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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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結局会っただけで予想通り何も前進しなかったのねー(´・ω・`) T.P.P決まっちゃえばウチにとって3か国FTAのメリットは急速に薄れるしな。しかし、何であそこまで面子(と過去)にこだわりまくるんやろ・・・?

以下ブ○ゴスさんで話題のネタに触れてみる。


人助け・寄付・ボランティア。まずこの「指数」を示す基準が、西側つまり一神教が深く根付いた国の文化に基づいている点が大きいのではないか、という。

留学してた子と話していたんだけど、例えばヨーロッパの道端には当たり前のように物乞い(ロ.マ族や黒人系が多いとのこと)がいて、子どもの時から当たり前のように小銭が余ったら彼らに投げ与える大人の姿を見てきたり、今回のハロウィーンじゃないですけどイベントの度にそういう人々の子どもにお菓子を分けてあげて「偉いね」って褒められるような土地で育つ訳ですよね。聖書読んでると普通に弱者(物乞い・貧者・病人)に持てる者(富裕者・健常者)が「与える」行為の尊さに関する描写が至るところに出てくるもん。そういう宗教文化的土壌で育てば、当然ある程度成功ないし水準以上の生活を送っていると周囲から推察される者は、一生懸命に寄付や慈善活動に精を出す「アピール」を見せないといけない。「普通」の人々も教会の慈善バザー(日/本の神事のごとくパーティーやご近所交流の口実でもあったりする)があったら参加して、着なくなった服があれば「恵まれない憐れな人々」のためにポストに集めて・・・ある意味はじめから、自分たちのすぐ近くにいる、より「下層」の人間の存在を好むと好まざるとに関わらず意識せざるを得ない社会になる。
何だかんだ言って(それこそロ/マやユダ.ヤのような、決定的に「違う」見た目や習慣の民族の流入が少なかったこともあり)、出生時から決定してしまう絶対的な格差がそこまで凄まじくなかったり、金持ちぶりをひけらかすというか、自分が相手とは違う階層の人間であるかのように振る舞うことが余り好まれない日.本にはこの一神教式「寄付」システム自体が馴染まない文化、分かりにくい感覚なのだと思う。ランドセルのタイガー○スクじゃないですけど、善行は陰で黙って、というどこよりクリス○ャンらしい思考が好きなせいもあるかな(笑)

あと、ボランティアは欧米系のほとんどの学校で授業の単位として必須とされている点もかなり大きいんじゃないかな? でも日/本はその点、大々的に「ボランティア・慈善事業です!」と銘打たなくても、定期的に子ども会や町内会でゴミ拾いや廃品回収をやっているし、運動部の子たちが町の清掃活動に参加していたり、高校や大学の文化系サークルなんかが老人ホームや養護学校・託児施設に慰問に訪れたりしている例もあるってことをちゃんと考慮に入れてほしい。

人助けに関しては、国を出たことない自分が言える立場じゃないのは分かってますけど正直かなり上を行くレベルだと思う。財布何回も落としてるけど中身含め帰ってこなかったことないし、定期なんかわざわざ学校まで届けて下さった方がいた。(お礼したくても名乗らずに去られたらしい・・・)関西独特なのかもしれないけど、道わかんなくて迷ってると毎回どこからともなくオバチャンオッチャンが現れて教えてくれたし、個人商店からチェーン店に到るまで、値段以上に親切にしてもらって申し訳ないな、と感じることも。右も左も分かんない礼儀知らずな状態で一人暮らし始めて、どれだけ周りの優しさに助けられたか。結果的に今病んでこんな状態で心から申し訳ないと思うけど、ホントに周りの人が冷たいとか恨んだことは一度もないので、たったあれだけの指標であんなタイトルの記事が書かれてしまうことには抵抗を感じざるを得ない。

ただ、日.本人が「冷たい」と捉えられる理由があるとすれば他人に弱味を見せ、結果として迷惑をかけることが基本的に恥という文化だから、そういうものを受け止める土壌がない、というか一切の他人であれば負担になるようなものは容赦なく切り捨ててしまえ、という極端な発想も生まれやすい、という点かな。今話題の母子家庭優遇?ネタや新型うつの件については特にそれを感じた。私は個人的に自分は人様の社会にウッカリ紛れ込んでしまった異物だと感じている系メンヘラなので、ぶっちゃけ本来淘汰されるのが当然の存在だと思うし、ある意味でそれが正しい社会のあり方なんじゃないかと考えている節がある。だから、「冷たい」の対義語が「優しい」なのか「暖かい」なのかは分からないけれど、その数値の高いところが必ずしもレベルの高い、今後も「正しく豊かな社会」を維持していける国だと純粋には信じられないです。

記事は中/国にも触れていますが、彼らにも彼らの、ウチとも一部重なる(東アジア的?)独自の価値観があって、確かに格差や心が寒くなるようなニュース、実際住んでる/た方のウヘァ(;´д`)って体験談も聞いたことあるけど、心根が芯から冷たいとは絶対に思わないよ。冷たかったらいくら洗脳教育の結果だとしても、顔も知らない同胞の死が原因で隣の国をここまで恨みぬいたりしないだろ。(それもまたウチ的に救いがない話だな!^ω^)

ちなみに、東南アジアあたりの仏教文化はまた独特でちょっと一神教の思想に近いものがあるというか、お坊さんへのお布施とかも「功徳を積む」行為の一端というか、つまり来世ではもっと良い身分に転生できると良いなー、っていう結局は自分のため?の習慣に見える。一時的な出家も禊や成人の儀式に近いというか、ある意味キリ○ト教の免罪符的な? 「はい、これで今まで犯した罪や穢れ一回リセットね」みたいな気軽な感覚がスゲェと思った。批判とかじゃなく宗教としてそういうのもアリなんだ、って(@o@)
まぁ寺社で普通に妻帯・世襲が認められていて、スクーター乗って出かけてく坊さんの姿も他国からすれば衝撃的らしいけどさ(笑) 寺とか神社の息子さんはホント大変らしいな・・・(-_-;)

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人助け・寄付・ボランティア。まずこの「指数」を示す基準が、西側つまり一神教が深く根付いた国の文化に基づいている点が大きいのではないか、という。

留学してた子と話していたんだけど、例えばヨーロッパの道端には当たり前のように物乞い(ロ.マ族や黒人系が多いとのこと)がいて、子どもの時から当たり前のように小銭が余ったら彼らに投げ与える大人の姿を見てきたり、今回のハロウィーンじゃないですけどイベントの度にそういう人々の子どもにお菓子を分けてあげて「偉いね」って褒められるような土地で育つ訳ですよね。聖書読んでると普通に弱者(物乞い・貧者・病人)に持てる者(富裕者・健常者)が「与える」行為の尊さに関する描写が至るところに出てくるもん。そういう宗教文化的土壌で育てば、当然ある程度成功ないし水準以上の生活を送っていると周囲から推察される者は、一生懸命に寄付や慈善活動に精を出す「アピール」を見せないといけない。「普通」の人々も教会の慈善バザー(日/本の神事のごとくパーティーやご近所交流の口実でもあったりする)があったら参加して、着なくなった服があれば「恵まれない憐れな人々」のためにポストに集めて・・・ある意味はじめから、自分たちのすぐ近くにいる、より「下層」の人間の存在を好むと好まざるとに関わらず意識せざるを得ない社会になる。
何だかんだ言って(それこそロ/マやユダ.ヤのような、決定的に「違う」見た目や習慣の民族の流入が少なかったこともあり)、出生時から決定してしまう絶対的な格差がそこまで凄まじくなかったり、金持ちぶりをひけらかすというか、自分が相手とは違う階層の人間であるかのように振る舞うことが余り好まれない日.本にはこの一神教式「寄付」システム自体が馴染まない文化、分かりにくい感覚なのだと思う。ランドセルのタイガー○スクじゃないですけど、善行は陰で黙って、というどこよりクリス○ャンらしい思考が好きなせいもあるかな(笑)

あと、ボランティアは欧米系のほとんどの学校で授業の単位として必須とされている点もかなり大きいんじゃないかな? でも日/本はその点、大々的に「ボランティア・慈善事業です!」と銘打たなくても、定期的に子ども会や町内会でゴミ拾いや廃品回収をやっているし、運動部の子たちが町の清掃活動に参加していたり、高校や大学の文化系サークルなんかが老人ホームや養護学校・託児施設に慰問に訪れたりしている例もあるってことをちゃんと考慮に入れてほしい。

人助けに関しては、国を出たことない自分が言える立場じゃないのは分かってますけど正直かなり上を行くレベルだと思う。財布何回も落としてるけど中身含め帰ってこなかったことないし、定期なんかわざわざ学校まで届けて下さった方がいた。(お礼したくても名乗らずに去られたらしい・・・)関西独特なのかもしれないけど、道わかんなくて迷ってると毎回どこからともなくオバチャンオッチャンが現れて教えてくれたし、個人商店からチェーン店に到るまで、値段以上に親切にしてもらって申し訳ないな、と感じることも。右も左も分かんない礼儀知らずな状態で一人暮らし始めて、どれだけ周りの優しさに助けられたか。結果的に今病んでこんな状態で心から申し訳ないと思うけど、ホントに周りの人が冷たいとか恨んだことは一度もないので、たったあれだけの指標であんなタイトルの記事が書かれてしまうことには抵抗を感じざるを得ない。

ただ、日.本人が「冷たい」と捉えられる理由があるとすれば他人に弱味を見せ、結果として迷惑をかけることが基本的に恥という文化だから、そういうものを受け止める土壌がない、というか一切の他人であれば負担になるようなものは容赦なく切り捨ててしまえ、という極端な発想も生まれやすい、という点かな。今話題の母子家庭優遇?ネタや新型うつの件については特にそれを感じた。私は個人的に自分は人様の社会にウッカリ紛れ込んでしまった異物だと感じている系メンヘラなので、ぶっちゃけ本来淘汰されるのが当然の存在だと思うし、ある意味でそれが正しい社会のあり方なんじゃないかと考えている節がある。だから、「冷たい」の対義語が「優しい」なのか「暖かい」なのかは分からないけれど、その数値の高いところが必ずしもレベルの高い、今後も「正しく豊かな社会」を維持していける国だと純粋には信じられないです。

記事は中/国にも触れていますが、彼らにも彼らの、ウチとも一部重なる(東アジア的?)独自の価値観があって、確かに格差や心が寒くなるようなニュース、実際住んでる/た方のウヘァ(;´д`)って体験談も聞いたことあるけど、心根が芯から冷たいとは絶対に思わないよ。冷たかったらいくら洗脳教育の結果だとしても、顔も知らない同胞の死が原因で隣の国をここまで恨みぬいたりしないだろ。(それもまたウチ的に救いがない話だな!^ω^)

ちなみに、東南アジアあたりの仏教文化はまた独特でちょっと一神教の思想に近いものがあるというか、お坊さんへのお布施とかも「功徳を積む」行為の一端というか、つまり来世ではもっと良い身分に転生できると良いなー、っていう結局は自分のため?の習慣に見える。一時的な出家も禊や成人の儀式に近いというか、ある意味キリ○ト教の免罪符的な? 「はい、これで今まで犯した罪や穢れ一回リセットね」みたいな気軽な感覚がスゲェと思った。批判とかじゃなく宗教としてそういうのもアリなんだ、って(@o@)
まぁ寺社で普通に妻帯・世襲が認められていて、スクーター乗って出かけてく坊さんの姿も他国からすれば衝撃的らしいけどさ(笑) 寺とか神社の息子さんはホント大変らしいな・・・(-_-;)

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