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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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世選男子SPの結果を全方位からネタバレされまくったので、とりあえず後で録画見るのを楽しみにしようと思うよ! 順位とか大体の調子はどうせ携帯のニュースなんかにも入るし、そもそもフィギュアトークができるのも楽しみな友人と出かけたことで、教えてもらえたり今季の目玉選手やプログラムについて語るネタになったからむしろありがたかった。んだけど、帰って付けたテレビの初っぱな地方ニュースで点数までバラしやがるとか、今ほど大明神と同郷であることを呪う時は(以下略)放送今からなんだから自重して!とどうでも良くなって大人しく父にチャンネル譲りましたとも(*_*;
・・・でもって、これがヒキが稀に人里に降り立った時の反動の結果(^ω^)


ついでにツレうつも買って親に押し付けといた☆少しでも親に自分の状態を解ってもらいたい、という無駄かもしれない努力(笑)親は、精神科の先生が断定しない事情とかを何も知らずに「我が子は鬱ではない」と信じたがっているようだけど、私には丸っきりツレと自分が被るようにしか思えなくて、ちょっと読んだだけで泣きそうになった。私のこだわりは曜日じゃなくて「何日おきにするか」です。掃除や洗濯など、やる予定の日にできないと落ち着かなくて苛立ったり不安になる。本もキッチリ作者のあいうえお順、アルファベット順に収納して、なおかつ既読と未読に分けたい。起きる時間や生活リズム・お金や役所関係の手続きに関しては苦手なのもあってトコトンずぼらな癖に、変なとこばっかこだわってイライラしたり情緒不安定に陥るとか、我ながらホント頭おかしいと思う(´・ω・`)

街中のブクオフは意外とホームズ等の定番ものがサッサと売れてしまって無いということが判明。けど『魔の山』が大分古くて下巻のみだけど百円コーナーにあったのは大歓喜o(((*^▽^*))) 普通の本屋に行ってチェックしたやつと訳者も区切れ目も変わってないみたいだし、千円オーバーのが百円で買えるなら大満足です。まぁ反動でウッカリ普通の本屋で1700円ほど使っちゃったけどな・・・密林ならもう少し安い上、ソッチのポイントもカードのポイントもついたというのにorz いやね、そのブクオフで『日の名残り』も百円で見っけてしまってさ・・・もちろん百円コーナー外を見ても他にイシグロ作品があろうはずもなく、悔しさを一般書店に並んでいた『遠い山なみの光』(700円)と『仮面の告白』『楢山節考』にぶつけてしまったわけ\(^o^)/金ないっつーのにお馬鹿さん! よく考えたらいずれも500円くらいのホームズ×2と樋口一葉にでも使った方良かったんちゃうの?最近の読書傾向的に、と後から考えたんだけど、とにかく『魔の山』と『根津権現裏』の発見に舞い上がってしまってな。ニシケンさんのバイブルやんけ、三百円だったけど状態も綺麗だし、一般の書店でも早々巡り会えないんちゃうか、と悪魔の囁きが聞こえまして(´-`)@これを他人は言い訳と呼ぶ。あ、『潮騒』もそんくらいでしたが状態が綺麗だったので良いか、と。マルケスとモリスンは大きめの一般書店にも無かったのでやっぱりポチるしかなさそうですね。ウチの家計が落ち着いて私の今後()に目処が立った暁にでも。カード止められたら困るからさー><; ホームズは続けて読むと飽きるかもしれないし、とブクオフへの再入荷に期待(-人-)ナモナモ

そんで何故か今読んでんのが芥川なんですけど、私が買った時泉沢さんだったカバーが今日新たに平積みされてるの見てみたら更に別の漫画家?さんに変わってた・・・(゜m゜;) 出版界もホントあの手この手で必死なんだな、と。そしてポケットマスターピースシリーズ今まで出てる分初めてフルであるとこ眺めたが、改めて「コレは酷い」としか言い様がない。デイヴィット・コパフィールド抄訳?ひでぇ!『偽装の結婚』ヒロの引用に心惹かれて最近何とか大人買いの算段を付けられないものか、と頭を絞っている物件なだけに(以下略)文学作品はフルで読まないと全く意味のないものであって、ダイジェストで満足できる方はきっと漫画の方がお楽しみいただけるはず、というのが趣味=読書人間の信条なもんで。だって己の時間と知識・労力をひたすらその物語を生み出すことに費やしてくれた(しかも時代的に手書きか良くてタイプライターだ!)作家さんに失礼じゃん。漫画は絵にするだけで手間かかるから百歩譲って認めるけど。期待させといてああいうもんばっかりだと正直すごくムカつく^^# 7月刊行予定のドストエフスキーには特に期待を寄せていたのだが、トルストイのあの惨状を見ると・・・『罪と罰』『カラマーゾフ~』抄訳に決まってますよね。・゜゜(ノД`)ウワアァァン!
あ、そうそう芥川に行ったのは『四つの署名』の余りにもあからさまな19Cヨーロッパ的価値観にショックを受けたせいもありますが、読んでいて安心したのが日.本人の柔軟性と、このカオスな並行世界的視点に何の矛盾や疑問も感じずに受け入れるというか、そもそもそういうもんとして当然の感覚で捉えてきたのが自分だけじゃないんだ、というところ。『大川の水』で自身の大川への愛着とダンヌンチォのヴェネチアへの想いを重ねながら、江戸の流行作家の描いた歌舞伎や浄瑠璃の定番ものを思い浮かべるくだり、とっても日/本的じゃないですか? 当時、上田敏は既に独特の美しい節回しでダンヌンチォの詩を翻訳し、谷崎はドイルの探偵小説に親しんでいた。ネットが普及してちょっと都会に出ればその辺から英語が聞こえてくるような現代とは雲泥の差があったであろうあの時代に、日.本人は自然に「海の向こうの行ったこともない世界」の文化に馴染み、かつ己の世界も失わずに両方を同時に愛してきたんですよ。昔からの大陸古典を教養として学ぶことも忘れずに。個人的に日/本は東西の合の子でキメラで、宗教的にもどのくくりにも属さず(マジで昨今のハロウィン=カボチャ・仮装祭り、イースター=卵・ウサギ祭りと化している節操の無さは本来の意味を全く知らないのではないか、という意味で危うさすら感じるキ○スト教文化に片足突っ込んで育った私ですが、日.本式バレンタインがサブカル通じて世界に広まり逆輸入されそうな勢いなのを考えると、コレはコレでアリなのかな?という気も・・・(-_-;))居所がないような寂しさと、戦禍の結末や人口の減少如何によって米/中という巨大な国家の流れに文化とか伝統とかそれを形成してきた歴史等、有り体に言えば「私たちの価値観」が飲み込まれてしまわないだろうか、という危惧を勝手に抱いていたんですね。けれど、芥川の時代に怒濤の西洋化と思想の流入を伴ってなお当時の人々がまさに日.本人にしか書けないような物語、日/本にしかない原風景、日.本人にしか解らないような心の動きや価値観丸出しの作品を、ナチュラルに欧米の文学や思想に触れたり織り混ぜながら平気で書き上げ、更に今の日/本がこの状態で逆にアメリ○や中.国を食やサブカルで取り込んで影響を及ぼしている、という点を考えても「あ、どう転ぼうとウチらはウチらで大丈夫かも」と自分たち自身のしなやかなたくましさを垣間見た気がしてホッとしたんです( ´∀`;)
私だって古典全集を愛読しつつルパンだホームズだ洋画にハマって原作本漁ったり、聖/書と古事記とギリシャ神話並行して読むわ、散々メチャクチャなことしてきときながらぶっちゃけ今でも正確な文学系統の分類とか把握してないし(かろうじて原語は何で時代はいつっぽい、くらい?)、あっち行ってはこっち行き、の中でその作者名の順番にだけはこだわっている(笑)本棚に多少のコンプレックスというか見せられないよ!(∩///∩)意識を感じてましたけど、今後はソレが日.本人として備えてしかるべき長所として、一切恥じないことにします@突然の開き直り^^ 今日揃えた面子も大概酷かったが、興奮し過ぎてレジに向かう際全く恥とか感じなかったもんね。日/本人で良かった!翻訳してくれた皆さんありがとう、維新がんばってくれた皆さんありがとう、日.本語バンザイ、漢字バンザイ、ついでにある程度の英語もバンザイ\(^-^)/ ホント「文化の終着点」という素敵な言葉の意味を噛み締めざるを得ないよね。多神教も商業主義もそれを許容しちゃう、もしくはもっともっと新しいもの、と求める人たちも節操なしと言われようが間違いなく素晴らしい。同時に「百年で老舗?(´_ゝ`) まだまだでんなぁ。笑」って土地や文化があったり、伝統芸能や行事が生活に溶け込んでわんさか残っていたり、というこのよくわからないカオスな国の有り様ね。サッカーのザッケローニさんが手記で「アジアでもなく、ヨーロッパとも違う、まるで別の場所に存在する世界に飛び込んでしまったかのような・・・」と表現されていた、外部から見たら戸惑ってしまうのかもしれない異空間。テロリストも入り込む余地がないか、主義も信仰もどうでも良くなって投げ出してしまうような逃げ場。そんな島国であることを忘れずに、そう在り続けられるように誇りを持ってありのままこのスタイルを維持していければ良いんじゃねーの?と何となく感じた(^^)bグッ「グローバルの潮流云々~」っつって上が何しても外が何言ってきても、人とそれが作り出す国民性・民族の気質自体は絶対に変えることができない。だってもっと強力に変化を政府が主導した明治・大正を経た時代の文学に描かれた世界もこうだったんだから。自分はちゃんと日/本人で、愛国者の部類にすら入るのかもしれない、とやっと初めて思えて(オイ)、何かそのことにどうしようも無い安堵と喜びを覚えて涙する、という病んだ読書体験でした(^^;

で、昨日観てきたダ・ヴィンチ展、しつこいけど『ティモシー・アーチャー~』(最近の私のバイブルだからね!)の中でティムが言っていた「ルネサンスはキ○スト教を普遍的な至高の域まで高めた(※ニュアンス)」という説を裏付けるもののように感じたなぁ。ダ・ヴィンチはバチカ○の定義する当時の常識に逆らって裁判にまでかけられた無神論者みたいな捉え方をされる場合があるけれども、私は彼こそがあくまで忠実なキリ○ト信者だったと思うんです。生まれ育ちといい、周囲を取り巻いた人々といい、宗教画(イヤそりゃ当時金と時間に糸目をつけずに絵を書かせてくれる場がそういうとこしかなかった、という現実的な事情はあったにせよ)の細かさと魂の込められっぷり、イ○スもしくは神という存在への愛憎入り交じった情熱とでも言うのかな・・・? だからこそ、神や所謂「第三の目」に対して嘘を吐くことを嫌ったのだと。明らかな偽りが教義の名の元に、それらの存在の意図を騙って信じられている状態に耐えられなかったのではないか、と。まぁ天才の考えることも信仰という行為や概念自体も究極的なところで理解が及ばない私がどうこう言えることじゃないんだけどね(・・;) 動物だろうが人間だろうが、どこまでも真理を追求し続けたダ・ヴィンチがそこで知り得たことを最も伝えたい、訴えたかった相手は人間たちだけではなく彼が心から愛し、信じていた神ではないのか、と不思議な文字の記し方にしろラテン語で書かれた文献にしろ、何となく考えちゃったんだよね。 だって人間には理解しがたいことでも、神なら人間のすることは何でもお見通しなはずでしょ?教義によれば。なので、暗号と言うよりは神だけに伝えたかったメッセージ、あるいは孤独な己の心情を真に察して受け止めてくれるのは一人磔刑に処された神の子イエ○だけ、という思想に陥っても不思議はない状況だったんじゃないかと・・・(^^;
あと色々穏やかだったり神聖なイメージの絵を描いている印象しかない画家さんたちの合戦画にも中々興味をそそられました。構図といい発想といい、青森のねぶたにそっくり!ただ、鳥獣戯画にしろ浮世絵にしろ今の漫画の極端なスタイルに通じるであろう文化の大元は宗教的観点から殺生や解剖を厭い、結果として現実に即した生き物の身体の構造を把握できず写実的な表現を諦めざるを得なかったことに端を発するのかな、とは感じた。何たって数百年死刑が禁じられた時代もあったくらいだし。死体扱うのは最も穢れた仕事で、漁師ですら嫌悪や差別の対象だった有り様(*_*; 中.国もそれは同じですかね? だからひたすらデフォルメの方に走り、果てはあえての空白の間を用いたり、不完全性(「完成された揺るぎようの無い真実」を提示するのではなく、各々の受け止め方を許容する余地を残した曖昧極まりない形)を重視するわびさび思想や突飛なガラパゴス表現の文化を進歩させていったんや、と勝手に対比させて面白く考えてしまった^^ ねぶた絵の迫力、格好良いですよ!馬に武器(刀だったり矢だったり)というアイテムも被るし。鯉のぼりでも東北はそういうモチーフの旗を一緒に立てるとこもあるかな? 曽我兄弟とか義経・弁慶とか阿弖流為とか。青森近辺では小さな町でもやってるので、夏に青森行けそうな方はぜひ☆( ´∀`)

興奮の余りカオスに長文打ち込んでしまった・・・後で分けるかもだけどスケートの感想でそれどころじゃなくなりそう(笑)

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・・・でもって、これがヒキが稀に人里に降り立った時の反動の結果(^ω^)


ついでにツレうつも買って親に押し付けといた☆少しでも親に自分の状態を解ってもらいたい、という無駄かもしれない努力(笑)親は、精神科の先生が断定しない事情とかを何も知らずに「我が子は鬱ではない」と信じたがっているようだけど、私には丸っきりツレと自分が被るようにしか思えなくて、ちょっと読んだだけで泣きそうになった。私のこだわりは曜日じゃなくて「何日おきにするか」です。掃除や洗濯など、やる予定の日にできないと落ち着かなくて苛立ったり不安になる。本もキッチリ作者のあいうえお順、アルファベット順に収納して、なおかつ既読と未読に分けたい。起きる時間や生活リズム・お金や役所関係の手続きに関しては苦手なのもあってトコトンずぼらな癖に、変なとこばっかこだわってイライラしたり情緒不安定に陥るとか、我ながらホント頭おかしいと思う(´・ω・`)

街中のブクオフは意外とホームズ等の定番ものがサッサと売れてしまって無いということが判明。けど『魔の山』が大分古くて下巻のみだけど百円コーナーにあったのは大歓喜o(((*^▽^*))) 普通の本屋に行ってチェックしたやつと訳者も区切れ目も変わってないみたいだし、千円オーバーのが百円で買えるなら大満足です。まぁ反動でウッカリ普通の本屋で1700円ほど使っちゃったけどな・・・密林ならもう少し安い上、ソッチのポイントもカードのポイントもついたというのにorz いやね、そのブクオフで『日の名残り』も百円で見っけてしまってさ・・・もちろん百円コーナー外を見ても他にイシグロ作品があろうはずもなく、悔しさを一般書店に並んでいた『遠い山なみの光』(700円)と『仮面の告白』『楢山節考』にぶつけてしまったわけ\(^o^)/金ないっつーのにお馬鹿さん! よく考えたらいずれも500円くらいのホームズ×2と樋口一葉にでも使った方良かったんちゃうの?最近の読書傾向的に、と後から考えたんだけど、とにかく『魔の山』と『根津権現裏』の発見に舞い上がってしまってな。ニシケンさんのバイブルやんけ、三百円だったけど状態も綺麗だし、一般の書店でも早々巡り会えないんちゃうか、と悪魔の囁きが聞こえまして(´-`)@これを他人は言い訳と呼ぶ。あ、『潮騒』もそんくらいでしたが状態が綺麗だったので良いか、と。マルケスとモリスンは大きめの一般書店にも無かったのでやっぱりポチるしかなさそうですね。ウチの家計が落ち着いて私の今後()に目処が立った暁にでも。カード止められたら困るからさー><; ホームズは続けて読むと飽きるかもしれないし、とブクオフへの再入荷に期待(-人-)ナモナモ

そんで何故か今読んでんのが芥川なんですけど、私が買った時泉沢さんだったカバーが今日新たに平積みされてるの見てみたら更に別の漫画家?さんに変わってた・・・(゜m゜;) 出版界もホントあの手この手で必死なんだな、と。そしてポケットマスターピースシリーズ今まで出てる分初めてフルであるとこ眺めたが、改めて「コレは酷い」としか言い様がない。デイヴィット・コパフィールド抄訳?ひでぇ!『偽装の結婚』ヒロの引用に心惹かれて最近何とか大人買いの算段を付けられないものか、と頭を絞っている物件なだけに(以下略)文学作品はフルで読まないと全く意味のないものであって、ダイジェストで満足できる方はきっと漫画の方がお楽しみいただけるはず、というのが趣味=読書人間の信条なもんで。だって己の時間と知識・労力をひたすらその物語を生み出すことに費やしてくれた(しかも時代的に手書きか良くてタイプライターだ!)作家さんに失礼じゃん。漫画は絵にするだけで手間かかるから百歩譲って認めるけど。期待させといてああいうもんばっかりだと正直すごくムカつく^^# 7月刊行予定のドストエフスキーには特に期待を寄せていたのだが、トルストイのあの惨状を見ると・・・『罪と罰』『カラマーゾフ~』抄訳に決まってますよね。・゜゜(ノД`)ウワアァァン!
あ、そうそう芥川に行ったのは『四つの署名』の余りにもあからさまな19Cヨーロッパ的価値観にショックを受けたせいもありますが、読んでいて安心したのが日.本人の柔軟性と、このカオスな並行世界的視点に何の矛盾や疑問も感じずに受け入れるというか、そもそもそういうもんとして当然の感覚で捉えてきたのが自分だけじゃないんだ、というところ。『大川の水』で自身の大川への愛着とダンヌンチォのヴェネチアへの想いを重ねながら、江戸の流行作家の描いた歌舞伎や浄瑠璃の定番ものを思い浮かべるくだり、とっても日/本的じゃないですか? 当時、上田敏は既に独特の美しい節回しでダンヌンチォの詩を翻訳し、谷崎はドイルの探偵小説に親しんでいた。ネットが普及してちょっと都会に出ればその辺から英語が聞こえてくるような現代とは雲泥の差があったであろうあの時代に、日.本人は自然に「海の向こうの行ったこともない世界」の文化に馴染み、かつ己の世界も失わずに両方を同時に愛してきたんですよ。昔からの大陸古典を教養として学ぶことも忘れずに。個人的に日/本は東西の合の子でキメラで、宗教的にもどのくくりにも属さず(マジで昨今のハロウィン=カボチャ・仮装祭り、イースター=卵・ウサギ祭りと化している節操の無さは本来の意味を全く知らないのではないか、という意味で危うさすら感じるキ○スト教文化に片足突っ込んで育った私ですが、日.本式バレンタインがサブカル通じて世界に広まり逆輸入されそうな勢いなのを考えると、コレはコレでアリなのかな?という気も・・・(-_-;))居所がないような寂しさと、戦禍の結末や人口の減少如何によって米/中という巨大な国家の流れに文化とか伝統とかそれを形成してきた歴史等、有り体に言えば「私たちの価値観」が飲み込まれてしまわないだろうか、という危惧を勝手に抱いていたんですね。けれど、芥川の時代に怒濤の西洋化と思想の流入を伴ってなお当時の人々がまさに日.本人にしか書けないような物語、日/本にしかない原風景、日.本人にしか解らないような心の動きや価値観丸出しの作品を、ナチュラルに欧米の文学や思想に触れたり織り混ぜながら平気で書き上げ、更に今の日/本がこの状態で逆にアメリ○や中.国を食やサブカルで取り込んで影響を及ぼしている、という点を考えても「あ、どう転ぼうとウチらはウチらで大丈夫かも」と自分たち自身のしなやかなたくましさを垣間見た気がしてホッとしたんです( ´∀`;)
私だって古典全集を愛読しつつルパンだホームズだ洋画にハマって原作本漁ったり、聖/書と古事記とギリシャ神話並行して読むわ、散々メチャクチャなことしてきときながらぶっちゃけ今でも正確な文学系統の分類とか把握してないし(かろうじて原語は何で時代はいつっぽい、くらい?)、あっち行ってはこっち行き、の中でその作者名の順番にだけはこだわっている(笑)本棚に多少のコンプレックスというか見せられないよ!(∩///∩)意識を感じてましたけど、今後はソレが日.本人として備えてしかるべき長所として、一切恥じないことにします@突然の開き直り^^ 今日揃えた面子も大概酷かったが、興奮し過ぎてレジに向かう際全く恥とか感じなかったもんね。日/本人で良かった!翻訳してくれた皆さんありがとう、維新がんばってくれた皆さんありがとう、日.本語バンザイ、漢字バンザイ、ついでにある程度の英語もバンザイ\(^-^)/ ホント「文化の終着点」という素敵な言葉の意味を噛み締めざるを得ないよね。多神教も商業主義もそれを許容しちゃう、もしくはもっともっと新しいもの、と求める人たちも節操なしと言われようが間違いなく素晴らしい。同時に「百年で老舗?(´_ゝ`) まだまだでんなぁ。笑」って土地や文化があったり、伝統芸能や行事が生活に溶け込んでわんさか残っていたり、というこのよくわからないカオスな国の有り様ね。サッカーのザッケローニさんが手記で「アジアでもなく、ヨーロッパとも違う、まるで別の場所に存在する世界に飛び込んでしまったかのような・・・」と表現されていた、外部から見たら戸惑ってしまうのかもしれない異空間。テロリストも入り込む余地がないか、主義も信仰もどうでも良くなって投げ出してしまうような逃げ場。そんな島国であることを忘れずに、そう在り続けられるように誇りを持ってありのままこのスタイルを維持していければ良いんじゃねーの?と何となく感じた(^^)bグッ「グローバルの潮流云々~」っつって上が何しても外が何言ってきても、人とそれが作り出す国民性・民族の気質自体は絶対に変えることができない。だってもっと強力に変化を政府が主導した明治・大正を経た時代の文学に描かれた世界もこうだったんだから。自分はちゃんと日/本人で、愛国者の部類にすら入るのかもしれない、とやっと初めて思えて(オイ)、何かそのことにどうしようも無い安堵と喜びを覚えて涙する、という病んだ読書体験でした(^^;

で、昨日観てきたダ・ヴィンチ展、しつこいけど『ティモシー・アーチャー~』(最近の私のバイブルだからね!)の中でティムが言っていた「ルネサンスはキ○スト教を普遍的な至高の域まで高めた(※ニュアンス)」という説を裏付けるもののように感じたなぁ。ダ・ヴィンチはバチカ○の定義する当時の常識に逆らって裁判にまでかけられた無神論者みたいな捉え方をされる場合があるけれども、私は彼こそがあくまで忠実なキリ○ト信者だったと思うんです。生まれ育ちといい、周囲を取り巻いた人々といい、宗教画(イヤそりゃ当時金と時間に糸目をつけずに絵を書かせてくれる場がそういうとこしかなかった、という現実的な事情はあったにせよ)の細かさと魂の込められっぷり、イ○スもしくは神という存在への愛憎入り交じった情熱とでも言うのかな・・・? だからこそ、神や所謂「第三の目」に対して嘘を吐くことを嫌ったのだと。明らかな偽りが教義の名の元に、それらの存在の意図を騙って信じられている状態に耐えられなかったのではないか、と。まぁ天才の考えることも信仰という行為や概念自体も究極的なところで理解が及ばない私がどうこう言えることじゃないんだけどね(・・;) 動物だろうが人間だろうが、どこまでも真理を追求し続けたダ・ヴィンチがそこで知り得たことを最も伝えたい、訴えたかった相手は人間たちだけではなく彼が心から愛し、信じていた神ではないのか、と不思議な文字の記し方にしろラテン語で書かれた文献にしろ、何となく考えちゃったんだよね。 だって人間には理解しがたいことでも、神なら人間のすることは何でもお見通しなはずでしょ?教義によれば。なので、暗号と言うよりは神だけに伝えたかったメッセージ、あるいは孤独な己の心情を真に察して受け止めてくれるのは一人磔刑に処された神の子イエ○だけ、という思想に陥っても不思議はない状況だったんじゃないかと・・・(^^;
あと色々穏やかだったり神聖なイメージの絵を描いている印象しかない画家さんたちの合戦画にも中々興味をそそられました。構図といい発想といい、青森のねぶたにそっくり!ただ、鳥獣戯画にしろ浮世絵にしろ今の漫画の極端なスタイルに通じるであろう文化の大元は宗教的観点から殺生や解剖を厭い、結果として現実に即した生き物の身体の構造を把握できず写実的な表現を諦めざるを得なかったことに端を発するのかな、とは感じた。何たって数百年死刑が禁じられた時代もあったくらいだし。死体扱うのは最も穢れた仕事で、漁師ですら嫌悪や差別の対象だった有り様(*_*; 中.国もそれは同じですかね? だからひたすらデフォルメの方に走り、果てはあえての空白の間を用いたり、不完全性(「完成された揺るぎようの無い真実」を提示するのではなく、各々の受け止め方を許容する余地を残した曖昧極まりない形)を重視するわびさび思想や突飛なガラパゴス表現の文化を進歩させていったんや、と勝手に対比させて面白く考えてしまった^^ ねぶた絵の迫力、格好良いですよ!馬に武器(刀だったり矢だったり)というアイテムも被るし。鯉のぼりでも東北はそういうモチーフの旗を一緒に立てるとこもあるかな? 曽我兄弟とか義経・弁慶とか阿弖流為とか。青森近辺では小さな町でもやってるので、夏に青森行けそうな方はぜひ☆( ´∀`)

興奮の余りカオスに長文打ち込んでしまった・・・後で分けるかもだけどスケートの感想でそれどころじゃなくなりそう(笑)

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