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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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日/独の比較から最終的にヨー○ッパ全般からいつものイギリ○への愛憎語りへカオスに展開していきますm(__)m ぶっちゃけ大陸に対してが(アジア人として)何を言っても最終的に実は愛情の塊なら、イギ○スに対してはマジで交錯する様々な思いを抱いてしまう国なんだよねどうしても。(歴オタ的に)

日.本のミリもので良いと思ったの『八甲/田山』と『二○三高地』しかない、って前書いたけど、カテゴリー的にミリ物と呼べるか分からんが『私○貝になりたい』も名作だな、と思い出した。何百人もとっ捕まって処刑されて、そのネタで靖.国だって延々政治カード化されてんだから(主権国家としての内政干渉以前に民主国家なら当然擁護してしかるべき信教の自由の問題だっつーのに)、積極的に「戦/犯」をテーマにした作品を作っていくべきだと思うのだが。実際に悪どいことしてた捕.虜収.容所の看守の非道さも、軍の上下関係故に止むを得ず「罪」を犯した人間の苦しみも、全部ありのままに描くことは・・・戦後生まれの監督や作家には既に不可能だろうか?

というかドイ○の例を見ると、彼らにとっては戦/犯=ナ.チ・ヒ○ラーの存在が圧倒的過ぎて(少なくとも日/本語字幕で見られるような作品は)大体がそちらに焦点を当てられているネタばかりなんだよね。そうなると一兵卒・ニュル○ベルクで処分された幹部以外の党員たちがどんな考えを持ち、どんな心持ちで審判の日を迎えたのか細かいところを描き出すようなものには光が当たらなくなってしまう。まぁ少なくとも「同じ文明人」として東.京裁判よりは(日/本人の目から見て)「マトモ」に進行したという、あちらの「戦.犯」の方が明らかな「確信犯(※正しい用法で)」のみが裁かれた、という点でド○ツ人も深く追及する気が起きなかった+戦後の恐ろしいまでの第三.帝国全否定教育のせいで当時ナ/チに熱狂していた人々の感情を忖度しようとすること自体が罪とされるようになった影響も大きいのでしょうが。(でもヒト○ーや側近に関して、一部同情的な表現が見られる作品もあるんだよなぁ・・・不思議や(´-`))ドイ○語できたら『私は貝に~』ドイ○Ver.みたいなの探せたり、ニュル○ベルク戦/犯の向こうでの捉えられ方とかもっと理解できんのかな?
むしろ「オイそいつ戦.犯って呼べるのか?」レベルの年寄りを最近まで血眼になって追っかけ回して訴追してたのは戦後ド○ツ政府そのものだしな。いくら大陸の中心で難しい立場だとは言え、いい加減アピールが必死過ぎて何か哀れになる。だって全盛期ナ/チの支持率の高さを考えると、自分たちの肉親がしてきたことをトコトン否定して貶める行為でしょ? あるいは彼らを全くの他人と切り捨てる行為。例え実際どれほどの悪で罪深い存在だとしても、日.本人にはまず無理だ。例え罪人の血筋と罵られても、他人だと切り捨てるくらいならいっそ罪ごと背負ってずっと先祖としての敬愛・思慕の念は捨てがたく生きていくだろう。ソコが理解されない・「彼ら」が許せない日/独最大の相違点なんだろうな。だってそんなことで褒められたり「認められ」ることが、独立したアイデンティティを持った主権国家として本当に必要なことなのだろうか? そんな行為を心から正しいと信じていたり、遂行と他国からの「反省の承認や称賛」という結果に喜びや誇りを感じるわけ?最近の件は戦.勝国民にも「さすがにやり過ぎでは?」という意見が少なくなかったようだけど(´・ω・`) 難民の件といい、一体どこに向かう気なんやドイ○・・・と他人のこと言えない身空で心配にならざるを得ない。

日.本はその点アメ○カ単独で支配されたこと、イデオロギーの境界線がすぐ傍に迫ってしまったことでよりド○ツとは違った意味で事態が複雑になった面+ぶっちゃけ有色人種VS欧米列強の戦いでもあったため(少なくとも日/本人にとっては)、非常に不公正というか不満が残る裁判結果、納得できない「戦.犯」遺族の存在というしこりを大きく残してしまった。この辺は当時のアメリ○における黒人・日系人への扱いだけ見てもある程度察せる人種的差別意識の存在と、W W 2がどういう形にせよ欧州がアジアの植民地を失うキッカケを間違いなく生み出したこと、まさに文化的価値観の衝突(Tennoの戦争責任や靖.国問題はまさにこの象徴だと思う)などが相まってかなり複雑だな、と考えますが(-_-;)
だから、日/本人が良質のミリ物を作れないのもまさにこの辺が理由であって、もしかしたら代わりにガンダ○やヤ○ト、銀Aなんかの二次元やラノベに全力でその思い(軍というシステムや戦争という行為自体への批判や、一兵卒や将校たちへの憐れみ、各々が騙る正義の虚しさなど・・・)を込めてぶつけてきたのかな、と。そう考えると逆にヒト○ーという格好の素材があり、あくまで「現実(自分たちが定義する絶対的なものであって多角的な角度から眺めた「真実」ではない)」を「直視」することにこだわるドイ○人が戦後すっかり良質なフィクションの世界から遠ざかってしまったのも無理はないのかも。日.本人はまぁ元々妄想が好きなのも多少変わり者でHentai属性があるのも千年以上前から分かりきってましたけど、戦後は「他の手段を取れない」が故に、アニメ・マンガ・ゲーム・ラノベを通してファンタジーやスペースオペラ、萌え系ハーレム系に至るまで軍隊や戦争、ひいては社会や人間の内面の矛盾や問題まで全部ぶっこむ方向に独自のフィクションを発展させることができたんじゃないか、と。

「敗.戦国」としてよく比べられる二国、私はドイ○語圏の文学や映画がすごく好きだし、日/本の映画は一部アレでもフィクションはやはり多様性と深みを感じて誇りに感じる点でもある。だから何か、どっちが良い(マシ)か、とかは言えないけど、あと「ヨー○ッパ」が少なくとも文化的には統一されつつあり(まぁ同時に政治的には瓦解しそうでもあるけど。笑)、英語圏文化の影響が日.本以上にデカ過ぎるのであろうことを考えれば、中々ド○ツ発信元の新しい文化が生まれにくいのも理解できる。けどやっぱり正直残念ではあるよね・・・(´・ω・`)ショボーン
ド○ツ人のおじさまが「ドイ○のドラマくそつまんない、役者下手すぎ、日/本の方がはるかにマシ」と言ってるのとか(日.本の俳優より下手とかマジどういう(以下略)あ、でもたまに英語圏のメジャー作品にも「おいおい何でこのキャスト?」っての確かにいるけど(^^;)、仏のバ○ド・デシネや米のアニ○ーション、文学や音楽で幅広くかっ飛ばしてくる英.国のような定番やヒットしたエンターテイメント系って、国の規模や存在感から考えると戦後ドイ○圧倒的に少ないんですよね。ロック好きだからいくつかバンドは思い浮かぶけど(てか独語ロック意味分かんなくてもカッコよくて好き^^)、決して世界的メジャーレベル(i-tu○es世界配信アリ)かと言われると極めて稀だしな・・・。お隣ウィー○のミュージカルは日/本でヒット飛ばしているというのに、何かやっぱドイ○にはまだまだそういう意味での縛りがある気がする。(ベル○ンは「ナ.チ時代の文化弾圧からの反省に基づく芸術の街」化しているそうですが、そういう前衛的なのから正直世界の大多数を占める一般大衆にウケるものが生み出せるか、っていうと決してそうではないんだよね(-_-;)と)日本で学んだり連載持った経験のあるド○ツ人漫画家さんたちとか、本当がんばって母国のサブカルやエンタメ発展に貢献してほしいな、と考えたりしちゃいます。せっかくE Uの中心国家になって経済も好調なら、後は自由で柔軟な発想で英語圏にも仏語圏にもないオリジナルの作品をぜひ!

ちなみに東欧とかロ○アは決してメジャーではないかもしれないですが、かなりシュールでユニークなアニメーションやキャラクター作ってると思います。シュヴァンク○イエルやソクー○フ、チェブ○ーシカにネタとしてのプー○ン・・・濃い、濃いわぁ!(´Д`;) つかチェ○とかポーラ○ドの絵本やアニメーション作品とか、文学含め国の規模考えるとキテるのあり過ぎて怖い。あ、無知なだけでド○ツでもそういうのもっとあるのかもしれないけど、同規模の他国と比べてもっと潜在力ありそうなのに、って話。
しっかしフィ○ランドのひたすらムー○ン推し、オラ○ダのひたすらミッ○ィー推しを考えると「ハ○ーもホー○ズもパディ○トンもテディ・ベ○もいるし、宮殿に近衛兵に時計台、ロンド○・バス、アフタ○ーン・ティーにイング○ッシュ・ガーデンも取り揃えてますが何か?」な英/国様の余裕が本当にギリギリギリギリo(´皿`;)←だからそのしつこいコンプやめろって(笑)で、でもムー○ンランド建設予定でハウス○ンボスあっても日.本に英/国村はない・・・あ、あった似たようなのが確か福島にorz パブも地味に人気でフェアしょっちゅうやってるのは何故?みんなマズさバカにしてレストラン無いくせに! ホント文化的支配って大きいと思うわー。(と延々英.国ロックを聴きながら考える愛憎入り混じった年明けの深夜\(^O^)/)

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日.本のミリもので良いと思ったの『八甲/田山』と『二○三高地』しかない、って前書いたけど、カテゴリー的にミリ物と呼べるか分からんが『私○貝になりたい』も名作だな、と思い出した。何百人もとっ捕まって処刑されて、そのネタで靖.国だって延々政治カード化されてんだから(主権国家としての内政干渉以前に民主国家なら当然擁護してしかるべき信教の自由の問題だっつーのに)、積極的に「戦/犯」をテーマにした作品を作っていくべきだと思うのだが。実際に悪どいことしてた捕.虜収.容所の看守の非道さも、軍の上下関係故に止むを得ず「罪」を犯した人間の苦しみも、全部ありのままに描くことは・・・戦後生まれの監督や作家には既に不可能だろうか?

というかドイ○の例を見ると、彼らにとっては戦/犯=ナ.チ・ヒ○ラーの存在が圧倒的過ぎて(少なくとも日/本語字幕で見られるような作品は)大体がそちらに焦点を当てられているネタばかりなんだよね。そうなると一兵卒・ニュル○ベルクで処分された幹部以外の党員たちがどんな考えを持ち、どんな心持ちで審判の日を迎えたのか細かいところを描き出すようなものには光が当たらなくなってしまう。まぁ少なくとも「同じ文明人」として東.京裁判よりは(日/本人の目から見て)「マトモ」に進行したという、あちらの「戦.犯」の方が明らかな「確信犯(※正しい用法で)」のみが裁かれた、という点でド○ツ人も深く追及する気が起きなかった+戦後の恐ろしいまでの第三.帝国全否定教育のせいで当時ナ/チに熱狂していた人々の感情を忖度しようとすること自体が罪とされるようになった影響も大きいのでしょうが。(でもヒト○ーや側近に関して、一部同情的な表現が見られる作品もあるんだよなぁ・・・不思議や(´-`))ドイ○語できたら『私は貝に~』ドイ○Ver.みたいなの探せたり、ニュル○ベルク戦/犯の向こうでの捉えられ方とかもっと理解できんのかな?
むしろ「オイそいつ戦.犯って呼べるのか?」レベルの年寄りを最近まで血眼になって追っかけ回して訴追してたのは戦後ド○ツ政府そのものだしな。いくら大陸の中心で難しい立場だとは言え、いい加減アピールが必死過ぎて何か哀れになる。だって全盛期ナ/チの支持率の高さを考えると、自分たちの肉親がしてきたことをトコトン否定して貶める行為でしょ? あるいは彼らを全くの他人と切り捨てる行為。例え実際どれほどの悪で罪深い存在だとしても、日.本人にはまず無理だ。例え罪人の血筋と罵られても、他人だと切り捨てるくらいならいっそ罪ごと背負ってずっと先祖としての敬愛・思慕の念は捨てがたく生きていくだろう。ソコが理解されない・「彼ら」が許せない日/独最大の相違点なんだろうな。だってそんなことで褒められたり「認められ」ることが、独立したアイデンティティを持った主権国家として本当に必要なことなのだろうか? そんな行為を心から正しいと信じていたり、遂行と他国からの「反省の承認や称賛」という結果に喜びや誇りを感じるわけ?最近の件は戦.勝国民にも「さすがにやり過ぎでは?」という意見が少なくなかったようだけど(´・ω・`) 難民の件といい、一体どこに向かう気なんやドイ○・・・と他人のこと言えない身空で心配にならざるを得ない。

日.本はその点アメ○カ単独で支配されたこと、イデオロギーの境界線がすぐ傍に迫ってしまったことでよりド○ツとは違った意味で事態が複雑になった面+ぶっちゃけ有色人種VS欧米列強の戦いでもあったため(少なくとも日/本人にとっては)、非常に不公正というか不満が残る裁判結果、納得できない「戦.犯」遺族の存在というしこりを大きく残してしまった。この辺は当時のアメリ○における黒人・日系人への扱いだけ見てもある程度察せる人種的差別意識の存在と、W W 2がどういう形にせよ欧州がアジアの植民地を失うキッカケを間違いなく生み出したこと、まさに文化的価値観の衝突(Tennoの戦争責任や靖.国問題はまさにこの象徴だと思う)などが相まってかなり複雑だな、と考えますが(-_-;)
だから、日/本人が良質のミリ物を作れないのもまさにこの辺が理由であって、もしかしたら代わりにガンダ○やヤ○ト、銀Aなんかの二次元やラノベに全力でその思い(軍というシステムや戦争という行為自体への批判や、一兵卒や将校たちへの憐れみ、各々が騙る正義の虚しさなど・・・)を込めてぶつけてきたのかな、と。そう考えると逆にヒト○ーという格好の素材があり、あくまで「現実(自分たちが定義する絶対的なものであって多角的な角度から眺めた「真実」ではない)」を「直視」することにこだわるドイ○人が戦後すっかり良質なフィクションの世界から遠ざかってしまったのも無理はないのかも。日.本人はまぁ元々妄想が好きなのも多少変わり者でHentai属性があるのも千年以上前から分かりきってましたけど、戦後は「他の手段を取れない」が故に、アニメ・マンガ・ゲーム・ラノベを通してファンタジーやスペースオペラ、萌え系ハーレム系に至るまで軍隊や戦争、ひいては社会や人間の内面の矛盾や問題まで全部ぶっこむ方向に独自のフィクションを発展させることができたんじゃないか、と。

「敗.戦国」としてよく比べられる二国、私はドイ○語圏の文学や映画がすごく好きだし、日/本の映画は一部アレでもフィクションはやはり多様性と深みを感じて誇りに感じる点でもある。だから何か、どっちが良い(マシ)か、とかは言えないけど、あと「ヨー○ッパ」が少なくとも文化的には統一されつつあり(まぁ同時に政治的には瓦解しそうでもあるけど。笑)、英語圏文化の影響が日.本以上にデカ過ぎるのであろうことを考えれば、中々ド○ツ発信元の新しい文化が生まれにくいのも理解できる。けどやっぱり正直残念ではあるよね・・・(´・ω・`)ショボーン
ド○ツ人のおじさまが「ドイ○のドラマくそつまんない、役者下手すぎ、日/本の方がはるかにマシ」と言ってるのとか(日.本の俳優より下手とかマジどういう(以下略)あ、でもたまに英語圏のメジャー作品にも「おいおい何でこのキャスト?」っての確かにいるけど(^^;)、仏のバ○ド・デシネや米のアニ○ーション、文学や音楽で幅広くかっ飛ばしてくる英.国のような定番やヒットしたエンターテイメント系って、国の規模や存在感から考えると戦後ドイ○圧倒的に少ないんですよね。ロック好きだからいくつかバンドは思い浮かぶけど(てか独語ロック意味分かんなくてもカッコよくて好き^^)、決して世界的メジャーレベル(i-tu○es世界配信アリ)かと言われると極めて稀だしな・・・。お隣ウィー○のミュージカルは日/本でヒット飛ばしているというのに、何かやっぱドイ○にはまだまだそういう意味での縛りがある気がする。(ベル○ンは「ナ.チ時代の文化弾圧からの反省に基づく芸術の街」化しているそうですが、そういう前衛的なのから正直世界の大多数を占める一般大衆にウケるものが生み出せるか、っていうと決してそうではないんだよね(-_-;)と)日本で学んだり連載持った経験のあるド○ツ人漫画家さんたちとか、本当がんばって母国のサブカルやエンタメ発展に貢献してほしいな、と考えたりしちゃいます。せっかくE Uの中心国家になって経済も好調なら、後は自由で柔軟な発想で英語圏にも仏語圏にもないオリジナルの作品をぜひ!

ちなみに東欧とかロ○アは決してメジャーではないかもしれないですが、かなりシュールでユニークなアニメーションやキャラクター作ってると思います。シュヴァンク○イエルやソクー○フ、チェブ○ーシカにネタとしてのプー○ン・・・濃い、濃いわぁ!(´Д`;) つかチェ○とかポーラ○ドの絵本やアニメーション作品とか、文学含め国の規模考えるとキテるのあり過ぎて怖い。あ、無知なだけでド○ツでもそういうのもっとあるのかもしれないけど、同規模の他国と比べてもっと潜在力ありそうなのに、って話。
しっかしフィ○ランドのひたすらムー○ン推し、オラ○ダのひたすらミッ○ィー推しを考えると「ハ○ーもホー○ズもパディ○トンもテディ・ベ○もいるし、宮殿に近衛兵に時計台、ロンド○・バス、アフタ○ーン・ティーにイング○ッシュ・ガーデンも取り揃えてますが何か?」な英/国様の余裕が本当にギリギリギリギリo(´皿`;)←だからそのしつこいコンプやめろって(笑)で、でもムー○ンランド建設予定でハウス○ンボスあっても日.本に英/国村はない・・・あ、あった似たようなのが確か福島にorz パブも地味に人気でフェアしょっちゅうやってるのは何故?みんなマズさバカにしてレストラン無いくせに! ホント文化的支配って大きいと思うわー。(と延々英.国ロックを聴きながら考える愛憎入り混じった年明けの深夜\(^O^)/)

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