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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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Thank You』続き。不道徳要素を含みます。

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『マクシム・ヴァーノン氏 日本人令嬢と婚約』
『ヴァーノン商会 東洋への販路を大幅に拡大』
『真の国際調和に向けて――名家の新たな一歩 ミサキ・ヴァーノン夫人』

フェルナンが幾度となく握りしめ、破り捨てようとして思いとどまってきた新聞記事に並ぶ見出しは酷く大仰でわざとらしいものだ。急拡大する貿易額と移住者たちのコミュニティに対する警戒がささやかれる中、あえてこんな記事を一斉に載せ出した新聞社には、何らかの働きかけがあったと考えるしかない……我が兄ながら、全く卑劣ではないか。パサリとそれを投げ捨てて、フェルナンは爪を噛んだ。脇腹ではあれ、ヴァーノン家の邸宅に育ち男振りも良い彼を、周りの女性たちが放っておくことはもちろん無かった。適度に火遊びのようなことを仕掛けられたりもしてきたけれど、あの家で唯一自分を気にかけてくれた“家族”に、自ら紹介したのは海咲一人だけだ。その意味を、兄が察しなかったはずはないのに――何故今その彼女が、兄の腕の中で赤ん坊を抱いて微笑んでいる写真を見る羽目になったのか。

『近頃の世の中は東洋人への反発が増しているようだな……うちの商売にも、そのうち影響が出るかもしれない』

その言葉をマクシムの口から聴いたのは彼女を引き合わせた直後。誰よりも愛情と援助を受けてきたと信じる兄にそんな反応を返されれば、フェルナンは三日に一度訪れていた海咲の家へ足を向けることに呵責を感じざるを得なかった。初めは、こちらの言葉を教えてほしいと言われて――フェルナンによって少しずつこの地に馴染み、段々ときちんとした会話が成り立つようになっていく様が嬉しかった。いつも一族の味噌っかすで、教えられる立場、庇護される側だった彼が、ようやく導き守るものを得たような――加えて屋敷の主は異国人で、この地独特の重苦しい伝統やしがらみにも、彼女は縛られていなかったから。少女の傍は青年にとって、初めて感じる居心地の良い場所だったのだ。いつか己が兄に迷惑をかけずとも済むほど独り立ちできる日が来れば、そのころには兄もわかってくれるだろう。将来はあの丘の上に、きっと彼女を迎えに行きたい。だからそれまでは精一杯、家に、マクシムに尽くすのだ。いや増す忙しなさに目の回る日々を送りながら、フェルナンはこれまでの人生で最も真面目に兄を手伝い、ヴァーノンの仕事に精を出した。突然命じられた支社の開拓も、その夢への大きな一歩になるだろう、と……成功させれば一度くらい、訪うことを許されるだろう、と。そう信じて帰って来たのに。その時、故郷は名士と東洋人の結婚、公平なる実業家の合理的な決断に沸いていた。


~~~


『フェルナン・ギルモア氏 兄の商業主義を批判“彼は伝統ある一族の当主としての誇りを忘れている”』
『経済の東洋依存偏重を危惧――ギルモア社社長 実家に苦言か』

マクシムは開いていた新聞を閉じ、横で心配そうにこちらを見つめる妻に向かって微笑みかけた。酷く穏やかで品の良い、いつも彼女に対して作り上げるその顔を。

「大丈夫だ、ミサキ。あいつは幼いだけだ……いつか、くだらないことだと気付くさ」

彼がそう声をかければ、彼女はホッとしたように息を吐き出し、ゆるりと顔をほころばせた。ちょうどゆりかごの赤ん坊が小さく泣き声をあげ、慌ててそちらへ駆け寄っていく背は、未だ細く頼りない。その光景にこみ上げるのは、深い満足と優越感――本当に愚かだ、我が弟は。
マクシムが海咲との婚約を新聞に大きく書かせたのは、誰の目にも明らかなよう誇示するためだ。もう彼女は自分のものだと。それによって得る利益、神の御前での婚姻の契約、物理的にも精神的にも、もう離さないし、逃げられないのだと知らせるために。上流階級でありながら人種への蔑視を捨てた、として一部市民への人気は高まり、彼女を通じてアジアの国々へのコネクションが増えたことは確かだが、彼にとってそれはほんの副産物に過ぎない。周囲がそれを取り上げれば取り上げるほど、必然的にマクシムと海咲の結婚後、末席の成金ギルモア家に婿入りしたフェルナンとの亀裂は深まっていった。貴族の名を金で買ったギルモアは今やヴァーノンの商売上の敵となり、公明正大な取引・実利的販路の拡大を目指すヴァーノン商会とは対照的に、ギルモア社は人種による優遇制度・従来の価値観を守り抜く姿勢で逆に愛顧する客を掴みつつある。
フェルナンの妻・ギルモア家の一人娘はマクシムと結婚式のただ一度顔を合わせたことしかないが、肌が白いことと目の色の鮮やかさしか褒める箇所を見出せない、太ったトドのような女だった。昔から“本物”に囲まれてきた弟が、決して愛するはずがない――きっと彼は、心を残しているはずだ、今や兄の妻となった海咲に。マクシムは口端を上げた。証拠に、フェルナンはあの日以来一度も彼らの屋敷に顔を出しはしないではないか。マクシムと海咲が結ばれた日の、あの感情を一切排した茫洋たる虚無の瞳。おしゃべりな唇を引き結んで、賑やかな身振りすら全く見せない弟の姿を見るのは新鮮だった。おかしくてたまらず、同時に酷く興奮した。それはまるで、海咲と共にする褥の中で味わう快楽のように。彼女に対して普段は紳士的に仮面を張り付け続けるマクシムも、閨の中ではどうも本性に還ってしまうのだ。真っ赤に染まった目じりから潤んでこぼれ落ちる雫が肌を濡らした時、そして絹を裂くような声が、ぽたりと熱い紅色の狭間から鳴り響けば――酷く泣かせてしまいたくなる。そんな彼に、妻は時折怯えているのかもしれない。
自らが商売戦略のための道具と言われることをとても気に病んでいる海咲。フェルナンとの対立の原因を誤解し、自らを犠牲にしてでも兄弟の仲を修復させようと彼女は日々必死のようだ。ああ、こんなにもけなげで愛しいおまえを、私は決して手放すものか。たとえ何が起きようと、おまえは、おまえたち(・・・・・)はこの手に繋ぎ続けよう。


~~~


海咲がその男と突然の再会を果たしたのは、夫マクシムが彼女の故国へと旅立ったすぐ次の日の出来事だった。

「今日、君たちの婚姻を無効だと訴える裁判を起こしてきたよ」
 
応接間に現れるなり、まるで天気の話でもするかのように何気ない調子で告げた彼の瞳を、海咲は信じられない思いでじっと見つめた。

「フェルナン、どうして……? そんな酷いこと」
 
かつての友人、今は義弟となったはずの、苦い初恋の思い出。遠ざかってからも一体なぜ、彼は苦しめ続けるのか。

「酷いのはどっちだ!」

いつも明るく影を見せなかった青年の震える声に、彼女は目を見開いた。

「君はどうして、マクシムなんか選んだんだ!? あいつは君のことを道具としか思っちゃいない、アジアのことだって、商売上の狩り場としか見ていないんだ! 何故……どうして、よりによって」

俺の兄を――小さな呟きに、女はそれまで浮かべていた怯えを拭い去って不思議と凪いだ表情を浮かべた。

「いいえ、それは違う……。マクシムは私を想っている、あなたを弟として愛するのと同じくらい確かに。それに、……フェルナン、彼はあなたのお兄様だから」

一度言葉を区切った海咲を見つめる彼の瞳に、驚愕の色が乗る。

「あなたより私を、上手に愛せると思ったのよ」

海咲は告げて、底知れぬ深い眼差しをまっすぐに男へ向けた。マクシムは胸の内で下層の者や異人種・己と違うものを蔑みながら、それを気品という鎧で上手く覆い隠し、或いは時たまその隙間から覗く目で睨めつけることで、あえて見せつけるタイプの男だ。その上で“海咲だけ”にその鋼の手を取ることを許し、彼女に己を特別な存在だと感じさせてくれる。ところがフェルナンは、誰に対しても己の本心を隠さない。差別も偏見も全てをさらけ出しながら、露わになっているが故に“海咲自身”への好意を素直に受け入れてはくれなかった。海咲の方にもそんな彼の手を取ることへの抵抗が少なからず生まれてしまった。彼女は確かに東洋の血を継いでいるにも関わらず、異国での暮らしが長くなるに連れ、それを誇りに思う気持ちと嫌悪する気持ちの両方を育んできてしまったから。自分を失いたくない、自分ではないものになりたい、侮辱されると許せない、けれど特別に扱ってほしい。そんな彼女の我がままを、マクシムは上手に拾い上げた、ただそれだけのこと。

「……っ、クク、あはははは!」

彼女の話を黙って聞いていたフェルナンは唐突に身をかがめ、やがて激しく笑い出した。

「馬鹿だな、ミサキ。君は本当に愚かだ! ナンセンス、茶番だよ……だって俺は、あの人に育てられたんだ」

“上手に愛せる”人間が、今の俺のような男を生むと、君は本当に信じているの?――言われた言葉を、伸ばされた手を、海咲は拒むことができなかった。


~~~


「ねえ、ミサキ。今は髪の毛一本あれば、本当の父親がわかるんだって。その赤ん坊にそれをやったら、俺の起こした訴訟は必ずや有利になると思わない?」

過ぎた歳月は一年に満たない。世界を飛び回る主人の屋敷で、産声を上げた二人目の子供は人形のように整った顔をしていた。

「自らの立場と引き換えにして、やる価値があるとお思いなの?」
 
眠る子供を見つめたまま、彼女は義弟に返事を返した。

「そうだよ、それでも良い。俺はそれくらい、どうしても君が欲しい。……そしてあいつに、復讐したい」
 
ギラギラと燃える青年の瞳を、海咲は悲しく見つめるだけ。

「……あなたはやっぱり、上手に愛してはくれないのね」

己に似たところの無い、月足らずで生まれてきたはずの赤ん坊のふくよかな姿にマクシムは何も言わなかった。クルクルと巻かれた髪が“誰か”を思い起こさせても、長男への態度と変わらず次男にも良き父親であった。あまつさえ幼いころから有無を言わさず母国の名門校へと送り込んだ長男とは対照的に、次男には自由を与える寛容さを見せた。今、彼が通っている学校はギルモア家の近くにある。息子を訪ねるという名目で海咲が度々その小さなアパルトマンを訪っているのを、マクシムは確かに知っているはずだ。けれど、彼は何も言わない――ただあの優しい笑みを浮かべて、柔らかな棘を突き刺す微笑で、静かに妻を送り出すのだ。海咲は酷く苦しくなる、そして恐ろしいと、それでも彼女は止められない。捕らえられ、その策に乗った己と彼らの過ち――否、一体何が間違いだというのだろう、これは私たちの、誰もが満たされる正しい蜜の味ではないのか。そう思わせることこそがきっと、彼の“上手な愛し方”。陰湿でほの暗いその罠に、一度嵌ってしまったならば――誰も、どこへも脱け出せはしない。






後書き

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『マクシム・ヴァーノン氏 日本人令嬢と婚約』
『ヴァーノン商会 東洋への販路を大幅に拡大』
『真の国際調和に向けて――名家の新たな一歩 ミサキ・ヴァーノン夫人』

フェルナンが幾度となく握りしめ、破り捨てようとして思いとどまってきた新聞記事に並ぶ見出しは酷く大仰でわざとらしいものだ。急拡大する貿易額と移住者たちのコミュニティに対する警戒がささやかれる中、あえてこんな記事を一斉に載せ出した新聞社には、何らかの働きかけがあったと考えるしかない……我が兄ながら、全く卑劣ではないか。パサリとそれを投げ捨てて、フェルナンは爪を噛んだ。脇腹ではあれ、ヴァーノン家の邸宅に育ち男振りも良い彼を、周りの女性たちが放っておくことはもちろん無かった。適度に火遊びのようなことを仕掛けられたりもしてきたけれど、あの家で唯一自分を気にかけてくれた“家族”に、自ら紹介したのは海咲一人だけだ。その意味を、兄が察しなかったはずはないのに――何故今その彼女が、兄の腕の中で赤ん坊を抱いて微笑んでいる写真を見る羽目になったのか。

『近頃の世の中は東洋人への反発が増しているようだな……うちの商売にも、そのうち影響が出るかもしれない』

その言葉をマクシムの口から聴いたのは彼女を引き合わせた直後。誰よりも愛情と援助を受けてきたと信じる兄にそんな反応を返されれば、フェルナンは三日に一度訪れていた海咲の家へ足を向けることに呵責を感じざるを得なかった。初めは、こちらの言葉を教えてほしいと言われて――フェルナンによって少しずつこの地に馴染み、段々ときちんとした会話が成り立つようになっていく様が嬉しかった。いつも一族の味噌っかすで、教えられる立場、庇護される側だった彼が、ようやく導き守るものを得たような――加えて屋敷の主は異国人で、この地独特の重苦しい伝統やしがらみにも、彼女は縛られていなかったから。少女の傍は青年にとって、初めて感じる居心地の良い場所だったのだ。いつか己が兄に迷惑をかけずとも済むほど独り立ちできる日が来れば、そのころには兄もわかってくれるだろう。将来はあの丘の上に、きっと彼女を迎えに行きたい。だからそれまでは精一杯、家に、マクシムに尽くすのだ。いや増す忙しなさに目の回る日々を送りながら、フェルナンはこれまでの人生で最も真面目に兄を手伝い、ヴァーノンの仕事に精を出した。突然命じられた支社の開拓も、その夢への大きな一歩になるだろう、と……成功させれば一度くらい、訪うことを許されるだろう、と。そう信じて帰って来たのに。その時、故郷は名士と東洋人の結婚、公平なる実業家の合理的な決断に沸いていた。


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『フェルナン・ギルモア氏 兄の商業主義を批判“彼は伝統ある一族の当主としての誇りを忘れている”』
『経済の東洋依存偏重を危惧――ギルモア社社長 実家に苦言か』

マクシムは開いていた新聞を閉じ、横で心配そうにこちらを見つめる妻に向かって微笑みかけた。酷く穏やかで品の良い、いつも彼女に対して作り上げるその顔を。

「大丈夫だ、ミサキ。あいつは幼いだけだ……いつか、くだらないことだと気付くさ」

彼がそう声をかければ、彼女はホッとしたように息を吐き出し、ゆるりと顔をほころばせた。ちょうどゆりかごの赤ん坊が小さく泣き声をあげ、慌ててそちらへ駆け寄っていく背は、未だ細く頼りない。その光景にこみ上げるのは、深い満足と優越感――本当に愚かだ、我が弟は。
マクシムが海咲との婚約を新聞に大きく書かせたのは、誰の目にも明らかなよう誇示するためだ。もう彼女は自分のものだと。それによって得る利益、神の御前での婚姻の契約、物理的にも精神的にも、もう離さないし、逃げられないのだと知らせるために。上流階級でありながら人種への蔑視を捨てた、として一部市民への人気は高まり、彼女を通じてアジアの国々へのコネクションが増えたことは確かだが、彼にとってそれはほんの副産物に過ぎない。周囲がそれを取り上げれば取り上げるほど、必然的にマクシムと海咲の結婚後、末席の成金ギルモア家に婿入りしたフェルナンとの亀裂は深まっていった。貴族の名を金で買ったギルモアは今やヴァーノンの商売上の敵となり、公明正大な取引・実利的販路の拡大を目指すヴァーノン商会とは対照的に、ギルモア社は人種による優遇制度・従来の価値観を守り抜く姿勢で逆に愛顧する客を掴みつつある。
フェルナンの妻・ギルモア家の一人娘はマクシムと結婚式のただ一度顔を合わせたことしかないが、肌が白いことと目の色の鮮やかさしか褒める箇所を見出せない、太ったトドのような女だった。昔から“本物”に囲まれてきた弟が、決して愛するはずがない――きっと彼は、心を残しているはずだ、今や兄の妻となった海咲に。マクシムは口端を上げた。証拠に、フェルナンはあの日以来一度も彼らの屋敷に顔を出しはしないではないか。マクシムと海咲が結ばれた日の、あの感情を一切排した茫洋たる虚無の瞳。おしゃべりな唇を引き結んで、賑やかな身振りすら全く見せない弟の姿を見るのは新鮮だった。おかしくてたまらず、同時に酷く興奮した。それはまるで、海咲と共にする褥の中で味わう快楽のように。彼女に対して普段は紳士的に仮面を張り付け続けるマクシムも、閨の中ではどうも本性に還ってしまうのだ。真っ赤に染まった目じりから潤んでこぼれ落ちる雫が肌を濡らした時、そして絹を裂くような声が、ぽたりと熱い紅色の狭間から鳴り響けば――酷く泣かせてしまいたくなる。そんな彼に、妻は時折怯えているのかもしれない。
自らが商売戦略のための道具と言われることをとても気に病んでいる海咲。フェルナンとの対立の原因を誤解し、自らを犠牲にしてでも兄弟の仲を修復させようと彼女は日々必死のようだ。ああ、こんなにもけなげで愛しいおまえを、私は決して手放すものか。たとえ何が起きようと、おまえは、おまえたち(・・・・・)はこの手に繋ぎ続けよう。


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海咲がその男と突然の再会を果たしたのは、夫マクシムが彼女の故国へと旅立ったすぐ次の日の出来事だった。

「今日、君たちの婚姻を無効だと訴える裁判を起こしてきたよ」
 
応接間に現れるなり、まるで天気の話でもするかのように何気ない調子で告げた彼の瞳を、海咲は信じられない思いでじっと見つめた。

「フェルナン、どうして……? そんな酷いこと」
 
かつての友人、今は義弟となったはずの、苦い初恋の思い出。遠ざかってからも一体なぜ、彼は苦しめ続けるのか。

「酷いのはどっちだ!」

いつも明るく影を見せなかった青年の震える声に、彼女は目を見開いた。

「君はどうして、マクシムなんか選んだんだ!? あいつは君のことを道具としか思っちゃいない、アジアのことだって、商売上の狩り場としか見ていないんだ! 何故……どうして、よりによって」

俺の兄を――小さな呟きに、女はそれまで浮かべていた怯えを拭い去って不思議と凪いだ表情を浮かべた。

「いいえ、それは違う……。マクシムは私を想っている、あなたを弟として愛するのと同じくらい確かに。それに、……フェルナン、彼はあなたのお兄様だから」

一度言葉を区切った海咲を見つめる彼の瞳に、驚愕の色が乗る。

「あなたより私を、上手に愛せると思ったのよ」

海咲は告げて、底知れぬ深い眼差しをまっすぐに男へ向けた。マクシムは胸の内で下層の者や異人種・己と違うものを蔑みながら、それを気品という鎧で上手く覆い隠し、或いは時たまその隙間から覗く目で睨めつけることで、あえて見せつけるタイプの男だ。その上で“海咲だけ”にその鋼の手を取ることを許し、彼女に己を特別な存在だと感じさせてくれる。ところがフェルナンは、誰に対しても己の本心を隠さない。差別も偏見も全てをさらけ出しながら、露わになっているが故に“海咲自身”への好意を素直に受け入れてはくれなかった。海咲の方にもそんな彼の手を取ることへの抵抗が少なからず生まれてしまった。彼女は確かに東洋の血を継いでいるにも関わらず、異国での暮らしが長くなるに連れ、それを誇りに思う気持ちと嫌悪する気持ちの両方を育んできてしまったから。自分を失いたくない、自分ではないものになりたい、侮辱されると許せない、けれど特別に扱ってほしい。そんな彼女の我がままを、マクシムは上手に拾い上げた、ただそれだけのこと。

「……っ、クク、あはははは!」

彼女の話を黙って聞いていたフェルナンは唐突に身をかがめ、やがて激しく笑い出した。

「馬鹿だな、ミサキ。君は本当に愚かだ! ナンセンス、茶番だよ……だって俺は、あの人に育てられたんだ」

“上手に愛せる”人間が、今の俺のような男を生むと、君は本当に信じているの?――言われた言葉を、伸ばされた手を、海咲は拒むことができなかった。


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「ねえ、ミサキ。今は髪の毛一本あれば、本当の父親がわかるんだって。その赤ん坊にそれをやったら、俺の起こした訴訟は必ずや有利になると思わない?」

過ぎた歳月は一年に満たない。世界を飛び回る主人の屋敷で、産声を上げた二人目の子供は人形のように整った顔をしていた。

「自らの立場と引き換えにして、やる価値があるとお思いなの?」
 
眠る子供を見つめたまま、彼女は義弟に返事を返した。

「そうだよ、それでも良い。俺はそれくらい、どうしても君が欲しい。……そしてあいつに、復讐したい」
 
ギラギラと燃える青年の瞳を、海咲は悲しく見つめるだけ。

「……あなたはやっぱり、上手に愛してはくれないのね」

己に似たところの無い、月足らずで生まれてきたはずの赤ん坊のふくよかな姿にマクシムは何も言わなかった。クルクルと巻かれた髪が“誰か”を思い起こさせても、長男への態度と変わらず次男にも良き父親であった。あまつさえ幼いころから有無を言わさず母国の名門校へと送り込んだ長男とは対照的に、次男には自由を与える寛容さを見せた。今、彼が通っている学校はギルモア家の近くにある。息子を訪ねるという名目で海咲が度々その小さなアパルトマンを訪っているのを、マクシムは確かに知っているはずだ。けれど、彼は何も言わない――ただあの優しい笑みを浮かべて、柔らかな棘を突き刺す微笑で、静かに妻を送り出すのだ。海咲は酷く苦しくなる、そして恐ろしいと、それでも彼女は止められない。捕らえられ、その策に乗った己と彼らの過ち――否、一体何が間違いだというのだろう、これは私たちの、誰もが満たされる正しい蜜の味ではないのか。そう思わせることこそがきっと、彼の“上手な愛し方”。陰湿でほの暗いその罠に、一度嵌ってしまったならば――誰も、どこへも脱け出せはしない。






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