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「ハナ、おまえF高受けんの?」
自分とは脳みその出来が違う三人に囲まれた妹も同然の幼なじみを前に
一人蚊帳の外だった俺が席を外して戻ってくると、彼女の姉と
俺の弟の“生徒”は既に彼らの後輩の少女へと移っていた。
一通り宿題を終え、ソファの上で小休止、というようにアイスティーを
口にする花香の姿に、俺はふと抱いていた問いを投げかけた。
「うん、今のところは……第一志望に書いてるよ、一応」
ポツリと返ってきた返事に、そっと視線を滑らせる。
花香の見つめる先には、彼女の第一志望校に通う三人。
月子と、弟と、その彼女。
月子と、弟と、その彼女。
俺は気づいていた。俺たちの関係が不自然な歪みを生じていることに。
そしてその切欠を生みだしたのは、紛れもなく自分なのだということに。
「そっか、じゃあ俺一人ぼっちかー。
なぁんだ、花香だけはうちの高校に来てくれるかと思ったのに、つまんねぇの」
誤魔化すように頭を撫でた俺の言葉に、花香は困ったように微笑んだ。
「だって、紅登くんのとこ私立じゃない。
紅登くんはスポーツ特待生だからいいかもしれないけど、ウチじゃ学費払えないよ。
紅登くんはスポーツ特待生だからいいかもしれないけど、ウチじゃ学費払えないよ。
大体わたしが入るころにはもう紅登くん卒業しちゃってるじゃん!」
「それもそうだな。……まぁ頑張れよ、F高受験」
違う、本当に言いたかったのはこんな言葉じゃない。
おまえは良いのか?
F高に行ったら、いつでもあの三人を見ていなければならなくなる。
おまえは良いのか?
F高に行ったら、いつでもあの三人を見ていなければならなくなる。
辛くないのか? 想い人と、その彼女と、それから――
「紅登! なに花香のこと勧誘してんの!?
やめてよね、私たち花香が来てくれるの楽しみに待ってるんだから!」
険のある声音にムッとしてそちらを見返せば、
花香の姉である月子が俺のことをじっと睨みつけていた。
美人が怒ると怖いとは言うが、俺は昔からこの顔を見慣れてしまったせいで、
今は“あぁ、いつもの月子だな”という思いしか感じない。
俺はずっと、月子を怒らせることしかできなかったから。
弟のように穏やかに月子と笑い合ったり、熱心に話し込んだりすることは一度も無かった。
だから、あのやけっぱちのような告白に何故月子が頷いてくれたのか、
一年が経つ今でも時たま分からなくなる。
もしかして月子は、花香の気持ちを知っていたのではないだろうか?
妹思いの彼女のことだ、花香のために、
“本当に好きだった相手”を遠ざけようと俺を選んだのではないか?
月子と並んで座る弟の方をそっと見やる。俺とは何もかもが異なる青斗。
他人を惹きつける、俺に無いものばかりを備えた一つ年下の弟。
弟に彼女が出来たと聞いたとき、正直言って俺は慌てた。
それでは全てが台無しになるではないか、月子の思いも、花香の想いも――
そこまで考えて、結局ことの発端を作った張本人が自分だという事実に気づいた。
俺があのとき告白をしなかったら、同じ高校に進んだ二人は、
いつの日か結ばれていたのかもしれない。
花香だって、もっと早く気持ちをふっ切ることができただろう。
それを、俺が……!
「ハナ、無理すんなよ? 俺だけは、解ってるから……」
自分の気持ちを誤魔化すように、今度は花香の柔らかな髪の毛を
グシャグシャと掻き混ぜる。
グシャグシャと掻き混ぜる。
俺の言葉に花香は一瞬泣き出しそうに顔を歪め、小さくコクリと頷いた。
「あっ、なに花香の髪グチャグチャにしてんのよ!?
もういい、ちょっとこっち来なさい、花香! 紅登の傍にいると馬鹿菌が移る!」
そんな俺たちの様子に目ざとく声を上げた月子の可愛げの無い一言が、
二人の間に漂うどこか重苦しい、そして切ない空気を遮断する。
「誰が馬鹿菌だよ!? おまえだって体育3のくせして!」
何事も無かったかのように怒鳴り返した自分に、ほとほと嫌気が差して胸が焼けた。
いつまでもこのままじゃいけない。そう思っているのに、俺は彼女を手放せない。
自らの手で汚してしまったパレットを、洗い流す勇気が持てないのだ。
情けないやつだと、嗤いたいなら嗤ってほしい。そうして俺を罰してくれ。
俺から月子を、奪い取ってやってくれ。早く気づけよ。なぁ、青斗……。
→Yellow
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お隣に住む紅登(くれと)くん、青斗(あおと)くん兄弟とわたしたち姉妹は幼なじみだ。
高校三年生の紅登くん、高校二年生の青斗くんと姉、そして中学三年生のわたし。
いささか単純で直情的ではあるがスポーツ万能で兄貴肌の紅登くん。
紅登くんに比べると穏やかで優しい物腰の、優等生として名が通っている青斗くん。
頭脳明晰、容姿端麗、“才色兼備の高嶺の花”と周囲から持て囃されている姉の月子。
そして、容姿も勉強も運動も特に秀でたところの無い、ただ絵を描くことだけが好きなわたし。
皆はわたしを“一番年下の女の子”として可愛がってくれるし、
わたしも三人のことが大好きだが、時折苦しくなることがある。
そう、それは例えば、彼の切なく愛しげな眼差しを見たときに――
「それでね、ここをXに代入すると答えが出る」
「うん、分かった。ありがとう、お姉ちゃん」
「お、ハナってば勉強してやんの。月子の解説って理解できるわけ?」
「紅登、それは失礼だよ。オレ、この間も月子に勝てなかったんだから」
いつもの我が家のリビング。
優秀な姉と幼なじみに宿題を見てもらう、受験生のわたし。
まるで自分の家のように我が家に入り浸っている幼なじみの二人。
そしてそのうちの一人の言葉に眉根を寄せる、美しい姉。
変り映えのしない風景。相変わらずの会話。
「紅登、あんたのその言葉、私への挑戦と受け取ったわよ!?
数学だって英語だって、高校の範囲じゃ絶対あんたに引けを取らないと思うわ」
「ハッ! 年下が生意気言ってんじゃねぇよ。いくらF高だからって……」
ああ、また始まった。わたしと青斗くんは顔を見合せて苦笑する。
それだけの行為が、難しくなってしまったのはいつからだったのだろう?
小さなパレットの上に行儀良く並んでいたはずの絵具が、
グチャグチャと汚らしく混ざり始めたのは。
グチャグチャと汚らしく混ざり始めたのは。
強張った顔の筋肉を必死に持ち上げ、わたしは密かに溜息を吐く。
今日はきちんと笑えていただろうか? まだわたしは、隠し通せているだろうか?
「じゃあハナ、次は社会やろっか?
オレは文系の方が得意だから、見てあげられるよ」
オレは文系の方が得意だから、見てあげられるよ」
「うん、じゃあお願いします」
わたしが差し出したテキストに視線を移す前の刹那、姉へと向けられた切れ長の瞳。
わたしは、それを見るのが何よりつらい。
わたしは、それを見るのが何よりつらい。
わたしが好きな青斗くんは、姉に無自覚の恋をしている。
姉は、幼い頃から青斗くんと仲が良かった。同い年ということもあって
二人は常に一緒にいたし、共に頭脳派の二人は会話のテンポもよく合った。
二人は常に一緒にいたし、共に頭脳派の二人は会話のテンポもよく合った。
学校でも皆が、二人は付き合っているのだ、と思い込んでいた。
ところが実際は違った。姉は、おそらくはずっと昔から、
喧嘩ばかりしていた紅登くんが好きだった。そして紅登くんもまた……。
喧嘩ばかりしていた紅登くんが好きだった。そして紅登くんもまた……。
正反対な気性の上、負けず嫌いが災いしてか互いに中々素直になれず、
遠回りをした二人がようやく付き合い出したのは一年前。
硬派で頑固な紅登くんと、意外とシャイなところのある姉は
身内にそういった部分を見せるのは恥ずかしいのか、四人でいるときは
付き合う前と何ら変わらない、くだらない喧嘩友達のような関係を崩さずにいる。
身内にそういった部分を見せるのは恥ずかしいのか、四人でいるときは
付き合う前と何ら変わらない、くだらない喧嘩友達のような関係を崩さずにいる。
けれどわたしは気づいている。そしてきっと青斗くんも。
最初から、二人がお互いしか見ていなかったことを。
相手の気を引きたくて、いつもレベルの低い悪口をぶつけていたことも。
青斗くんはそれを知っていたからこそ、
姉への気持ちを自覚することができなかったのだろう。
姉への気持ちを自覚することができなかったのだろう。
そしてそれ故に、“彼女”を作ることもできたのだ。
――ピンポーン――
鳴り響いたチャイムの音に、青斗くんはテキストから顔を上げた。
「あ、多分雪美だ。ごめんハナ、ちょっと待ってて」
慌てて玄関に赴いた青斗くんが次に戻ってきたとき、
その後ろにはわたしたちの従姉妹に当たる雪美ちゃんが紙袋を手にして立っていた。
「こんにちは、皆さん!
今日は伯父さんも伯母さんもいないって言うから、遊びに来ちゃいましたぁ!」
にっこり微笑む彼女は、姉と青斗くんが通うF高の一年生。
入学式で姉に紹介された青斗くんに一目惚れをし、
そのまま勢いに乗じて告白したのだと言う。
そして青斗くんは、押しの強い彼女に流されるままその告白を受け入れた。
それを聞いたとき、わたしは素直な驚きを感じた。
どうして? 青斗くんは、お姉ちゃんのことが好きだと思っていたのに――
そうして気づいた。彼が、己の想いを自覚していないということに。
まるで大切な宝物を鍵の付いた宝箱にきつく封じ込めるかのように、
心の奥深くに閉じ込めてしまっていることに。
ああ、もうお姉ちゃんでも青斗くんでもどっちでもいい。
早く、気づいてくれないかな?
自分の気持ちか、彼の気持ちか、わたしの気持ちに。
そうじゃないといつまでも、わたしの想いは行き場がない。
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