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前編(男視点)→
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初めはただの諦めだった。
泥沼となっていた戦の終わり、敵国の兵に襲い掛かられ、殴られ、蹴られ最早これまでかと思っていた時――その男が、女の前に現れた。
父が戦場から戻らぬこと、病と飢えの中死んでいった母のこと、目の前で焼け落ちた家とその中にいたはずの弟や妹のこと、都の荒廃、少しでも使えるものがないかと忍び込んだ邸のがらんどうに愕然としたこと、そこで襲われたこと。全てが恐ろしく惨めで哀しかったはずなのに、同時に霞がかかったように遠い記憶のようにも感じる。目を開けた時、そこにいたのは彼だった。あの残虐な攻撃の司令官、敵国の王族。その男に、彼女は命を救われたのだ。どうして、抵抗などできようか。自分は全てを失ったのに。
「指のヤケドは治らぬか」
「指のヤケドは治らぬか」
品定めをするように女の全身を改めて、男はわずかに眉を顰めた。彼が彼女の元を訪うのも、抱くことですら彼にとっては道具の確認、検査のようなものではないかと思っている。
「いいえ、これは元々あったものなのです。私の父は薬師をしておりまして、幼い頃その手伝いでし損じてしまったものなのです」
「ほう、薬師? かの国の薬草は名の高いものだと聞くが」
興味深そうに尋ねる男に、女はかすかに、以前の暮らしを思い出して頬をゆるめた。
「ええ、我が家でも使う草は全て、自ら育てておりました」
懐かしい、今はもう戻らぬ日々を。
それから彼が、庭付きの館を与えると言い出した時――彼女は戦慄と共に悟った。己は試されているのだ、失敗するか、機会を掴むか。女は必死だった、男の役に立とうと、必要とされようと。それは全て、生きることに繋がるから。
「この薬を作れるか? あと五日ほどで用意してほしい」
「まぁ……ええ、やってみます。ご期待に添えるかはわかりませんが」
例えそれが毒の精製であったとしても、女は決して断らなかった。
「そう言って、できなかったことは一度も無いな。おまえがいて本当に良かった」
背後から彼女を抱きしめ、髪に唇を寄せる男の温もりにいつの間にか慣れ切ってしまった。これは何だろう? 彼は自分を利用し、己は彼に自分を利用できる存在だと誇示し――生きるために、必要なことだろうか、本当に? 今でも時たま、死んでいった家族の顔が、滅んでしまった故国の姿が脳裏をよぎる時がある。その度に、これはただの、ただの裏切りではないのか、と彼女の心は千々に乱れる。張り裂けそうな胸の痛みを気取られぬように、女は強く、男の腕を握りしめた。
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「王宮に来い、外の連中は説得する」
告げた男の目はいつになく不安に揺れ動いていた。彼は寂しいのだ、苦しいのだ、疲れているのだ。今に、この関係に、これからの全てに。けれど女を求めざるを得ない。そして彼女は、彼に抗えない――王位を得るまでの命をかけた権謀術数。利用するための駒を、いつしか切り捨てられなくなったこと。気づいた時には二人とも、血塗れの道に浸っていたこと。せっかく初めに、綺麗にしたのに。綺麗にしたから、自分のものだと思ったのに。ならば一言でも、この口から言葉を出せば。願いをかたちにしたとすれば、心は軽くなるだろうか。この男が一人で背負い込んでしまったものを、女に与えてはくれなかったものを、分け与える気になるだろうか。望んだわけではない、けれど受け入れることを、いつだって心から拒みはしなかった。してこなかったのだ――ようやく今、認められた。
「確かにあなたと、この国の方々に尽くしましょう。けれど私は私自身にしかなれません。ですから、どうか」
我が国を――
我が国を――
この願いに重ねられた想いが、いつかあなたに伝わると良い。女はまたあの日と同じ、哀しい瞳で笑みを浮かべた。
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初めはただの諦めだった。
泥沼となっていた戦の終わり、敵国の兵に襲い掛かられ、殴られ、蹴られ最早これまでかと思っていた時――その男が、女の前に現れた。
父が戦場から戻らぬこと、病と飢えの中死んでいった母のこと、目の前で焼け落ちた家とその中にいたはずの弟や妹のこと、都の荒廃、少しでも使えるものがないかと忍び込んだ邸のがらんどうに愕然としたこと、そこで襲われたこと。全てが恐ろしく惨めで哀しかったはずなのに、同時に霞がかかったように遠い記憶のようにも感じる。目を開けた時、そこにいたのは彼だった。あの残虐な攻撃の司令官、敵国の王族。その男に、彼女は命を救われたのだ。どうして、抵抗などできようか。自分は全てを失ったのに。
「指のヤケドは治らぬか」
「指のヤケドは治らぬか」
品定めをするように女の全身を改めて、男はわずかに眉を顰めた。彼が彼女の元を訪うのも、抱くことですら彼にとっては道具の確認、検査のようなものではないかと思っている。
「いいえ、これは元々あったものなのです。私の父は薬師をしておりまして、幼い頃その手伝いでし損じてしまったものなのです」
「ほう、薬師? かの国の薬草は名の高いものだと聞くが」
興味深そうに尋ねる男に、女はかすかに、以前の暮らしを思い出して頬をゆるめた。
「ええ、我が家でも使う草は全て、自ら育てておりました」
懐かしい、今はもう戻らぬ日々を。
それから彼が、庭付きの館を与えると言い出した時――彼女は戦慄と共に悟った。己は試されているのだ、失敗するか、機会を掴むか。女は必死だった、男の役に立とうと、必要とされようと。それは全て、生きることに繋がるから。
「この薬を作れるか? あと五日ほどで用意してほしい」
「まぁ……ええ、やってみます。ご期待に添えるかはわかりませんが」
例えそれが毒の精製であったとしても、女は決して断らなかった。
「そう言って、できなかったことは一度も無いな。おまえがいて本当に良かった」
背後から彼女を抱きしめ、髪に唇を寄せる男の温もりにいつの間にか慣れ切ってしまった。これは何だろう? 彼は自分を利用し、己は彼に自分を利用できる存在だと誇示し――生きるために、必要なことだろうか、本当に? 今でも時たま、死んでいった家族の顔が、滅んでしまった故国の姿が脳裏をよぎる時がある。その度に、これはただの、ただの裏切りではないのか、と彼女の心は千々に乱れる。張り裂けそうな胸の痛みを気取られぬように、女は強く、男の腕を握りしめた。
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「王宮に来い、外の連中は説得する」
告げた男の目はいつになく不安に揺れ動いていた。彼は寂しいのだ、苦しいのだ、疲れているのだ。今に、この関係に、これからの全てに。けれど女を求めざるを得ない。そして彼女は、彼に抗えない――王位を得るまでの命をかけた権謀術数。利用するための駒を、いつしか切り捨てられなくなったこと。気づいた時には二人とも、血塗れの道に浸っていたこと。せっかく初めに、綺麗にしたのに。綺麗にしたから、自分のものだと思ったのに。ならば一言でも、この口から言葉を出せば。願いをかたちにしたとすれば、心は軽くなるだろうか。この男が一人で背負い込んでしまったものを、女に与えてはくれなかったものを、分け与える気になるだろうか。望んだわけではない、けれど受け入れることを、いつだって心から拒みはしなかった。してこなかったのだ――ようやく今、認められた。
「確かにあなたと、この国の方々に尽くしましょう。けれど私は私自身にしかなれません。ですから、どうか」
我が国を――
我が国を――
この願いに重ねられた想いが、いつかあなたに伝わると良い。女はまたあの日と同じ、哀しい瞳で笑みを浮かべた。
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