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そういえば一昨日行った白石の某旧家(もう住んでなくて公開中)に不自然に継ぎ足された洋館部分があって、床下の格子が五芒星模様だったのには吹いたなー(;゜∀゜) 個人的にタイムリー!と思って。そういう知識がある建築家の設計だったのか、よく分からんけど異国のモチーフ使いたかったのか、家主が陰陽道を篤く信仰していて頼みこんだのかはわからないけど(笑)
以下、自分語り含む辛めかもしれない感想ですm(__)m
以下、自分語り含む辛めかもしれない感想ですm(__)m
上巻が普通に展開読みづらくて面白かっただけに、ニュートンもルーブルも早い段階で予想つきすぎてつまんなかったんだが、上下に分かれてるミステリーって後半加速するからこんなもんかな? 暗号もいい加減しつこくて飽きるし、ぶっちゃけ結局意味なかったし(*_*; あと正直シオン修道会の思想や在り方がクソうざい。昔自分の小話の中で「神は人を惑わす蜃気楼で追うだけ虚しい」みたいなこと書いたけど、まさにソレじゃん。存在葬って匂わせることすら止めれば無駄に命が失われずに済むんだよ、いい加減にしろっつのバカじゃねーの?^^#ビキビキ 大人の思惑で「守る」とか言って(そもそも彼らがそこまで重視して血統だのの変な圧力をかけず、野に放って自由な交配()を許しておけば特定することすらできないほど子孫が広がってたかもしれなかったのに)引き離されちゃった姉弟も、多感な年頃に祖父のアレな儀式シーンを目撃しちゃったソフィーなんか、本当に哀れそのものじゃん。私Aセクだからあの行為を神聖視するの絶対無理。生物としてこれ以上なく崇拝にふさわしい不可欠な豊穣や生命力の象徴というのは理解できるんだけどね。ソレを通じて「神に触れる」という精神的な意義を見出す思想には納得できない。人間だけを特別扱いしてんじゃねーよ、獣や虫と同じただの子作り手段だろうが、ってこの辺大きな思想の隔たりを覚える・・・orz
暗号のくだりといい、余りに残酷で人を振り回すにもほどがあり馬鹿げているとしか思えない。話の結末から言えば、テンプル騎士団が13日の金曜日に壊滅させられた時点でシオン修道会も解散して聖杯なんかうっちゃってしまえば良かったんだよ。昔の信仰が何? 教会がマグダラのマリアを貶めて女性を蔑視したって? だから何、その捏造を受け入れたのは紛れもないその時代の人々の選択の結果じゃん。必要とされなかったものだから滅びた、あるいは弱くて負けたから消えていった、自然の摂理によって淘汰された歴史上の真実が人間のソレの中でどんだけあるか。もしシオン修道会というものが生き残らず聖杯の存在が朽ち果て忘れ去られていたなら、「サー」の称号を持つ知的な人物が狂った悪魔に変わり果てることはなかったはず。かけがえの無い今を生きる複数の命も失われずに済んだし(まぁその内の5人くらいは紛れもなく修道会絡みだったので自業自得ザマミロ、としか感じませんけど、その「罪」にどうしようもない痛みを覚えていたシラスの気持ちを考えるとね(´;ω;`))、ソフィーやラングドンがあれほどの苦しみや恐怖を味わう必要も無かった。ソフィーの弟が故郷から遠く離れた地で、家族の生存も知らず寂しく育つこともなかった。本当アホらしくてムカつくよ!
やっぱりマトモなキレ者はフラ○ス警察の人間だけでしたね。レミーも哀れだったし、私はぶっちゃけ歴オタ兼「信仰は永遠に持てないでござる(´-`)」人間なのでどっちかというとティービング側に近いタイプなんだけど、作中で最も同情して泣けたのが彼に利用されたオプス・デイの二人の絆と悲しさに対してだった。私は真実が知りたいし、未だかつて「神」という架空の創造物・人間が生み出した概念を欠片も信じる気になれたこともない。(オカルトネタのとこでぶっちゃけた、時々感じる多分原始的なアニミズムでそういう風に祀られてたのかなー、系の物理的に存在しない?何て表現すれば良いか分からないけど触れられる実体を持たなかったり動物や人間のように自ら動いて誰にでも聞こえる声を発さないものは総称して「力」と呼ぶことにしている。つかむしろ昔からそういう捉え方だったから既存の体系化された宗教へのツッコミが止まらないというか、自分には無理です、となるんだよね><; 都市にある大きめの教会や寺社仏閣にソレが備わっているのは、正直何百年、何万人、何億回と必死に祈りを捧げてきた人々の「念(時々残ってしまうのは霊魂じゃなくてコッチだ、とオカルト話でも書きましたが)」が籠っているからですよ。本当に最初から「力」があって祀られる対象になった場所、例えば日.本なら山伏の修験場として名高い山にでも登ってみたら良い。出羽三山なんかちょっとでも敏感な人間は圧倒されて気持ち悪くなるくらい凄まじいから。)それでも、登場人物中最も愚かで純粋で高潔だった彼らの魂に、どうか彼らの信じる「主」というものが存在し、天国あるいは地獄という死後の世界の救いがどうか与えられますように、と祈りたい気持ちになってしまった・゜・(つД`)・゜・
しつこく繰り返しますが、例え自分が信仰を持てなくても、それによって救われる多数の人々の存在や、長く続いてきたシステムとしての有用性や意義を否定する気はこれっぽっちもないんです(・・;) 私の家族だって、間違いなくそれに助けられきて、その様を目の当たりにしてきたから。それでも祖父の最期は堪えられないくらい虚しくて辛くて宗教に対して「もう無理だ」と感じざるを得ないキッカケの一つとなってしまったけど・・・。その祖父の死を祖母が乗り越えられたのは教会と「主の教え」と牧師様や信徒仲間の慰めだったことも確かだとわかってる。何か色々複雑な気分になってくるのでこの辺で止めますが\(^o^)/ まぁ少なくとも金も人間関係も全てを台無しにして奪っていく某党よりは、祖母の所属している教会の方がはるかにマシな組織だとは考えてるよ!
あと全編通してウッザかったのは、とにかく露骨な女性&ユダ○人の悲劇アピールからの異様な持ち上げっぷり。いやイエ○がユダ○人ってのは知ってるし、そうだね王族の系譜だと色々辻褄が会うよネ☆ってことになっているのも知っている。けどさー、現代に残っている聖/書が丸っきりの捏造と嘘だけ、ということもないと思うんですよ・・・(;´д`) つまり何故マグダラのマリアを他の弟子が否定的に見ていたかというと(以下略)ってことなんじゃないっすかね? 正直現代の読者に媚びるため、あるいは意識高い系の世界的潮流()としてのフェミニズムフィルター、アング○にとって最大のスポンサーでありW W 2で究極の「正義の味方」というイメージを決定付けてくれた○ダヤ様への配慮がかーなーり透けて見える感じが日.本人女性としてイライラして仕方ない(^ω^#)ウッフフ
例えば「原始女性は太陽であった」のに「男子にしか皇位継承権を認めない典範は改正すべき」と最近エライさん()から叱られたウチの例を見てみよう。
①山の神が嫉妬するため、神聖な山は女人厳禁→比/叡山にケーブルカー使わずに登った経験上、整備されている今ですらこんなにキツイなら昔は獣や追い剥ぎも出ただろうし、女性にとって登山自体がどんだけ危険なことだったのか思い知る。
②祭りの準備は男の仕事。女性は「穢れている」ため神輿に触れてはいけない→とある祭りを手伝わせてもらった際、その「準備」がどれだけ大変な力と時間を使うものか学んだ。今より家事や子育てが大変だったであろう時代、女性たちに更なる負担を担わせることはできなかっただろうし、神輿を担ぐのも、神事自体も危険な力仕事を伴う場合が多い。
③女性天.皇廃止→日/本の歴史上「自ら望んで積極的に」即位した女性皇.族がいたとは考えがたい。次代までの繋ぎ、あるいは周囲の政治的意図によってその地位に「仕方なく就かざるを得なかった」例ばかり。寡婦以外は伴侶も望めず、正直言って娘がいる親の立場なら間違いなく就かせたくない職業1,2を争う部類に入ると思う(´-`)
つまり何が言いたいかというと、「女性蔑視」と捉えられがちな風習もある面では女性を保護するためのものであり、男女双方のプライドを守るために「神聖さを損なう」だなんだって方便を取り繕い、社会が暗黙の了解としてソレを受け入れてきたわけ。昔の女性の立場を明けすけに代弁させてもらうとしたら、男性に対して「大変な仕事押し付けちゃうから、建前上は一段下の位置に回ってアンタたちの顔立ててやるね」って感覚?(^^; 私は少ない事例かもしれないけど体験したり文献漁って大体その結論に行き着いたかなぁ、元はU野先生読むようなフェミ系だったんだけど!(爆笑)結局はただの身体特性的向き不向きによる役割分担で、特に日/本では家計の管理だの家の中のことは女性が絶対的な権力を長く保持してきたわけだし、「女房に頭が上がらない男の話」も古代から山と残ってる。(個人的に好きなのは『落窪物語』の阿漕と帯刀カップル(ノ∀`))だから「一億総活躍社会」なんて掲げてる今でも日.本女性の憧れの職業は何だかんだ言って「専業主婦」なんじゃんねー。
機械化が進み、誰でも高度な教育を受けることが可能になり、コンピューター使用の力を必要としない仕事が増えた今、かつてほど身体能力や特性の差で割り振られてきた男女の役割を分担する必要性がなくなりつつあることは認めます。けれどソレが確かに生物としての人間の歴史の一端を成してきたものであり、「同権」の名の元に全否定、あるいはそれこそバチ○ンが「異教」に対してそうしたように完全に根絶する、というようなことも間違っているように感じるんです。確かにイス○ム教の戒律が厳しい一部の地域の女性の待遇や権利に問題があることは明白だし、イ○ドのカースト外結婚などで凄惨な行為が為されているのも深刻に憂慮されるべき事態だと思う。でも、何もかも現代の、それも己の属する社会のフィルターだけを通して物事を捉えてしまうのはとても不公平だし、誠実ではない印象を受けるんだよなぁ(-_-;)
微妙な読後感&一周回って期待値が大きすぎたのか?という気分になってしまったので、ちょっと純文さまよってからこのシリーズに戻ろうかな。やっぱり向こうの人たちって常に何かしらの社会的観念(Missionを求める思考といいますか)に縛られていて中々そこから脱け出せないんですかね?(;・ω・) たまにはメソメソ社会的な問題や視点なんか忘れて、ひたすら自分のことだけ、自分の心の内と対話して吐き出すような作品書けば良いのに。日.本の純文なんか時代的な思想や社会風刺を含みつつも結局はソコに終始する主人公ばっか、というかそう見せるのが上手いですよね(@_@;) あくまでオハナシの背景・小道具としてそういう面を主要なテーマではないんですけど、って形で織り込んじゃうの。そういうやり方の方が、ハッキリ直球で押し付けがましく重いのぶっぱなす小難しく見せかけて一度読んだらもう良いや、となる長ったらしい癖に薄い話より好きだなぁ。私が日/本人だからそう思ってしまうんだろうか?(-_-;)
暗号のくだりといい、余りに残酷で人を振り回すにもほどがあり馬鹿げているとしか思えない。話の結末から言えば、テンプル騎士団が13日の金曜日に壊滅させられた時点でシオン修道会も解散して聖杯なんかうっちゃってしまえば良かったんだよ。昔の信仰が何? 教会がマグダラのマリアを貶めて女性を蔑視したって? だから何、その捏造を受け入れたのは紛れもないその時代の人々の選択の結果じゃん。必要とされなかったものだから滅びた、あるいは弱くて負けたから消えていった、自然の摂理によって淘汰された歴史上の真実が人間のソレの中でどんだけあるか。もしシオン修道会というものが生き残らず聖杯の存在が朽ち果て忘れ去られていたなら、「サー」の称号を持つ知的な人物が狂った悪魔に変わり果てることはなかったはず。かけがえの無い今を生きる複数の命も失われずに済んだし(まぁその内の5人くらいは紛れもなく修道会絡みだったので自業自得ザマミロ、としか感じませんけど、その「罪」にどうしようもない痛みを覚えていたシラスの気持ちを考えるとね(´;ω;`))、ソフィーやラングドンがあれほどの苦しみや恐怖を味わう必要も無かった。ソフィーの弟が故郷から遠く離れた地で、家族の生存も知らず寂しく育つこともなかった。本当アホらしくてムカつくよ!
やっぱりマトモなキレ者はフラ○ス警察の人間だけでしたね。レミーも哀れだったし、私はぶっちゃけ歴オタ兼「信仰は永遠に持てないでござる(´-`)」人間なのでどっちかというとティービング側に近いタイプなんだけど、作中で最も同情して泣けたのが彼に利用されたオプス・デイの二人の絆と悲しさに対してだった。私は真実が知りたいし、未だかつて「神」という架空の創造物・人間が生み出した概念を欠片も信じる気になれたこともない。(オカルトネタのとこでぶっちゃけた、時々感じる多分原始的なアニミズムでそういう風に祀られてたのかなー、系の物理的に存在しない?何て表現すれば良いか分からないけど触れられる実体を持たなかったり動物や人間のように自ら動いて誰にでも聞こえる声を発さないものは総称して「力」と呼ぶことにしている。つかむしろ昔からそういう捉え方だったから既存の体系化された宗教へのツッコミが止まらないというか、自分には無理です、となるんだよね><; 都市にある大きめの教会や寺社仏閣にソレが備わっているのは、正直何百年、何万人、何億回と必死に祈りを捧げてきた人々の「念(時々残ってしまうのは霊魂じゃなくてコッチだ、とオカルト話でも書きましたが)」が籠っているからですよ。本当に最初から「力」があって祀られる対象になった場所、例えば日.本なら山伏の修験場として名高い山にでも登ってみたら良い。出羽三山なんかちょっとでも敏感な人間は圧倒されて気持ち悪くなるくらい凄まじいから。)それでも、登場人物中最も愚かで純粋で高潔だった彼らの魂に、どうか彼らの信じる「主」というものが存在し、天国あるいは地獄という死後の世界の救いがどうか与えられますように、と祈りたい気持ちになってしまった・゜・(つД`)・゜・
しつこく繰り返しますが、例え自分が信仰を持てなくても、それによって救われる多数の人々の存在や、長く続いてきたシステムとしての有用性や意義を否定する気はこれっぽっちもないんです(・・;) 私の家族だって、間違いなくそれに助けられきて、その様を目の当たりにしてきたから。それでも祖父の最期は堪えられないくらい虚しくて辛くて宗教に対して「もう無理だ」と感じざるを得ないキッカケの一つとなってしまったけど・・・。その祖父の死を祖母が乗り越えられたのは教会と「主の教え」と牧師様や信徒仲間の慰めだったことも確かだとわかってる。何か色々複雑な気分になってくるのでこの辺で止めますが\(^o^)/ まぁ少なくとも金も人間関係も全てを台無しにして奪っていく某党よりは、祖母の所属している教会の方がはるかにマシな組織だとは考えてるよ!
あと全編通してウッザかったのは、とにかく露骨な女性&ユダ○人の悲劇アピールからの異様な持ち上げっぷり。いやイエ○がユダ○人ってのは知ってるし、そうだね王族の系譜だと色々辻褄が会うよネ☆ってことになっているのも知っている。けどさー、現代に残っている聖/書が丸っきりの捏造と嘘だけ、ということもないと思うんですよ・・・(;´д`) つまり何故マグダラのマリアを他の弟子が否定的に見ていたかというと(以下略)ってことなんじゃないっすかね? 正直現代の読者に媚びるため、あるいは意識高い系の世界的潮流()としてのフェミニズムフィルター、アング○にとって最大のスポンサーでありW W 2で究極の「正義の味方」というイメージを決定付けてくれた○ダヤ様への配慮がかーなーり透けて見える感じが日.本人女性としてイライラして仕方ない(^ω^#)ウッフフ
例えば「原始女性は太陽であった」のに「男子にしか皇位継承権を認めない典範は改正すべき」と最近エライさん()から叱られたウチの例を見てみよう。
①山の神が嫉妬するため、神聖な山は女人厳禁→比/叡山にケーブルカー使わずに登った経験上、整備されている今ですらこんなにキツイなら昔は獣や追い剥ぎも出ただろうし、女性にとって登山自体がどんだけ危険なことだったのか思い知る。
②祭りの準備は男の仕事。女性は「穢れている」ため神輿に触れてはいけない→とある祭りを手伝わせてもらった際、その「準備」がどれだけ大変な力と時間を使うものか学んだ。今より家事や子育てが大変だったであろう時代、女性たちに更なる負担を担わせることはできなかっただろうし、神輿を担ぐのも、神事自体も危険な力仕事を伴う場合が多い。
③女性天.皇廃止→日/本の歴史上「自ら望んで積極的に」即位した女性皇.族がいたとは考えがたい。次代までの繋ぎ、あるいは周囲の政治的意図によってその地位に「仕方なく就かざるを得なかった」例ばかり。寡婦以外は伴侶も望めず、正直言って娘がいる親の立場なら間違いなく就かせたくない職業1,2を争う部類に入ると思う(´-`)
つまり何が言いたいかというと、「女性蔑視」と捉えられがちな風習もある面では女性を保護するためのものであり、男女双方のプライドを守るために「神聖さを損なう」だなんだって方便を取り繕い、社会が暗黙の了解としてソレを受け入れてきたわけ。昔の女性の立場を明けすけに代弁させてもらうとしたら、男性に対して「大変な仕事押し付けちゃうから、建前上は一段下の位置に回ってアンタたちの顔立ててやるね」って感覚?(^^; 私は少ない事例かもしれないけど体験したり文献漁って大体その結論に行き着いたかなぁ、元はU野先生読むようなフェミ系だったんだけど!(爆笑)結局はただの身体特性的向き不向きによる役割分担で、特に日/本では家計の管理だの家の中のことは女性が絶対的な権力を長く保持してきたわけだし、「女房に頭が上がらない男の話」も古代から山と残ってる。(個人的に好きなのは『落窪物語』の阿漕と帯刀カップル(ノ∀`))だから「一億総活躍社会」なんて掲げてる今でも日.本女性の憧れの職業は何だかんだ言って「専業主婦」なんじゃんねー。
機械化が進み、誰でも高度な教育を受けることが可能になり、コンピューター使用の力を必要としない仕事が増えた今、かつてほど身体能力や特性の差で割り振られてきた男女の役割を分担する必要性がなくなりつつあることは認めます。けれどソレが確かに生物としての人間の歴史の一端を成してきたものであり、「同権」の名の元に全否定、あるいはそれこそバチ○ンが「異教」に対してそうしたように完全に根絶する、というようなことも間違っているように感じるんです。確かにイス○ム教の戒律が厳しい一部の地域の女性の待遇や権利に問題があることは明白だし、イ○ドのカースト外結婚などで凄惨な行為が為されているのも深刻に憂慮されるべき事態だと思う。でも、何もかも現代の、それも己の属する社会のフィルターだけを通して物事を捉えてしまうのはとても不公平だし、誠実ではない印象を受けるんだよなぁ(-_-;)
微妙な読後感&一周回って期待値が大きすぎたのか?という気分になってしまったので、ちょっと純文さまよってからこのシリーズに戻ろうかな。やっぱり向こうの人たちって常に何かしらの社会的観念(Missionを求める思考といいますか)に縛られていて中々そこから脱け出せないんですかね?(;・ω・) たまにはメソメソ社会的な問題や視点なんか忘れて、ひたすら自分のことだけ、自分の心の内と対話して吐き出すような作品書けば良いのに。日.本の純文なんか時代的な思想や社会風刺を含みつつも結局はソコに終始する主人公ばっか、というかそう見せるのが上手いですよね(@_@;) あくまでオハナシの背景・小道具としてそういう面を主要なテーマではないんですけど、って形で織り込んじゃうの。そういうやり方の方が、ハッキリ直球で押し付けがましく重いのぶっぱなす小難しく見せかけて一度読んだらもう良いや、となる長ったらしい癖に薄い話より好きだなぁ。私が日/本人だからそう思ってしまうんだろうか?(-_-;)
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暗号のくだりといい、余りに残酷で人を振り回すにもほどがあり馬鹿げているとしか思えない。話の結末から言えば、テンプル騎士団が13日の金曜日に壊滅させられた時点でシオン修道会も解散して聖杯なんかうっちゃってしまえば良かったんだよ。昔の信仰が何? 教会がマグダラのマリアを貶めて女性を蔑視したって? だから何、その捏造を受け入れたのは紛れもないその時代の人々の選択の結果じゃん。必要とされなかったものだから滅びた、あるいは弱くて負けたから消えていった、自然の摂理によって淘汰された歴史上の真実が人間のソレの中でどんだけあるか。もしシオン修道会というものが生き残らず聖杯の存在が朽ち果て忘れ去られていたなら、「サー」の称号を持つ知的な人物が狂った悪魔に変わり果てることはなかったはず。かけがえの無い今を生きる複数の命も失われずに済んだし(まぁその内の5人くらいは紛れもなく修道会絡みだったので自業自得ザマミロ、としか感じませんけど、その「罪」にどうしようもない痛みを覚えていたシラスの気持ちを考えるとね(´;ω;`))、ソフィーやラングドンがあれほどの苦しみや恐怖を味わう必要も無かった。ソフィーの弟が故郷から遠く離れた地で、家族の生存も知らず寂しく育つこともなかった。本当アホらしくてムカつくよ!
やっぱりマトモなキレ者はフラ○ス警察の人間だけでしたね。レミーも哀れだったし、私はぶっちゃけ歴オタ兼「信仰は永遠に持てないでござる(´-`)」人間なのでどっちかというとティービング側に近いタイプなんだけど、作中で最も同情して泣けたのが彼に利用されたオプス・デイの二人の絆と悲しさに対してだった。私は真実が知りたいし、未だかつて「神」という架空の創造物・人間が生み出した概念を欠片も信じる気になれたこともない。(オカルトネタのとこでぶっちゃけた、時々感じる多分原始的なアニミズムでそういう風に祀られてたのかなー、系の物理的に存在しない?何て表現すれば良いか分からないけど触れられる実体を持たなかったり動物や人間のように自ら動いて誰にでも聞こえる声を発さないものは総称して「力」と呼ぶことにしている。つかむしろ昔からそういう捉え方だったから既存の体系化された宗教へのツッコミが止まらないというか、自分には無理です、となるんだよね><; 都市にある大きめの教会や寺社仏閣にソレが備わっているのは、正直何百年、何万人、何億回と必死に祈りを捧げてきた人々の「念(時々残ってしまうのは霊魂じゃなくてコッチだ、とオカルト話でも書きましたが)」が籠っているからですよ。本当に最初から「力」があって祀られる対象になった場所、例えば日.本なら山伏の修験場として名高い山にでも登ってみたら良い。出羽三山なんかちょっとでも敏感な人間は圧倒されて気持ち悪くなるくらい凄まじいから。)それでも、登場人物中最も愚かで純粋で高潔だった彼らの魂に、どうか彼らの信じる「主」というものが存在し、天国あるいは地獄という死後の世界の救いがどうか与えられますように、と祈りたい気持ちになってしまった・゜・(つД`)・゜・
しつこく繰り返しますが、例え自分が信仰を持てなくても、それによって救われる多数の人々の存在や、長く続いてきたシステムとしての有用性や意義を否定する気はこれっぽっちもないんです(・・;) 私の家族だって、間違いなくそれに助けられきて、その様を目の当たりにしてきたから。それでも祖父の最期は堪えられないくらい虚しくて辛くて宗教に対して「もう無理だ」と感じざるを得ないキッカケの一つとなってしまったけど・・・。その祖父の死を祖母が乗り越えられたのは教会と「主の教え」と牧師様や信徒仲間の慰めだったことも確かだとわかってる。何か色々複雑な気分になってくるのでこの辺で止めますが\(^o^)/ まぁ少なくとも金も人間関係も全てを台無しにして奪っていく某党よりは、祖母の所属している教会の方がはるかにマシな組織だとは考えてるよ!
あと全編通してウッザかったのは、とにかく露骨な女性&ユダ○人の悲劇アピールからの異様な持ち上げっぷり。いやイエ○がユダ○人ってのは知ってるし、そうだね王族の系譜だと色々辻褄が会うよネ☆ってことになっているのも知っている。けどさー、現代に残っている聖/書が丸っきりの捏造と嘘だけ、ということもないと思うんですよ・・・(;´д`) つまり何故マグダラのマリアを他の弟子が否定的に見ていたかというと(以下略)ってことなんじゃないっすかね? 正直現代の読者に媚びるため、あるいは意識高い系の世界的潮流()としてのフェミニズムフィルター、アング○にとって最大のスポンサーでありW W 2で究極の「正義の味方」というイメージを決定付けてくれた○ダヤ様への配慮がかーなーり透けて見える感じが日.本人女性としてイライラして仕方ない(^ω^#)ウッフフ
例えば「原始女性は太陽であった」のに「男子にしか皇位継承権を認めない典範は改正すべき」と最近エライさん()から叱られたウチの例を見てみよう。
①山の神が嫉妬するため、神聖な山は女人厳禁→比/叡山にケーブルカー使わずに登った経験上、整備されている今ですらこんなにキツイなら昔は獣や追い剥ぎも出ただろうし、女性にとって登山自体がどんだけ危険なことだったのか思い知る。
②祭りの準備は男の仕事。女性は「穢れている」ため神輿に触れてはいけない→とある祭りを手伝わせてもらった際、その「準備」がどれだけ大変な力と時間を使うものか学んだ。今より家事や子育てが大変だったであろう時代、女性たちに更なる負担を担わせることはできなかっただろうし、神輿を担ぐのも、神事自体も危険な力仕事を伴う場合が多い。
③女性天.皇廃止→日/本の歴史上「自ら望んで積極的に」即位した女性皇.族がいたとは考えがたい。次代までの繋ぎ、あるいは周囲の政治的意図によってその地位に「仕方なく就かざるを得なかった」例ばかり。寡婦以外は伴侶も望めず、正直言って娘がいる親の立場なら間違いなく就かせたくない職業1,2を争う部類に入ると思う(´-`)
つまり何が言いたいかというと、「女性蔑視」と捉えられがちな風習もある面では女性を保護するためのものであり、男女双方のプライドを守るために「神聖さを損なう」だなんだって方便を取り繕い、社会が暗黙の了解としてソレを受け入れてきたわけ。昔の女性の立場を明けすけに代弁させてもらうとしたら、男性に対して「大変な仕事押し付けちゃうから、建前上は一段下の位置に回ってアンタたちの顔立ててやるね」って感覚?(^^; 私は少ない事例かもしれないけど体験したり文献漁って大体その結論に行き着いたかなぁ、元はU野先生読むようなフェミ系だったんだけど!(爆笑)結局はただの身体特性的向き不向きによる役割分担で、特に日/本では家計の管理だの家の中のことは女性が絶対的な権力を長く保持してきたわけだし、「女房に頭が上がらない男の話」も古代から山と残ってる。(個人的に好きなのは『落窪物語』の阿漕と帯刀カップル(ノ∀`))だから「一億総活躍社会」なんて掲げてる今でも日.本女性の憧れの職業は何だかんだ言って「専業主婦」なんじゃんねー。
機械化が進み、誰でも高度な教育を受けることが可能になり、コンピューター使用の力を必要としない仕事が増えた今、かつてほど身体能力や特性の差で割り振られてきた男女の役割を分担する必要性がなくなりつつあることは認めます。けれどソレが確かに生物としての人間の歴史の一端を成してきたものであり、「同権」の名の元に全否定、あるいはそれこそバチ○ンが「異教」に対してそうしたように完全に根絶する、というようなことも間違っているように感じるんです。確かにイス○ム教の戒律が厳しい一部の地域の女性の待遇や権利に問題があることは明白だし、イ○ドのカースト外結婚などで凄惨な行為が為されているのも深刻に憂慮されるべき事態だと思う。でも、何もかも現代の、それも己の属する社会のフィルターだけを通して物事を捉えてしまうのはとても不公平だし、誠実ではない印象を受けるんだよなぁ(-_-;)
微妙な読後感&一周回って期待値が大きすぎたのか?という気分になってしまったので、ちょっと純文さまよってからこのシリーズに戻ろうかな。やっぱり向こうの人たちって常に何かしらの社会的観念(Missionを求める思考といいますか)に縛られていて中々そこから脱け出せないんですかね?(;・ω・) たまにはメソメソ社会的な問題や視点なんか忘れて、ひたすら自分のことだけ、自分の心の内と対話して吐き出すような作品書けば良いのに。日.本の純文なんか時代的な思想や社会風刺を含みつつも結局はソコに終始する主人公ばっか、というかそう見せるのが上手いですよね(@_@;) あくまでオハナシの背景・小道具としてそういう面を主要なテーマではないんですけど、って形で織り込んじゃうの。そういうやり方の方が、ハッキリ直球で押し付けがましく重いのぶっぱなす小難しく見せかけて一度読んだらもう良いや、となる長ったらしい癖に薄い話より好きだなぁ。私が日/本人だからそう思ってしまうんだろうか?(-_-;)
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