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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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幸せは底にある』続編。ユウジとマイコの息子・コウジ視点です。
6/9 『底から生まれる』より改題。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



マサコママが死んだ。
マサコママは、正確に言うと母の母で、本来なら「おばあちゃん」と呼ぶべき関係にある。
だが、父さんが「マサコさん」と、母さんが「ママ」と呼び、更にはマサコママ自身が
「おばあちゃん、なんて絶対に呼ばれたくない!」と突っぱねたので、
幼い日から俺達きょうだいは彼女のことを「マサコママ」と呼んできた。
そんなマサコママの死は、呆気ないものだった。
買い出し帰りの交通事故、交差点に突っ込んできた車に跳ね飛ばされ、即死。
長年ホステスとして働いた職場を四十半ばで退いたマサコママは、
やっぱり人と接する仕事が好きだから、と十年ほど前に小さな喫茶店を開いた。
母さんに連れられてよく手伝いに訪れたそのこじんまりとした店には
マサコママのホステス時代の常連客もしょっちゅう訪れているようで、
 
「あのマイコちゃんにもうこんなにおっきな子供がいるなんてなぁ……」
 
と、見知らぬおじさんに感慨深げに頭を撫でられることもよくあった。
父さんの会社の社長さんもその一人で、俺や母さんの姿を見ると決まって
笑顔で手招きし、飴玉や小さなおもちゃを渡してくれた。
父さんは、マサコママのおかげで今の会社に就職できたのだという。
その話をすると母さんは必ず機嫌が悪くなって、
妹たちを連れてどこかへ消えてしまうけれど。
 
父さんは、元々はマサコママのヒモだった。その父さんをマサコママから
奪い取ったときの話を、母さんは俺たちによく自慢げに話して聞かせる。
 
 
~~~
 
 
「あたしね、ユウジに会ったとき、一目で運命だ! って分かったの。
だからちゃんと次の日すぐにママに宣戦布告しに行ったのよ。
 
『あたしはユウジが好きだから、ユウジをあたしにちょうだい』
 
って。そしたらママは笑って
 
『いいわよ、マイ。あんたが本気だって言うんなら、中学出るまでに
私からユウジの心を奪ってみせなさい。そしたらママも考えてあげるわ』
 
って言ったの。だからお母さん、必死に頑張ったわ。
そしてちゃんと約束通りお父さんをゲットできたわけよ」
 
鼻息荒く子供に聞かせていいのか悪いのかわからない話を繰り返す母さんを、
幼い妹弟はキラキラした瞳で見つめる。
 
「おかーさんすごーい、かっこいー!」
 
仲の良い家族。絵に描いたような幸せ。
思春期を迎えた俺が、何だかたまにそんな空間にいるのがむず痒くなると、
避難するのは必ずマサコママの店だった。
 
 
~~~
 
 
「いらっしゃーい……って、なんだコウジ。あんたまた一人で来たの?
ここはスポーツバック提げたガキンチョなんかじゃなくて
本当はダンディな熟年層狙いのカフェなんだけどなぁ」
 
苦笑しながら少し苦いココアを入れてくれるマサコママに、ぶすくれて
 
「カフェオレでいい」
 
と告げると、
 
「あらっ、いつの間にコーヒーもいけるクチになったのかしら?
牛乳と砂糖たーっぷりのカフェオレだって、少し前まで飲めなかったのにねぇ」
 
と嫌みが返ってきた。
 
「男の子はほーんと、成長するときはあっという間よねぇ」
 
呟きながらココアをカフェオレに入れ直すマサコママの手は、細くて少し皺が寄っている。
若い頃はさぞかし美しかったのだろう、と窺える容貌は今も衰えることなく、
年齢を重ねた女性特有の色香を放っている。
今でも、マサコママを真剣に口説きにかかる客は何人かいるらしい。
奥さんを亡くしたやもめだったり、バツイチだったり、
壮年に差し掛かって急に独りが寂しくなったおじさんだったり……。
マサコママに、現在(いま)の恋人はいるのだろうか。
二十年前は、父をヒモとして囲っていたマサコママ。
その父を母に取られてから、マサコママは……
 
「ねぇ、マサコママ、うちの父さんってさ、マサコママの恋人だったんだよね?」
 
「……うーん、まぁ、そういうことになるわね」
 
俺の突然の問いかけに、マサコママは咥えた煙草に火を付けながら
どこか曖昧に返事をした。
 
「じゃあさ、父さんが母さんのとこに行っちゃったとき、
母さんに女としての嫉妬は感じなかったの?
いくら自分の娘だからってさ。ていうか、娘だったら余計に……」
 
「あっはっはっは!」
 
言い募る俺に、マサコママは噴き出した。
 
「ああおかしい、私があの()に嫉妬? それだけは有り得ない。
だってユウジもマイも、私にとっちゃどっちも大切で可愛い宝物なんだから」
 
納得いかない、という表情を露に顔をしかめた俺に、
マサコママはにっこりと微笑んで俺の頭を愛しげに撫でた。
 
「一度失敗してからね、男の人はみんな自分の子供と同じだと思うようにしてるの。
それが一番傷つかなくて、ラクチンで、きれいな愛し方だから」
 
 
~~~
 
 
「あんた、もしかして“おじいちゃん”を探そうとでもしてるの?」
 
通夜の弔問客の一人一人に頭を下げる合間、
キョロキョロと会場を見渡す俺に母から投げかけられた言葉。
白髪交じりの上品な紳士、顔を真っ赤にしたハゲのおっさん、
父さんの会社の社長さん、親しい友人で父さんの恩人でもある磯部さん……。
少しでも母や俺たちきょうだいの面影を宿している人物がいないか、
俺は必死になって弔問に来た男性客を目で追ってしまっていた。
 
「昔のユウジと一緒で他人と関わることをめんどくさがるあんたが、
わざわざ受付まで引き受けちゃって。あたしが気付かないとでも思った?」
 
悪戯に微笑む母の目元は少し赤い。
 
だって、仕方ないじゃないか。一介のホステス、しかもシングルマザーが、
あんな立派な庭付き一戸建てに住んでいたなんて。
大の男と中学生の娘の二人を養い、退職後は店を開くだけのお金の出所が
何処にあったのか、マサコママが経験した一度の“失敗”がどんなものだったのか、
知りたいと思うのは当然のことじゃないか。
俺はマサコママの孫で、きっと最後の“子供”でもあったんだから。
 
「……死亡届、出しに行かなきゃなんないんだけど、あんた一緒に市役所行く?」
 
呆れたように呟いた母の言に、こくりと頷いた。
きっと母は教えてくれるつもりなのだろう。俺が今最も欲しがっている“答え”を。
 
 
~~~
 
 
『杉田雄一 平成××年△月○日、死亡』
 
母から手渡された戸籍謄本の、母の父親の欄に記載されていた呆気ない一文。
 
「死亡届出すついでに、あんたにも現実を見せておこうと思って」
 
マサコママと“杉田雄一”との間に、婚姻の証は無い。
というか“杉田雄一”の没年と、母の生まれた年を換算すると……。
 
「教育実習生だったらしいわ。
ママが高校二年の頃、“スギタセンセイ”はママの高校にやって来た。
そうして、そこで出会ったママに手を出して、ママが妊娠して、悩んだ末に自殺」
 
母の口から語られた衝撃の事実に、しばし絶句して目を見開いていると、
母は何でもないことのようにまた淡々とその後のマサコママのことについて語り出した。
 
「“センセイ”のご両親は一人息子の死に堪えられなくてここを去ったそうよ。
ママやあたしを恨む気持ちもあったでしょうけど、
結局は自分の息子が悪いんですもの、何も文句は言えない。
それでも息子の死の原因となったあたしたち親子を見ていられなくて、
ただ自分たちが住んでいた家だけを賠償金がわりに押し付けて遠いところへ去って行った。
そして時々、申し訳程度にお金だけ送ってよこすのよ。
あたしの養育費代わり、とでも言うようにね」
 
何の感情も浮かべていない虚ろな瞳で、絞り出すように言葉を紡ぐ、
こんな母の表情を、俺はそれまで見たことがなかった。
 
「高校を中退してあたしを生んだママが出来る仕事なんて、ホステスくらいしか無かった。
ママは人と話すのが好きだから天職だった、とか言ってたけど……。
ユウジを拾ったのだって、彼の境遇に自分の過去を重ねたせいもあったんじゃない?」
 
少し溜息を吐いて、母はようやく苦笑を浮かべてこちらを見た。
 
「ママは寂しかったのよ。早くに両親を亡くして、施設で育って、
高校に入って初めて一人暮らしをするようになって。
そしてそんなママに、“センセイ”は同情した。
そうして一線を越えて初めて、“センセイ”は取り返しのつかない過ちに気付いた。
本当に、弱い人よね。結局ママも、あたしも何もかも放っぽり出して逝っちゃったんだから」
 
母はその大きな瞳にうっすらと滲んだ涙を拭って、いつものように笑ってみせた。
 
「でもね、あたし見つけちゃったの。あんたにも見せてあげるわ。
あんたはあたしの息子で、多分ママの“子供”でもあったんだと思うから」
 
 
~~~
 
 
『真紗子、君とお腹の子を置いて逝く僕を、許してくれとは言わない。
僕は本当に君が好きだった。可哀想な生徒に教師として同情してしまったからじゃない。
出来ることなら君と、子供と、暖かな家庭を作りたかった。君に、家族をあげたかった。
両親にも、学校にも、夢にも抗えない僕を、君と子供だけを選べない僕を、
詰って、憎んで、忘れてほしい。愛している。
そして君たち二人の幸せを……ずっと、ずっと祈り続けている。
 
P.S 僕の預金口座の通帳と印鑑を君に預けておく。
     君とお腹の子の未来のために少しでも役に立てば良いのだが……』
 
 
~~~
 
 
「ね? バッカみたいでしょ? そんな手紙残すくらいなら
どんな手使ってでもママと生きて幸せになれっつーの」
 
実の父親の“遺書”とやらをピラリと放り投げてマサコママの使っていたベッドに
ダイブしてみせる母に、俺は何だか笑いが込み上げてしまった。
 
「何よ、なに笑ってんの、あんた」
 
「いや、別に……じいちゃんとばあちゃん、
何だかんだ言って両想いだったんだな、って思ったら何か安心した」
 
実習先の生徒に本気で恋した揚句大切なものを一つに絞り切れずに
死を選んだ糞真面目な“センセイ”も、そんな男の生家に死ぬまで住み続け、
残された娘をたった一人で育て上げ、遺書を後生大事に取っておいた
マサコママも、本当に何て滑稽で、馬鹿なんだろう。
 
「ふぅ……ん。まぁそーいう考え方も、アリっちゃアリなのかなぁ……。
って、「ばあちゃん」なんて言ったら枕元に祟られるわよ!」
 
軽口を言いながら母はベッド下にひらりと舞った変色した紙を拾い上げ、
くるりと踵を返して駆け出した。
 
「どこ行くの!? 母さん!」
 
「これ、骨壺の中に入れてもらわなくちゃ! 今から急いで和尚さんに頼んでくる!」
 
息を切らして叫ぶ母に、同じくらい大きな声で怒鳴り返す。
 
「なら俺がチャリで行く! その方が早いだろ!?」
 
今の今まで、何事にも無気力だった俺。昔の父さんにそっくり、とよく皮肉られていた俺。
けど、やっと気づいたんだ。仲が良すぎて時折うざったくなる家族だって、
底の底から少しずつ、積み上げて作り上げた“幸せ”のかたち。
だから俺も、幸せになってやる。“センセイ”やマサコママの分まで。
父さんや母さんよりもずっと。そんでもって向こうに行ったら絶対言ってやるんだ。
 
「じいちゃん、ばあちゃん、俺、こんなに幸せに生きたよ」
 
って。その呼び方はないだろ!って二人に頭を叩かれるかもしれないけれど。
だって二人は俺のじいちゃんとばあちゃん。その事実だけは変わらない。
例え別々の場所にお墓があったって、じいちゃんがばあちゃんを置いて逝ったって、
離れてた時間が長くたって、その事実だけは変わらないんだから。





後書き
 

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マサコママが死んだ。
マサコママは、正確に言うと母の母で、本来なら「おばあちゃん」と呼ぶべき関係にある。
だが、父さんが「マサコさん」と、母さんが「ママ」と呼び、更にはマサコママ自身が
「おばあちゃん、なんて絶対に呼ばれたくない!」と突っぱねたので、
幼い日から俺達きょうだいは彼女のことを「マサコママ」と呼んできた。
そんなマサコママの死は、呆気ないものだった。
買い出し帰りの交通事故、交差点に突っ込んできた車に跳ね飛ばされ、即死。
長年ホステスとして働いた職場を四十半ばで退いたマサコママは、
やっぱり人と接する仕事が好きだから、と十年ほど前に小さな喫茶店を開いた。
母さんに連れられてよく手伝いに訪れたそのこじんまりとした店には
マサコママのホステス時代の常連客もしょっちゅう訪れているようで、
 
「あのマイコちゃんにもうこんなにおっきな子供がいるなんてなぁ……」
 
と、見知らぬおじさんに感慨深げに頭を撫でられることもよくあった。
父さんの会社の社長さんもその一人で、俺や母さんの姿を見ると決まって
笑顔で手招きし、飴玉や小さなおもちゃを渡してくれた。
父さんは、マサコママのおかげで今の会社に就職できたのだという。
その話をすると母さんは必ず機嫌が悪くなって、
妹たちを連れてどこかへ消えてしまうけれど。
 
父さんは、元々はマサコママのヒモだった。その父さんをマサコママから
奪い取ったときの話を、母さんは俺たちによく自慢げに話して聞かせる。
 
 
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「あたしね、ユウジに会ったとき、一目で運命だ! って分かったの。
だからちゃんと次の日すぐにママに宣戦布告しに行ったのよ。
 
『あたしはユウジが好きだから、ユウジをあたしにちょうだい』
 
って。そしたらママは笑って
 
『いいわよ、マイ。あんたが本気だって言うんなら、中学出るまでに
私からユウジの心を奪ってみせなさい。そしたらママも考えてあげるわ』
 
って言ったの。だからお母さん、必死に頑張ったわ。
そしてちゃんと約束通りお父さんをゲットできたわけよ」
 
鼻息荒く子供に聞かせていいのか悪いのかわからない話を繰り返す母さんを、
幼い妹弟はキラキラした瞳で見つめる。
 
「おかーさんすごーい、かっこいー!」
 
仲の良い家族。絵に描いたような幸せ。
思春期を迎えた俺が、何だかたまにそんな空間にいるのがむず痒くなると、
避難するのは必ずマサコママの店だった。
 
 
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「いらっしゃーい……って、なんだコウジ。あんたまた一人で来たの?
ここはスポーツバック提げたガキンチョなんかじゃなくて
本当はダンディな熟年層狙いのカフェなんだけどなぁ」
 
苦笑しながら少し苦いココアを入れてくれるマサコママに、ぶすくれて
 
「カフェオレでいい」
 
と告げると、
 
「あらっ、いつの間にコーヒーもいけるクチになったのかしら?
牛乳と砂糖たーっぷりのカフェオレだって、少し前まで飲めなかったのにねぇ」
 
と嫌みが返ってきた。
 
「男の子はほーんと、成長するときはあっという間よねぇ」
 
呟きながらココアをカフェオレに入れ直すマサコママの手は、細くて少し皺が寄っている。
若い頃はさぞかし美しかったのだろう、と窺える容貌は今も衰えることなく、
年齢を重ねた女性特有の色香を放っている。
今でも、マサコママを真剣に口説きにかかる客は何人かいるらしい。
奥さんを亡くしたやもめだったり、バツイチだったり、
壮年に差し掛かって急に独りが寂しくなったおじさんだったり……。
マサコママに、現在(いま)の恋人はいるのだろうか。
二十年前は、父をヒモとして囲っていたマサコママ。
その父を母に取られてから、マサコママは……
 
「ねぇ、マサコママ、うちの父さんってさ、マサコママの恋人だったんだよね?」
 
「……うーん、まぁ、そういうことになるわね」
 
俺の突然の問いかけに、マサコママは咥えた煙草に火を付けながら
どこか曖昧に返事をした。
 
「じゃあさ、父さんが母さんのとこに行っちゃったとき、
母さんに女としての嫉妬は感じなかったの?
いくら自分の娘だからってさ。ていうか、娘だったら余計に……」
 
「あっはっはっは!」
 
言い募る俺に、マサコママは噴き出した。
 
「ああおかしい、私があの()に嫉妬? それだけは有り得ない。
だってユウジもマイも、私にとっちゃどっちも大切で可愛い宝物なんだから」
 
納得いかない、という表情を露に顔をしかめた俺に、
マサコママはにっこりと微笑んで俺の頭を愛しげに撫でた。
 
「一度失敗してからね、男の人はみんな自分の子供と同じだと思うようにしてるの。
それが一番傷つかなくて、ラクチンで、きれいな愛し方だから」
 
 
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「あんた、もしかして“おじいちゃん”を探そうとでもしてるの?」
 
通夜の弔問客の一人一人に頭を下げる合間、
キョロキョロと会場を見渡す俺に母から投げかけられた言葉。
白髪交じりの上品な紳士、顔を真っ赤にしたハゲのおっさん、
父さんの会社の社長さん、親しい友人で父さんの恩人でもある磯部さん……。
少しでも母や俺たちきょうだいの面影を宿している人物がいないか、
俺は必死になって弔問に来た男性客を目で追ってしまっていた。
 
「昔のユウジと一緒で他人と関わることをめんどくさがるあんたが、
わざわざ受付まで引き受けちゃって。あたしが気付かないとでも思った?」
 
悪戯に微笑む母の目元は少し赤い。
 
だって、仕方ないじゃないか。一介のホステス、しかもシングルマザーが、
あんな立派な庭付き一戸建てに住んでいたなんて。
大の男と中学生の娘の二人を養い、退職後は店を開くだけのお金の出所が
何処にあったのか、マサコママが経験した一度の“失敗”がどんなものだったのか、
知りたいと思うのは当然のことじゃないか。
俺はマサコママの孫で、きっと最後の“子供”でもあったんだから。
 
「……死亡届、出しに行かなきゃなんないんだけど、あんた一緒に市役所行く?」
 
呆れたように呟いた母の言に、こくりと頷いた。
きっと母は教えてくれるつもりなのだろう。俺が今最も欲しがっている“答え”を。
 
 
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『杉田雄一 平成××年△月○日、死亡』
 
母から手渡された戸籍謄本の、母の父親の欄に記載されていた呆気ない一文。
 
「死亡届出すついでに、あんたにも現実を見せておこうと思って」
 
マサコママと“杉田雄一”との間に、婚姻の証は無い。
というか“杉田雄一”の没年と、母の生まれた年を換算すると……。
 
「教育実習生だったらしいわ。
ママが高校二年の頃、“スギタセンセイ”はママの高校にやって来た。
そうして、そこで出会ったママに手を出して、ママが妊娠して、悩んだ末に自殺」
 
母の口から語られた衝撃の事実に、しばし絶句して目を見開いていると、
母は何でもないことのようにまた淡々とその後のマサコママのことについて語り出した。
 
「“センセイ”のご両親は一人息子の死に堪えられなくてここを去ったそうよ。
ママやあたしを恨む気持ちもあったでしょうけど、
結局は自分の息子が悪いんですもの、何も文句は言えない。
それでも息子の死の原因となったあたしたち親子を見ていられなくて、
ただ自分たちが住んでいた家だけを賠償金がわりに押し付けて遠いところへ去って行った。
そして時々、申し訳程度にお金だけ送ってよこすのよ。
あたしの養育費代わり、とでも言うようにね」
 
何の感情も浮かべていない虚ろな瞳で、絞り出すように言葉を紡ぐ、
こんな母の表情を、俺はそれまで見たことがなかった。
 
「高校を中退してあたしを生んだママが出来る仕事なんて、ホステスくらいしか無かった。
ママは人と話すのが好きだから天職だった、とか言ってたけど……。
ユウジを拾ったのだって、彼の境遇に自分の過去を重ねたせいもあったんじゃない?」
 
少し溜息を吐いて、母はようやく苦笑を浮かべてこちらを見た。
 
「ママは寂しかったのよ。早くに両親を亡くして、施設で育って、
高校に入って初めて一人暮らしをするようになって。
そしてそんなママに、“センセイ”は同情した。
そうして一線を越えて初めて、“センセイ”は取り返しのつかない過ちに気付いた。
本当に、弱い人よね。結局ママも、あたしも何もかも放っぽり出して逝っちゃったんだから」
 
母はその大きな瞳にうっすらと滲んだ涙を拭って、いつものように笑ってみせた。
 
「でもね、あたし見つけちゃったの。あんたにも見せてあげるわ。
あんたはあたしの息子で、多分ママの“子供”でもあったんだと思うから」
 
 
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『真紗子、君とお腹の子を置いて逝く僕を、許してくれとは言わない。
僕は本当に君が好きだった。可哀想な生徒に教師として同情してしまったからじゃない。
出来ることなら君と、子供と、暖かな家庭を作りたかった。君に、家族をあげたかった。
両親にも、学校にも、夢にも抗えない僕を、君と子供だけを選べない僕を、
詰って、憎んで、忘れてほしい。愛している。
そして君たち二人の幸せを……ずっと、ずっと祈り続けている。
 
P.S 僕の預金口座の通帳と印鑑を君に預けておく。
     君とお腹の子の未来のために少しでも役に立てば良いのだが……』
 
 
~~~
 
 
「ね? バッカみたいでしょ? そんな手紙残すくらいなら
どんな手使ってでもママと生きて幸せになれっつーの」
 
実の父親の“遺書”とやらをピラリと放り投げてマサコママの使っていたベッドに
ダイブしてみせる母に、俺は何だか笑いが込み上げてしまった。
 
「何よ、なに笑ってんの、あんた」
 
「いや、別に……じいちゃんとばあちゃん、
何だかんだ言って両想いだったんだな、って思ったら何か安心した」
 
実習先の生徒に本気で恋した揚句大切なものを一つに絞り切れずに
死を選んだ糞真面目な“センセイ”も、そんな男の生家に死ぬまで住み続け、
残された娘をたった一人で育て上げ、遺書を後生大事に取っておいた
マサコママも、本当に何て滑稽で、馬鹿なんだろう。
 
「ふぅ……ん。まぁそーいう考え方も、アリっちゃアリなのかなぁ……。
って、「ばあちゃん」なんて言ったら枕元に祟られるわよ!」
 
軽口を言いながら母はベッド下にひらりと舞った変色した紙を拾い上げ、
くるりと踵を返して駆け出した。
 
「どこ行くの!? 母さん!」
 
「これ、骨壺の中に入れてもらわなくちゃ! 今から急いで和尚さんに頼んでくる!」
 
息を切らして叫ぶ母に、同じくらい大きな声で怒鳴り返す。
 
「なら俺がチャリで行く! その方が早いだろ!?」
 
今の今まで、何事にも無気力だった俺。昔の父さんにそっくり、とよく皮肉られていた俺。
けど、やっと気づいたんだ。仲が良すぎて時折うざったくなる家族だって、
底の底から少しずつ、積み上げて作り上げた“幸せ”のかたち。
だから俺も、幸せになってやる。“センセイ”やマサコママの分まで。
父さんや母さんよりもずっと。そんでもって向こうに行ったら絶対言ってやるんだ。
 
「じいちゃん、ばあちゃん、俺、こんなに幸せに生きたよ」
 
って。その呼び方はないだろ!って二人に頭を叩かれるかもしれないけれど。
だって二人は俺のじいちゃんとばあちゃん。その事実だけは変わらない。
例え別々の場所にお墓があったって、じいちゃんがばあちゃんを置いて逝ったって、
離れてた時間が長くたって、その事実だけは変わらないんだから。





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