乱す実証精神に対する侮辱」と言うドクトル。「異常ではないとは認めがたい。」との診断で窓から突き落とされた主人公は並木の下の画家に問う、「描かないで何を待っているのか?」と。「何を待っているか、それが分るくらいなら、誰も待ったりはしません。」この答え、深いっつーか何故か共感した。私も動かずにただ待ってるだけ。審判かもしれないし、ただの終わりかもしれないし、救い出してくれる何かかもしれない。でもいつまでも待っている余裕は現実の世界には存在しないんだよね・・・(´-`)
動物園に行き、彼が胸の中に吸いとってしまった曠野に惹かれて寄ってくる動物たち、取り分け美しい瞳のラクダを吸いとりたい誘惑に「ぼく」は必死に抗う。「あくまでも自分自身でありたい」という最後の人間としてのプライドのために。けれどそこから事態は急転直下、彼は「被告」として知人だらけの裁判の席に立たされることに。胸の陰圧によって見たもの全てを吸いとってしまう主人公は有罪か無罪か? 喚問された証人の中で彼を無罪だと庇ってくれたのは会社のタイピストY子ただ一人。「ぼく」の中で急激に大きくなっていくその存在と彼女への想い。「白黒がハッキリしないなら裁判の意味がない」とか抜かしやがる法学者()に哲学者が睡そうに告げる言葉の矛盾がヒャーッハッハ!(^∀^)σ「もし裁判がなかったら被告というものもなく、被告というものがなくなれば犯罪も不可能になる。犯罪が不可能ということは、物を盗りたいと思うものがあっても盗り得ないということ。従って物を盗りたいものが自由に物を盗れるためにこそ、裁判が必要とされる」「この裁判が行われている事実は被告が有罪を望んでいる証拠」な ん と い う(呆)
「そんな馬鹿な理屈があるものですか!」と当然激昂する常識人Y子を「理屈が馬鹿なものであることは昔から決っている」と切り捨て・・・意義深いがカオス極まりない問答が続いた末に何と第八の証人・食堂の少女が登場し、ようやく「被告が名前をどこかに落とした」という可能性が提言される。が、結局下された審判は名前を持たず法が適用されない状態の彼は「有罪でも無罪でもなく、またどちらでもある」よって永久に裁判が続き法廷は彼を追い続ける、というものだった(((゜ロ゜;)))gkbr 暗いトンネルを脱け出してY子と共に元の動物園に戻った彼は、今度はY子を空っぽの胸の内に吸収してしまいたいという誘惑に襲われる・・・何か段々主人公の気持ちに同調してきちゃうから怖いわ>< 名前が帰ってきて元の彼に戻るまで、目覆をしていない「ぼく」に近づく知り合いはいないのだろうか、と考え「自由をうばわれた孤独、それは独房の孤独」と表現する主人公にようやく壁と格闘する囚人・エドモンのような姿が見えてタイトルに近づいてきたような印象。
『箱男』貝殻草の夢のような情景の中で、無機物たちによる革命の決起を目撃する主人公。全ては逃げ出した「名刺」を主導者とする身の回り品の反乱に端を発するものだった、というおとぎ話のような展開に(笑)「死んだ有機物から生きている無機物へ!」矛盾極まりないスローガンを掲げた闘争はこの時代の若者たちを覆い尽くしていたイデオロギーと学生運動への容赦ない皮肉が覗いているような(-_-;) あるのか無いのか分からない革命歌に意味もなく歌声喫茶で繰り広げられる熱狂を、敵意を持たれることもなく道具として正しく愛用され続けながらその「搾取」に耐えられないとして持ち主への革命を起こそうとする姿に、大学という当時誰もが進めたわけではない高等教育の場で学ぶ権利を与えられながらその意味すら真面目に考えることもしなかった学生たちへの醒めた視線を、そして何より高尚な言葉で彩りながら無意味に相手を敵視する主義主張の空虚さが浮き彫りになって虚しくなる。一方で九十九神という発想がある日.本人ならではの、面白い暗喩・「革命」、搾取者が被搾取者を打倒するという構図の一定の正当性をも認めているのではないか、と考えられる部分もチラホラ。本当、掴めなくて不思議な作家さんや・・・(@_@;)
一連の不可思議かつ不条理な出来事について思い起こしながら「ぼくは理性は人間を不自由にするものだと考えてきたけれど、こんな具合に理性が役立たなくなり自由がなくなると、必然と偶然のけじめがまるでなくなって時間はただ壁のようにぼくの行手をふさぐだけ。たとえすべてが想像だとしても、それがみんなに共通の想像であれば同じこと。現実からこのおかしな想像をマイナスすればいったい何が残るというのでしょう。」と考える。段々異常な状態に慣れすぎて感覚が麻痺していく主人公が切ない(つд`)
翌朝、現れた「パパ」に助けを求めてすがろうとする「ぼく」を彼は冷たく振りきろうとする。この「パパ」の正体は何だったのか、ちょっと最後までよく分からなかったでござる・・・orz 結局身の回り品の抵抗にあってY子との約束の時間に著しく遅れてしまった主人公。サラリーマン生活の虚しい描写は『砂の女』にも出てきたな。公房さん残酷で鋭すぎる!(*_*; そーしーて、何と発見した名刺と語り合うY子もまた人間を敵視する無機物・初恋のマネキンでした\(^o^)/ 「人間ってやつは悪をなさんと欲して善をなし、いや善をなさんとして悪を・・・下らないことに変りはない。やっかいな人間どもは堕落も異常も悪いことは全部おれたちになすりつけようとする。こうしたことは全部人間の卑劣な責任回避の口実にすぎない。・・・」この名刺の哲学の全てが私たちに突き付けられた強烈な現実への皮肉、当時ヒッピーが流行り物質社会や資本主義叩きが横行していた中で、結局必要最低限の物質に頼らずには生活ができないことや、批判が向けられる側の物質自体の立ち位置は私たち人間というものがこの世に現れ、彼ら「道具」を生み出した瞬間から使役され、搾取されるという意味では「革命」を求める労働者や若者たちと何も変わらないのだということ、色々考えさせられてしまいますね(・・;)
その後、かつてY子のマネキンと並んで立っていた男のマネキンに事態の解決法を示唆される「ぼく」。このマネキンの言う「検事も裁判官も何もかも委員たちが兼ねていて、歴史に記載されたすべての裁判があなたに関係しあなたの責任であるという論告になっている。なぜならそのどれにもあなたの名前が記載されていないから」「あなたの名前がないのだから、否認する根拠はない。あなたが名前を取戻すまで、そのあいだに起ったすべての事件がことごとくあなたの罪状として加えられてゆくわけですから、あなたが名前を取戻せば、まず死刑はまぬがれない」どこの共/産国家だよ!?(((゜ロ゜;)))gkbr
そしてマネキンは主人公が名前を取戻す可能性を否定し、名前がない彼には永久に法律の保護がなく裁判は不利になる一方だから、二重の苦難から逃れるために「世界の果」への逃亡を勧める。マネキンの語る「人権というのもつまりは名前に関するもの」というセリフは真理かもしれない。だからこそ他人の名前を汚すことが罪になるんや・・・ウンウン(-_-)) で、マネキンからビラと切符をもらって世界の果に関する講演会に向かう「ぼく」、もう異常を認識する気力もないみたい。講演を行う奇妙なせむし男が見せたのは例の曠野。そして世界の果の入口は自分の部屋の壁にあることに安堵する主人公。「かつて天動説が支配的だった時代、はるか遠くにあると考えられていた果は現代、地球が球体になって四方八方から追いつめられ、ほとんど一点に凝縮してしまった。それを想う人たちにとって、もっとも身近なものに変化した。みなさん自身の部屋が世界の果で、壁はそれを限定する地平線。真に今日的な旅行くものは、よろしく壁を凝視しながら、おのれの部屋に出発すべき」この演説には正直ゾッとさせられた。カフカ読んで以来、こんな天才がこの世にいるのか?と。生きてて辛くなかったんだろうか、世の中の正体がこんな風に余りに残酷にありのまま眼前にさらけ出されてしまっていた公房氏は。イヤ普通に日曜の父ちゃんたちの悲哀描けてる辺り、凡人の感覚を理解する能力も持ち合わせていたんだろうけど・・・ソレに、人間という生き物にずっと興味を持ち続けられたから生きて書き続けられたのか?
そして遂に「ぼく」はスクリーンの中に突き飛ばされ、劇中の「彼」と化してしまいました(/_;) 彼は自分の部屋の中の壁の存在に歓喜する。古い人間のいとなみ、実証精神と懐疑精神の母体としてソレに郷愁を覚える一方で、一度消えて帰ってきた壁に見出したものは耐えがたい重圧。「おれが刑務所と要塞で一番発達したのもおまえの責任」初めて壁が発した言葉が、まさしく人類全体のカルマを背負わされた彼の運命を暗示させる。そして遂に彼は壁を見つめ続け吸収する。「おまえの中で、もう何ものからも呼ばれないただの石になって、よみがえろう」という壁の最後のセリフと共に彼はようやく世界の果にたどり着く。そこでは吸いとった壁がぐんぐん成長しそびえ立っていった。壁のドアを開けた先の階段を降りて現れた酒場にかかってきたのは「成長する壁、生命のある壁」に興奮する調査団からの電話。「敵」の作り出した「壁」の存在が、図らずも無機物たちのスローガン通りの「革命」をなし得た証左をもたらしたのかもしれないと思うと皮肉ですね>< 電話を終えた彼の後ろにいたのは肖像画だったはずの、半分がマネキンで半分がタイピストのY子。「愛することができたにちがいない唯一の人」と告げると同時にマネキンから本物になったY子の悲しい拒絶。そこに訪れた「調査団」の「ドクトル」と「パパ=ユルバン教授」の狂気。「彼」の胸に解剖刀が突き刺さろうという瞬間に歌いだしたY子の悲しい歌。「不幸な私 不幸なあなた」対してマネキンY子は明るい調子の唄を歌い、二人の調査団は揉め始める。ここでの本物のY子と思われる側の想いが何とも切ない。その隙に「彼」は調査団を説得し、解剖から逃れることに成功する。Y子との「最後の別れ」という表現に。・゜゜(ノД`)ウワアァカルマさーん!
ドアを開けるとそこは何と元の彼の部屋で曠野も成長する壁もない。そこで事態はますます狂気的な方向に。「科学(この状況でまだこの言葉出てくんのが物凄い矛盾だけど^^)を投げ捨て、神の恩寵によってその限界に迫る、矛盾のない信仰の世界が開ける」と言ったユルバン教授の考えは聖.書の通りラクダを「彼」の目の中に送り込むことでした\(^o^)/ 二人にとって「彼」はもう被告でも患者でも息子でもなく、ただの「被験物」でしかない模様。ラクダに乗って教授が目の中冒険するくだりなんかひっどいカオス、何じゃこりゃ(爆笑)ミイラになったノアさんとボロボロに朽ちた方舟とか出てくるし、ホントやべぇとしか言い様がないな!@夜中なのに興奮最高潮(((^∀^)))↑ そりゃ息子としては泣きたくもなるっつの。結局鼻汁(汚ねぇ!笑)と一緒に出てきて去っていった二人に残された「彼」はとうとう胸の中の壁で体がいっぱいになってしまう。「見渡すかぎりの曠野、その中でぼくは静かに果てしなく成長してゆく壁なのです。」やっと「ぼく」に戻ったのに・・・(´;ω;`)ブワッ
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I川氏による壁についての序文から始まり、名前をなくした主人公という一見何の関係もなさそうな奇妙な出だし、この時点でワクワクが止まらないのだが、一転主人公の胸のどうしようもない虚無感「空っぽ」のもの寂しさが、人生通してずっと自分が自分に対して感じてきた思いと重なり過ぎてつい込み上げてくるものが(´;ω;`) 名前を奪った犯人は他ならぬ「名刺」でつまり名前自らに逃げ出されてしまったのだ、という事実に愕然とする主人公。名前をなくしたことによって心が空っぽになる、じゃあ私も名前をなくせば存在を消せるのだろうか、とか色々病んだ方向に考えてしまった(^^; イヤこの現代社会で名前を持たないことがどんな重大な意味を持つかはよく分かっておりますが・・・。
病院の待合室の雑誌に写った曠野の風景に、『砂の女』の砂丘の原型を見たような。どこまでも絶対的な不動の塊である壁と、流動する物質である砂との対比、あるいはどちらにせよソレに閉じ込められ、運命を支配される人間の物悲しさに変わりはない、とかそういうことを一連の作品で表現したかったのかな(・・;) 名前を忘れ「十五番さん」と呼ばれて喜ぶ主人公はマイナ○バー制度の良い広告塔になりそうだな!(笑)私もこの番号制好き。食堂とか、公共の場で名前知られたくないし管理する方も便利じゃん。親しい関係の相手でもない限り個を認識されたくないんですよ、その他大勢に埋もれていたいから。空っぽ過ぎて何でも吸い込んでしまうほどの「ぼく」の胸の陰圧を「許容すべきでない非科学的な事実」「市民社会の秩序を乱す実証精神に対する侮辱」と言うドクトル。「異常ではないとは認めがたい。」との診断で窓から突き落とされた主人公は並木の下の画家に問う、「描かないで何を待っているのか?」と。「何を待っているか、それが分るくらいなら、誰も待ったりはしません。」この答え、深いっつーか何故か共感した。私も動かずにただ待ってるだけ。審判かもしれないし、ただの終わりかもしれないし、救い出してくれる何かかもしれない。でもいつまでも待っている余裕は現実の世界には存在しないんだよね・・・(´-`)
動物園に行き、彼が胸の中に吸いとってしまった曠野に惹かれて寄ってくる動物たち、取り分け美しい瞳のラクダを吸いとりたい誘惑に「ぼく」は必死に抗う。「あくまでも自分自身でありたい」という最後の人間としてのプライドのために。けれどそこから事態は急転直下、彼は「被告」として知人だらけの裁判の席に立たされることに。胸の陰圧によって見たもの全てを吸いとってしまう主人公は有罪か無罪か? 喚問された証人の中で彼を無罪だと庇ってくれたのは会社のタイピストY子ただ一人。「ぼく」の中で急激に大きくなっていくその存在と彼女への想い。「白黒がハッキリしないなら裁判の意味がない」とか抜かしやがる法学者()に哲学者が睡そうに告げる言葉の矛盾がヒャーッハッハ!(^∀^)σ「もし裁判がなかったら被告というものもなく、被告というものがなくなれば犯罪も不可能になる。犯罪が不可能ということは、物を盗りたいと思うものがあっても盗り得ないということ。従って物を盗りたいものが自由に物を盗れるためにこそ、裁判が必要とされる」「この裁判が行われている事実は被告が有罪を望んでいる証拠」な ん と い う(呆)
「そんな馬鹿な理屈があるものですか!」と当然激昂する常識人Y子を「理屈が馬鹿なものであることは昔から決っている」と切り捨て・・・意義深いがカオス極まりない問答が続いた末に何と第八の証人・食堂の少女が登場し、ようやく「被告が名前をどこかに落とした」という可能性が提言される。が、結局下された審判は名前を持たず法が適用されない状態の彼は「有罪でも無罪でもなく、またどちらでもある」よって永久に裁判が続き法廷は彼を追い続ける、というものだった(((゜ロ゜;)))gkbr 暗いトンネルを脱け出してY子と共に元の動物園に戻った彼は、今度はY子を空っぽの胸の内に吸収してしまいたいという誘惑に襲われる・・・何か段々主人公の気持ちに同調してきちゃうから怖いわ>< 名前が帰ってきて元の彼に戻るまで、目覆をしていない「ぼく」に近づく知り合いはいないのだろうか、と考え「自由をうばわれた孤独、それは独房の孤独」と表現する主人公にようやく壁と格闘する囚人・エドモンのような姿が見えてタイトルに近づいてきたような印象。
『箱男』貝殻草の夢のような情景の中で、無機物たちによる革命の決起を目撃する主人公。全ては逃げ出した「名刺」を主導者とする身の回り品の反乱に端を発するものだった、というおとぎ話のような展開に(笑)「死んだ有機物から生きている無機物へ!」矛盾極まりないスローガンを掲げた闘争はこの時代の若者たちを覆い尽くしていたイデオロギーと学生運動への容赦ない皮肉が覗いているような(-_-;) あるのか無いのか分からない革命歌に意味もなく歌声喫茶で繰り広げられる熱狂を、敵意を持たれることもなく道具として正しく愛用され続けながらその「搾取」に耐えられないとして持ち主への革命を起こそうとする姿に、大学という当時誰もが進めたわけではない高等教育の場で学ぶ権利を与えられながらその意味すら真面目に考えることもしなかった学生たちへの醒めた視線を、そして何より高尚な言葉で彩りながら無意味に相手を敵視する主義主張の空虚さが浮き彫りになって虚しくなる。一方で九十九神という発想がある日.本人ならではの、面白い暗喩・「革命」、搾取者が被搾取者を打倒するという構図の一定の正当性をも認めているのではないか、と考えられる部分もチラホラ。本当、掴めなくて不思議な作家さんや・・・(@_@;)
一連の不可思議かつ不条理な出来事について思い起こしながら「ぼくは理性は人間を不自由にするものだと考えてきたけれど、こんな具合に理性が役立たなくなり自由がなくなると、必然と偶然のけじめがまるでなくなって時間はただ壁のようにぼくの行手をふさぐだけ。たとえすべてが想像だとしても、それがみんなに共通の想像であれば同じこと。現実からこのおかしな想像をマイナスすればいったい何が残るというのでしょう。」と考える。段々異常な状態に慣れすぎて感覚が麻痺していく主人公が切ない(つд`)
翌朝、現れた「パパ」に助けを求めてすがろうとする「ぼく」を彼は冷たく振りきろうとする。この「パパ」の正体は何だったのか、ちょっと最後までよく分からなかったでござる・・・orz 結局身の回り品の抵抗にあってY子との約束の時間に著しく遅れてしまった主人公。サラリーマン生活の虚しい描写は『砂の女』にも出てきたな。公房さん残酷で鋭すぎる!(*_*; そーしーて、何と発見した名刺と語り合うY子もまた人間を敵視する無機物・初恋のマネキンでした\(^o^)/ 「人間ってやつは悪をなさんと欲して善をなし、いや善をなさんとして悪を・・・下らないことに変りはない。やっかいな人間どもは堕落も異常も悪いことは全部おれたちになすりつけようとする。こうしたことは全部人間の卑劣な責任回避の口実にすぎない。・・・」この名刺の哲学の全てが私たちに突き付けられた強烈な現実への皮肉、当時ヒッピーが流行り物質社会や資本主義叩きが横行していた中で、結局必要最低限の物質に頼らずには生活ができないことや、批判が向けられる側の物質自体の立ち位置は私たち人間というものがこの世に現れ、彼ら「道具」を生み出した瞬間から使役され、搾取されるという意味では「革命」を求める労働者や若者たちと何も変わらないのだということ、色々考えさせられてしまいますね(・・;)
その後、かつてY子のマネキンと並んで立っていた男のマネキンに事態の解決法を示唆される「ぼく」。このマネキンの言う「検事も裁判官も何もかも委員たちが兼ねていて、歴史に記載されたすべての裁判があなたに関係しあなたの責任であるという論告になっている。なぜならそのどれにもあなたの名前が記載されていないから」「あなたの名前がないのだから、否認する根拠はない。あなたが名前を取戻すまで、そのあいだに起ったすべての事件がことごとくあなたの罪状として加えられてゆくわけですから、あなたが名前を取戻せば、まず死刑はまぬがれない」どこの共/産国家だよ!?(((゜ロ゜;)))gkbr
そしてマネキンは主人公が名前を取戻す可能性を否定し、名前がない彼には永久に法律の保護がなく裁判は不利になる一方だから、二重の苦難から逃れるために「世界の果」への逃亡を勧める。マネキンの語る「人権というのもつまりは名前に関するもの」というセリフは真理かもしれない。だからこそ他人の名前を汚すことが罪になるんや・・・ウンウン(-_-)) で、マネキンからビラと切符をもらって世界の果に関する講演会に向かう「ぼく」、もう異常を認識する気力もないみたい。講演を行う奇妙なせむし男が見せたのは例の曠野。そして世界の果の入口は自分の部屋の壁にあることに安堵する主人公。「かつて天動説が支配的だった時代、はるか遠くにあると考えられていた果は現代、地球が球体になって四方八方から追いつめられ、ほとんど一点に凝縮してしまった。それを想う人たちにとって、もっとも身近なものに変化した。みなさん自身の部屋が世界の果で、壁はそれを限定する地平線。真に今日的な旅行くものは、よろしく壁を凝視しながら、おのれの部屋に出発すべき」この演説には正直ゾッとさせられた。カフカ読んで以来、こんな天才がこの世にいるのか?と。生きてて辛くなかったんだろうか、世の中の正体がこんな風に余りに残酷にありのまま眼前にさらけ出されてしまっていた公房氏は。イヤ普通に日曜の父ちゃんたちの悲哀描けてる辺り、凡人の感覚を理解する能力も持ち合わせていたんだろうけど・・・ソレに、人間という生き物にずっと興味を持ち続けられたから生きて書き続けられたのか?
そして遂に「ぼく」はスクリーンの中に突き飛ばされ、劇中の「彼」と化してしまいました(/_;) 彼は自分の部屋の中の壁の存在に歓喜する。古い人間のいとなみ、実証精神と懐疑精神の母体としてソレに郷愁を覚える一方で、一度消えて帰ってきた壁に見出したものは耐えがたい重圧。「おれが刑務所と要塞で一番発達したのもおまえの責任」初めて壁が発した言葉が、まさしく人類全体のカルマを背負わされた彼の運命を暗示させる。そして遂に彼は壁を見つめ続け吸収する。「おまえの中で、もう何ものからも呼ばれないただの石になって、よみがえろう」という壁の最後のセリフと共に彼はようやく世界の果にたどり着く。そこでは吸いとった壁がぐんぐん成長しそびえ立っていった。壁のドアを開けた先の階段を降りて現れた酒場にかかってきたのは「成長する壁、生命のある壁」に興奮する調査団からの電話。「敵」の作り出した「壁」の存在が、図らずも無機物たちのスローガン通りの「革命」をなし得た証左をもたらしたのかもしれないと思うと皮肉ですね>< 電話を終えた彼の後ろにいたのは肖像画だったはずの、半分がマネキンで半分がタイピストのY子。「愛することができたにちがいない唯一の人」と告げると同時にマネキンから本物になったY子の悲しい拒絶。そこに訪れた「調査団」の「ドクトル」と「パパ=ユルバン教授」の狂気。「彼」の胸に解剖刀が突き刺さろうという瞬間に歌いだしたY子の悲しい歌。「不幸な私 不幸なあなた」対してマネキンY子は明るい調子の唄を歌い、二人の調査団は揉め始める。ここでの本物のY子と思われる側の想いが何とも切ない。その隙に「彼」は調査団を説得し、解剖から逃れることに成功する。Y子との「最後の別れ」という表現に。・゜゜(ノД`)ウワアァカルマさーん!
ドアを開けるとそこは何と元の彼の部屋で曠野も成長する壁もない。そこで事態はますます狂気的な方向に。「科学(この状況でまだこの言葉出てくんのが物凄い矛盾だけど^^)を投げ捨て、神の恩寵によってその限界に迫る、矛盾のない信仰の世界が開ける」と言ったユルバン教授の考えは聖.書の通りラクダを「彼」の目の中に送り込むことでした\(^o^)/ 二人にとって「彼」はもう被告でも患者でも息子でもなく、ただの「被験物」でしかない模様。ラクダに乗って教授が目の中冒険するくだりなんかひっどいカオス、何じゃこりゃ(爆笑)ミイラになったノアさんとボロボロに朽ちた方舟とか出てくるし、ホントやべぇとしか言い様がないな!@夜中なのに興奮最高潮(((^∀^)))↑ そりゃ息子としては泣きたくもなるっつの。結局鼻汁(汚ねぇ!笑)と一緒に出てきて去っていった二人に残された「彼」はとうとう胸の中の壁で体がいっぱいになってしまう。「見渡すかぎりの曠野、その中でぼくは静かに果てしなく成長してゆく壁なのです。」やっと「ぼく」に戻ったのに・・・(´;ω;`)ブワッ
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