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私も彼らと同じ。
現代の医学がなければフリークスになってた。中身は今でもフリークス。何も変わらない。見た目が取り繕えたから、一見「普通」のフリして混じりこんでるだけ。LGBTや分かりやすい障害者に対しては「語る」ことで善人アピールができるのに、彼らに対して、彼らの生きる手段だったサーカスや見世物小屋に対しては話題にすること自体が差別のようなタブーになってる。ダブルスタンダードに違和感を覚えて当然。奇形、生まれつきの「ユニーク」さとそれを「社会」がどう受け入れてきたかについては闇の扱いで触れられない。はなれ瞽女おりんを思い出した。琵琶法師も瞽女さんも、按摩さんも尊敬する。見世物小屋の登場で初めて命を繋げた奇形もいるやろ。食わせる余裕ない場所や時代なら生まれた段階で殺されてた。見世物小屋の登場によって「金になる存在」として生きる権利を許された。負の側面と、社会の闇と人間の性と、多面的に捉えないといけないことを全ての素晴らしい出演者と相変わらず心躍る音楽、心を震えさせる歌声と歌詞によって思い知らされた。私と彼らの違いは、才能と強さ、そして手術のおかげで得た上っ面の「普通」だけ。私があのままフリークスになっててもサーカスのスターになんてなれなかった。誰も好きになれないのに、誰もができることをできないのに普通のふりして会話してる。嘘だらけ。自分が恥ずかしい。ラ・ラ・ランドに続いて、押し付けがましくなく紛れもない現実を最高にエンターテイメントな脚色、いや演出で描いた素敵な作品でした。人間は、懸命に生きているものは全てが輝いていて美しい。ゴッホみたい。私も、一人を特別に愛することができない欠陥品だからそうなりたいな、と憧れる。全く、第一歩として寄付から始めてんだからちゃんとしてくれよユニ〇フ&有象無象のNGOども・・・┐(´д`)┌
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