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あんたはそういうところにいなくて良かったね、と言われた。結婚断れない地獄が現代にもまだあるんね・・・いや知人繋がりのお話一回受けかけて断る流れになった嫌味か? まさかああなると思わなかったんだ。そういうセクシュアリティがあることも自分がそうだってのも知らなかった。過呼吸も吐くのも何でそうなるか分からなかったから認めなかった。それやるのか、やらんといけないのかと思ったら摂食障害とか身体と心の結びつき恐ろしいですね。死にたかったな。子供は欲しかった。子供には家族が必要だと思った。でも子供の父親と自分を結びつけることは気持ち悪くて無理だった。初めからそうだったのか色々あってそうなったのかはわからない。早熟っぽい姪が女性として人間として当たり前の幸せを得られることを祈ります。私、2歳から無駄に記憶あるんですけど、あの初めて嫌なこと経験した場所に行くまでは同い年の男の子大好きで追っかけ回してましたから。今は考えられないけど。よっぽど近しくて親しくなった人だったり、恐怖心を知ってくれてる人以外は基本的に異性と近づくことが苦手です。臭いが無理。申し訳ないけど気持ち悪くなってしまって。女性も必要以上にくっついたりするの苦手。学生時代やたら距離近いのとか回し飲み・食べキツかったなぁ。コロナのソーシャル・ディスタンス万々歳ですよ。今は良い歳だし、誰もそういう目で見てるとか自惚れてるのではなく、本能的に過っちゃって怖いんだと思います。過去って忘れたいことほど残るし、ふとした瞬間に思い出すから。こんなんじゃダメなんだけど。接触が怖い。
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別れた人や死んだ人の連絡先をアドレス帳から消せないと、ずっとその人の誕生日がカレンダーに表示され続ける。命日は出ないのに、嫌な機能、嫌な時代。簡単に思い出にできない。そういう地獄にずっといる。責められてるみたいだ。25にも30にもなれなかった、キャリアを重ねることも家庭を持つことも叶わなかった。それをできたかもしれないおまえが何投げ出して死にたがってんだ、と。生きていることが申し訳ない。最低だとわかってても代わりになりたい。祝ってもらう資格とかない。生まれてこなきゃ良かった。年々暴れだしたい気分が酷くなる。そう思うなら1つ1つ削除すれば良いんですかね。それで思い出せなくなったら? 哀しいじゃん、私まだ父の電話番号覚えてる。死んだ人の親が、いつ娘の友人から連絡あっても良いように、とガラケーの使用料払い続けてるの知ったら。まだ無理だけど、私は向き合うのが怖くて申し訳なくてお墓参りもできてないけど、いつかしたいと思ったら。「◯◯ちゃん」って呼んでた、気さくで明るかった、何が好きだった、信じられない。そういうこと忘れたくないから消せない。苦しい。こんなのが積み重なるだけだとしたら、早くあっち側に行きたい。今こっち側にいるみんなより先にいけますように。
10周年祭の3月が来ると思うと憂鬱で仕方ない
10周年祭の3月が来ると思うと憂鬱で仕方ない
少なくとも成人してる宮城県民は震度1〜6まで判別できるスキルあると感じてるんですが、絶対昨日の10年前より酷かったで!と連絡取った中での総意。みんなこれ6はあるわ・・・強やわ、と思ってたと思う。部屋のぐちゃぐちゃ度合い見ても震度6の10年前より酷かったよ? 気象庁の震度計どうなってるん・・・マグニチュードじゃなく震度を設定した意味なくない? 3,4くらい→津波警報チェック、5→ちょっと様子見に動き出す、6→身動きしない方が良いか逃げた方が良いか咄嗟に判断の地震県民なめんなよ。大体机の下に潜るとかしてる余裕ねぇから。むしろ物ふってこない場所ならじっとしてるのが1番。前回危うく下敷きになりかけたけど。今回は本棚何とか堪えたけど上に乗せてた段ボールが転がり落ちて、ベッドとの配置考えてて良かったです。とりあえずベッドに上がれば安心設計! でも怖いのはこの後。二次災害とか余震とかインフラ止まったり。もう父はいない。母と2人だけ、弟の部屋は断層の上でうちより酷い、妹は津波浸水域に嫁いで仕事してる。とりあえず今は非正規でも大手で働いてるから、どっかしら繋がりや支援を求めることはできるのかもしれないのが救い。出勤が怖いけど・・・電車止まったら、とか。普段からアルミシート持ち歩いてるのはこのためだぜ(^^)b ロッカーにお菓子の予備入れてあるのも、ペタンコ靴も。モバイルバッテリー、除菌ジェル・スプレー・ウェットティッシュに替えマスク、回すとつくライト。怖くてね。今回、生まれ育った地区が断層の上でガタガタだったそうです。明日みんな出勤できるんだろうか。落ち着かない。
こっちのテレビ局、年明けから延々震災10周年特集すごいんだけどさ。思い出したらグチャグチャになって何もできなくなる、だから考えたくなかった、と鬼滅の某ネガティブ柱のモノローグに超共感した人間なんでね、マジで止めてほしいですわ。せめて3月入ってからで良くない? 朝顔ですら堪えられないんだけど。いやいやいやいや被災前後の地図や取材風景BGMふるさとで流すのとか、当時未成年だった子にインタビューとか家族亡くして家(てかあった地域)に帰れない人とか、ホントもう止めたげてよ。あそこにあれがあったとか過去と今をあえて線で繋げたくないのね。ここはパラレルワールド、OK?みたいな思い込みでここまで来てんの。それでも堪えきれずに死んでく人は死んでくし。それをウリにしてる人はそうしてるし。金にしてるうさんくさいのもいれば口実に住み着いておめでたい理想論撒き散らしてる輩もいる。きっかけで土着した人も。なかったことにはできないし、それは負の側面ばかりではないのかもしれないけど、私は余り思い出したり考えたくないです。毎年当日も普通に仕事してます。起きた時間の黙祷も仕事上できない。同僚もわざわざ有休取ってる人いないのでそんなもんなんでしょう。もちろん直接死んだ知り合いいないとか思い入れないからかもしれないけど、いやそんなわけあるか。何人死んでどんだけ流されたんだよ。でも口に出しても良いことないのでスルーです。あの時は大変だったね、って当時どうしてたくらい。あのお店とここの人と誰々のご両親と、ってなくなった店とかいなくなった人を、普通に潰れたり死んでった人みたいにカウントしている。そうか、それでなくなっちゃったのね、と。結構な数になるけど、その結構な数だというのを認めないように、一気になくなったことも認識しないように10年、時間をかけてじわじわ受け入れさせている。だって10年の間に失ったものも多いし。得たものもあるし。ただそれがあの頃の人達とは共有できないんだ、と考えると本当にグチャグチャで身動き取れなくなるから。もう特集番組は良いよ、コロナで手いっぱい。震災を原爆の記憶みたいにしないで。教訓を残すことは大事だけど、後世の子供のトラウマ案件化されたらたまらん。興味持った人だけが記録調べられる仕組み作る、地域に防災意識持たせるだけで良いじゃない。何も知らない子がやたら怯えたり、何も知らない人に勝手に覗き見されたり憐れまれることで、それまであの地域で普通に幸せに生きてきた彼らが踏みにじられるようでつらい。
色々あって良い歳こきながら物凄く勇気を振り絞って婦人科に行きました。終わった後やっぱり吐き気がこみ上げてきてどこにも寄らず寒空の下でグルグルしていて、迎えに来てくれた母が「あんたにとっては一仕事終えたくらい大きなことだったのね」と理解を示すようなことを言ってくれた。精神的にも凄く緊張して疲れたし、気持ち悪いし始まりがお医者さんごっこだった私には絶対かかりたくない科だった。注射や手術よりずっと嫌。少しずつ、何で諦めたか、ダメだったか、自分のセクシュアリティやトラウマがどういうものか、周りが理解してくれるのはありがたいです。1個1個自分がちゃんと向き合っていかないと知ってもらうこともできないんだなぁ。