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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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ゴールドスタイン氏の著書内容に一々考えさせられてしまって読み進めるスピードが一気にダウンorz(※その割に感想がスゲーあちこちに飛びまくって長いよ!)

『寡頭制集産主義の理論と実践』の記述でようやく物語の中の「世界観」が見えてきたんだけど、WW2直後のイギリ○人の目にはこういう風に世界が映っていたのか、って新鮮に感じるやら逆に憎たらしくなるやら(スミマセンいきなりのアレっぷりで^^#)いやでもオーウェルさん、英領時代のイ○ド生まれでアチコチ放浪して色んな経験してきてるはずなのに、やっぱこういう見方しかできない、そういう時代だったんか、って限界のようなものも感じて興味深くもあるかな・・・?
ヨー○ッパをロ○アが呑み込むなんてことはどう転んでも不可能なように思えるけど、実際当時の東独までは一気にソ/連の影響下に組み込まれてしまっていた訳だし、現在の難民危機に到って一気にプー○ンが欧州右.翼に英雄視されていること等を考えると、もしかしたら今が絶好のタイミングなのかもネー、と思っちゃった(笑)今度は武器持ってない公海上のト○コ漁船沈めちゃった件について、まーだロシ○擁護の方が圧倒的なんだもんなぁ欧州コメ(;´д`) 何コレ難民云々じゃなくもう宗教戦争と捉えた方が良いわけなの?  それでもフラ○スやド○ツがそれに対して全く抗わない状況というのは想像がやっぱりつかないけど。アジアに至っては、そこで生まれて仕事もしてきた割に舐め過ぎだな正直(^ω^#)ビキビキとなったわ。道理でイギ○スの中/国幻想が根深い訳だわ、って何となく分かる・・・その「死の崇拝」・「自己の滅却」的な思想は恐らく日.本(の特に軍部による)武士道曲解Ver.で、ウチにのみ存在するもんだよ? 南アジア、東南アジアの認識についてはハッキリ言ってそれを上回る勢いで酷すぎる。重要な資源と「無限の苦力」を生み出すためだけの係争地帯だって? あそこに長いこと存在していた「文明」を人為的に破壊しつくした国の人間が何か書いちゃってますけどー(゜Д゜)ポカーン 赤道付近の扱いと宗教カオスと資源の塊な中東も随分無視してるとしか感じられないんだが、WW2は少なくとも日/本にとっては資源を巡る戦争だったわけだよね? 満.州で油田見つかったの何年でしたっけ? ユーラシア領域も、1948年の時点で「資源・物資共に外に出ていかなくても国内で充足できる」段階に行き着く妄想ができたエリアだとは思えない。当時の人々が、将来的に世界が三つの超大国に分割され均衡を保つ、という未来の予測を本当にしていたとしたら、何てステキでおめでたい思考ができた時代だったんだろう、何て互いのことを知らずに狭い世界だけで生きられた時代だったんだろう、と夢のように感じます。
一方で現状を思い起こした時に、もしかしたらこの『1984』の中の世界がそう悪いものではないように感じてしまうことも怖いな、と。『1984』の中の三国のように、閉じられた領域内で永遠の戦争「ごっこ」を続けながら一部の兵士たちを覗いては現実の戦いに駆り出されることもなく、ある意味で安定した生活を送れる人々が多数派を占める社会とは反対の道を、戦後の欧米は中心となって進めていった。資本主義を推し進めるのにグローバリズムは必要不可欠で、安い労働者としての移民の受け入れや、それに伴って差別意識の社会からの表面的根絶も当然求められてきた。でも人間はどんなに理性が発達していても生物としての本能で「ホーム」に異物が入り込むことへの拒絶や、「自分たち」と異なる者への嫌悪感がどうしても残ってしまう部分があり・・・結果何が起きたか、って言えば米でのヘイトクライムや欧州の難民騒ぎに繋がりますよねー、と(´-`) 『1984』の世界では、「紛争地帯の住民にとっては戦争は彼らをあちらこちらへ押し流す津波のようなもので、主人がどの国に変わろうが何の関心もない」との記述がある。かつてはどれほど悲惨な戦争が起きようとも、人々は高いお金を支払い、命を賭けてまで故郷を離れ豊かな国に押し寄せたりはしなかったんじゃないだろうか? 「グローバル化」あるいは「人道主義」がもたらした罪の一種と言ったら言い過ぎかな・・・。
富の分配や二重思考に関しては、もしかしたら一番近い形態でやってきた国がウチなのでは?と正直ガクブルしてしまった(((-_-;))) 特にかつての「敵」に対しての切り替えとか、「Tenno」の存在に対する認識とか大衆の変わり身早すぎてマジびびるよね歴史的に(笑)平安時代なんか何十年、いや百年単位で何も変わらない暮らしが続いてたんだぜ・・・。たまに将門と信長がチャンスをモノにしていたらどんな国になってたんだろう、と妄想する。今に繋がるTennoの存在を脅かせたのはこの両者だけだったと思うから。Tennoという「権威を授ける者」と大臣・将軍といった「為政権を預かった者」の癒着というか共犯関係で(不敬な言い方でスミマセンm(__)m)、時には押したり引いたりバランス変わりながら続いてきた日/本の統治形態が、もしかしたら全く違うものになって歴史も文化も全く別物になってたんじゃないか(下手したら大陸に呑まれたりどっかの植民地(信長ならスペ○ン辺りの爵位賜って植民地化OKもあり得たかも(^^;と思ったりする)になってたかもなぁ)、とか考えると歴オタ的に興奮せざるを得な(以下略)。
あと、党に対する考え方と指導者への個人崇拝、「敵」への憎悪によって反抗や疑問の芽を摘む、というやり方は中.国K産党に近いな、とも。ただ、何で今もソレが通用してんのかが意味わかんないけどね・・・最近また毛/語録ブームなんだって?(´・ω・`) ロシ○やイギリ○には何も文句言わない癖に、ウチへの憎悪だけ煽るというのもまさに敵味方変わる度に記録(と記憶。笑)を同時に書き換えるという過去の改ざんとねつ造そのもの。でも中/国は世襲OKで今まで党が続いてきてんだよなー。この辺もオーウェル御大が生きていたらぜひご意見の方お伺いしてみたい。まぁかの国は途中で形式上の共産・社会主義国家から国家資本主義体制に転換したり、ということもあったけどさ。
社会構造を保つために富と資源の生産を抑制し、常に民衆を欠乏状態に置いておきつつ体制への信頼を維持、また労働力の消費のために戦争「ごっこ」を続ける、という考え方に初めは納得できなかったけれど、もしかしたらアメ○カとロ○ア(合間合間に欧州と中.国も混じっていたけど)が続けてきたことと根本的な仕組みはそう変わらないのかもしれない、と今は思えてきたり。だってどう考えてもプロレスだなー、としか感じられない言葉遊びから発展した戦争もあるし、両国とも相手の本土で戦ったことはないわけだし。今覇権を狙いに来ている中/国さんがどこまで出るかでまた変わってくるのかもしれないけど、ヨー○ッパの態度見る限りでは精々直接害被るのはウチ(とフィ○ピンとか?)辺りで米は大人しくハ○イまで引っ込むかもな、とかも考えるし。
でもどんな分野においても、人間が進歩を止めるということだけは仮にも知性を持って生まれてきた生き物である限りあり得ないことだと思う。確かに賢さ故に保身に走り「二重思考」を見に付けはするだろう、けれどその中にあっても、サイムのように「言葉を究極形に進化させる喜び」を、主人公のように「過去を誰より上手に書き換えてみせる達成感」を見出してしまうのが人間だから。あと人間の技術の進歩に最も大きな貢献をもたらすものはいつの時代も戦争、という事実も変わらないと思う。だから、進化を止めた世界で生き続けることに人々が満足し続ける、という点は個人的には納得できない内容かな? 適度な進歩を見せないと体制自体が攻撃されてしまうような・・・あー、でもそれすらも「過去」をコントロールできる党にとっては自由自在に「進歩」してるように見せられちゃうのかぁ。難しい。
イギ○ス、というかヨー○ッパの階級制度がいかに根深いもので、政治体制の転換や社会構造について考える上でも切り離せない思想なんだな、ってことも改めて感じた件についてとかも色々書きたかったんですけど。アジアとか今まさに北や中/国で起こっていること、続いている統制や弾圧、社会的類似点との比較や、ウチの伝統的な体制との共通項とかも。現実の未来が見えるように感じる箇所もいくつかあったり・・・やっぱりこの章は何度も読み返さなきゃだな。グダグダでまとめられないので、とりあえず先に進んでからまた戻って来てよく考えてみますm(__)m

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『寡頭制集産主義の理論と実践』の記述でようやく物語の中の「世界観」が見えてきたんだけど、WW2直後のイギリ○人の目にはこういう風に世界が映っていたのか、って新鮮に感じるやら逆に憎たらしくなるやら(スミマセンいきなりのアレっぷりで^^#)いやでもオーウェルさん、英領時代のイ○ド生まれでアチコチ放浪して色んな経験してきてるはずなのに、やっぱこういう見方しかできない、そういう時代だったんか、って限界のようなものも感じて興味深くもあるかな・・・?
ヨー○ッパをロ○アが呑み込むなんてことはどう転んでも不可能なように思えるけど、実際当時の東独までは一気にソ/連の影響下に組み込まれてしまっていた訳だし、現在の難民危機に到って一気にプー○ンが欧州右.翼に英雄視されていること等を考えると、もしかしたら今が絶好のタイミングなのかもネー、と思っちゃった(笑)今度は武器持ってない公海上のト○コ漁船沈めちゃった件について、まーだロシ○擁護の方が圧倒的なんだもんなぁ欧州コメ(;´д`) 何コレ難民云々じゃなくもう宗教戦争と捉えた方が良いわけなの?  それでもフラ○スやド○ツがそれに対して全く抗わない状況というのは想像がやっぱりつかないけど。アジアに至っては、そこで生まれて仕事もしてきた割に舐め過ぎだな正直(^ω^#)ビキビキとなったわ。道理でイギ○スの中/国幻想が根深い訳だわ、って何となく分かる・・・その「死の崇拝」・「自己の滅却」的な思想は恐らく日.本(の特に軍部による)武士道曲解Ver.で、ウチにのみ存在するもんだよ? 南アジア、東南アジアの認識についてはハッキリ言ってそれを上回る勢いで酷すぎる。重要な資源と「無限の苦力」を生み出すためだけの係争地帯だって? あそこに長いこと存在していた「文明」を人為的に破壊しつくした国の人間が何か書いちゃってますけどー(゜Д゜)ポカーン 赤道付近の扱いと宗教カオスと資源の塊な中東も随分無視してるとしか感じられないんだが、WW2は少なくとも日/本にとっては資源を巡る戦争だったわけだよね? 満.州で油田見つかったの何年でしたっけ? ユーラシア領域も、1948年の時点で「資源・物資共に外に出ていかなくても国内で充足できる」段階に行き着く妄想ができたエリアだとは思えない。当時の人々が、将来的に世界が三つの超大国に分割され均衡を保つ、という未来の予測を本当にしていたとしたら、何てステキでおめでたい思考ができた時代だったんだろう、何て互いのことを知らずに狭い世界だけで生きられた時代だったんだろう、と夢のように感じます。
一方で現状を思い起こした時に、もしかしたらこの『1984』の中の世界がそう悪いものではないように感じてしまうことも怖いな、と。『1984』の中の三国のように、閉じられた領域内で永遠の戦争「ごっこ」を続けながら一部の兵士たちを覗いては現実の戦いに駆り出されることもなく、ある意味で安定した生活を送れる人々が多数派を占める社会とは反対の道を、戦後の欧米は中心となって進めていった。資本主義を推し進めるのにグローバリズムは必要不可欠で、安い労働者としての移民の受け入れや、それに伴って差別意識の社会からの表面的根絶も当然求められてきた。でも人間はどんなに理性が発達していても生物としての本能で「ホーム」に異物が入り込むことへの拒絶や、「自分たち」と異なる者への嫌悪感がどうしても残ってしまう部分があり・・・結果何が起きたか、って言えば米でのヘイトクライムや欧州の難民騒ぎに繋がりますよねー、と(´-`) 『1984』の世界では、「紛争地帯の住民にとっては戦争は彼らをあちらこちらへ押し流す津波のようなもので、主人がどの国に変わろうが何の関心もない」との記述がある。かつてはどれほど悲惨な戦争が起きようとも、人々は高いお金を支払い、命を賭けてまで故郷を離れ豊かな国に押し寄せたりはしなかったんじゃないだろうか? 「グローバル化」あるいは「人道主義」がもたらした罪の一種と言ったら言い過ぎかな・・・。
富の分配や二重思考に関しては、もしかしたら一番近い形態でやってきた国がウチなのでは?と正直ガクブルしてしまった(((-_-;))) 特にかつての「敵」に対しての切り替えとか、「Tenno」の存在に対する認識とか大衆の変わり身早すぎてマジびびるよね歴史的に(笑)平安時代なんか何十年、いや百年単位で何も変わらない暮らしが続いてたんだぜ・・・。たまに将門と信長がチャンスをモノにしていたらどんな国になってたんだろう、と妄想する。今に繋がるTennoの存在を脅かせたのはこの両者だけだったと思うから。Tennoという「権威を授ける者」と大臣・将軍といった「為政権を預かった者」の癒着というか共犯関係で(不敬な言い方でスミマセンm(__)m)、時には押したり引いたりバランス変わりながら続いてきた日/本の統治形態が、もしかしたら全く違うものになって歴史も文化も全く別物になってたんじゃないか(下手したら大陸に呑まれたりどっかの植民地(信長ならスペ○ン辺りの爵位賜って植民地化OKもあり得たかも(^^;と思ったりする)になってたかもなぁ)、とか考えると歴オタ的に興奮せざるを得な(以下略)。
あと、党に対する考え方と指導者への個人崇拝、「敵」への憎悪によって反抗や疑問の芽を摘む、というやり方は中.国K産党に近いな、とも。ただ、何で今もソレが通用してんのかが意味わかんないけどね・・・最近また毛/語録ブームなんだって?(´・ω・`) ロシ○やイギリ○には何も文句言わない癖に、ウチへの憎悪だけ煽るというのもまさに敵味方変わる度に記録(と記憶。笑)を同時に書き換えるという過去の改ざんとねつ造そのもの。でも中/国は世襲OKで今まで党が続いてきてんだよなー。この辺もオーウェル御大が生きていたらぜひご意見の方お伺いしてみたい。まぁかの国は途中で形式上の共産・社会主義国家から国家資本主義体制に転換したり、ということもあったけどさ。
社会構造を保つために富と資源の生産を抑制し、常に民衆を欠乏状態に置いておきつつ体制への信頼を維持、また労働力の消費のために戦争「ごっこ」を続ける、という考え方に初めは納得できなかったけれど、もしかしたらアメ○カとロ○ア(合間合間に欧州と中.国も混じっていたけど)が続けてきたことと根本的な仕組みはそう変わらないのかもしれない、と今は思えてきたり。だってどう考えてもプロレスだなー、としか感じられない言葉遊びから発展した戦争もあるし、両国とも相手の本土で戦ったことはないわけだし。今覇権を狙いに来ている中/国さんがどこまで出るかでまた変わってくるのかもしれないけど、ヨー○ッパの態度見る限りでは精々直接害被るのはウチ(とフィ○ピンとか?)辺りで米は大人しくハ○イまで引っ込むかもな、とかも考えるし。
でもどんな分野においても、人間が進歩を止めるということだけは仮にも知性を持って生まれてきた生き物である限りあり得ないことだと思う。確かに賢さ故に保身に走り「二重思考」を見に付けはするだろう、けれどその中にあっても、サイムのように「言葉を究極形に進化させる喜び」を、主人公のように「過去を誰より上手に書き換えてみせる達成感」を見出してしまうのが人間だから。あと人間の技術の進歩に最も大きな貢献をもたらすものはいつの時代も戦争、という事実も変わらないと思う。だから、進化を止めた世界で生き続けることに人々が満足し続ける、という点は個人的には納得できない内容かな? 適度な進歩を見せないと体制自体が攻撃されてしまうような・・・あー、でもそれすらも「過去」をコントロールできる党にとっては自由自在に「進歩」してるように見せられちゃうのかぁ。難しい。
イギ○ス、というかヨー○ッパの階級制度がいかに根深いもので、政治体制の転換や社会構造について考える上でも切り離せない思想なんだな、ってことも改めて感じた件についてとかも色々書きたかったんですけど。アジアとか今まさに北や中/国で起こっていること、続いている統制や弾圧、社会的類似点との比較や、ウチの伝統的な体制との共通項とかも。現実の未来が見えるように感じる箇所もいくつかあったり・・・やっぱりこの章は何度も読み返さなきゃだな。グダグダでまとめられないので、とりあえず先に進んでからまた戻って来てよく考えてみますm(__)m

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