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人はいつか死ぬ。そんなことわかってる。でもせめて寿命で死んでほしかった。コロナでも良い、病気で死んでほしかった。いなくなってから三年、母のガンはじめいたら大変だったろうな、ってことが沢山あったけどいてくれたら、と考えることも沢山あった。どうすれば良いかわからないよ。自分が言ってることややってることが正しいことなのか、誰がストップかけてくれるの。甘えてるのはわかってる。法律のことだって相談したいし学びたかった。資格取ろうと思ったって何も役に立たないじゃない。良い歳なんだから自己判断・自己責任が当たり前なのはわかってる。でも、周りの同世代や少し上の世代の親が圧倒的に年金もらって健在な姿見るとやりきれない。だから、この人たちは当たり前に自分や子供の生活だけ気にしてれば良いんだな、って妬みのような醜い感情を抱いてしまう。母が死んだら、ボケたら、再発したら1番迷惑かけた私が面倒見て始末つけなきゃいけない。墓も宗教もないのに葬式や相続はどうするんだろう、どうやって相続権を手放した家を引き払えば良いんだろう、と凄く不安です。もっとちゃんと勉強しておけば良かった。考えれば良かった。老いの恐さを仕事で知っているけど、父は老いることなく死んでしまった。だから母の老いと向き合うのが怖い。どうして一緒に老いてくれなかったのか。父がいた頃のものが1つ1つなくなり、その後に買い換えたものとも別れが訪れつつある現状がつらい。私のお金や10万ずつの給付金で家電を買い換えることもできるけど、それは父と母が選んで買ったもので、父が使っていたもので、最後の思い出があって。いくらボロボロでも迂闊に換えて良いものなのか?と躊躇してしまう。朝普通に仕事行って、終わってスマホ開けたら着信の嵐で「パパが◯◯して死んだ」という文面見た時の気持ちは誰にもわからないでしょうね。死んだ場所に駆けつけても警察に運ばれた後で、葬儀屋だけが来て次の日も普通に仕事行って。火葬の日しか休まなかったよ。この緊急事態でも休んだら評価下がる非正規だもの。妹の子を見てほしかった。妹の旦那とも一緒に過ごしてほしかった。彼は父と同じ死に方で親友も親戚も喪っています。父の死の際、泣くどころでなかった家族にかわり人目を憚ることなく誰よりも泣いてくれたのも彼です。何て馬鹿なことをしたんだ。殺しても殺したりない。私が先に死にたかったんだから。今年死んだ祖母に、私たちも伯母も死因言わなかったけどわかってたみたい。「私はあの子の親なんだから本当のことを言いなさい!」と激昂していたと聞きました。だから私は死ねなくなった。ああいう人は結婚も子作りもすべきじゃなかった。これから世界中で物凄く同じ死に方をする人は増えるでしょう。お願いだから家族の顔を思い出して、責任果たしてからやって。
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