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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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※古今東西内外問わず強烈な毒吐きを含みますm(__)m

解説で丸谷氏は馬鹿な男の悲劇、とこの作品の登場人物たちを切り捨て、作者が川端ではなくディケンズに学んでくれて良かった、と語っていたけれど、私はそうは感じなかった。最後の最後で、この小説の作者には間違いなく日.本人の血が流れているのだ、と強く感じた。日/本の純文作家の特質とも言える美学、文学における美という枠をはみ出さないために、時に愚かさや醜さ、過ちすら過度に美化してしまうような側面は無い、そこは確かにイギ○ス的。けれどディケンズ他に見られるようなナイフでぶっ刺して傷口抉ったまま放置、という冷徹さもまた存在しない。『わたしを離さないで』でも感じた傷口にヨードチンキの奇妙な優しさが、ここでは桟橋の場面に集約されている。そしてエミリ先生から語られた「ヘールシャムに託した理想」とその思い出を胸に、決して明るい未来が待ち受けているわけではないにも関わらずその“運命”を受け入れ、生き抜くことに穏やかな納得を見出したかに見えたキャシーと同じように、この作品の主人公スティーブンスもまた新しい主人のために「人間同士の心を温かさで結びつけるジョーク」の研究に励むことを、屋敷に戻るにあたり誓うんですよ。これは悲劇ではない、間違いなく。この程度の人生を送っている人間なんか、世の中山といるはずだ。過酷な現実を生々しく描きながら、極めて優しく前向きな話だ、と私は思う。そしてそれは間違いなく日系人作家ゆえになし得たことだ、と。

四日目朝のモスクムからの出立に当たってのカーライル先生とのやりとりで、やっと自分の身分を偽る必要がなくなり圧倒的な解放感を得るスティーブンス(^ω^)「スミスの言うことは支離滅裂」って、やっぱどこの田舎者も変わらんのやな(笑)その後に続く「みんな政治意識や意見を持っていないわけではないが、静かな生活がほしい。例えその騒ぎのおかげで自分の生活がよい方向に変わるんだとしても、村人は誰も騒ぎを望まない。あの問題やこの問題で悩ませないでほしい。それだけ」というセリフも真理だな、って。だから母親なんかはヒキってる私が政治とか国際ニュースネタに触れると怒り出すんだよね。・・・ぶっちゃけ純粋な歴オタ的好奇心からのことで、ヅカの次のトップが誰かとかいう話題と全く変わらないノリなんだけどこっちは。(リアルに苦しまれている方がいるような話をそのような感覚で捉えてしまうことは本当に申し訳なく思っていますm(__)m 正直言って震災以後ソッチ方面の倫理観が弱まってしまった。だって何しててもしてなくてもある日突然何もかも壊れるし失うし、必要とされていたはずの人間が未来を奪われて、そうじゃない人間がのうのうと生き延びてる。虚しくもなりますよ。神様なんか絶対信じないし、善悪とか、正しく生きたって何の意味もないんだ、ってあの時投げやりに思っちゃった。戦争も単なる手段で、攻められる側にとっちゃ要は災害と同じだろ、と。やりたがってる連中がいるならそれに備えるしかない、それだけ。こっちが起こさないとか起きないで、といくら願っても、どうしても避けられないことが目の前で起こってしまったんだから。政治的な見方まで変えて家族にネト○ヨ扱いまでされるようになったキッカケがあの震災だ、っつったら驚く人はいるのかな? “あの”W田氏がO田氏を破った選挙結果見たら、そういう変化を遂げたのは私だけじゃなかったように思うけど)
カーライル先生は社.会主義者だったんですね。イギリ○ってホント二極化が進みやすい社会なんだな、とダウントン見てても感じる(@_@;) 上の方はナ/チに親しみを、下の方は共.産世界に理想を。「すべての国民に医療が行き届く品格と尊厳を」実際の紅く染まった国々は建前だけで真逆の道を歩むことになってしまいましたが・・・彼がスミスを嫌悪するのはある意味当然。こっちの田舎も同じ。J民支持かK産党か。互いをバカにし合うけど、盲信とも言える支持・投票の強制っぷりは正直どっちも呆れ返らざるを得ない。ちゃんと新聞の公約見比べて、候補者個人の人となりをチェックしたりしてる?と聞きたくなるよ(;´д`)

次のスティーブンスが振り返る思い出の一夜には、レジナルドくんとミス・ケントンに代わって彼の頬をぶん殴ってやりたくなるわ!^^#ビキビキ 知人から結婚の申し込みを受けたことをスティーブンスに伝えるミス・ケントンの健気なまでの必死さ。それなのに、彼の頭の中には今夜の来客をさばくこと――ひたすら主人の意向に執事として最大限応えるという任務が最優先で、その意味を考えてみる素振りも見せない。感情を直接的に伝えることができないイギリ○人の礼儀というかもどかしさも覚えるけど、それは日/本人にだけは言われたくない点かと思うので(以下略)いやでもミス・ケントンは精いっぱい頑張ったよ!(´;ω;`) 「あなたの口調の物真似では、私はもう名人クラス」ってセリフ、それだけスティーブンスのことを、ずっと懸命に見つめてきたんだな、と切なくなった。
本人がそれと自認することなく、無意識にすっかりナ.チの傀儡と化してしまったダーリントン卿を何とか救おうとするレジナルドくんの必死さ(つд`) 彼を敬愛する同志として、スティーブンスに協力、あるいは共感、危惧を分かち合うことを求めたレジナルドくんを、スティーブンスは盲目的に主を信じ従うことが執事の品格を成す義務だとして、忠誠心ゆえに拒絶する。彼の絶望の深さはどれほどのものだったことか!父親を亡くし、同じだけの親しみを覚えるダーリントン卿を愛する「友人」がその職務と頑なさ故に卿を救うこと、あるいは救おうする彼の努力を忖度することすらしてくれないとは(  TДT)しかも昨日例に出した通り、彼ら貴族が忠誠を捧げるべき国王までナ/チに心酔している始末だったんですから、当時の多少ものが見えていた英.国知識階級の暗澹たるや・・・。「卿は高潔な英/国紳士としての本能、それゆえの宿命を利用された。アメリ○のルース議員が卿をさして言っていた、わけもわからんのに、でしゃばりたがって困るアマチュアだ、ということは冷厳な事実だ。やつら(ナ.チ)は高貴なるものを操って自分たちの汚い目的のために利用できるものにねじ曲げた。今日の世界は高貴な本能を大切にしてくれるような場所じゃない」コレはね、正直お ま い う(^ω^)という気持ちにならざるを得ない、この時点までの大.英.帝国様が世界中でやってきたことを考えると。ねぇねぇ、おたくらが過去“植民地”にしてきた地域の人々に欠片もそういう本能が宿っていなかったと思ってる? その国・民族・土地と言っても良い、の「高貴なる本能」を歪めて利用してきたのは自分達だって同じじゃないのか? 数枚舌の差別主義者の元締めが何言ってやがる、とバリバリの英/国節に納得はしつつも苛立ちを覚えざるを得ないのは有色人種の一人としてお許し願いたいm(__)m この後のレジナルドくんとミス・ケントンの心情を顧みることなく勝利感と高揚に酔うスティーブンスにもマジむかっ腹(# ゜Д゜)カーッ! ばっかじゃねーの、だから大.英.帝国は衰退したんだっての良い気味ザマーミロ!勝手にBr exitでも何でもして滅びろ欧州!と叫ばざるを得ないくだりね
ウチらのあがきなんか、この程度のことだったんですよ、欧州の皆さんから見れば・・・舐めくさられていたからこそ、一気に進撃することもできた。こんだけ舐めくさっていた地域取られたくらいで、一応最終的な勝利者の席に座ったはずの連中に負けた側のウチらがあれほどコテンパンに、今に到るまで貶められ続けないといけないというのは一体どうしたわけでしょう? と一日/本人としてイギリ○にもオ○ンダにも小一時間問いつめたいくらい、戦後の諸々と作中で語られている「紳士の理屈」とやらを照らし合わせると、正直どうしても不条理を感じざるを得ない。“野蛮”な有色人種だからなの? 中.国とか東南アジアの方に言われるのはまだ分かるんですけど・・・バターンなんか盛りプロパガンダも良いとこじゃない? 南洋の生存兵の話とか聞いてると日/本軍的には全く普通の行軍の感覚だっただろ。何せ彼ら自体に食糧が足りてなかった&“根性論”重視の文化的差異の問題ではないか、と。もちろん長期的な戦略が不十分なまま戦線を広げ捕虜を取った判断が一番悪い、と解ってはいるけどさ。ホント馬鹿だったよウチの国は。まさに「高貴なる本能」を集団で悪用することを、止める人間が誰も存在しなかった、そしてアジアで孤軍奮闘せざるを得なかった・・・。せめてアメリ○ともうちょっと協調的な関係を築けていたら、イヤ三国同盟組んだ時点でヨーロッパ戦線への呼び水にウチを使うことは確定されてただろうから無理だな(-_-;) あとは本当しつこいけど中/国さんがマトモだったら!アジアの覇権なんか彼ら中心で良かったですよ、自国民の人権と他の国の主権を尊重し、欧米にもの申せるだけの位置に地域を発展させるリーダーシップを取ってくれるような国になって下さっていれば!叶わぬ夢だったな。この先もそうなのかな?・゜・(つД`)・゜・ブワッ

六日目夜、ミス・ケントン――ミセス・ベンとの再会を振り返るスティーブンス。彼女を生き生きとした多感な人間にしていた内面のきらめきを感じられなくなり、時折垣間見える悲しみの表情に、彼は確実に二人が隔たってきた月日の長さ、重ねた年齢を感じざるを得ない。お屋敷のことを思い出し幸せそうな表情になるミセス・ベンとの語りから、ダーリントン卿が結局レジナルドの危惧していた沼に落ちてしまったこと、紳士ゆえに陥ったその哀れな晩年と汚された名誉のことが、ようやくここで明らかにされる。レジナルドくんも戦死しちゃったのか(/_;)
バス停での別れ際、いよいよスティーブンスは二人の関係の核心に触れる――彼女の手紙に度々表れる「不幸」の要因について。そこでようやくミセス・ベン――ミス・ケントンは、彼女がかつてスティーブンスに抱いていた想い、結婚して誠実な夫に恵まれ、娘が生まれてもなお消すことができないほど深かった彼への愛情を打ち明ける。「けれど今は確かに夫を愛している。時計をあともどりさせることはできないから、架空のことをいつまでも考え続けるわけにはいかない。人並、あるいはそれ以上かもしれない幸せがあることに早く気づいて感謝すべきだった」というセリフがもう( ノД`)…ビエェーン それを聞いて張り裂けんばかりに心を痛めながら、最後まで笑顔で、一瞬たりとも、一言たりとも自分の本心を決して告げないスティーブンス。この頑固野郎!でもそれが、彼女を一番に選べなかった彼なりの償い、愛情の表現なんだな、って最後にはその余りの愚直さ、不器用さに愛しささえ覚えるというのは、やっぱり日.本の時代小説に出てくる武士の姿と重なるところがあるんじゃないかな?(T^T)

でもってウェイマスの桟橋で行き合わせた老人に、初めて己の後悔を、主人に仕える執事としての職責においても彼自身の人生においても、品格なんかどこにもない、いや持っていても役に立たない虚しいもので、自分で選択を行うことを放棄した彼にそんなものを考える資格すらないのではないか、と疑う本心を吐露するくだり、泣けたなー(´;ω;`) スティーブンスもちゃんと私たちの理解の及ぶ範囲のところで悩み苦しむ普通の人間だったんだ、って改めて染み入るように感じられる。ツッコミどころ満載の葛藤はそれまでにも何回も登場してるわけだけどさ(笑)それに応える老人の「いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから気が滅入る。昔ほどうまく仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときが来るんだよ。・・・あんたもわしももう若いとは言えんが、それでも前を向きつづけなくちゃいかん」「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。」ってすごく素敵な言葉。てかここではないけど、ある場所で似たようなことを自分で書いたことを思い出した(^^;“明け方は静かで何の音もしないから寂しいけど、夕方は「またね」や「ただいま」や「いただきます」とか、にぎやかな声が溢れているから好き”って。一日の仕事を終えて、ホッとした人々が沈む日に安らぎを覚える時間。電気が普及してからはなおのこと、“その後”の時間を楽しみにする人たちが増えたんだろうな、って。タイトルの意味を実感してゾクゾクーッとくるシーンですね((( ´∀`)))
だがしかしスティーブンスはいつの間にかまた元の、そもそも後悔の元凶となった思想に回帰してやがる^^# 何て頭が硬いんだろう、キリ○ト信者の大嫌いな考えと同じ。思考の放棄、責任の押し付け。自分の価値を自分以外の存在に仮託して測ろうとする。いくら己を卑小と思い込む階級制社会で、仕える立場の者の子として育ちその職を全うした父に憧れていたからと言って、戦後主人が変わり社会が変わってもなおそのままの考えを維持し続けるとか確かにいっそ滑稽で憐れ。けれど同時にそうとしか生きられないスティーブンスの一本気さに確かな品格を、羨ましさに近い感情まで覚えるのが日/本人ではないだろうか? イギ○ス人もそう感じたからこそこの作品がブッカー賞の栄誉に輝いたのだとしたら、確かに私たちはこの点に関して、おそらく大陸や“新世界”の人々には決して理解し得ないであろう共通した価値観を持っていると言えるのかもしれない。散々毒も吐きましたが、最終的に(未だ複雑な感情は消えないけれど)イギリ○への親しみとその文化や歴史への興味・理解が多少増したように思います。日.本人なら『わたしを~』より絶対に読んどいて損はない英/国文学の一つと言えるのではないでしょうか? ちなみにディケンズだと『大いなる遺産』が好き。理由?ヒロインが堪らないから!@綺麗で残酷な女の子大好き(*´д`)ハァハァ

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解説で丸谷氏は馬鹿な男の悲劇、とこの作品の登場人物たちを切り捨て、作者が川端ではなくディケンズに学んでくれて良かった、と語っていたけれど、私はそうは感じなかった。最後の最後で、この小説の作者には間違いなく日.本人の血が流れているのだ、と強く感じた。日/本の純文作家の特質とも言える美学、文学における美という枠をはみ出さないために、時に愚かさや醜さ、過ちすら過度に美化してしまうような側面は無い、そこは確かにイギ○ス的。けれどディケンズ他に見られるようなナイフでぶっ刺して傷口抉ったまま放置、という冷徹さもまた存在しない。『わたしを離さないで』でも感じた傷口にヨードチンキの奇妙な優しさが、ここでは桟橋の場面に集約されている。そしてエミリ先生から語られた「ヘールシャムに託した理想」とその思い出を胸に、決して明るい未来が待ち受けているわけではないにも関わらずその“運命”を受け入れ、生き抜くことに穏やかな納得を見出したかに見えたキャシーと同じように、この作品の主人公スティーブンスもまた新しい主人のために「人間同士の心を温かさで結びつけるジョーク」の研究に励むことを、屋敷に戻るにあたり誓うんですよ。これは悲劇ではない、間違いなく。この程度の人生を送っている人間なんか、世の中山といるはずだ。過酷な現実を生々しく描きながら、極めて優しく前向きな話だ、と私は思う。そしてそれは間違いなく日系人作家ゆえになし得たことだ、と。

四日目朝のモスクムからの出立に当たってのカーライル先生とのやりとりで、やっと自分の身分を偽る必要がなくなり圧倒的な解放感を得るスティーブンス(^ω^)「スミスの言うことは支離滅裂」って、やっぱどこの田舎者も変わらんのやな(笑)その後に続く「みんな政治意識や意見を持っていないわけではないが、静かな生活がほしい。例えその騒ぎのおかげで自分の生活がよい方向に変わるんだとしても、村人は誰も騒ぎを望まない。あの問題やこの問題で悩ませないでほしい。それだけ」というセリフも真理だな、って。だから母親なんかはヒキってる私が政治とか国際ニュースネタに触れると怒り出すんだよね。・・・ぶっちゃけ純粋な歴オタ的好奇心からのことで、ヅカの次のトップが誰かとかいう話題と全く変わらないノリなんだけどこっちは。(リアルに苦しまれている方がいるような話をそのような感覚で捉えてしまうことは本当に申し訳なく思っていますm(__)m 正直言って震災以後ソッチ方面の倫理観が弱まってしまった。だって何しててもしてなくてもある日突然何もかも壊れるし失うし、必要とされていたはずの人間が未来を奪われて、そうじゃない人間がのうのうと生き延びてる。虚しくもなりますよ。神様なんか絶対信じないし、善悪とか、正しく生きたって何の意味もないんだ、ってあの時投げやりに思っちゃった。戦争も単なる手段で、攻められる側にとっちゃ要は災害と同じだろ、と。やりたがってる連中がいるならそれに備えるしかない、それだけ。こっちが起こさないとか起きないで、といくら願っても、どうしても避けられないことが目の前で起こってしまったんだから。政治的な見方まで変えて家族にネト○ヨ扱いまでされるようになったキッカケがあの震災だ、っつったら驚く人はいるのかな? “あの”W田氏がO田氏を破った選挙結果見たら、そういう変化を遂げたのは私だけじゃなかったように思うけど)
カーライル先生は社.会主義者だったんですね。イギリ○ってホント二極化が進みやすい社会なんだな、とダウントン見てても感じる(@_@;) 上の方はナ/チに親しみを、下の方は共.産世界に理想を。「すべての国民に医療が行き届く品格と尊厳を」実際の紅く染まった国々は建前だけで真逆の道を歩むことになってしまいましたが・・・彼がスミスを嫌悪するのはある意味当然。こっちの田舎も同じ。J民支持かK産党か。互いをバカにし合うけど、盲信とも言える支持・投票の強制っぷりは正直どっちも呆れ返らざるを得ない。ちゃんと新聞の公約見比べて、候補者個人の人となりをチェックしたりしてる?と聞きたくなるよ(;´д`)

次のスティーブンスが振り返る思い出の一夜には、レジナルドくんとミス・ケントンに代わって彼の頬をぶん殴ってやりたくなるわ!^^#ビキビキ 知人から結婚の申し込みを受けたことをスティーブンスに伝えるミス・ケントンの健気なまでの必死さ。それなのに、彼の頭の中には今夜の来客をさばくこと――ひたすら主人の意向に執事として最大限応えるという任務が最優先で、その意味を考えてみる素振りも見せない。感情を直接的に伝えることができないイギリ○人の礼儀というかもどかしさも覚えるけど、それは日/本人にだけは言われたくない点かと思うので(以下略)いやでもミス・ケントンは精いっぱい頑張ったよ!(´;ω;`) 「あなたの口調の物真似では、私はもう名人クラス」ってセリフ、それだけスティーブンスのことを、ずっと懸命に見つめてきたんだな、と切なくなった。
本人がそれと自認することなく、無意識にすっかりナ.チの傀儡と化してしまったダーリントン卿を何とか救おうとするレジナルドくんの必死さ(つд`) 彼を敬愛する同志として、スティーブンスに協力、あるいは共感、危惧を分かち合うことを求めたレジナルドくんを、スティーブンスは盲目的に主を信じ従うことが執事の品格を成す義務だとして、忠誠心ゆえに拒絶する。彼の絶望の深さはどれほどのものだったことか!父親を亡くし、同じだけの親しみを覚えるダーリントン卿を愛する「友人」がその職務と頑なさ故に卿を救うこと、あるいは救おうする彼の努力を忖度することすらしてくれないとは(  TДT)しかも昨日例に出した通り、彼ら貴族が忠誠を捧げるべき国王までナ/チに心酔している始末だったんですから、当時の多少ものが見えていた英.国知識階級の暗澹たるや・・・。「卿は高潔な英/国紳士としての本能、それゆえの宿命を利用された。アメリ○のルース議員が卿をさして言っていた、わけもわからんのに、でしゃばりたがって困るアマチュアだ、ということは冷厳な事実だ。やつら(ナ.チ)は高貴なるものを操って自分たちの汚い目的のために利用できるものにねじ曲げた。今日の世界は高貴な本能を大切にしてくれるような場所じゃない」コレはね、正直お ま い う(^ω^)という気持ちにならざるを得ない、この時点までの大.英.帝国様が世界中でやってきたことを考えると。ねぇねぇ、おたくらが過去“植民地”にしてきた地域の人々に欠片もそういう本能が宿っていなかったと思ってる? その国・民族・土地と言っても良い、の「高貴なる本能」を歪めて利用してきたのは自分達だって同じじゃないのか? 数枚舌の差別主義者の元締めが何言ってやがる、とバリバリの英/国節に納得はしつつも苛立ちを覚えざるを得ないのは有色人種の一人としてお許し願いたいm(__)m この後のレジナルドくんとミス・ケントンの心情を顧みることなく勝利感と高揚に酔うスティーブンスにもマジむかっ腹(# ゜Д゜)カーッ! ばっかじゃねーの、だから大.英.帝国は衰退したんだっての良い気味ザマーミロ!勝手にBr exitでも何でもして滅びろ欧州!と叫ばざるを得ないくだりね
ウチらのあがきなんか、この程度のことだったんですよ、欧州の皆さんから見れば・・・舐めくさられていたからこそ、一気に進撃することもできた。こんだけ舐めくさっていた地域取られたくらいで、一応最終的な勝利者の席に座ったはずの連中に負けた側のウチらがあれほどコテンパンに、今に到るまで貶められ続けないといけないというのは一体どうしたわけでしょう? と一日/本人としてイギリ○にもオ○ンダにも小一時間問いつめたいくらい、戦後の諸々と作中で語られている「紳士の理屈」とやらを照らし合わせると、正直どうしても不条理を感じざるを得ない。“野蛮”な有色人種だからなの? 中.国とか東南アジアの方に言われるのはまだ分かるんですけど・・・バターンなんか盛りプロパガンダも良いとこじゃない? 南洋の生存兵の話とか聞いてると日/本軍的には全く普通の行軍の感覚だっただろ。何せ彼ら自体に食糧が足りてなかった&“根性論”重視の文化的差異の問題ではないか、と。もちろん長期的な戦略が不十分なまま戦線を広げ捕虜を取った判断が一番悪い、と解ってはいるけどさ。ホント馬鹿だったよウチの国は。まさに「高貴なる本能」を集団で悪用することを、止める人間が誰も存在しなかった、そしてアジアで孤軍奮闘せざるを得なかった・・・。せめてアメリ○ともうちょっと協調的な関係を築けていたら、イヤ三国同盟組んだ時点でヨーロッパ戦線への呼び水にウチを使うことは確定されてただろうから無理だな(-_-;) あとは本当しつこいけど中/国さんがマトモだったら!アジアの覇権なんか彼ら中心で良かったですよ、自国民の人権と他の国の主権を尊重し、欧米にもの申せるだけの位置に地域を発展させるリーダーシップを取ってくれるような国になって下さっていれば!叶わぬ夢だったな。この先もそうなのかな?・゜・(つД`)・゜・ブワッ

六日目夜、ミス・ケントン――ミセス・ベンとの再会を振り返るスティーブンス。彼女を生き生きとした多感な人間にしていた内面のきらめきを感じられなくなり、時折垣間見える悲しみの表情に、彼は確実に二人が隔たってきた月日の長さ、重ねた年齢を感じざるを得ない。お屋敷のことを思い出し幸せそうな表情になるミセス・ベンとの語りから、ダーリントン卿が結局レジナルドの危惧していた沼に落ちてしまったこと、紳士ゆえに陥ったその哀れな晩年と汚された名誉のことが、ようやくここで明らかにされる。レジナルドくんも戦死しちゃったのか(/_;)
バス停での別れ際、いよいよスティーブンスは二人の関係の核心に触れる――彼女の手紙に度々表れる「不幸」の要因について。そこでようやくミセス・ベン――ミス・ケントンは、彼女がかつてスティーブンスに抱いていた想い、結婚して誠実な夫に恵まれ、娘が生まれてもなお消すことができないほど深かった彼への愛情を打ち明ける。「けれど今は確かに夫を愛している。時計をあともどりさせることはできないから、架空のことをいつまでも考え続けるわけにはいかない。人並、あるいはそれ以上かもしれない幸せがあることに早く気づいて感謝すべきだった」というセリフがもう( ノД`)…ビエェーン それを聞いて張り裂けんばかりに心を痛めながら、最後まで笑顔で、一瞬たりとも、一言たりとも自分の本心を決して告げないスティーブンス。この頑固野郎!でもそれが、彼女を一番に選べなかった彼なりの償い、愛情の表現なんだな、って最後にはその余りの愚直さ、不器用さに愛しささえ覚えるというのは、やっぱり日.本の時代小説に出てくる武士の姿と重なるところがあるんじゃないかな?(T^T)

でもってウェイマスの桟橋で行き合わせた老人に、初めて己の後悔を、主人に仕える執事としての職責においても彼自身の人生においても、品格なんかどこにもない、いや持っていても役に立たない虚しいもので、自分で選択を行うことを放棄した彼にそんなものを考える資格すらないのではないか、と疑う本心を吐露するくだり、泣けたなー(´;ω;`) スティーブンスもちゃんと私たちの理解の及ぶ範囲のところで悩み苦しむ普通の人間だったんだ、って改めて染み入るように感じられる。ツッコミどころ満載の葛藤はそれまでにも何回も登場してるわけだけどさ(笑)それに応える老人の「いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから気が滅入る。昔ほどうまく仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときが来るんだよ。・・・あんたもわしももう若いとは言えんが、それでも前を向きつづけなくちゃいかん」「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。」ってすごく素敵な言葉。てかここではないけど、ある場所で似たようなことを自分で書いたことを思い出した(^^;“明け方は静かで何の音もしないから寂しいけど、夕方は「またね」や「ただいま」や「いただきます」とか、にぎやかな声が溢れているから好き”って。一日の仕事を終えて、ホッとした人々が沈む日に安らぎを覚える時間。電気が普及してからはなおのこと、“その後”の時間を楽しみにする人たちが増えたんだろうな、って。タイトルの意味を実感してゾクゾクーッとくるシーンですね((( ´∀`)))
だがしかしスティーブンスはいつの間にかまた元の、そもそも後悔の元凶となった思想に回帰してやがる^^# 何て頭が硬いんだろう、キリ○ト信者の大嫌いな考えと同じ。思考の放棄、責任の押し付け。自分の価値を自分以外の存在に仮託して測ろうとする。いくら己を卑小と思い込む階級制社会で、仕える立場の者の子として育ちその職を全うした父に憧れていたからと言って、戦後主人が変わり社会が変わってもなおそのままの考えを維持し続けるとか確かにいっそ滑稽で憐れ。けれど同時にそうとしか生きられないスティーブンスの一本気さに確かな品格を、羨ましさに近い感情まで覚えるのが日/本人ではないだろうか? イギ○ス人もそう感じたからこそこの作品がブッカー賞の栄誉に輝いたのだとしたら、確かに私たちはこの点に関して、おそらく大陸や“新世界”の人々には決して理解し得ないであろう共通した価値観を持っていると言えるのかもしれない。散々毒も吐きましたが、最終的に(未だ複雑な感情は消えないけれど)イギリ○への親しみとその文化や歴史への興味・理解が多少増したように思います。日.本人なら『わたしを~』より絶対に読んどいて損はない英/国文学の一つと言えるのではないでしょうか? ちなみにディケンズだと『大いなる遺産』が好き。理由?ヒロインが堪らないから!@綺麗で残酷な女の子大好き(*´д`)ハァハァ

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