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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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芋焼酎もスコッチもなくなっていることに、やっと気づいた。

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同じくちゃんぽん主義だった父が死んだから。平日は余裕がなくて呑まずに来たから、週末はビールでお腹いっぱいになって母の好む日本酒かワインだったんだけど、ちょっと寒い日、嫌なことがあって甘いものに浸りたい日、飲むお湯割やウィスキーがねぇ!他の人と違って飲む酒が日々変わるから、私1人だとコスパ悪いことはわかってる。でも、こういうとこで父の不在を実感すると切なくなる。何でもお酒の良さは父から教わり、好みは父と一緒だった。もういないんだ。父のためなら買い置きしていた母も、いつ飲むかわからない私のためには用意しない。自分で買いに行かなきゃ。何か泣きそう。世の中の日本人はみんなこんなに長生きなのに。年金少ないだと? 医療費高いだと? 年よりはさっさと云々が叩かれる、当たり前じゃない? 私たち家族、50前にどれだけ入院・手術したと思うの。今だってトータル医療費いくらかかってるの? 薬飲んでるだけで怒られるとか、呑まずにてめぇらのグチ延々聞きつづける仕事なんか1日こなせないっつの。それでも働かないと年金も健康保険も払わなきゃでしょ? どうしろっていうの。この世は地獄だ。何でその歳まで生きて、愚痴りながらもまだ生きたいと思えるの。死にたい死にたい、さっさと何もかも終わりにしたいよ。


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いないのが当たり前だった。

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保育所行けなくて母は仕事、父は勉強休めない時は一人で留守番。時計が読めないからお昼取る時間もわからない。12時回ると幼なじみのお母さんが様子見に来て、もう食べ終わってる私に驚く。で、心配して預ってくれたり。空き巣騒ぎの時も隣家のボヤ事件の時も、真っ先に抱きしめてくれたのは近所の友達のお母さんたちだった。まだ赤ちゃんのきょうだい預けられて、イタズラ気にしながら自分もやらかして、どうしたら良いのかわからなかった。本当は留守番任せられるの怖かった。誰かが具合悪くて入院してる時、死にそうな時不安で不安でしょうがなくて、まだ小さかった妹に泣きついたこともある。歳が離れているから、頑張って半分親がわりにのつもりでいたけど空回っただけ。自分が小さい頃甘やかしてくれた相手、毎日の送迎、一番長い時間過ごしてたのは父親。もう会えない。だから、今は代わりに母親と沢山過ごそうとしてるけど嫌みたい。私は父親の代わりにはなれない。ついでに私はきょうだいより何より幼なじみとその家族に依存している。もちろんずっとずっと欲しかったきょうだいのことは大好きだけど、根本的に違う人種だと感じる。家の中で1番距離の近かった父親がいない。どうして良いかわからない。家を出た方が良いんだろうか。人生からフェードアウトしたい。みんなが私の記憶をなくしてくれたら良いのに。


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私と妹の違い。

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私は基本「ない」ことが前提。父は無職だったし、家は古い借家で服は知人のお下がり。もらったものが何でもオモチャで、家では1人で遊んでた。歴史オタクだから好きなものはもう存在しなくて、過去の失われたものにばっかりいつも憧れてた。好きなものや欲しいものが目の前にあるとか、手に入るという発想がなかった。だから、自己完結が癖になっていたし逆に出てこられるとどうして良いかわからなかった。
でも妹は違う。きょうだいも家も物も、物心つく頃には何でも揃ってた。たぶん手に入らないもの、「ダメだよ、諦めなきゃ」ってとのがなかったから、手にしているものの大切さがわからない。他人の気持ちを思いやれない。ってか考えると彼女の心がもたないのかな。彼女ほどワガママにおいしいとこ取りで気ままに振る舞えるのは(私とは違った方向)ある意味すごいと思う。同じきょうだいでも全く違う。


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いらないんだよね。

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C~販売個数激減の壁~E~値段とデザインの壁~G~そもそも取り扱いなし\(^o^)/
日本の下着事情どうにかしろよマジで。平成生まれ発育良いから大分マシにはなったけど、最近のパッド入りキャミやノンワイヤー流行りのせいでより大変になってんだよ。収まりきらねぇしワイヤーないと支えらんねぇから! ついでにG以上だとまずアンダーサイズが授乳後お母さん仕様しかないのがキツイ。さすがに80はガホる。支えがないのと同じ。でも海外の人って垂れても意外と着けないで野放しだからか、それこそ楽チン系かうんとセクシー(そしてやはりアンダーでかい)で日本人女性的に無難、かつある程度「今日は仕事・・・外に出る日!」って気持ちになれるデザインないからなぁ(´・ω・`)←あらゆるものに頼らないと頑張れない元ヒキ。はみ出すからニプ〇スつけてるもん・・・うぜぇ! オンの日は上下揃ってないと嫌だし。でかめサイズでアンダー標準のセットを安値で売ってください下着屋さん。それかAセクを理由としての3割負担手術を許可してください。でも手術嫌いで2度と受けたくないけどね。いらない。マジいらない。


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ふと思い出したんだけど、チェルノブイリ直後に疎開?してきたベラルーシの子と遊んだことあったなー、って。

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大人しくてホストマザーの友人母の陰にいっつも隠れてて、子供心にめっちゃ印象悪かった。そりゃ当たり前だよ!と今なら思えるけど、旧USSR圏のジェネレーションギャップの話を聞くときに、「あー、色んな意味で単純な話じゃねーんだわ(´д`)」とやっと実感が湧いた。今日小さい頃からお気に入りだったはらこ飯屋さんのあった場所を通りかかったんですね。街ごとなくなってんの。「ここから津波浸水区域です」の看板は見慣れたし、妹の嫁ぎ先とか三陸の方や同じ市内、福島沿岸は一通り行ってたんだけど。7年たつけど、わかってたけど正直ショックだった。私もう魚も米も食えないからどっちにしろはらこ飯ダメなんだけど、すっごくワガママ放題だった私に配慮してくれたお店の人の優しさとか、あの味のある空間、賑わい全部消えちゃったんだなー、って。あそこで死んだ人はもういないし、歳取らないし時間止まってるし、うちの父だってもういない。過去だと考えるのは、その延長線上にある今が現実だと受け止めるのはあまりにつらい。小さい子供なら尚更そうだったかもしれない。言葉も知らない異国に兄弟といきなり送り込まれて。自分が経験するまでわからなかった。というかずっと忘れてた。あの地域の人たちは、歴史を考えても可哀想で、でも強くてたくましい。国として存在してること自体がすごいと思う。私はどこかで向こうの遺伝子が入ってるのかな、と想像してきたけど、ああいう歴史は紡げないと思う。流されて終わりだ。


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