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予定変更で日/本の近現代を振り返りたくなった結果コッチに行ってみた読書記録(^^;
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確か大学の授業か何かで薦められて買ったものの、『金閣炎上』と『五番町夕霧楼』でMy水上勉値が満足してしまい積ん読してたんだよねー。(ホントおまえの本棚どうなってんの、とよく言われるけど気にしないよ!)
いやーしかし、泣けた(´;ω;`)ウッ,ブワッ 三島とか司馬遼が途中まで資料集めるんだけど放り出して「やーめた、俺は自分のインスピレーションと妄想を大事に書きたいんだよ!」と全力で事実無視して突っ走る、圧倒的な情熱と文学的美学?に彩られた「ストーリー」ありきで創作しちゃうのに比べると、水上さんはトコトンまで取材して現地に足を運び、諸々の証言や史実を掘り下げてまずは登場人物の心情や造形を最優先に、丁寧に描き出す。結果として物語の始まりと終わり、流れが決まる、という描き方。とてもやさしくて儚く、そしてどこまでも現実に近いが故の哀しさを帯びた話を書かれる作家さんだな、と感じます。
日.本がまさに虚勢を張り、西欧列強に挑まんと、自らの身に直接牙が届く位置にある半島だけは何とか守りきろうと必死だった日/露戦争の頃、まだまだ長く続いた封建社会の育んだ格差の中に取り残された貧しい地方の人々がどんな境遇に置かれていたか、瞽女たちの掟の厳しさや戦争孤児となった盲目の孫と無理心中した老婆の話、そして脱走兵・平太郎の心根の真っすぐさと取り調べ中の必死の叫びに、切々としたものを感じます。どんなに努力して、エリートが一丸となって頑張っても、勤勉で耐える国民性でもあんな短期間に近代化・西洋化を国中の隅々まで行き届かせるなんてことは土台無理な話だった。それなのに時代の流れは待ってはくれず、日.清に続いて日/露、そしてW W 1と次から次へと戦わなければ、あっという間にふるい落とされいつ植民地にされてもおかしくないアジアの小国に転落してしまうという強迫観念が、最終的にはあれほどバカげた恐ろしい道にウチらを向かわせてしまったのだろう、と本当にどうしようもない、やるせない気持ちになりますね(´・_・`)
おりんと平太郎の関係性は、正直私が最も憧れる絆のかたちなのかもしれない、と思った。逃亡に疲れ切った平太郎にとって盲の宿命を背負いながら純粋で明るいおりんの存在はどれほどの救いで、喜びで、眩く輝いて見えたことだろう。その彼女を汚したことが許せずに別所を殺してしまったのも、仕方がないというか察するに余りある同情を覚えてしまった。実の親も知らず、育ててもらった親方から瞽女の座を追放されて、長く孤独にさすらってきたおりんが、人の温もりを得るためには体を交わすという手段しか知らなかったおりんが、初めて心と心の触れ合いがもたらすあたたかみを知ることができた、教えてくれた平太郎に依存していく気持ちも本当に手に取るように分かるよ(つД`) 兄と妹のように、本当の家族のように、あるいは恋人のように、夫婦のように、けれどその全てを超える繋がりが確かに二人の間にはあって。束の間でも一生消えない、少なくとも彼らは出会えただけで一生分の幸せを手にすることができたのではないか、と羨ましくなりました。やっぱり人間って哀しくて愛しいな・・・。
いやーしかし、泣けた(´;ω;`)ウッ,ブワッ 三島とか司馬遼が途中まで資料集めるんだけど放り出して「やーめた、俺は自分のインスピレーションと妄想を大事に書きたいんだよ!」と全力で事実無視して突っ走る、圧倒的な情熱と文学的美学?に彩られた「ストーリー」ありきで創作しちゃうのに比べると、水上さんはトコトンまで取材して現地に足を運び、諸々の証言や史実を掘り下げてまずは登場人物の心情や造形を最優先に、丁寧に描き出す。結果として物語の始まりと終わり、流れが決まる、という描き方。とてもやさしくて儚く、そしてどこまでも現実に近いが故の哀しさを帯びた話を書かれる作家さんだな、と感じます。
日.本がまさに虚勢を張り、西欧列強に挑まんと、自らの身に直接牙が届く位置にある半島だけは何とか守りきろうと必死だった日/露戦争の頃、まだまだ長く続いた封建社会の育んだ格差の中に取り残された貧しい地方の人々がどんな境遇に置かれていたか、瞽女たちの掟の厳しさや戦争孤児となった盲目の孫と無理心中した老婆の話、そして脱走兵・平太郎の心根の真っすぐさと取り調べ中の必死の叫びに、切々としたものを感じます。どんなに努力して、エリートが一丸となって頑張っても、勤勉で耐える国民性でもあんな短期間に近代化・西洋化を国中の隅々まで行き届かせるなんてことは土台無理な話だった。それなのに時代の流れは待ってはくれず、日.清に続いて日/露、そしてW W 1と次から次へと戦わなければ、あっという間にふるい落とされいつ植民地にされてもおかしくないアジアの小国に転落してしまうという強迫観念が、最終的にはあれほどバカげた恐ろしい道にウチらを向かわせてしまったのだろう、と本当にどうしようもない、やるせない気持ちになりますね(´・_・`)
おりんと平太郎の関係性は、正直私が最も憧れる絆のかたちなのかもしれない、と思った。逃亡に疲れ切った平太郎にとって盲の宿命を背負いながら純粋で明るいおりんの存在はどれほどの救いで、喜びで、眩く輝いて見えたことだろう。その彼女を汚したことが許せずに別所を殺してしまったのも、仕方がないというか察するに余りある同情を覚えてしまった。実の親も知らず、育ててもらった親方から瞽女の座を追放されて、長く孤独にさすらってきたおりんが、人の温もりを得るためには体を交わすという手段しか知らなかったおりんが、初めて心と心の触れ合いがもたらすあたたかみを知ることができた、教えてくれた平太郎に依存していく気持ちも本当に手に取るように分かるよ(つД`) 兄と妹のように、本当の家族のように、あるいは恋人のように、夫婦のように、けれどその全てを超える繋がりが確かに二人の間にはあって。束の間でも一生消えない、少なくとも彼らは出会えただけで一生分の幸せを手にすることができたのではないか、と羨ましくなりました。やっぱり人間って哀しくて愛しいな・・・。
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いやーしかし、泣けた(´;ω;`)ウッ,ブワッ 三島とか司馬遼が途中まで資料集めるんだけど放り出して「やーめた、俺は自分のインスピレーションと妄想を大事に書きたいんだよ!」と全力で事実無視して突っ走る、圧倒的な情熱と文学的美学?に彩られた「ストーリー」ありきで創作しちゃうのに比べると、水上さんはトコトンまで取材して現地に足を運び、諸々の証言や史実を掘り下げてまずは登場人物の心情や造形を最優先に、丁寧に描き出す。結果として物語の始まりと終わり、流れが決まる、という描き方。とてもやさしくて儚く、そしてどこまでも現実に近いが故の哀しさを帯びた話を書かれる作家さんだな、と感じます。
日.本がまさに虚勢を張り、西欧列強に挑まんと、自らの身に直接牙が届く位置にある半島だけは何とか守りきろうと必死だった日/露戦争の頃、まだまだ長く続いた封建社会の育んだ格差の中に取り残された貧しい地方の人々がどんな境遇に置かれていたか、瞽女たちの掟の厳しさや戦争孤児となった盲目の孫と無理心中した老婆の話、そして脱走兵・平太郎の心根の真っすぐさと取り調べ中の必死の叫びに、切々としたものを感じます。どんなに努力して、エリートが一丸となって頑張っても、勤勉で耐える国民性でもあんな短期間に近代化・西洋化を国中の隅々まで行き届かせるなんてことは土台無理な話だった。それなのに時代の流れは待ってはくれず、日.清に続いて日/露、そしてW W 1と次から次へと戦わなければ、あっという間にふるい落とされいつ植民地にされてもおかしくないアジアの小国に転落してしまうという強迫観念が、最終的にはあれほどバカげた恐ろしい道にウチらを向かわせてしまったのだろう、と本当にどうしようもない、やるせない気持ちになりますね(´・_・`)
おりんと平太郎の関係性は、正直私が最も憧れる絆のかたちなのかもしれない、と思った。逃亡に疲れ切った平太郎にとって盲の宿命を背負いながら純粋で明るいおりんの存在はどれほどの救いで、喜びで、眩く輝いて見えたことだろう。その彼女を汚したことが許せずに別所を殺してしまったのも、仕方がないというか察するに余りある同情を覚えてしまった。実の親も知らず、育ててもらった親方から瞽女の座を追放されて、長く孤独にさすらってきたおりんが、人の温もりを得るためには体を交わすという手段しか知らなかったおりんが、初めて心と心の触れ合いがもたらすあたたかみを知ることができた、教えてくれた平太郎に依存していく気持ちも本当に手に取るように分かるよ(つД`) 兄と妹のように、本当の家族のように、あるいは恋人のように、夫婦のように、けれどその全てを超える繋がりが確かに二人の間にはあって。束の間でも一生消えない、少なくとも彼らは出会えただけで一生分の幸せを手にすることができたのではないか、と羨ましくなりました。やっぱり人間って哀しくて愛しいな・・・。
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