×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
このタイミングで英/独証取合併とか、金融界が全力でBr exit対策に本気すぎて逆に実現可能性についての恐怖を感じざるを得ない(((゜Д゜;)))gkbr ウチの増税延期提言してくれた学者さんたちはGJやったで(^^)b それでこそノーベ○賞の権威も活きるってもん!(日.本人権威に弱いから。笑)個人的に平/和賞の次に意味なくね?と考えている賞なんで、こういう時にこそ役に立ってもらわなきゃネ☆
あと米のミニ超火曜日、ルビ○たんが遂に・・・!(つд`) せめてもうちょっと粘ることはできなかったんか? 政界引退したりはしないよね? トラ○プにSuper powerのトップ担える器があるとは思えないし、ヒ○リーさんは年齢が年齢だから次狙って頑張ってホスィ(´・ω・`) しっかし米.国民がこんなにアホというか二極化状態に追い詰められているとは(@_@;) 欧州ほど経済や難民問題が深刻化しているようには見えないのに。正直言って何も無いとこに火つけて騒ぎ立てるマッチポンプメディアと、それに群がって儲ける連中の罪によるところが多きいんじゃないか? デフォルトがー、にしてもオバ○ケアの必要以上の叩きっぷりとか、戦争についての倦怠感にしたってそうですよ。確かにブッ○ュは軍需企業と癒着したクソ野郎だったのかもしれないけど、アメ○カという国が軍事力によって現代の世界秩序を維持する役割を担ってきたのは動かしがたい事実で、一度でもその道を自分たちが選択した過去がある以上、今すぐにその重荷を投げ出したいからと言ってそんな無責任なことは実質的に叶わない、変えられない。いきなりそんなんやっちまったら世界中、ひいてはアメリ○の経済や社会においても余計に混乱と望まない泥沼の悪影響をもたらしてしまう。あー、もう色々複雑だけど何とかヒラ○ーに盛り返してもらうしかないな!ウチにとって最良ではないかもしれないけれど、正直もう他にマトモな選択肢がないっつーか(-_-;) 本番頼むわ、アメリ○の皆さん!
以下、一気読みした太宰デビュー感想。(※かなりの病みを孕んだ自分語り、他国や歴史への不快ともとれる表現を含みますm(__)m)
↓
あと米のミニ超火曜日、ルビ○たんが遂に・・・!(つд`) せめてもうちょっと粘ることはできなかったんか? 政界引退したりはしないよね? トラ○プにSuper powerのトップ担える器があるとは思えないし、ヒ○リーさんは年齢が年齢だから次狙って頑張ってホスィ(´・ω・`) しっかし米.国民がこんなにアホというか二極化状態に追い詰められているとは(@_@;) 欧州ほど経済や難民問題が深刻化しているようには見えないのに。正直言って何も無いとこに火つけて騒ぎ立てるマッチポンプメディアと、それに群がって儲ける連中の罪によるところが多きいんじゃないか? デフォルトがー、にしてもオバ○ケアの必要以上の叩きっぷりとか、戦争についての倦怠感にしたってそうですよ。確かにブッ○ュは軍需企業と癒着したクソ野郎だったのかもしれないけど、アメ○カという国が軍事力によって現代の世界秩序を維持する役割を担ってきたのは動かしがたい事実で、一度でもその道を自分たちが選択した過去がある以上、今すぐにその重荷を投げ出したいからと言ってそんな無責任なことは実質的に叶わない、変えられない。いきなりそんなんやっちまったら世界中、ひいてはアメリ○の経済や社会においても余計に混乱と望まない泥沼の悪影響をもたらしてしまう。あー、もう色々複雑だけど何とかヒラ○ーに盛り返してもらうしかないな!ウチにとって最良ではないかもしれないけれど、正直もう他にマトモな選択肢がないっつーか(-_-;) 本番頼むわ、アメリ○の皆さん!
以下、一気読みした太宰デビュー感想。(※かなりの病みを孕んだ自分語り、他国や歴史への不快ともとれる表現を含みますm(__)m)
↓
何で『日の名残り』の後にコレ読んじゃったんだろう・・・。ゾッとするほどの類似。東西の鏡写し。貴族と使用人の裏表。私があの国に対して複雑な感情を抱いてしまうのは、同属嫌悪に近い気持ちが働くからなのかもしれない。でも価値観や社会形態は似ていても、アプローチの方法が違う。彼らは言葉で説明できるよう、例え納得できない無理な論理を用いてでも分析し常に議論の俎上に載せられるように“思考する”のに対して、私たちはこの作品の主人公姉弟が母親の仕草や振る舞いに見出すような、感性で以てソレを理解しようとする。この辺はたぶんフ○ンスっぽい部分かな? 私、お恥ずかしい話ですが単位落としまくった分だけ自分の専攻には直接関係がない授業も受けまくりました。その時学んだ内のヨーロッパ史で、日.本は全体を通してミニヨーロッパみたいだ、一つの国・一つの島にヨーロッパの全てを縮小して詰め込んだら、恐らく日/本という国の歴史や文化に近いものが出来上がるのではないか、と感じたことを思い出した。海賊を兼ねた水軍の存在、名目上は教皇に近いTennoの下にありながら政治のトップは将軍と定められ、それすら形骸化し実権を巡って争う諸国の大名や藩主たち、社会に強い影響力を有し武力まで備えた寺院勢力のせめぎ合い・・・形や枠組みを少しずつ変えつつも、長く続いてきた封建システムとその急激な崩壊の帰着から目指した帝国主義などなど。
何故、最も距離が近く文化的影響を受けたはずの大陸・半島とはここまで制度や考え方が隔たってしまったのか。科挙を導入せず、仏教や儒学にも自己流のアレンジを加え、古来から崇められてきた神道と矛盾を来さないように同化させてしまった。ただ日.本海の荒波や基本的に「来る者拒まず去る者追わず」な朝貢システムを取っていたアジアの特殊な事情の問題だけではないように思うんです。だから私はTenno制を否定することはこの国のこれまでの歩み全てを否定することになってしまうような気がするし、その家に生まれたから、という理由だけで特権階級としての生き方を強いられ、民衆の憎しみを、あるいは勝手な憧れや非難を受ける立場になってしまう人々に同情する。そしてまた日/本の中でも特に貧しく、余裕のない暮らしをする人々が多く住まう地域で数少ない優雅な生活を送れた身の上で、所謂「ノーブル・オブリゲーション」というものも果たさずに文学と放蕩に溺れ、散々に恥をさらした上で死んでいった彼と、のうのうと「著名な作家の親族」として後を継ぐように文筆の道に進んだり、実質故郷を捨てたも同然の身でありながら議員になったりしている彼の家の人々に反発する地元の方々の心情もよく解る。作中に登場する「西山さんのお嫁さん」の気持ち、「百姓の息子」上原の感傷。だから私は母や、その郷里の人々の彼やその作品自体に対する抵抗を否定する気にはなれない。けれど、今この表面的にはほぼ満たされた日.本の中で、ぶっちゃけ今色々と生活の瀬戸際にあり、直治と同じようなことばっかり考えてしまう自身のことを思った時、やはり深い同情と理解を、少なくともこの作品には寄せざるを得ないわー。・゜・(ノД`)・゜・。ウワアアーン
主人公姉弟にとって余りにも大きな存在だった母親。その完璧な気品と愛情こそが逆に彼らを苛み、破滅の道(主人公かず子にとっては幸福に違いなかったのかもしれないけど)に追い込んでしまったのではないか、と感じるほど。父の死に際して現れた蛇の暗喩のフラグ立てが、日/本ならではの薄暗い不気味さをスルスルと、それこそまるで蛇の這いよる音のように感じさせますね。(次は『バスカヴィル~』に行こう、と何故かここで決意。『まだらの紐』じゃねぇのかよ!(ノ∀`))かず子との年齢の近さと子供が無いという共通点に、また彼女の心情への奇妙な同調を覚えてしまう。かず子が人形のハンカチイフを作ったりすることが好きだ、という母に「子供がいないからよ」って答えるくだり、凄くよくわかる。私も人形に靴下履かせたり、小さいイスやソファ見つけるとぬいぐるみ用に買ったりしちゃうから。友達の子供の誕生日にカード用意したり、何でもしてあげたいと思ってしまう。三十前後の、所謂かず子も出戻りニート状態なわけですから、子供という唯一の女性の持つ特権への執着は痛いほどわかる。(まぁ私の場合は今後も持ち得る可能性が無いわけだけど)
そして夫に先立たれ、子供たち二人のためにお金を使い果たして家まで売らなくてはいけなかった「ほんものの」貴婦人である母の初めて見せた嘆き。彼女が本物の貴婦人ではなかったら、「意地悪でケチケチして子供たちを叱り、こっそり自分だけのお金を増やすような人だったら、どんなに世の中が変っても、死にたくなるような気持になる事はなかったろうに」という娘の同情、そして「ああ、お金が無くなるという事は、なんというおそろしい、みじめな、救いの無い地獄だろう」とお嬢様として育ってきた彼女がはじめて気がつく告白は、今の私の状態に余りにも近すぎて胸に突き刺さってしまった。
ウチの両親はエリートでも何でもないけれど、ある程度安定した家庭で育ってきたことは確か。どちらも田舎の公務員家庭でしたから、祖父母も堅実だったし生活に困るということは無い暮らし・価値観の持ち主で・・・進学先も坊ちゃん高だったりお嬢様大学だったり。で、所謂金券ショップやリサイクルショップなんかは利用しようと考えたこともないみたい。私がブクオフ行くだけで顔しかめて自分は足も踏み入れない。物を処分する時も、「捨てる」か「知人にあげる」発想しかない。見知らぬ他人が触れたものに触るのも、見知らぬ他人に自分が使ってきたものをお金で譲り渡すという行為も嫌みたい。彼ら自身は「世間知らずの温室育ちではない」と懸命に言い張るけど、私の目から見ればそう。というか私自身も、親の職業の名ばかりのイメージのせいか、そういう両親に育てられたせいかどちらかと言えば“そういう目”で見られてきた。この歳まで引きこもって「世間知らず」の本物ぶりには確かに磨きがかかってしまっただろうけど(^^; だから、親が上手い金策も容赦ない取り立てもできずに困り果てているここ2~3か月の状況と、いい加減ウチからの用立て伺いにウンザリ来ている親戚という作中の一家の構図が余りにも当てはまり過ぎるんですよ。早く自己処理しなきゃ、あるいは家族から離れて自立しなきゃ、と焦っているのもぶっちゃけそのせい。もう私の欲望は本にしか向かないから、ブクオフがあればそれで良いし、それが唯一のワガママで「タヒぬまで生きる」ための安定剤みたいなもん。麻薬よりマシだろ、と(笑)
旧華族として「みじめな死に方」をするわけにはいかない、「華麗にほろびたい」というプライドを捨てられずにいるかず子。「戦争なんて、つまらないものだった。」に続く三行の詩に、太宰が執筆のほんの2~3年前まで繰り広げられていた、今に到るまで深い遺恨を残す“大戦”について言いたかったことが、日.本人の実際的な本音が表れているのではないか、と感じた。大げさな悲劇も美しい物語も、そこには何もありはしなかった。少なくとも大多数の私たち、日/本人にとっては。降って湧いた災害と同じ、ずっとずっと厳しい自然にさらされてきた島国の人間にとっては。ある日軍部が実権を握り、アジアの解放が何やかやと騒ぎ立て、戦争に行かされ、それなりの地獄を見て、殺し、殺されて、傷を負って帰って来た兵士を何もかも破壊されて同じく傷を負った人々が出迎える・・・「何も無かった。」いつもと同じ。いつもやって来る地震や台風や津波の後と同じ。帰ってくる人もいれば来ない人もいる。それだけ。傷ついた人もいれば無傷の人もいて、壊れた街は復興され、また当たり前に営みは続いていく。それだけ。前にもどこかで書いたけど、だから私たちには、その記憶をいつまでも引きずる、という感覚が永遠に理解できないのかもしれない。
一つ、私たちの、日/本とイギ○ス、いや世界をあの大戦の前後に決定的に破壊し変えてしまったのはアメリ○の台頭と社.会主義の登場だ、とこの点は間違いなく言えるな、と『日の名残り』に続けてこの作品を読んで感じた。だから私は歴オタとして社/会主義への嫌悪を隠しきれずにいられないのかもしれない。長く続いた歴史を、愛する人間の営みをほんの数十年で全否定する方向に失わせてしまったんだもん。直治の言う「人間はみな同じ」という言葉の否定、あの遺書に全てが表れているのでは?「人をいやしめると同時にみずからをもいやしめ、何のプライドも無くあらゆる努力を放棄せしめるような卑屈な言葉。・・・なぜ優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。」自分を弱い、重大な欠陥のある草に例え、生きる意味が分からない、周りの真っ当に生きられるだけの生命力を持った強い草と同じになれるように努力はしてみたけれどそうなれなかった、と打ち明ける直治。「人間には生きる権利があると同様に死ぬ権利もある筈だ。「母」の生きている間はその死が「母」をも殺してしまう事になるから留保されなければならないけれど、その母が逝った今なら、あなたたちは僕の死を知って泣くだろうが、僕の生きている苦しみと、そのイヤな生から完全に解放されるよろこびを思い出せばその悲しみは次第に打ち消されて行くだろう」という遺書の内容が、何もかも自分の気持ちと重なり過ぎて(´;ω;`) あ、ちなみに先月妹と揉めた際「親が生きてる内はタヒねないでしょ!」と言ったら「じゃあそれまで寄生するつもり!?」と返されたことも、実行早めようと思ったり結果友達に説得されて止めたり、今の状態から全力で脱け出そうともがき始めたことの要因の一つだったりします☆ホント精神の病って厄介だよね((-_-)ウンウン
姉弟揃って叶わぬ恋に身を焦がしていたことに、彼らの執着と愛情が帰結するもう一つの対象だった病床の「お母さま」はどれくらい気づいていたことだろうか。思い浮かべもしなかったのかな? 娘が「古い道徳」を破壊する「革命」のための恋に、生々しく激しく情熱を迸らせていたことを。生きる糧を、直治の「下品になる」行為のように、麻薬のように、それのみにかず子が見出していたことを。その激しい生き甲斐を託されてしまった上原も、また「間違った行為」に溺れていた。良き妻・家庭に留まれず、夜な夜な仲間と酒に溺れて借金を背負い込み、女遊びにふけり・・・「こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。」一言一句同意(;_;)
何で普通に生きるってだけでこんなにしんどいんだろう、って昨日も思い知らされた。あの、おそらく親から施設にぶっこまれて毎日一見楽しそうだけど、ある意味限りなく無為に過ごしているように見える若者たちの姿。これからどうするんだろう、どうなるんだろう。他人のこと言えない身だけど、せめて学生時代の楽しい思い出や、道を示してくれる友人たちに恵まれた自分は本当に幸せ者のはずなんだ、と強く感じてしまった。年金と保険、生活費だけでマトモに勤めていない人間からは月々どんだけすっ飛んで行くか。それでもって払い終えた時返って来るのは、月々の家賃さえ支払うことができないような額だという。そこまで苦労して、毎日吐いてトイレ駆け込んで紙袋吸って、頑張って口開けて大きな声出して喋って帰ったら痛みで顔動かすことも出来なくなる状態で○十年とか、ホントもうゾッとするし生き続ける意味が見出せないです。
「だめだ。・・・僕は、もっと早く死ぬべきだった。・・・僕には、希望の地盤が無いんです。」本当は何をしても楽しくなかった、貴族に生まれた「罪」から逃れるために遊びまわり、家族に迷惑をかけ、下品になろうとしてなりきれなかった、「僕は貴族です。」何て悲しい、そして余りに共感できる心情だろう。何にハマったって、それは一時的な逃避に他ならないと解っているのに、必死にハマっている“フリ”をして無駄にお金を費やしてきた。そのお金が今ここにあれば、と思わずにはいられないのに、その「ブクオフへの出入りすらしない」親の思考が沁みこみ過ぎて売れそうなものですら手放せずにいる。結局帰って来たのは本だった。本しかなかった。対話できるのも、共感できるのも、ケチ付けられるのも、それを活力に変えられるのも。本当に好きだと言える趣味は歴史巡り(ソレが高じてのニュース中毒も含む)と読書だけなのかもしれない。
スケートも舞台もアイドルのコンサートも、一瞬で消えちゃう幻みたいなもんだからね(^^; だから安心してハマれたとも言える。今ブーム()の相撲にも引退というシステムがある。退団、引退、同性同士の、絶対嘘っこのコンビ制。理想的な一瞬の麻薬でした、私にとっては。好きな選手の国の言語を学んで熱心に現地に足を運ぶまでに至らない私には、まさに“その程度のもの”で偉そうにファンだと語る資格なんかない、と“本物”の方を見ていて思う。最近聞いたヅカが原因で離婚した親の依頼者の件もそうだけど。あそこまで破滅的にハマってこそ“本物”で、私のはまさに直治の麻薬や遊興と同じただの逃避に他ならないんだな、って。だから本当は、確かに親がタヒんだらいつタヒんでも良いけど、今のご時世それまでの時間が長すぎるだろうし、長子で下の二人を困らせるわけにもいかないから、何とか早く家離れなきゃ、ってその気持ちだけで焦ってる。早く一人で処理できる場所を見つけたい。本当はその思いだけ。私が遺書を残すとしたら、宛名はきっと友人の誰かになるだろうな・・・幼なじみかな。一番厄介な迷惑ごとを人生で最も打ち明け押し付けてきてしまった。そういう相手が沢山いすぎて本当に申し訳ないけれどm(__)m
あーでも聖.書のくだりだけはマジむかつき過ぎて耐えられない、全体的に。今日も教会からイースター行事の知らせが届いたとかで祖母から分厚い手紙が届いてましたけど。本当イライラするから止めてほしい・・・とか思ってても「御言葉」とか啓示とか家に飾ってあるヤツ外せずにいるんですけどネ☆あ、一応よくあるカルト系ではなく、到って普通の米本山?のプ○テスタント系のトコですが。信者の方もいかにもお育ちが良さそう~、な、話聞いてても「まぁ、また海外に?」とか「わざわざ個人輸入で取り寄せてるんですのよ」系の方が多くて(´-`) あっ、ここも「貴族」的共通点になっちゃうか(笑)その両親の信仰(と北の大地の不便さ)故に、それぞれお嬢様・お坊ちゃま学校の寮に高校から送り込まれたんだもんね父と伯母は。何で日/本の上流階級?(政治家とか)ってクリ○チャン多いの?基本Tenno信者なのにさ。誰か教えてくれ>< その方が欧米の皆さんに擦り寄りやすいから?^^
でも祖父の死ぬ間際は「アメ○カが攻めてくる!」って飛行機にめっちゃ怯えてたんだよな。ホントあの言葉聞いた瞬間と、その後アメリ○本山の教会で、ハリ○ッド映画『タイタ○ック』で繰り返し聴いて覚えた葬式の賛美歌をリアルに歌わなきゃいけなかった私の気持ちが、お分かりいただけるだろうか?(´∀`)ニッコニコニコ 船が沈む最中に最後まで楽団が演奏していたあの曲ですよ、「主よ、御許に近づかん。昇る道は十字架に」あの日から私は一度も教会に行ってないです。妹は顔を出していたけれど。とても耐えられない。受け入れられない。酷い矛盾。やっぱりアメリ○は、イギ○スと日/本の何もかもを奪い、破壊し、「解放」した国なのだ、と実感せざるを得ない。昭和22年、この小説が書かれた年!かず子の年齢設定と過去、「お母さま」と直治の歩んできたであろう道、時代。『日の名残り』と丸っきり被るじゃんか、書かれた時代が後年であり、資料からの推測を元に練り上げた作品と実体験から迸る感情を詰め込んだ作品という違いだけ。
もっとタチの悪いことは、何と百円コーナーでゲットしたこの文庫本が私の生まれた年に出版された本で、私とこの本の年齢は最初に言ったように主人公の歳と限りなく近い。「女は三十で処女の香りを失う」それなのに、女の人生はその後も続いていくのだ、とかず子は語る。「三十になってから恋をしないと不幸になる」と十九の主人公に告げたのが英.国人の女教師、というのも三十四、五で恋を諦めて結婚に逃げ去って行ったミス・ケントンを彷彿とさせて切なくなる。限りなく似ているのに、少しずつ違う。まさに鏡像、二つの海とアメリカという大きすぎる鏡越しに見つめる東西の島国の姿ですよ。向こうにしてみたら比較の対象にされること自体が甚だ不本意極まりないことかもしれないですけどね(笑)機会があれば、ぜひセットで読み比べてみると興味深い二作品。
それにしても長年ス○ェーデン王室の支配下にあり、ロ○アに蹂躙されW W 2では枢軸側に付いて独立を勝ち取った、特殊な立ち位置の共和国・フィ○ランドからやって来た少年が何を思ってこの作品を手に取り、どこまで理解が及んだのかちょっと想像し難いなぁ。貴族が存在しなかった国で貴族の苦しみって理解できんのか?(-_-;) 戦後の日/本が外国とその思想や文化をどう受け止め、どこまで浸透していたのか、という点に興味を抱いたのかな?でもかず子や直治・上原の例を見る限り、やっぱり私たちには私たちの見方しかできない、経済学も社.会主義も魔改造して本来の主張を逸脱した奇妙な捉え方・視点しか持てないのだ、ということが明らかにされているだけで逆に絶望しそうな気がするけど。(私もいくら勉強してもその範疇は脱け出せないだろう、と正直諦めている部分があります。理想として夢を見たリベ○リズムに対してもね!^^)日/本人の誰もが唯一共通して受け入れ、理解できる価値観は恐らく作中にも登場する「調和」の一語に集約されているだろうから、喧々諤々の議論を重ねた上でようやく成り立つ○○主義・革命の文化は恐らくウチの社会には根付かない。それを承知で旧華族・かず子は「古い道徳」に挑戦状を叩きつけた。「小さな革命」、調和した社会に一滴の波紋をもたらすことしかできないであろう、そして渦に呑まれて消えてしまうかもしれない、自ら水に落ち行く葉っぱみたいな生き方を選ぶ彼女の強さに、直治に近い弱さを抱えた私はいっそ憧れる。
何故、最も距離が近く文化的影響を受けたはずの大陸・半島とはここまで制度や考え方が隔たってしまったのか。科挙を導入せず、仏教や儒学にも自己流のアレンジを加え、古来から崇められてきた神道と矛盾を来さないように同化させてしまった。ただ日.本海の荒波や基本的に「来る者拒まず去る者追わず」な朝貢システムを取っていたアジアの特殊な事情の問題だけではないように思うんです。だから私はTenno制を否定することはこの国のこれまでの歩み全てを否定することになってしまうような気がするし、その家に生まれたから、という理由だけで特権階級としての生き方を強いられ、民衆の憎しみを、あるいは勝手な憧れや非難を受ける立場になってしまう人々に同情する。そしてまた日/本の中でも特に貧しく、余裕のない暮らしをする人々が多く住まう地域で数少ない優雅な生活を送れた身の上で、所謂「ノーブル・オブリゲーション」というものも果たさずに文学と放蕩に溺れ、散々に恥をさらした上で死んでいった彼と、のうのうと「著名な作家の親族」として後を継ぐように文筆の道に進んだり、実質故郷を捨てたも同然の身でありながら議員になったりしている彼の家の人々に反発する地元の方々の心情もよく解る。作中に登場する「西山さんのお嫁さん」の気持ち、「百姓の息子」上原の感傷。だから私は母や、その郷里の人々の彼やその作品自体に対する抵抗を否定する気にはなれない。けれど、今この表面的にはほぼ満たされた日.本の中で、ぶっちゃけ今色々と生活の瀬戸際にあり、直治と同じようなことばっかり考えてしまう自身のことを思った時、やはり深い同情と理解を、少なくともこの作品には寄せざるを得ないわー。・゜・(ノД`)・゜・。ウワアアーン
主人公姉弟にとって余りにも大きな存在だった母親。その完璧な気品と愛情こそが逆に彼らを苛み、破滅の道(主人公かず子にとっては幸福に違いなかったのかもしれないけど)に追い込んでしまったのではないか、と感じるほど。父の死に際して現れた蛇の暗喩のフラグ立てが、日/本ならではの薄暗い不気味さをスルスルと、それこそまるで蛇の這いよる音のように感じさせますね。(次は『バスカヴィル~』に行こう、と何故かここで決意。『まだらの紐』じゃねぇのかよ!(ノ∀`))かず子との年齢の近さと子供が無いという共通点に、また彼女の心情への奇妙な同調を覚えてしまう。かず子が人形のハンカチイフを作ったりすることが好きだ、という母に「子供がいないからよ」って答えるくだり、凄くよくわかる。私も人形に靴下履かせたり、小さいイスやソファ見つけるとぬいぐるみ用に買ったりしちゃうから。友達の子供の誕生日にカード用意したり、何でもしてあげたいと思ってしまう。三十前後の、所謂かず子も出戻りニート状態なわけですから、子供という唯一の女性の持つ特権への執着は痛いほどわかる。(まぁ私の場合は今後も持ち得る可能性が無いわけだけど)
そして夫に先立たれ、子供たち二人のためにお金を使い果たして家まで売らなくてはいけなかった「ほんものの」貴婦人である母の初めて見せた嘆き。彼女が本物の貴婦人ではなかったら、「意地悪でケチケチして子供たちを叱り、こっそり自分だけのお金を増やすような人だったら、どんなに世の中が変っても、死にたくなるような気持になる事はなかったろうに」という娘の同情、そして「ああ、お金が無くなるという事は、なんというおそろしい、みじめな、救いの無い地獄だろう」とお嬢様として育ってきた彼女がはじめて気がつく告白は、今の私の状態に余りにも近すぎて胸に突き刺さってしまった。
ウチの両親はエリートでも何でもないけれど、ある程度安定した家庭で育ってきたことは確か。どちらも田舎の公務員家庭でしたから、祖父母も堅実だったし生活に困るということは無い暮らし・価値観の持ち主で・・・進学先も坊ちゃん高だったりお嬢様大学だったり。で、所謂金券ショップやリサイクルショップなんかは利用しようと考えたこともないみたい。私がブクオフ行くだけで顔しかめて自分は足も踏み入れない。物を処分する時も、「捨てる」か「知人にあげる」発想しかない。見知らぬ他人が触れたものに触るのも、見知らぬ他人に自分が使ってきたものをお金で譲り渡すという行為も嫌みたい。彼ら自身は「世間知らずの温室育ちではない」と懸命に言い張るけど、私の目から見ればそう。というか私自身も、親の職業の名ばかりのイメージのせいか、そういう両親に育てられたせいかどちらかと言えば“そういう目”で見られてきた。この歳まで引きこもって「世間知らず」の本物ぶりには確かに磨きがかかってしまっただろうけど(^^; だから、親が上手い金策も容赦ない取り立てもできずに困り果てているここ2~3か月の状況と、いい加減ウチからの用立て伺いにウンザリ来ている親戚という作中の一家の構図が余りにも当てはまり過ぎるんですよ。早く自己処理しなきゃ、あるいは家族から離れて自立しなきゃ、と焦っているのもぶっちゃけそのせい。もう私の欲望は本にしか向かないから、ブクオフがあればそれで良いし、それが唯一のワガママで「タヒぬまで生きる」ための安定剤みたいなもん。麻薬よりマシだろ、と(笑)
旧華族として「みじめな死に方」をするわけにはいかない、「華麗にほろびたい」というプライドを捨てられずにいるかず子。「戦争なんて、つまらないものだった。」に続く三行の詩に、太宰が執筆のほんの2~3年前まで繰り広げられていた、今に到るまで深い遺恨を残す“大戦”について言いたかったことが、日.本人の実際的な本音が表れているのではないか、と感じた。大げさな悲劇も美しい物語も、そこには何もありはしなかった。少なくとも大多数の私たち、日/本人にとっては。降って湧いた災害と同じ、ずっとずっと厳しい自然にさらされてきた島国の人間にとっては。ある日軍部が実権を握り、アジアの解放が何やかやと騒ぎ立て、戦争に行かされ、それなりの地獄を見て、殺し、殺されて、傷を負って帰って来た兵士を何もかも破壊されて同じく傷を負った人々が出迎える・・・「何も無かった。」いつもと同じ。いつもやって来る地震や台風や津波の後と同じ。帰ってくる人もいれば来ない人もいる。それだけ。傷ついた人もいれば無傷の人もいて、壊れた街は復興され、また当たり前に営みは続いていく。それだけ。前にもどこかで書いたけど、だから私たちには、その記憶をいつまでも引きずる、という感覚が永遠に理解できないのかもしれない。
一つ、私たちの、日/本とイギ○ス、いや世界をあの大戦の前後に決定的に破壊し変えてしまったのはアメリ○の台頭と社.会主義の登場だ、とこの点は間違いなく言えるな、と『日の名残り』に続けてこの作品を読んで感じた。だから私は歴オタとして社/会主義への嫌悪を隠しきれずにいられないのかもしれない。長く続いた歴史を、愛する人間の営みをほんの数十年で全否定する方向に失わせてしまったんだもん。直治の言う「人間はみな同じ」という言葉の否定、あの遺書に全てが表れているのでは?「人をいやしめると同時にみずからをもいやしめ、何のプライドも無くあらゆる努力を放棄せしめるような卑屈な言葉。・・・なぜ優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。」自分を弱い、重大な欠陥のある草に例え、生きる意味が分からない、周りの真っ当に生きられるだけの生命力を持った強い草と同じになれるように努力はしてみたけれどそうなれなかった、と打ち明ける直治。「人間には生きる権利があると同様に死ぬ権利もある筈だ。「母」の生きている間はその死が「母」をも殺してしまう事になるから留保されなければならないけれど、その母が逝った今なら、あなたたちは僕の死を知って泣くだろうが、僕の生きている苦しみと、そのイヤな生から完全に解放されるよろこびを思い出せばその悲しみは次第に打ち消されて行くだろう」という遺書の内容が、何もかも自分の気持ちと重なり過ぎて(´;ω;`) あ、ちなみに先月妹と揉めた際「親が生きてる内はタヒねないでしょ!」と言ったら「じゃあそれまで寄生するつもり!?」と返されたことも、実行早めようと思ったり結果友達に説得されて止めたり、今の状態から全力で脱け出そうともがき始めたことの要因の一つだったりします☆ホント精神の病って厄介だよね((-_-)ウンウン
姉弟揃って叶わぬ恋に身を焦がしていたことに、彼らの執着と愛情が帰結するもう一つの対象だった病床の「お母さま」はどれくらい気づいていたことだろうか。思い浮かべもしなかったのかな? 娘が「古い道徳」を破壊する「革命」のための恋に、生々しく激しく情熱を迸らせていたことを。生きる糧を、直治の「下品になる」行為のように、麻薬のように、それのみにかず子が見出していたことを。その激しい生き甲斐を託されてしまった上原も、また「間違った行為」に溺れていた。良き妻・家庭に留まれず、夜な夜な仲間と酒に溺れて借金を背負い込み、女遊びにふけり・・・「こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。」一言一句同意(;_;)
何で普通に生きるってだけでこんなにしんどいんだろう、って昨日も思い知らされた。あの、おそらく親から施設にぶっこまれて毎日一見楽しそうだけど、ある意味限りなく無為に過ごしているように見える若者たちの姿。これからどうするんだろう、どうなるんだろう。他人のこと言えない身だけど、せめて学生時代の楽しい思い出や、道を示してくれる友人たちに恵まれた自分は本当に幸せ者のはずなんだ、と強く感じてしまった。年金と保険、生活費だけでマトモに勤めていない人間からは月々どんだけすっ飛んで行くか。それでもって払い終えた時返って来るのは、月々の家賃さえ支払うことができないような額だという。そこまで苦労して、毎日吐いてトイレ駆け込んで紙袋吸って、頑張って口開けて大きな声出して喋って帰ったら痛みで顔動かすことも出来なくなる状態で○十年とか、ホントもうゾッとするし生き続ける意味が見出せないです。
「だめだ。・・・僕は、もっと早く死ぬべきだった。・・・僕には、希望の地盤が無いんです。」本当は何をしても楽しくなかった、貴族に生まれた「罪」から逃れるために遊びまわり、家族に迷惑をかけ、下品になろうとしてなりきれなかった、「僕は貴族です。」何て悲しい、そして余りに共感できる心情だろう。何にハマったって、それは一時的な逃避に他ならないと解っているのに、必死にハマっている“フリ”をして無駄にお金を費やしてきた。そのお金が今ここにあれば、と思わずにはいられないのに、その「ブクオフへの出入りすらしない」親の思考が沁みこみ過ぎて売れそうなものですら手放せずにいる。結局帰って来たのは本だった。本しかなかった。対話できるのも、共感できるのも、ケチ付けられるのも、それを活力に変えられるのも。本当に好きだと言える趣味は歴史巡り(ソレが高じてのニュース中毒も含む)と読書だけなのかもしれない。
スケートも舞台もアイドルのコンサートも、一瞬で消えちゃう幻みたいなもんだからね(^^; だから安心してハマれたとも言える。今ブーム()の相撲にも引退というシステムがある。退団、引退、同性同士の、絶対嘘っこのコンビ制。理想的な一瞬の麻薬でした、私にとっては。好きな選手の国の言語を学んで熱心に現地に足を運ぶまでに至らない私には、まさに“その程度のもの”で偉そうにファンだと語る資格なんかない、と“本物”の方を見ていて思う。最近聞いたヅカが原因で離婚した親の依頼者の件もそうだけど。あそこまで破滅的にハマってこそ“本物”で、私のはまさに直治の麻薬や遊興と同じただの逃避に他ならないんだな、って。だから本当は、確かに親がタヒんだらいつタヒんでも良いけど、今のご時世それまでの時間が長すぎるだろうし、長子で下の二人を困らせるわけにもいかないから、何とか早く家離れなきゃ、ってその気持ちだけで焦ってる。早く一人で処理できる場所を見つけたい。本当はその思いだけ。私が遺書を残すとしたら、宛名はきっと友人の誰かになるだろうな・・・幼なじみかな。一番厄介な迷惑ごとを人生で最も打ち明け押し付けてきてしまった。そういう相手が沢山いすぎて本当に申し訳ないけれどm(__)m
あーでも聖.書のくだりだけはマジむかつき過ぎて耐えられない、全体的に。今日も教会からイースター行事の知らせが届いたとかで祖母から分厚い手紙が届いてましたけど。本当イライラするから止めてほしい・・・とか思ってても「御言葉」とか啓示とか家に飾ってあるヤツ外せずにいるんですけどネ☆あ、一応よくあるカルト系ではなく、到って普通の米本山?のプ○テスタント系のトコですが。信者の方もいかにもお育ちが良さそう~、な、話聞いてても「まぁ、また海外に?」とか「わざわざ個人輸入で取り寄せてるんですのよ」系の方が多くて(´-`) あっ、ここも「貴族」的共通点になっちゃうか(笑)その両親の信仰(と北の大地の不便さ)故に、それぞれお嬢様・お坊ちゃま学校の寮に高校から送り込まれたんだもんね父と伯母は。何で日/本の上流階級?(政治家とか)ってクリ○チャン多いの?基本Tenno信者なのにさ。誰か教えてくれ>< その方が欧米の皆さんに擦り寄りやすいから?^^
でも祖父の死ぬ間際は「アメ○カが攻めてくる!」って飛行機にめっちゃ怯えてたんだよな。ホントあの言葉聞いた瞬間と、その後アメリ○本山の教会で、ハリ○ッド映画『タイタ○ック』で繰り返し聴いて覚えた葬式の賛美歌をリアルに歌わなきゃいけなかった私の気持ちが、お分かりいただけるだろうか?(´∀`)ニッコニコニコ 船が沈む最中に最後まで楽団が演奏していたあの曲ですよ、「主よ、御許に近づかん。昇る道は十字架に」あの日から私は一度も教会に行ってないです。妹は顔を出していたけれど。とても耐えられない。受け入れられない。酷い矛盾。やっぱりアメリ○は、イギ○スと日/本の何もかもを奪い、破壊し、「解放」した国なのだ、と実感せざるを得ない。昭和22年、この小説が書かれた年!かず子の年齢設定と過去、「お母さま」と直治の歩んできたであろう道、時代。『日の名残り』と丸っきり被るじゃんか、書かれた時代が後年であり、資料からの推測を元に練り上げた作品と実体験から迸る感情を詰め込んだ作品という違いだけ。
もっとタチの悪いことは、何と百円コーナーでゲットしたこの文庫本が私の生まれた年に出版された本で、私とこの本の年齢は最初に言ったように主人公の歳と限りなく近い。「女は三十で処女の香りを失う」それなのに、女の人生はその後も続いていくのだ、とかず子は語る。「三十になってから恋をしないと不幸になる」と十九の主人公に告げたのが英.国人の女教師、というのも三十四、五で恋を諦めて結婚に逃げ去って行ったミス・ケントンを彷彿とさせて切なくなる。限りなく似ているのに、少しずつ違う。まさに鏡像、二つの海とアメリカという大きすぎる鏡越しに見つめる東西の島国の姿ですよ。向こうにしてみたら比較の対象にされること自体が甚だ不本意極まりないことかもしれないですけどね(笑)機会があれば、ぜひセットで読み比べてみると興味深い二作品。
それにしても長年ス○ェーデン王室の支配下にあり、ロ○アに蹂躙されW W 2では枢軸側に付いて独立を勝ち取った、特殊な立ち位置の共和国・フィ○ランドからやって来た少年が何を思ってこの作品を手に取り、どこまで理解が及んだのかちょっと想像し難いなぁ。貴族が存在しなかった国で貴族の苦しみって理解できんのか?(-_-;) 戦後の日/本が外国とその思想や文化をどう受け止め、どこまで浸透していたのか、という点に興味を抱いたのかな?でもかず子や直治・上原の例を見る限り、やっぱり私たちには私たちの見方しかできない、経済学も社.会主義も魔改造して本来の主張を逸脱した奇妙な捉え方・視点しか持てないのだ、ということが明らかにされているだけで逆に絶望しそうな気がするけど。(私もいくら勉強してもその範疇は脱け出せないだろう、と正直諦めている部分があります。理想として夢を見たリベ○リズムに対してもね!^^)日/本人の誰もが唯一共通して受け入れ、理解できる価値観は恐らく作中にも登場する「調和」の一語に集約されているだろうから、喧々諤々の議論を重ねた上でようやく成り立つ○○主義・革命の文化は恐らくウチの社会には根付かない。それを承知で旧華族・かず子は「古い道徳」に挑戦状を叩きつけた。「小さな革命」、調和した社会に一滴の波紋をもたらすことしかできないであろう、そして渦に呑まれて消えてしまうかもしれない、自ら水に落ち行く葉っぱみたいな生き方を選ぶ彼女の強さに、直治に近い弱さを抱えた私はいっそ憧れる。
PR
追記を閉じる▲
何故、最も距離が近く文化的影響を受けたはずの大陸・半島とはここまで制度や考え方が隔たってしまったのか。科挙を導入せず、仏教や儒学にも自己流のアレンジを加え、古来から崇められてきた神道と矛盾を来さないように同化させてしまった。ただ日.本海の荒波や基本的に「来る者拒まず去る者追わず」な朝貢システムを取っていたアジアの特殊な事情の問題だけではないように思うんです。だから私はTenno制を否定することはこの国のこれまでの歩み全てを否定することになってしまうような気がするし、その家に生まれたから、という理由だけで特権階級としての生き方を強いられ、民衆の憎しみを、あるいは勝手な憧れや非難を受ける立場になってしまう人々に同情する。そしてまた日/本の中でも特に貧しく、余裕のない暮らしをする人々が多く住まう地域で数少ない優雅な生活を送れた身の上で、所謂「ノーブル・オブリゲーション」というものも果たさずに文学と放蕩に溺れ、散々に恥をさらした上で死んでいった彼と、のうのうと「著名な作家の親族」として後を継ぐように文筆の道に進んだり、実質故郷を捨てたも同然の身でありながら議員になったりしている彼の家の人々に反発する地元の方々の心情もよく解る。作中に登場する「西山さんのお嫁さん」の気持ち、「百姓の息子」上原の感傷。だから私は母や、その郷里の人々の彼やその作品自体に対する抵抗を否定する気にはなれない。けれど、今この表面的にはほぼ満たされた日.本の中で、ぶっちゃけ今色々と生活の瀬戸際にあり、直治と同じようなことばっかり考えてしまう自身のことを思った時、やはり深い同情と理解を、少なくともこの作品には寄せざるを得ないわー。・゜・(ノД`)・゜・。ウワアアーン
主人公姉弟にとって余りにも大きな存在だった母親。その完璧な気品と愛情こそが逆に彼らを苛み、破滅の道(主人公かず子にとっては幸福に違いなかったのかもしれないけど)に追い込んでしまったのではないか、と感じるほど。父の死に際して現れた蛇の暗喩のフラグ立てが、日/本ならではの薄暗い不気味さをスルスルと、それこそまるで蛇の這いよる音のように感じさせますね。(次は『バスカヴィル~』に行こう、と何故かここで決意。『まだらの紐』じゃねぇのかよ!(ノ∀`))かず子との年齢の近さと子供が無いという共通点に、また彼女の心情への奇妙な同調を覚えてしまう。かず子が人形のハンカチイフを作ったりすることが好きだ、という母に「子供がいないからよ」って答えるくだり、凄くよくわかる。私も人形に靴下履かせたり、小さいイスやソファ見つけるとぬいぐるみ用に買ったりしちゃうから。友達の子供の誕生日にカード用意したり、何でもしてあげたいと思ってしまう。三十前後の、所謂かず子も出戻りニート状態なわけですから、子供という唯一の女性の持つ特権への執着は痛いほどわかる。(まぁ私の場合は今後も持ち得る可能性が無いわけだけど)
そして夫に先立たれ、子供たち二人のためにお金を使い果たして家まで売らなくてはいけなかった「ほんものの」貴婦人である母の初めて見せた嘆き。彼女が本物の貴婦人ではなかったら、「意地悪でケチケチして子供たちを叱り、こっそり自分だけのお金を増やすような人だったら、どんなに世の中が変っても、死にたくなるような気持になる事はなかったろうに」という娘の同情、そして「ああ、お金が無くなるという事は、なんというおそろしい、みじめな、救いの無い地獄だろう」とお嬢様として育ってきた彼女がはじめて気がつく告白は、今の私の状態に余りにも近すぎて胸に突き刺さってしまった。
ウチの両親はエリートでも何でもないけれど、ある程度安定した家庭で育ってきたことは確か。どちらも田舎の公務員家庭でしたから、祖父母も堅実だったし生活に困るということは無い暮らし・価値観の持ち主で・・・進学先も坊ちゃん高だったりお嬢様大学だったり。で、所謂金券ショップやリサイクルショップなんかは利用しようと考えたこともないみたい。私がブクオフ行くだけで顔しかめて自分は足も踏み入れない。物を処分する時も、「捨てる」か「知人にあげる」発想しかない。見知らぬ他人が触れたものに触るのも、見知らぬ他人に自分が使ってきたものをお金で譲り渡すという行為も嫌みたい。彼ら自身は「世間知らずの温室育ちではない」と懸命に言い張るけど、私の目から見ればそう。というか私自身も、親の職業の名ばかりのイメージのせいか、そういう両親に育てられたせいかどちらかと言えば“そういう目”で見られてきた。この歳まで引きこもって「世間知らず」の本物ぶりには確かに磨きがかかってしまっただろうけど(^^; だから、親が上手い金策も容赦ない取り立てもできずに困り果てているここ2~3か月の状況と、いい加減ウチからの用立て伺いにウンザリ来ている親戚という作中の一家の構図が余りにも当てはまり過ぎるんですよ。早く自己処理しなきゃ、あるいは家族から離れて自立しなきゃ、と焦っているのもぶっちゃけそのせい。もう私の欲望は本にしか向かないから、ブクオフがあればそれで良いし、それが唯一のワガママで「タヒぬまで生きる」ための安定剤みたいなもん。麻薬よりマシだろ、と(笑)
旧華族として「みじめな死に方」をするわけにはいかない、「華麗にほろびたい」というプライドを捨てられずにいるかず子。「戦争なんて、つまらないものだった。」に続く三行の詩に、太宰が執筆のほんの2~3年前まで繰り広げられていた、今に到るまで深い遺恨を残す“大戦”について言いたかったことが、日.本人の実際的な本音が表れているのではないか、と感じた。大げさな悲劇も美しい物語も、そこには何もありはしなかった。少なくとも大多数の私たち、日/本人にとっては。降って湧いた災害と同じ、ずっとずっと厳しい自然にさらされてきた島国の人間にとっては。ある日軍部が実権を握り、アジアの解放が何やかやと騒ぎ立て、戦争に行かされ、それなりの地獄を見て、殺し、殺されて、傷を負って帰って来た兵士を何もかも破壊されて同じく傷を負った人々が出迎える・・・「何も無かった。」いつもと同じ。いつもやって来る地震や台風や津波の後と同じ。帰ってくる人もいれば来ない人もいる。それだけ。傷ついた人もいれば無傷の人もいて、壊れた街は復興され、また当たり前に営みは続いていく。それだけ。前にもどこかで書いたけど、だから私たちには、その記憶をいつまでも引きずる、という感覚が永遠に理解できないのかもしれない。
一つ、私たちの、日/本とイギ○ス、いや世界をあの大戦の前後に決定的に破壊し変えてしまったのはアメリ○の台頭と社.会主義の登場だ、とこの点は間違いなく言えるな、と『日の名残り』に続けてこの作品を読んで感じた。だから私は歴オタとして社/会主義への嫌悪を隠しきれずにいられないのかもしれない。長く続いた歴史を、愛する人間の営みをほんの数十年で全否定する方向に失わせてしまったんだもん。直治の言う「人間はみな同じ」という言葉の否定、あの遺書に全てが表れているのでは?「人をいやしめると同時にみずからをもいやしめ、何のプライドも無くあらゆる努力を放棄せしめるような卑屈な言葉。・・・なぜ優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。」自分を弱い、重大な欠陥のある草に例え、生きる意味が分からない、周りの真っ当に生きられるだけの生命力を持った強い草と同じになれるように努力はしてみたけれどそうなれなかった、と打ち明ける直治。「人間には生きる権利があると同様に死ぬ権利もある筈だ。「母」の生きている間はその死が「母」をも殺してしまう事になるから留保されなければならないけれど、その母が逝った今なら、あなたたちは僕の死を知って泣くだろうが、僕の生きている苦しみと、そのイヤな生から完全に解放されるよろこびを思い出せばその悲しみは次第に打ち消されて行くだろう」という遺書の内容が、何もかも自分の気持ちと重なり過ぎて(´;ω;`) あ、ちなみに先月妹と揉めた際「親が生きてる内はタヒねないでしょ!」と言ったら「じゃあそれまで寄生するつもり!?」と返されたことも、実行早めようと思ったり結果友達に説得されて止めたり、今の状態から全力で脱け出そうともがき始めたことの要因の一つだったりします☆ホント精神の病って厄介だよね((-_-)ウンウン
姉弟揃って叶わぬ恋に身を焦がしていたことに、彼らの執着と愛情が帰結するもう一つの対象だった病床の「お母さま」はどれくらい気づいていたことだろうか。思い浮かべもしなかったのかな? 娘が「古い道徳」を破壊する「革命」のための恋に、生々しく激しく情熱を迸らせていたことを。生きる糧を、直治の「下品になる」行為のように、麻薬のように、それのみにかず子が見出していたことを。その激しい生き甲斐を託されてしまった上原も、また「間違った行為」に溺れていた。良き妻・家庭に留まれず、夜な夜な仲間と酒に溺れて借金を背負い込み、女遊びにふけり・・・「こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。」一言一句同意(;_;)
何で普通に生きるってだけでこんなにしんどいんだろう、って昨日も思い知らされた。あの、おそらく親から施設にぶっこまれて毎日一見楽しそうだけど、ある意味限りなく無為に過ごしているように見える若者たちの姿。これからどうするんだろう、どうなるんだろう。他人のこと言えない身だけど、せめて学生時代の楽しい思い出や、道を示してくれる友人たちに恵まれた自分は本当に幸せ者のはずなんだ、と強く感じてしまった。年金と保険、生活費だけでマトモに勤めていない人間からは月々どんだけすっ飛んで行くか。それでもって払い終えた時返って来るのは、月々の家賃さえ支払うことができないような額だという。そこまで苦労して、毎日吐いてトイレ駆け込んで紙袋吸って、頑張って口開けて大きな声出して喋って帰ったら痛みで顔動かすことも出来なくなる状態で○十年とか、ホントもうゾッとするし生き続ける意味が見出せないです。
「だめだ。・・・僕は、もっと早く死ぬべきだった。・・・僕には、希望の地盤が無いんです。」本当は何をしても楽しくなかった、貴族に生まれた「罪」から逃れるために遊びまわり、家族に迷惑をかけ、下品になろうとしてなりきれなかった、「僕は貴族です。」何て悲しい、そして余りに共感できる心情だろう。何にハマったって、それは一時的な逃避に他ならないと解っているのに、必死にハマっている“フリ”をして無駄にお金を費やしてきた。そのお金が今ここにあれば、と思わずにはいられないのに、その「ブクオフへの出入りすらしない」親の思考が沁みこみ過ぎて売れそうなものですら手放せずにいる。結局帰って来たのは本だった。本しかなかった。対話できるのも、共感できるのも、ケチ付けられるのも、それを活力に変えられるのも。本当に好きだと言える趣味は歴史巡り(ソレが高じてのニュース中毒も含む)と読書だけなのかもしれない。
スケートも舞台もアイドルのコンサートも、一瞬で消えちゃう幻みたいなもんだからね(^^; だから安心してハマれたとも言える。今ブーム()の相撲にも引退というシステムがある。退団、引退、同性同士の、絶対嘘っこのコンビ制。理想的な一瞬の麻薬でした、私にとっては。好きな選手の国の言語を学んで熱心に現地に足を運ぶまでに至らない私には、まさに“その程度のもの”で偉そうにファンだと語る資格なんかない、と“本物”の方を見ていて思う。最近聞いたヅカが原因で離婚した親の依頼者の件もそうだけど。あそこまで破滅的にハマってこそ“本物”で、私のはまさに直治の麻薬や遊興と同じただの逃避に他ならないんだな、って。だから本当は、確かに親がタヒんだらいつタヒんでも良いけど、今のご時世それまでの時間が長すぎるだろうし、長子で下の二人を困らせるわけにもいかないから、何とか早く家離れなきゃ、ってその気持ちだけで焦ってる。早く一人で処理できる場所を見つけたい。本当はその思いだけ。私が遺書を残すとしたら、宛名はきっと友人の誰かになるだろうな・・・幼なじみかな。一番厄介な迷惑ごとを人生で最も打ち明け押し付けてきてしまった。そういう相手が沢山いすぎて本当に申し訳ないけれどm(__)m
あーでも聖.書のくだりだけはマジむかつき過ぎて耐えられない、全体的に。今日も教会からイースター行事の知らせが届いたとかで祖母から分厚い手紙が届いてましたけど。本当イライラするから止めてほしい・・・とか思ってても「御言葉」とか啓示とか家に飾ってあるヤツ外せずにいるんですけどネ☆あ、一応よくあるカルト系ではなく、到って普通の米本山?のプ○テスタント系のトコですが。信者の方もいかにもお育ちが良さそう~、な、話聞いてても「まぁ、また海外に?」とか「わざわざ個人輸入で取り寄せてるんですのよ」系の方が多くて(´-`) あっ、ここも「貴族」的共通点になっちゃうか(笑)その両親の信仰(と北の大地の不便さ)故に、それぞれお嬢様・お坊ちゃま学校の寮に高校から送り込まれたんだもんね父と伯母は。何で日/本の上流階級?(政治家とか)ってクリ○チャン多いの?基本Tenno信者なのにさ。誰か教えてくれ>< その方が欧米の皆さんに擦り寄りやすいから?^^
でも祖父の死ぬ間際は「アメ○カが攻めてくる!」って飛行機にめっちゃ怯えてたんだよな。ホントあの言葉聞いた瞬間と、その後アメリ○本山の教会で、ハリ○ッド映画『タイタ○ック』で繰り返し聴いて覚えた葬式の賛美歌をリアルに歌わなきゃいけなかった私の気持ちが、お分かりいただけるだろうか?(´∀`)ニッコニコニコ 船が沈む最中に最後まで楽団が演奏していたあの曲ですよ、「主よ、御許に近づかん。昇る道は十字架に」あの日から私は一度も教会に行ってないです。妹は顔を出していたけれど。とても耐えられない。受け入れられない。酷い矛盾。やっぱりアメリ○は、イギ○スと日/本の何もかもを奪い、破壊し、「解放」した国なのだ、と実感せざるを得ない。昭和22年、この小説が書かれた年!かず子の年齢設定と過去、「お母さま」と直治の歩んできたであろう道、時代。『日の名残り』と丸っきり被るじゃんか、書かれた時代が後年であり、資料からの推測を元に練り上げた作品と実体験から迸る感情を詰め込んだ作品という違いだけ。
もっとタチの悪いことは、何と百円コーナーでゲットしたこの文庫本が私の生まれた年に出版された本で、私とこの本の年齢は最初に言ったように主人公の歳と限りなく近い。「女は三十で処女の香りを失う」それなのに、女の人生はその後も続いていくのだ、とかず子は語る。「三十になってから恋をしないと不幸になる」と十九の主人公に告げたのが英.国人の女教師、というのも三十四、五で恋を諦めて結婚に逃げ去って行ったミス・ケントンを彷彿とさせて切なくなる。限りなく似ているのに、少しずつ違う。まさに鏡像、二つの海とアメリカという大きすぎる鏡越しに見つめる東西の島国の姿ですよ。向こうにしてみたら比較の対象にされること自体が甚だ不本意極まりないことかもしれないですけどね(笑)機会があれば、ぜひセットで読み比べてみると興味深い二作品。
それにしても長年ス○ェーデン王室の支配下にあり、ロ○アに蹂躙されW W 2では枢軸側に付いて独立を勝ち取った、特殊な立ち位置の共和国・フィ○ランドからやって来た少年が何を思ってこの作品を手に取り、どこまで理解が及んだのかちょっと想像し難いなぁ。貴族が存在しなかった国で貴族の苦しみって理解できんのか?(-_-;) 戦後の日/本が外国とその思想や文化をどう受け止め、どこまで浸透していたのか、という点に興味を抱いたのかな?でもかず子や直治・上原の例を見る限り、やっぱり私たちには私たちの見方しかできない、経済学も社.会主義も魔改造して本来の主張を逸脱した奇妙な捉え方・視点しか持てないのだ、ということが明らかにされているだけで逆に絶望しそうな気がするけど。(私もいくら勉強してもその範疇は脱け出せないだろう、と正直諦めている部分があります。理想として夢を見たリベ○リズムに対してもね!^^)日/本人の誰もが唯一共通して受け入れ、理解できる価値観は恐らく作中にも登場する「調和」の一語に集約されているだろうから、喧々諤々の議論を重ねた上でようやく成り立つ○○主義・革命の文化は恐らくウチの社会には根付かない。それを承知で旧華族・かず子は「古い道徳」に挑戦状を叩きつけた。「小さな革命」、調和した社会に一滴の波紋をもたらすことしかできないであろう、そして渦に呑まれて消えてしまうかもしれない、自ら水に落ち行く葉っぱみたいな生き方を選ぶ彼女の強さに、直治に近い弱さを抱えた私はいっそ憧れる。
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック