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ふと思い出したんだけど、チェルノブイリ直後に疎開?してきたベラルーシの子と遊んだことあったなー、って。
大人しくてホストマザーの友人母の陰にいっつも隠れてて、子供心にめっちゃ印象悪かった。そりゃ当たり前だよ!と今なら思えるけど、旧USSR圏のジェネレーションギャップの話を聞くときに、「あー、色んな意味で単純な話じゃねーんだわ(´д`)」とやっと実感が湧いた。今日小さい頃からお気に入りだったはらこ飯屋さんのあった場所を通りかかったんですね。街ごとなくなってんの。「ここから津波浸水区域です」の看板は見慣れたし、妹の嫁ぎ先とか三陸の方や同じ市内、福島沿岸は一通り行ってたんだけど。7年たつけど、わかってたけど正直ショックだった。私もう魚も米も食えないからどっちにしろはらこ飯ダメなんだけど、すっごくワガママ放題だった私に配慮してくれたお店の人の優しさとか、あの味のある空間、賑わい全部消えちゃったんだなー、って。あそこで死んだ人はもういないし、歳取らないし時間止まってるし、うちの父だってもういない。過去だと考えるのは、その延長線上にある今が現実だと受け止めるのはあまりにつらい。小さい子供なら尚更そうだったかもしれない。言葉も知らない異国に兄弟といきなり送り込まれて。自分が経験するまでわからなかった。というかずっと忘れてた。あの地域の人たちは、歴史を考えても可哀想で、でも強くてたくましい。国として存在してること自体がすごいと思う。私はどこかで向こうの遺伝子が入ってるのかな、と想像してきたけど、ああいう歴史は紡げないと思う。流されて終わりだ。
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