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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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※長くなりすぎたので『わたしを離さないで』感想と分けましたm(__)m

近所のツ○ヤ行ったら公房さんの本一冊もなくて絶望した!田舎だから?一応(あんまりレベル高くない&保育士とか実践系のだけど)大学も近くにあるのに>< しょうがないから『第四間氷期』 も『壁』の次に狙い定めてポチっとリストに加えときました。うん、今の歪みが向かってしまう対象はコレなんだよなー。 ぶっちゃけ『壁』の次にコレをセレクトしたのは、某番組でフィンラ○ド人高校生が読んだ話してて驚愕したから。某ガ○パン艦○れオタの大学生?といい、ヨーロッパでは珍しくない、って聞きますけどやっぱりウチの妹弟より年下の子が既にマルチリンガルで母国語からかなり遠いはずの、恐らく日.本人の同世代すら何割が読んでるか、って純文を原語で読める上に将来はその言葉を使って小説書きたいとか、どんだけ意識高いの!?(;´д`)と焦ってしまったので(笑)きっと私の歳になる頃には余裕で夢を叶えているか、また違う世界に飛び出していずれにせよ密度の濃い経験を重ね、はるかに充実した人生を送ってるんだろうなぁ。『砂の女』も評価されてる英語の記事を最近見たのが改めて読もうと思ったキッカケだったり、『みずうみ』『箱男』はそのコメント欄から。一方で海外文学は「日.本語訳の文庫出てなーい!><」とか泣き言言ってる自分が心から恥ずかしくなったとも。英語さえ何となくわかりゃ良いだろ、ってか日/本語が好きなの、外套だの葡萄酒だの無理やりカタカナな表現が!って開き直ってた自分よ、ちょっとソコへ直れ?^^# でもぶっちゃけペーパーバックはかさ張るし、バンドでも付けとかないと開いちゃって文庫より更に長持ちしない点が嫌なんだよなぁ。まぁ日.本が人口のある島国で、母国語以外は話せないけどマニアックに文学含め海外の諸々に興味を抱く人間が一定数存在してしまう点が、翻訳がんばり過ぎ文化の恩恵?なのかなと幸運に考えてきましたが・・・。このままじゃアカンのかな、やっぱり?(・・;)

以下、病みを含む家族グチとか読書について

あとマジでカオス状態だった母の机片付けただけでブチ切れられてメッチャ謎(^ω^#)「妹が勝手に持ち出して失くしやがった!」と騒いでた諸々発掘し整理して並べた上に、その旨ちゃんと伝えたのに「聞いてない!」とか「コレはここになきゃダメ!」だのひたすら怒鳴られて、もう今日花粉で喉も目鼻耳もボロボロで頭痛も酷いし勘弁してほしい・・・。そこにあるから、って言われたものを探してた成り行きから仕方なくしたことだったのに、「ちゃんとしまってたんだから欲しいなら欲しいって言え!」とか前後の発言に矛盾があるにも程が(以下略)ほんっと、父がお金持ってこない時の母にはお酒飲んでほしくないなぁ、と苦労の一因として申し訳なくも毎回思う。部屋にいても乗り込んでくるとか、ただでさえ鬱状態の精神HPガンガン削られていくわ。マジでみんな仕事頼んだら期日守って支払ったって、自営業や個人事務所系は特にこれから税金鬼のように取られる時期だし(仕事受けてる以上は実際の払い込みが済んでなくても相応の収入があったと換算されるんやでー)、福利厚生や諸々の手当てなんかはもちろん無い本当ギリギリの状態なんで(-_-;)

で、そんな母が机を見てキレ出す前、「あんたの読み方は牛みたい」と読書姿勢について言われました。牛は一度胃袋に入れた草を何回も口の中に戻して噛みながら飲み下すのを繰り返すそうな。だってさ、そうしないとちゃんと自分の一部になんないじゃん? せっかく新しい言葉を覚えても、その意味を本当に実感して自分のものにしないと絶対使いこなせない、という気持ちが昔からあって。(『ガラスの仮面』で主人公マヤがどう演じるか悩み苦しんでいたヘレ○・ケラーの「Water!」並みに痺れる感覚が来ないとダメですよ(´-`))ストーリー全体もそう、途中までの解釈が全部間違っているんじゃないか、と感じたら初めから戻って読み直す。だから後でそうしやすいように「もしかしたらココが動くポイントなんじゃないか」って場面に折り目を付け、一つのフレーズとしても頭に残りそうなセリフや発想は“自分のもの”として理解できるように線を引くんですね(^^;メッチャ時間かかるし謎な読み方だと思います。線引きは外では自重するけど、折り目と読み返しはやるな・・・だから本買って持っとくしかないんだわ(笑)
紙の上の話読んだだけで登場人物や作者の意図を全て取り込めるとは思えないけど、『ティモシー・アーチャー~』のエンジェルが言っていたように、知らない世界を知っている気分になることはできる。彼女のように完全に繋がった、とか他者の目で世界を見られたとは思わない。ただ、理解の窓口に接することができたように感じる喜びは何物にも代えがたい。そして例え立場や時代や性別や人種や国が違っても、似たようなこと考えて共感できる人がいたんだな、ってことに安心する。あるいは同じ出来事についてこんな見方もできるのか、という新鮮な驚きを覚え、気持ちが楽になることもある。読書の最大の喜びはそういうことで、エンジェルのような才媛的読み方や暗記・講釈はできなくても、一人の作家・あるいは登場人物と向き合い対話したような気分に浸れる、解り合えたような、改めて差異を学べたような、何というか空っぽの内面を少しでも満たしてもらえたような感覚が嬉しくて堪らないんです。(何回も繰り返していますが、私は自分を虫けらの中でも特に内側が食い荒らされていつまでも葉っぱにしがみついたままの空洞のサナギみたいだと思っていて。我ながらキモいけど(笑)だから図鑑の中のソレ系の虫のページをよく覚えてるんですね。○○コバチ系とか、成長して時期が来れば空になったサナギから飛び立っていく寄生して育つ生き物。蝶が出てくると思ってたら大量のハチが出てくるとかスゲェ!という印象だけじゃなしに、自分の一部を栄養とし取り込んだはずの彼らは一体どこに行ってしまったのか、残された空のサナギは例え「死んでいる」状態だとしても寂しかったり虚しくはないのかな、とずっと考えていたりする@ビョーキだからね!^^)人間ファンとして、人間の書いた、人間らしい物語の中の何かを注いでもらい、そちらへ近づけたような気分になれるのが私にとっては読書の最大の魅力かな、と(*´∇`*)

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あとマジでカオス状態だった母の机片付けただけでブチ切れられてメッチャ謎(^ω^#)「妹が勝手に持ち出して失くしやがった!」と騒いでた諸々発掘し整理して並べた上に、その旨ちゃんと伝えたのに「聞いてない!」とか「コレはここになきゃダメ!」だのひたすら怒鳴られて、もう今日花粉で喉も目鼻耳もボロボロで頭痛も酷いし勘弁してほしい・・・。そこにあるから、って言われたものを探してた成り行きから仕方なくしたことだったのに、「ちゃんとしまってたんだから欲しいなら欲しいって言え!」とか前後の発言に矛盾があるにも程が(以下略)ほんっと、父がお金持ってこない時の母にはお酒飲んでほしくないなぁ、と苦労の一因として申し訳なくも毎回思う。部屋にいても乗り込んでくるとか、ただでさえ鬱状態の精神HPガンガン削られていくわ。マジでみんな仕事頼んだら期日守って支払ったって、自営業や個人事務所系は特にこれから税金鬼のように取られる時期だし(仕事受けてる以上は実際の払い込みが済んでなくても相応の収入があったと換算されるんやでー)、福利厚生や諸々の手当てなんかはもちろん無い本当ギリギリの状態なんで(-_-;)

で、そんな母が机を見てキレ出す前、「あんたの読み方は牛みたい」と読書姿勢について言われました。牛は一度胃袋に入れた草を何回も口の中に戻して噛みながら飲み下すのを繰り返すそうな。だってさ、そうしないとちゃんと自分の一部になんないじゃん? せっかく新しい言葉を覚えても、その意味を本当に実感して自分のものにしないと絶対使いこなせない、という気持ちが昔からあって。(『ガラスの仮面』で主人公マヤがどう演じるか悩み苦しんでいたヘレ○・ケラーの「Water!」並みに痺れる感覚が来ないとダメですよ(´-`))ストーリー全体もそう、途中までの解釈が全部間違っているんじゃないか、と感じたら初めから戻って読み直す。だから後でそうしやすいように「もしかしたらココが動くポイントなんじゃないか」って場面に折り目を付け、一つのフレーズとしても頭に残りそうなセリフや発想は“自分のもの”として理解できるように線を引くんですね(^^;メッチャ時間かかるし謎な読み方だと思います。線引きは外では自重するけど、折り目と読み返しはやるな・・・だから本買って持っとくしかないんだわ(笑)
紙の上の話読んだだけで登場人物や作者の意図を全て取り込めるとは思えないけど、『ティモシー・アーチャー~』のエンジェルが言っていたように、知らない世界を知っている気分になることはできる。彼女のように完全に繋がった、とか他者の目で世界を見られたとは思わない。ただ、理解の窓口に接することができたように感じる喜びは何物にも代えがたい。そして例え立場や時代や性別や人種や国が違っても、似たようなこと考えて共感できる人がいたんだな、ってことに安心する。あるいは同じ出来事についてこんな見方もできるのか、という新鮮な驚きを覚え、気持ちが楽になることもある。読書の最大の喜びはそういうことで、エンジェルのような才媛的読み方や暗記・講釈はできなくても、一人の作家・あるいは登場人物と向き合い対話したような気分に浸れる、解り合えたような、改めて差異を学べたような、何というか空っぽの内面を少しでも満たしてもらえたような感覚が嬉しくて堪らないんです。(何回も繰り返していますが、私は自分を虫けらの中でも特に内側が食い荒らされていつまでも葉っぱにしがみついたままの空洞のサナギみたいだと思っていて。我ながらキモいけど(笑)だから図鑑の中のソレ系の虫のページをよく覚えてるんですね。○○コバチ系とか、成長して時期が来れば空になったサナギから飛び立っていく寄生して育つ生き物。蝶が出てくると思ってたら大量のハチが出てくるとかスゲェ!という印象だけじゃなしに、自分の一部を栄養とし取り込んだはずの彼らは一体どこに行ってしまったのか、残された空のサナギは例え「死んでいる」状態だとしても寂しかったり虚しくはないのかな、とずっと考えていたりする@ビョーキだからね!^^)人間ファンとして、人間の書いた、人間らしい物語の中の何かを注いでもらい、そちらへ近づけたような気分になれるのが私にとっては読書の最大の魅力かな、と(*´∇`*)

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