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引きこもりは親の死後より自分の死を真剣に考えてみるべき。
と、某記事読んでて思った。だって生きていけないなら死ぬしかないじゃん? てか生きていくことが怖いor自分にその能力がないと判断して引きこもってるわけでしょ? じゃあ自分を処分しないと。私はそう考えてました。死を考えるにあたり何をするか?やり残したこと→①読書。本代たっけえぇ!となってブクオフ巡り開始。これだけで外に出る回数は上がるよね。あとは、全く違う世界・時代・価値観の人物の物語に触れられることは自分の視野や感情の幅を広げてくれるし、新書だろうが新聞だろうが知識を得ることで何かが変わるかもしれない。発想や年代・趣味が近い層が固まりがちなネットのSNSやブログコメ、掲示板ではできない経験です。
更に②友人たちへの挨拶。たくさん不義理をした分、ある程度の人には正直に打ち明けるor最後に連絡くらいはしておくべきだと思った。だからしばらく連絡取ってなかった子に連絡して、お互い何か色々あったことが分かり合えたり、純粋に楽しかった記憶を思い出せたり。打ち明けた子たちの反応は様々でした。「あなたがもう生きる価値がないと考えていても、私にはあなたが必要だから私のために生きて」と言ってくれた子。「世の中には善悪なんてないから自殺は全くおかしくないと思う」と前置きした上で「でも死ぬのは物凄くエネルギーを使うから、その力があればきっと何でもできる。一つの環境にしか身を置かずにその答えを出したなら、とりあえず他の環境に飛び込んでみろ」と喝を入れてくれた子。自分自身が遺書を書いた経験がある子でした。あとは「何もかも自分で終わらせてきてしまったから、自分の命だけは自分で終わらせないと決めてる」という、同じように自分の心と向き合えずに悩んできた子の言葉。必死で引き止めたり、前に背中を押してくれる友人たちがいなかったら脱ヒキ決意できてませんでした。
ヒキに疲れきっている家族は「あっそう、じゃあさっさと死ね」「ボランティアでも何でも良いから日中出かけてくれないか」のどちらかの反応なんで、気持ちは痛いほど理解できるけれど、とても胸には響きません。できるものならやってるけどできないからヒキってんじゃん、って萎える結果にしかならない。だから私、脱ヒキは本人の意思がないと意味ないし本当の意味で何も始めることはできないと思う。ヒキ支援施設転々としたり、ぶり返し悪化ということも多々あるので・・・。あとね一番大事なのは③手段を探すこと。確実な方法は限られていて、場所の選定と道具の入手は籠りっきりでは正直言って難しい。結果として、死ぬ労力の凄まじさに尻込みしちゃうんですよ。死ねないなら生きなきゃいけないから、何か手段を考える。脱ヒキに1番よい方法はこれじゃないかな?
親の死がいつか来るものだということはわかってるし、でも人の死なんてその時が来るまで実感が湧きませんし煩雑さの想像もつきません。(ヒキならなおさらそうだと思う)だから、そんなことでは誘き出せない。皆で死のう講座とかいっそヒキ向け終活キャンペーンでもやったら良いんじゃないかな? あらゆる方面から叩かれそうだけど(´∀`)
私、仕事の愚痴ばっか書いてますがどんなかたちであれフルタイムで勤め始めたこと自体は本当に良かったと感じています。途中父が死んだこと、様々な世代の色々な人生を歩んで来られた、異なる価値観を持った方々に、同僚としてお客さんとして関わらせてもらえたこと。全てが良いことばかりではないけれど、人間同士比べる必要は ないし無意味なんだって実感できた。ムカつくこともあるけど、そこまでして生きようとする人間様のバイタリティにもある意味で感動する。私は、未だにどうやっても早く消えたい願望が消えないから( ´ー`)
妹と同い年の子に、おめでたい席で感じた切なさつらさを打ち明けられる。母親くらいの同僚にAセクだという話と、結婚と子供を諦めている話を聞いてもらう。父が死んだ時に心配はしつつもサラッと流してもらえたのもありがたかったです。少人数の職場だったら、とか親亡くした経験ある人少ない世代構成、ぶっちゃけ人の死ネタに慣れていない仕事内容だったら、って想像するとゾッとする(*_*;
ヒキっているから不幸でも、親が死んだから不幸でも、病気だから不幸なわけでもない。健康で孫子がいるから幸せなわけでもない。長生きでも早死にでも、きっと本人にしか判断できないわけで、色々な不幸・悲しみ・喜び・幸せがあって誰一人として同じ生は生きられないから。当たり前だけど、そういうことを公私両面で学べただけでも、私は社会?に混じらせてもらって良かったと思っています。
更に②友人たちへの挨拶。たくさん不義理をした分、ある程度の人には正直に打ち明けるor最後に連絡くらいはしておくべきだと思った。だからしばらく連絡取ってなかった子に連絡して、お互い何か色々あったことが分かり合えたり、純粋に楽しかった記憶を思い出せたり。打ち明けた子たちの反応は様々でした。「あなたがもう生きる価値がないと考えていても、私にはあなたが必要だから私のために生きて」と言ってくれた子。「世の中には善悪なんてないから自殺は全くおかしくないと思う」と前置きした上で「でも死ぬのは物凄くエネルギーを使うから、その力があればきっと何でもできる。一つの環境にしか身を置かずにその答えを出したなら、とりあえず他の環境に飛び込んでみろ」と喝を入れてくれた子。自分自身が遺書を書いた経験がある子でした。あとは「何もかも自分で終わらせてきてしまったから、自分の命だけは自分で終わらせないと決めてる」という、同じように自分の心と向き合えずに悩んできた子の言葉。必死で引き止めたり、前に背中を押してくれる友人たちがいなかったら脱ヒキ決意できてませんでした。
ヒキに疲れきっている家族は「あっそう、じゃあさっさと死ね」「ボランティアでも何でも良いから日中出かけてくれないか」のどちらかの反応なんで、気持ちは痛いほど理解できるけれど、とても胸には響きません。できるものならやってるけどできないからヒキってんじゃん、って萎える結果にしかならない。だから私、脱ヒキは本人の意思がないと意味ないし本当の意味で何も始めることはできないと思う。ヒキ支援施設転々としたり、ぶり返し悪化ということも多々あるので・・・。あとね一番大事なのは③手段を探すこと。確実な方法は限られていて、場所の選定と道具の入手は籠りっきりでは正直言って難しい。結果として、死ぬ労力の凄まじさに尻込みしちゃうんですよ。死ねないなら生きなきゃいけないから、何か手段を考える。脱ヒキに1番よい方法はこれじゃないかな?
親の死がいつか来るものだということはわかってるし、でも人の死なんてその時が来るまで実感が湧きませんし煩雑さの想像もつきません。(ヒキならなおさらそうだと思う)だから、そんなことでは誘き出せない。皆で死のう講座とかいっそヒキ向け終活キャンペーンでもやったら良いんじゃないかな? あらゆる方面から叩かれそうだけど(´∀`)
私、仕事の愚痴ばっか書いてますがどんなかたちであれフルタイムで勤め始めたこと自体は本当に良かったと感じています。途中父が死んだこと、様々な世代の色々な人生を歩んで来られた、異なる価値観を持った方々に、同僚としてお客さんとして関わらせてもらえたこと。全てが良いことばかりではないけれど、人間同士比べる必要は ないし無意味なんだって実感できた。ムカつくこともあるけど、そこまでして生きようとする人間様のバイタリティにもある意味で感動する。私は、未だにどうやっても早く消えたい願望が消えないから( ´ー`)
妹と同い年の子に、おめでたい席で感じた切なさつらさを打ち明けられる。母親くらいの同僚にAセクだという話と、結婚と子供を諦めている話を聞いてもらう。父が死んだ時に心配はしつつもサラッと流してもらえたのもありがたかったです。少人数の職場だったら、とか親亡くした経験ある人少ない世代構成、ぶっちゃけ人の死ネタに慣れていない仕事内容だったら、って想像するとゾッとする(*_*;
ヒキっているから不幸でも、親が死んだから不幸でも、病気だから不幸なわけでもない。健康で孫子がいるから幸せなわけでもない。長生きでも早死にでも、きっと本人にしか判断できないわけで、色々な不幸・悲しみ・喜び・幸せがあって誰一人として同じ生は生きられないから。当たり前だけど、そういうことを公私両面で学べただけでも、私は社会?に混じらせてもらって良かったと思っています。
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更に②友人たちへの挨拶。たくさん不義理をした分、ある程度の人には正直に打ち明けるor最後に連絡くらいはしておくべきだと思った。だからしばらく連絡取ってなかった子に連絡して、お互い何か色々あったことが分かり合えたり、純粋に楽しかった記憶を思い出せたり。打ち明けた子たちの反応は様々でした。「あなたがもう生きる価値がないと考えていても、私にはあなたが必要だから私のために生きて」と言ってくれた子。「世の中には善悪なんてないから自殺は全くおかしくないと思う」と前置きした上で「でも死ぬのは物凄くエネルギーを使うから、その力があればきっと何でもできる。一つの環境にしか身を置かずにその答えを出したなら、とりあえず他の環境に飛び込んでみろ」と喝を入れてくれた子。自分自身が遺書を書いた経験がある子でした。あとは「何もかも自分で終わらせてきてしまったから、自分の命だけは自分で終わらせないと決めてる」という、同じように自分の心と向き合えずに悩んできた子の言葉。必死で引き止めたり、前に背中を押してくれる友人たちがいなかったら脱ヒキ決意できてませんでした。
ヒキに疲れきっている家族は「あっそう、じゃあさっさと死ね」「ボランティアでも何でも良いから日中出かけてくれないか」のどちらかの反応なんで、気持ちは痛いほど理解できるけれど、とても胸には響きません。できるものならやってるけどできないからヒキってんじゃん、って萎える結果にしかならない。だから私、脱ヒキは本人の意思がないと意味ないし本当の意味で何も始めることはできないと思う。ヒキ支援施設転々としたり、ぶり返し悪化ということも多々あるので・・・。あとね一番大事なのは③手段を探すこと。確実な方法は限られていて、場所の選定と道具の入手は籠りっきりでは正直言って難しい。結果として、死ぬ労力の凄まじさに尻込みしちゃうんですよ。死ねないなら生きなきゃいけないから、何か手段を考える。脱ヒキに1番よい方法はこれじゃないかな?
親の死がいつか来るものだということはわかってるし、でも人の死なんてその時が来るまで実感が湧きませんし煩雑さの想像もつきません。(ヒキならなおさらそうだと思う)だから、そんなことでは誘き出せない。皆で死のう講座とかいっそヒキ向け終活キャンペーンでもやったら良いんじゃないかな? あらゆる方面から叩かれそうだけど(´∀`)
私、仕事の愚痴ばっか書いてますがどんなかたちであれフルタイムで勤め始めたこと自体は本当に良かったと感じています。途中父が死んだこと、様々な世代の色々な人生を歩んで来られた、異なる価値観を持った方々に、同僚としてお客さんとして関わらせてもらえたこと。全てが良いことばかりではないけれど、人間同士比べる必要は ないし無意味なんだって実感できた。ムカつくこともあるけど、そこまでして生きようとする人間様のバイタリティにもある意味で感動する。私は、未だにどうやっても早く消えたい願望が消えないから( ´ー`)
妹と同い年の子に、おめでたい席で感じた切なさつらさを打ち明けられる。母親くらいの同僚にAセクだという話と、結婚と子供を諦めている話を聞いてもらう。父が死んだ時に心配はしつつもサラッと流してもらえたのもありがたかったです。少人数の職場だったら、とか親亡くした経験ある人少ない世代構成、ぶっちゃけ人の死ネタに慣れていない仕事内容だったら、って想像するとゾッとする(*_*;
ヒキっているから不幸でも、親が死んだから不幸でも、病気だから不幸なわけでもない。健康で孫子がいるから幸せなわけでもない。長生きでも早死にでも、きっと本人にしか判断できないわけで、色々な不幸・悲しみ・喜び・幸せがあって誰一人として同じ生は生きられないから。当たり前だけど、そういうことを公私両面で学べただけでも、私は社会?に混じらせてもらって良かったと思っています。
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