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O砂嵐関の手術、無事成功して良かったああああ・゜・(つД`)・゜・来年は三役期待して待ってるよ!
※以下某マンガも絡みつつの宗教ネタ@深夜のテンションご注意m(__)m
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※以下某マンガも絡みつつの宗教ネタ@深夜のテンションご注意m(__)m
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本当もうちょっと厳しさ減って彼のような異文化への飛び込み方をしてくれる人が増えれば理解も増すと思うのにな・・・実際ここに興味津々な人間モドキが一匹いるわけだし( ・∇・)ノシ ただなー、宗派とか人によっては聖典の扱い自体が厳格過ぎる問題とか考えると尻込みしちゃう。
育った宗教環境へのコンプレックスがアイデンティティの形成にまで影響してカオス状態だった自分、某聖人マンガには随分救われたんですよ正直。そっか、こんな風に笑い飛ばしちゃえば良いんだ、それをネタとして受け入れられることが日.本人の面白さなんだ、って。某掲示板まとめで読んだ、ウッカリ外国人ム○リム親子とお兄さん映画観に行く羽目になっちゃったそこんちの子どもの友達母(マンガの持ち主で、勝手にお子さんがムス○ム家庭の子に貸し出して映画にも誘ってしまったらしい)のカキコミで、ムスリ○父からは「正直言って楽しめたが、これは日/本でしか許されない作品だ」、○スリム母からは「全部の神様が日.本に住んじゃえば良いのにね」って意味深な感想もらった、って記事を思い出しちゃった(^-^;
いやー最新刊、とうとう北欧ネタが来たじゃないですかー!(≧∇≦) ギリシャ神話も大好きなのでゼウスの子種バラ蒔き過ぎネタも含まれていたり、ぜひケルトとか、正直仏教の元ネタで扱いが難しいのかもだけどヒンドゥー、バリ島ほか東南アジア、オセアニアやマヤ族、ネイティブアメリカンの神話にも結構面白いキャラ、いや神様がいたりネタが転がりまくりだと思うのでドンドン出していってほしいです!あ、個人的には日/本の火の神の誕生とそれに伴う父ちゃんと母ちゃんのアレなネタとか、思春期こじらせすぎちゃった天.照・ス○ノオ姉弟イジッてきても全然(※誤用)OK!・・・皇/室に繋がるから右寄りの皆さんは怒るかな?(-_-;) 海.幸山/幸の辺りとかもネタの宝庫だと思うんだけどなー。
今日ニュー○フィアで日/本人の仏教離れ記事が出てたけどさ、大多数の人が寺で葬式上げてその墓に入るんだからまだ良いじゃん? 神社なんかパワースポットとかって都合よく盛り上げられてるだけで、国の創世神話知ってる人間がどれくらいいると思う? 「スメラミコト」が元々どういう意味を持つ言葉か、とかその存在の意義とか。まぁ仏の教えに関してもその辺は同じだけどさー。自分の国の成り立ちとか歴史に深く関わってくる件に関して無知なのは少し恥ずかしいと思う。仏教入ってくる時だって血みどろの争いがあった結果、持ち込んだ蘇我氏一派がそれを利用してライバルをぶっ潰して勢力を増し(信長が既得権益層の寺院と対立しながら、イエズ○会と組んで向こうの先進文物を取り入れ一気に権勢拡大したのと近い構図だと思う)、自分らの血の濃い皇子だった聖徳太子を聖人・象徴化って流れとかさー。その時流された血や、それによってもたらされた歴史上の政変のことを考えると、最終的に上手く習合して共存してる現在(明治期に分離されかけて未だにケンカ中のとこもあるけど。笑)が素晴らしいと思う。やっぱりどっちもきっとこの国には必要なもので、面白いな、と^^ ・・・ホント他人事のようにしか語れないところがアレなんだが(-_-;)
また何か話が逸れてしまったけど、初詣やお祭りといった、ある意味ただのイベントと化している神社参拝より、必ず厳かな気持ちで執り行われる儀式の場であるお寺の方が、ある意味ちゃんと宗教としての機能は果たしていると認識されてるんじゃないか、日本人の中で( ・◇・)? そりゃ境内は広いわ古い鳥居や石段のメンテもしなきゃだし、本尊他の掃除は気ぃ遣う上に修理するとなったら専門の方に頼まないといけなくて維持管理が本当に大変、時間的にも経済的にもかなりキツイ、ってのはどっちの側の方からも聞きますけど。ウチの祖父母が通ってた教会の牧師様(これも敬称ぬかせない癖)は転勤制で、教会の建物は近代的だったし、どこか直さないといけない時は信徒みんなでお金集めて、ってマンションの自治会とかと同じ管理方式だったから良かったけど・・・。寺社の伝統的な家族管理・世襲方式で全面的に一家族が責任負う方式だと住職さんや宮司さんの負担が大きすぎるんだよなー。定住してる宮司さんがいなくても、よっぽど周囲の氏子さんに大事にお手入れされている神社や、お金持ちの檀家さんが沢山いて、それこそ住職以外の修行僧受け入れられるような大きなお寺以外は。一部の記事でも触れられていたけど、このご時世、信心の問題以前に都市集住化が進み、高齢や過疎化の問題と相まって地方の寺が次々潰れていくのは正直どうしようもないことなのでは? 私は京都という日/本の宗教の中心地(笑)で文学部にいたせいか、日.本人が宗教離れしてるとかは少しも感じない。というかむしろこんな信心(迷信?)深かったんかー、とビックリしちゃったくらいだけどなぁ。(そりゃ自分ちと比べれば(以下略)、という問題なのかもしれませんが)
まぁとにかく、仏教離れで宗教的隙間が生じたと見られているレベルだというなら、そこに変なカルトや過激な思想が入り込まないと良いな、ってそれだけ思う。オ○ムとか、当時子どもだったけどマジわけわかんなくて素直に怖かったもん。そんな風に「隙間」につけこまれる人たちを出しちゃうくらいなら、既存宗教の存在意義を守る努力、つまんない説教聞かされつつ全力で妄想に脳内変換して逃避したり、この寺ひっでぇナマグサ金取りだなぁ、と思いながら作成○百年前、○十年に一度ご開帳の仏像拝むために小銭出すくらい何でもないよ! 例え私が永遠に信仰を持てない人間だとしても、寺社仏閣巡りとそこにある長年に渡って蓄積されてきた人々の「祈り」の空気、貴重な芸術品(仏像や御神体、襖や欄間、寺宝と呼ばれる全てを含む)に落ち着いたり癒されることは確かだから。頑張って維持のために貢献するよ!o(^o^;)oくらいのことは感じてしまう。何とか天部のように戦略考えて(笑)少しでも多くのお寺・仏教文化に生き残っていってほしいなー。大体寺に関してはこのせっまい国で宗派別れすぎなんだよね、ただでさえ日.本来てから別物化しちゃってるっていうのにさ・・・(-ε-;)ブツブツ
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本当もうちょっと厳しさ減って彼のような異文化への飛び込み方をしてくれる人が増えれば理解も増すと思うのにな・・・実際ここに興味津々な人間モドキが一匹いるわけだし( ・∇・)ノシ ただなー、宗派とか人によっては聖典の扱い自体が厳格過ぎる問題とか考えると尻込みしちゃう。
育った宗教環境へのコンプレックスがアイデンティティの形成にまで影響してカオス状態だった自分、某聖人マンガには随分救われたんですよ正直。そっか、こんな風に笑い飛ばしちゃえば良いんだ、それをネタとして受け入れられることが日.本人の面白さなんだ、って。某掲示板まとめで読んだ、ウッカリ外国人ム○リム親子とお兄さん映画観に行く羽目になっちゃったそこんちの子どもの友達母(マンガの持ち主で、勝手にお子さんがムス○ム家庭の子に貸し出して映画にも誘ってしまったらしい)のカキコミで、ムスリ○父からは「正直言って楽しめたが、これは日/本でしか許されない作品だ」、○スリム母からは「全部の神様が日.本に住んじゃえば良いのにね」って意味深な感想もらった、って記事を思い出しちゃった(^-^;
いやー最新刊、とうとう北欧ネタが来たじゃないですかー!(≧∇≦) ギリシャ神話も大好きなのでゼウスの子種バラ蒔き過ぎネタも含まれていたり、ぜひケルトとか、正直仏教の元ネタで扱いが難しいのかもだけどヒンドゥー、バリ島ほか東南アジア、オセアニアやマヤ族、ネイティブアメリカンの神話にも結構面白いキャラ、いや神様がいたりネタが転がりまくりだと思うのでドンドン出していってほしいです!あ、個人的には日/本の火の神の誕生とそれに伴う父ちゃんと母ちゃんのアレなネタとか、思春期こじらせすぎちゃった天.照・ス○ノオ姉弟イジッてきても全然(※誤用)OK!・・・皇/室に繋がるから右寄りの皆さんは怒るかな?(-_-;) 海.幸山/幸の辺りとかもネタの宝庫だと思うんだけどなー。
今日ニュー○フィアで日/本人の仏教離れ記事が出てたけどさ、大多数の人が寺で葬式上げてその墓に入るんだからまだ良いじゃん? 神社なんかパワースポットとかって都合よく盛り上げられてるだけで、国の創世神話知ってる人間がどれくらいいると思う? 「スメラミコト」が元々どういう意味を持つ言葉か、とかその存在の意義とか。まぁ仏の教えに関してもその辺は同じだけどさー。自分の国の成り立ちとか歴史に深く関わってくる件に関して無知なのは少し恥ずかしいと思う。仏教入ってくる時だって血みどろの争いがあった結果、持ち込んだ蘇我氏一派がそれを利用してライバルをぶっ潰して勢力を増し(信長が既得権益層の寺院と対立しながら、イエズ○会と組んで向こうの先進文物を取り入れ一気に権勢拡大したのと近い構図だと思う)、自分らの血の濃い皇子だった聖徳太子を聖人・象徴化って流れとかさー。その時流された血や、それによってもたらされた歴史上の政変のことを考えると、最終的に上手く習合して共存してる現在(明治期に分離されかけて未だにケンカ中のとこもあるけど。笑)が素晴らしいと思う。やっぱりどっちもきっとこの国には必要なもので、面白いな、と^^ ・・・ホント他人事のようにしか語れないところがアレなんだが(-_-;)
また何か話が逸れてしまったけど、初詣やお祭りといった、ある意味ただのイベントと化している神社参拝より、必ず厳かな気持ちで執り行われる儀式の場であるお寺の方が、ある意味ちゃんと宗教としての機能は果たしていると認識されてるんじゃないか、日本人の中で( ・◇・)? そりゃ境内は広いわ古い鳥居や石段のメンテもしなきゃだし、本尊他の掃除は気ぃ遣う上に修理するとなったら専門の方に頼まないといけなくて維持管理が本当に大変、時間的にも経済的にもかなりキツイ、ってのはどっちの側の方からも聞きますけど。ウチの祖父母が通ってた教会の牧師様(これも敬称ぬかせない癖)は転勤制で、教会の建物は近代的だったし、どこか直さないといけない時は信徒みんなでお金集めて、ってマンションの自治会とかと同じ管理方式だったから良かったけど・・・。寺社の伝統的な家族管理・世襲方式で全面的に一家族が責任負う方式だと住職さんや宮司さんの負担が大きすぎるんだよなー。定住してる宮司さんがいなくても、よっぽど周囲の氏子さんに大事にお手入れされている神社や、お金持ちの檀家さんが沢山いて、それこそ住職以外の修行僧受け入れられるような大きなお寺以外は。一部の記事でも触れられていたけど、このご時世、信心の問題以前に都市集住化が進み、高齢や過疎化の問題と相まって地方の寺が次々潰れていくのは正直どうしようもないことなのでは? 私は京都という日/本の宗教の中心地(笑)で文学部にいたせいか、日.本人が宗教離れしてるとかは少しも感じない。というかむしろこんな信心(迷信?)深かったんかー、とビックリしちゃったくらいだけどなぁ。(そりゃ自分ちと比べれば(以下略)、という問題なのかもしれませんが)
まぁとにかく、仏教離れで宗教的隙間が生じたと見られているレベルだというなら、そこに変なカルトや過激な思想が入り込まないと良いな、ってそれだけ思う。オ○ムとか、当時子どもだったけどマジわけわかんなくて素直に怖かったもん。そんな風に「隙間」につけこまれる人たちを出しちゃうくらいなら、既存宗教の存在意義を守る努力、つまんない説教聞かされつつ全力で妄想に脳内変換して逃避したり、この寺ひっでぇナマグサ金取りだなぁ、と思いながら作成○百年前、○十年に一度ご開帳の仏像拝むために小銭出すくらい何でもないよ! 例え私が永遠に信仰を持てない人間だとしても、寺社仏閣巡りとそこにある長年に渡って蓄積されてきた人々の「祈り」の空気、貴重な芸術品(仏像や御神体、襖や欄間、寺宝と呼ばれる全てを含む)に落ち着いたり癒されることは確かだから。頑張って維持のために貢献するよ!o(^o^;)oくらいのことは感じてしまう。何とか天部のように戦略考えて(笑)少しでも多くのお寺・仏教文化に生き残っていってほしいなー。大体寺に関してはこのせっまい国で宗派別れすぎなんだよね、ただでさえ日.本来てから別物化しちゃってるっていうのにさ・・・(-ε-;)ブツブツ
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