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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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Aセク自覚すんの早いんだなみんな・・・バカやらかしまくった末に三十路で辿り着いたの私だけかよ。若い時には概念が広がってなかったのと子供欲しすぎたからか。恋愛って「好きになろう」と思って設定するもんじゃないよ、って早く誰か教えてくれりゃ良かったのに。好きなものは沢山あって、気づいたら好きで、でもそういう風に身近な人へ特別な感情を持ったことはなかった。家族や友達は心底大事だけれど、宝塚やスケートや2次元に感じる萌え?という感情が多分1番私の中で恋心に近い印象なんですが(わかんないんですみません)、身近にいる特定の人に対してそういうグワーッという「この人のこと何でも知りたい」「見ているだけで幸せ」みたいな気持ちがわいたことはないな・・・。せいぜい一緒にいて楽しい、落ち着く(別に2人でいたいとは思わない。そもそも大人数が余り好きじゃないから友達と会う時はそもそも2,3人が多いけど)くらい。私が一生結婚しないつもりでいる、と打ち明けたとき心配してくれた友達から「私は旦那くんと手繋いで一緒に歩いくととっても幸せだよ」と何それ( ゚д゚)ポカーンとしたくらい。手を繋ぐとか接触からハードモードなんだもんな自分。気持ち悪。あったかい手とか本当苦手。子供だけ平気だと思ってたら小学生男子から無理すぎて社会復帰したくらいなんで。(子供相手のバイトは無理だと察した) 実体験から来る嫌悪ではなく、そういう感情を抱かないことにやらかす前から気づいて自覚できるのは素晴らしい。更に空気も読めたら予防線張りやすいしね。一生説明に窮しつつ笑ってごまかしてく生きづらい性なのね。マイノリティに傷つけられるのもバイからガチ逃げした経験からとてもよくわかる。あっちの人たちにはうちらは絶対近づいちゃいかん。嫌悪感ないとかわからない、必要性を感じない、程度の人なら参加して何されても何も感じずに馴染めるのかもしれないけど。ちなみに恋愛絡むフィクション(ヅカとか)は時代劇の感覚で咀嚼してます。性的な話も平気。自分のことじゃないから。他人事やキャラクターを形作るものとしてなら本好き人間好きとしてむしろ興味深く聞いたり読んだり見ます。自分にそれが向かなきゃ、生物の営み、人格の成長に不可欠な要素なので楽しいですよ。歪んでますけど。

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Aセクのドラマが国営放送でやるわけだが、「恋を知らない女の子」がヒロインというのにガクブルしてる・・・結局Aセク♂の彼に惚れるんじゃないの? 前に見たゲイS村と彼にずっと惚れ続けてるA海さんのドラマは2人とも良い歳で脚本家も信頼でき、浮気というか恋愛感情や性的欲求は男性にしか向かないという生々しい面も含みつつ、人間としてお互いが1番大事であることは変わらない、それを再確認したから彼に抱いていた恋心をある意味昇華させて、人間としての彼への愛で繋がってるんだ、という綺麗なオチがついていたと思うんだけど。(ごめん色恋に関しては専門外なので)
ラスト甘酸っぱいラブを教えてくれてありがとうオチだったら失望極まりない。しかもリア充イケメン枠がAセクやるわけでしょ? 本当に興味ない演技、好意を寄せられると心から困るとか酷い時拒絶反応起こす感覚わかるの? 怖いんだよ、相手も自分も。全力で逃げて自分の体をぶっ刺したくなる。私、一定の距離感保ってくれる異性としか親しくできなくなったし本当に信頼してる身内にしか「とりあえず無理」というの言えてない。異性を警戒するのはその方がそういうノリになる確率が高いからです。接触は同性でも苦手だしバイからは逃げた。他人の体臭感じるほど近づいた時点で無理。気持ち悪い。逃げたい。朝の電車恐怖症克服できて良かった。(引きこもりゲートオープンの理由の1つだったので)痴漢出たら良い歳こいて泣くけど。
コロナ禍でマスク時代になってその点は本当に助かってる。いや温もりも苦手なんだけどね。除菌グッズ豊富に売ってて拭きまくったり手洗いしまくっても「対策厳重だね」くらいに思われるのも良いよね。潔癖症ではなく、感触とか他人の痕跡が残ってるのが嫌なんです。交じりたくない。トイレとか無防備になるじゃないですか。いっそ知らん人が汚しまくってどうしようもないね、っていう合宿所の煎餅布団雑魚寝とかはOKなの。個人が特定できる範囲、互いに顔が認識できて下手すりゃ名前も知ってるような関係性で近づくの恐怖でしかない。自意識過剰なんですよね。
どうしてこの歳まで独身で出会ってから数年経つのに1度も彼氏の話をしたことがなく指輪も絶対しない人間に平気で「わかんないじゃん」って言えるの? ここまで「私は結婚とか子供生んだりしないの」と繰り返してれば察せない? 子供ほしかったよ。作れねぇんだよ。恋愛感情も全くわからんし、むしろ心底恐怖の対象なのよ。その先に到ってはフィクションとしてお話の向こう側のキャラクター同士のものとして見ることはできるけど、自分に向けられると吐く。考えるだけで動悸起こして息が苦しくなる。あー無理。怖い。本気でわからないというか子供生んでる人を失礼極まりないことに色眼鏡で見てしまうくらい嫌なんだ。凄いと思うし尊敬するけど。だから贖罪してる→寄付。1番尊い営みを拒否って理解できない欠陥品でごめんなさい。
Aセクだという自覚なしに普通に趣味楽しいとか自由に行きたいって生きてるシングルも沢山いると思う。子供にこだわってる時点で私自身も後天的似非Aセクなのかもしれない。でも、本気で自分の性に苦しんで周りにも中々わかってもらえず、小さいことでチマチマ傷ついてる人間もいるんだってところをちゃんと描いてほしい。弟の夫、何食べとかで同性愛は割と真面目な方向に認知されてる感あるけど、Aセクは・・・Qでもない、Xでもない。確立した無性愛者というものが世間様に理解してもらえるんだろうか。とても怖い。

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私がこの歳まで生きてこられたのも脱ヒキできたのも友人たちのおかげ。LINEや年賀状もらう度に、どれだけ離れていても人の絆って凄いなと思うんです。知り合った場所やキッカケ、今いる場所やしていることもバラバラだけど、よくメンヘラ引きこもりの私を見捨てずにいてくれたと思う。もちろん身内には感謝してます。でもその内1人は私が要因の1つを為して死なせてしまったし、特にヒキの人は甘えるのが当たり前、「早く働け、マトモになれ」圧が身内からだと切実に強すぎて、相容れない側面が強いんじゃないかな。今も当時の延長で会話すらしないきょうだいはいますし、親戚には顔向けできないよね。だからどうしても「友人」にしか言えないことがある。察してもらえないことがある。繋がってる、1人じゃないと思わせてくれたこと。このどうしようもない私を家から連れ出してくれたこと。堂々巡りの思考から脱するチャンスをくれたこと。返しきれないほどの恩を感じています。NGOだろうがNPOだろうが、友人というかけがえのない存在には叶わない。脱ヒキが目的なら、まず友人になってやってくれ。急がず話を聞いて待ってくれ。本人が何か変えたい、変えなきゃ、変えざるを得ないと感じた時に真っ先に打ち明けるのは友人だから。ネガティブならポジティブに導けば良い。友人なら、心から友人だと思ってるならそうするんだと思う。私、自殺を止めてくれた子達に、「100歳まで友達だよ」「このお店は本当に仲の良い子としか来ない」と後から折々に言われてグッと来まして。私がどう考えてもクズな友達に最期の別れを言われた時、そんなことがスマートにできるだろうか。楽にしてあげたいと思っちゃうんじゃなかろうか。彼らは私の想いを否定することなく延命させてくれたんです。見捨てることもできたのに。本当は生き汚い私の本性を見抜いたのかもしれない。でも父に先越された今となっては、生きてて良かったんだと思う。生きるだけでどうしようもなく苦しいし、いつ死んでも良いと思ってるのは変わらないけど。私を色眼鏡で見ずにいてくれてありがとう。見棄てずにいてくれてありがとう。その時打ち明けなかったけど、あちこち出歩けるようになって久々に会った友人たちは「良かった、生きてた~!」とネタとはいえ色々察してくれてたんだろう、と。死を考える時、自分のことを少なからず気にしてくれている人がいる、というのは常に意識していないといけないと思う。そう考えられるのもやっぱりそういう存在と出会ってお付き合いが続いているから。社会復帰してから出会えた人達もそうです。こんなにワガママでろくでなしなのに、世の中は基本的に優しいって思えた。元が元だから、とても苦しいって感じることや全部投げ出したくなる時は常にあるけど。過去といま、自分と付き合ってくれてる全ての皆様に感謝。
創作活動を辞めた理由の1つにセクシュアリティの自覚があります。恋愛と性欲は人間の根底をなし、好きな作家さんも取り入れてるテーマなのにいざ自分のキャラにと考えるとどうしても無理だった。せいぜいこの1人しかいなかった、と執着を描くのが想像の限界で、胸キュンだのこの娘使って自慰してるくらいの過程はすっ飛ばした。吐き気がしたし無理だったんです。私にとって恋心は厭むべき感情で、性欲は吐き気や発作を起こすものだったから。悔しかったし子供も諦められてないけど、嘘を吐き続けてまで書くのはちゃんとした恋愛を知っている方への冒涜でもあると思うから、過去は過去として書けなくなり、書かなくなって良かったと思ってます。私なりに大切に感じて執着や依存してる人達への思いは既存作にちゃんと込められてると思うし・・・関係性か無二であるなら、相手に家族や友人、他の繋がりがあっても構わないと思うだけ。私は私が死んだら相手が依存先を失くすような繋がりは求めてない。少しでも長く心身共に健やかに過ごしてほしい。

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私は三十路なるまで引きこもりで散々やらかしてきたし、社会復帰から半年で借金まみれの父に死なれたし、一生結婚も子供を産み育てることもできないです。こんなんでも何とか働いて衣食住そろった生活できてる。とりあえず生きてれば、どんな状態でも命さえ繋いでおけば、まだ何とかなる社会だと信じたい。だからクリスマス寄付はフードバンクへ。そりゃ鬼滅やヅカに貢いでる金額考えればささやかすぎてぶん殴られる金額だけど、相変わらずのプチ自己満足です。某医師団のシールも年賀状に貼ったし(笑)子供育ててる人はこの何倍も毎月毎年出費してんだよな、もっとしっかり親養ったり介護してる人もいるんだよな、と思うと償いというか後ろめたさを払拭したくなる。うち少なくとも父は片付いてるわけですから。追い込んだ原因の一つは私だし。
未来を考えると暗いことしか見えない。母を見送るお金とか、きょうだいのこととか。とりあえず母はともかく、きょうだいが金銭トラブル巻き込まれたら絶縁するしかないだろうな。物心ついた場所じゃないから彼名義になる今の家への愛着はないし、多分仕事もこのままだから収入的に自分の生活でいっぱいいっぱいだもん。彼1人助けるなら同じ金で沢山助かるとこに出したい。未来への可能性という意味でも。日本はまだ、どんなクソな環境でも生きて大人になれば本人の努力というか気持ち次第で何とかなる社会だと思ってます。私は自分が強かったんじゃなくて、周りに恵まれたからどうにか仕事就けたけど。私より能力あってメンタルも強いけど環境に恵まれない人や子供が、とにかく食って大人になることでマトモに生きられるようになれば幸い。レトルトと缶詰でも、最低限食えれば何とか生きられる。15まで生きられれば、18まで堪えればそこからは本人次第でどうにでもなると思うから。色んなかたちの虐待や周りから容赦なくつけられる傷はあって、癒すのは難しいけど。食ってれば何とかなる。生きてれば多分やり直せる。普段は自分の端金が1番価値を持つところへ、と国外に寄付してますが、仕事でコロナの経済ダメージ直に感じる機会が多いですし、少しでもお腹の足しになれば。頑張って働く。

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人生キモ口説かれランキング上位に「S城さんの声に似てますね」からハートマークカード掛かれたのが入ってるので大好きな鬼滅でも嫌な記憶がよぎりますが、だきちゃん演じるのは楽しそうですね! 吉田茂、藤原道長(ヅカね)並みの演じてみたい役上位です。もし彼女とお兄ちゃんが吉原に囚われず他の場所での生き方を模索できたら欠課は違っていたんじゃないかとは考える。今日は皮肉にもニワカの私にジャンフェスで競争率が高かったであろうグッズの当選×2のメールも来てしまい、申し訳なさひとしお。ヅカオタでオタ交流疲れたのもあって話しかける勇気もないし、他だと転売屋だと思われるし。とりあえず飾る用・実用にするかな。1年以上追っかけてグッズあんだけ収集してたら立派なオタだとは言われましたが親子3代が当たり前のヅカオタ兼歴オタ30年近くやってるもので・・・。5年でジャンル変わる2次元はニワカとしか言いようがない。

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