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売る本整理してたら弟?も青い鳥文庫版買ってたっぽい。パラパラめくってみて、子供向けとの違いで大きな点って挿し絵の有無もあるのかな、と感じた。登場人物の印象や勝手な雰囲気を掻き立てられてしまう(´・ω・`)
大人になってから読んだら、植民地支配の残酷さや、ソレが当たり前だった当時の価値観、世界の認識と人間心理の弱さと不条理について改めて考えさせられちゃった。もし私がイ○ド系だったらとても落ち着いてこの話読めない。でもイギ○ス・英語圏に数多く居住しているであろうソチラ系の方々は、出版差し止めや表記の変更を求めていないという点で心から尊敬に値すると思う。まぁアメ○カも外野が勝手に騒いでいるだけなのかもしれませんけど・・・いやしかし数字に強いとかのポジティブなステレオタイプにまでケチ付けるんかい、と面倒な印象は正直覚えるけどね!移民社会って難しい(-_-;)
ジョナサン・スモールは確かにどうしようもないロクデナシだけど、同胞を無惨に追いつめた現地人全てを見下したり憎んだりしてはいなかった。人殺しはもちろん非道極まりない罪だけど、そもそもの持ち主王族の人格にも何ともスッキリしない下卑た人間味を感じるし、シーク教徒の二人、そしてその仲間と宝について固い忠誠を約束し、アンダマン島でトンガになつかれ、二人が絶対的な絆で結ばれて逃亡を共にしはるばるロンドンまで流れ着いて、辛酸を舐めながら復讐、あるいは自分のためだけじゃなくて仲間たちの分まで財宝を取り戻そうという執念の深さを考えると、何とも胸打たれてしまう(つд`) 昨日のスカーレットとマミーじゃないけどさ、イギリ○本土にしかいたことない人間が島の原住民を化物のように扱ったり、イ○ド人を平気で召使にしていたことや、「苦力」と呼んで奴隷同然の待遇を強いていた現地の労働者、そういう状況下で当たり前に起こった暴動の恐怖などに、改めて知識としてしか知らない歴史や人々の生々しい記憶・感情を双方の視点から思い起こさせられるんだよねぇ(´-`)
イ○ドの場合は作中でも見られるように宗派・民族・階級が元々多様に存在する土地だったことを植民支配の分断統治にたくみに利用されてきた背景もまざまざと思い浮かぶし。今も少数派シク教徒はアング○とウマが合うのか国外に出る率が高く、圧倒的多数派のヒンドゥー教徒はパキ○タンに追い出したムス○ムと未だに揉めてる上に、復活した仏教とも一悶着起こさないか心配><;こっちはぶっちゃけ日.本人も絡んでるからなー。しかもヒンドゥー的階級制を否定し、不可触民に広がってるそうじゃないですか・・・? 怖い! 頼むから揉めんなよー、と(・m・;)
比較文化論か文化人類学かどっちか忘れましたけど、ツチ族とフツ族のエピソード思い出したわ。白人に近い方が優秀で、そうじゃない方は奴隷にしても良い種族みたいな。それから長らくその地で対等に勢力の均衡を保ってきたはずの両民族の間で起きた悲劇。白人の考え出した学問超こええ!と感じて興味深かったけどそちらには欠片も進もうと思わなかったなぁ。「現地民・部族」みたいな研究対象であって同じ人間として見なさない感じが何か嫌。『バスカヴィル~』の頭蓋骨トークなんかもそうですね。テメェらのオモチャじゃないんだわ、って考古学かじった歴オタが言える話じゃないのは承知してますが(^^;
他の話に出てきた刺青で依頼者の中/国渡航歴を当てる、って話も、当時ヨーロッパ人がこぞって彫りに来てたのは日.本だし、イ○ド人についてスモールが語る「東洋人は用心深い」の東洋人ってどこまでのこと? orientalの一語でどんだけ広い、文化も肌の色も生活習慣も全く異なる地域のことまとめて指していたんでしょうかね? 仮にもウチが必死に欧米の猿真似して日.英.同盟への流れを必死に作り上げていた時代に、こりゃF沢さんも「脱亜入欧」訴えたくなるわ。(『学問のすゝめ』も持ってます☆「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」これこそが彼の信条であり私の考えるところの真理でもある、と小学生の頃から信じてるからね。笑)ここまでの植民支配の悲惨さと有色人種への扱い鑑みたら必死に「ウチは違いますから!」アピールしないととても生き残れないと考えるのは道理。決して他のアジア諸国をバカにして唱えた言葉ではないのだ、とどうか皆さん?に解ってほしい・・・(´-`)
ストーリーとしての出来はワトソンくんが出会った瞬間から恋をした彼女をゲットできたこと、犯人の最高に中身の詰まった数奇な運命の自白から、最後のホームズの「コカインがあるさ」って危険で堪らなく格好良いセリフまで素晴らしい結末だと確かに言えるんですけど・・・何かなー。現在のフィルターを通さずに見る19Cヨーロッパの世界観に、ちょっと哀しみというか虚しさというか、現実を思い知らされた感じ?(@_@;) でもこんなに少しの時間で世界はここまで変わることができるというのがせめてもの希望かな? 英/国が孤立化や排外主義に陥らず、現在のヨーロッパの混乱が収束してくれれば・・・奇跡のように思えてきたorz 歴史って繰り返すことしかできないんかな?
まぁウチに関して言えば少なくとも谷崎の時代には「東洋」の端にまで『The Sign Of Four』は伝わり、何の抵抗もてらいもなく日/本人はその奇怪な事件や殺人や世界観のみを楽しみ、影響を受け・・・島国だから、やっぱり「他人事」 だったのかな? 隣で誰が捕まろうが抗議の自殺しようが言論の封殺や統制や環境汚染が進もうがまるで無関心の癖に、「戦争行かされるかもよー!」って狼少年の一声聞いた途端に「それは嫌っ(゜ロ゜)カッ!」ってお祭りデモし出す今の私たちと同じように。 白人・ヨーロッパ・新大陸に収まらない世界を丸ごと同一にくくるって言うなら、その「仲間たち」に同情を寄せず、守ることもできずに新たな支配者になることしか目指せなかった私たちは確かに冷血漢なのかもしれない。色々悔しいし悲しいなー(ノ_・,) 何でウチらってこうなんだろう、いっつも。と物語離れたところから色々考えさせられるわ海外古典系。
ジョナサン・スモールは確かにどうしようもないロクデナシだけど、同胞を無惨に追いつめた現地人全てを見下したり憎んだりしてはいなかった。人殺しはもちろん非道極まりない罪だけど、そもそもの持ち主王族の人格にも何ともスッキリしない下卑た人間味を感じるし、シーク教徒の二人、そしてその仲間と宝について固い忠誠を約束し、アンダマン島でトンガになつかれ、二人が絶対的な絆で結ばれて逃亡を共にしはるばるロンドンまで流れ着いて、辛酸を舐めながら復讐、あるいは自分のためだけじゃなくて仲間たちの分まで財宝を取り戻そうという執念の深さを考えると、何とも胸打たれてしまう(つд`) 昨日のスカーレットとマミーじゃないけどさ、イギリ○本土にしかいたことない人間が島の原住民を化物のように扱ったり、イ○ド人を平気で召使にしていたことや、「苦力」と呼んで奴隷同然の待遇を強いていた現地の労働者、そういう状況下で当たり前に起こった暴動の恐怖などに、改めて知識としてしか知らない歴史や人々の生々しい記憶・感情を双方の視点から思い起こさせられるんだよねぇ(´-`)
イ○ドの場合は作中でも見られるように宗派・民族・階級が元々多様に存在する土地だったことを植民支配の分断統治にたくみに利用されてきた背景もまざまざと思い浮かぶし。今も少数派シク教徒はアング○とウマが合うのか国外に出る率が高く、圧倒的多数派のヒンドゥー教徒はパキ○タンに追い出したムス○ムと未だに揉めてる上に、復活した仏教とも一悶着起こさないか心配><;こっちはぶっちゃけ日.本人も絡んでるからなー。しかもヒンドゥー的階級制を否定し、不可触民に広がってるそうじゃないですか・・・? 怖い! 頼むから揉めんなよー、と(・m・;)
比較文化論か文化人類学かどっちか忘れましたけど、ツチ族とフツ族のエピソード思い出したわ。白人に近い方が優秀で、そうじゃない方は奴隷にしても良い種族みたいな。それから長らくその地で対等に勢力の均衡を保ってきたはずの両民族の間で起きた悲劇。白人の考え出した学問超こええ!と感じて興味深かったけどそちらには欠片も進もうと思わなかったなぁ。「現地民・部族」みたいな研究対象であって同じ人間として見なさない感じが何か嫌。『バスカヴィル~』の頭蓋骨トークなんかもそうですね。テメェらのオモチャじゃないんだわ、って考古学かじった歴オタが言える話じゃないのは承知してますが(^^;
他の話に出てきた刺青で依頼者の中/国渡航歴を当てる、って話も、当時ヨーロッパ人がこぞって彫りに来てたのは日.本だし、イ○ド人についてスモールが語る「東洋人は用心深い」の東洋人ってどこまでのこと? orientalの一語でどんだけ広い、文化も肌の色も生活習慣も全く異なる地域のことまとめて指していたんでしょうかね? 仮にもウチが必死に欧米の猿真似して日.英.同盟への流れを必死に作り上げていた時代に、こりゃF沢さんも「脱亜入欧」訴えたくなるわ。(『学問のすゝめ』も持ってます☆「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」これこそが彼の信条であり私の考えるところの真理でもある、と小学生の頃から信じてるからね。笑)ここまでの植民支配の悲惨さと有色人種への扱い鑑みたら必死に「ウチは違いますから!」アピールしないととても生き残れないと考えるのは道理。決して他のアジア諸国をバカにして唱えた言葉ではないのだ、とどうか皆さん?に解ってほしい・・・(´-`)
ストーリーとしての出来はワトソンくんが出会った瞬間から恋をした彼女をゲットできたこと、犯人の最高に中身の詰まった数奇な運命の自白から、最後のホームズの「コカインがあるさ」って危険で堪らなく格好良いセリフまで素晴らしい結末だと確かに言えるんですけど・・・何かなー。現在のフィルターを通さずに見る19Cヨーロッパの世界観に、ちょっと哀しみというか虚しさというか、現実を思い知らされた感じ?(@_@;) でもこんなに少しの時間で世界はここまで変わることができるというのがせめてもの希望かな? 英/国が孤立化や排外主義に陥らず、現在のヨーロッパの混乱が収束してくれれば・・・奇跡のように思えてきたorz 歴史って繰り返すことしかできないんかな?
まぁウチに関して言えば少なくとも谷崎の時代には「東洋」の端にまで『The Sign Of Four』は伝わり、何の抵抗もてらいもなく日/本人はその奇怪な事件や殺人や世界観のみを楽しみ、影響を受け・・・島国だから、やっぱり「他人事」 だったのかな? 隣で誰が捕まろうが抗議の自殺しようが言論の封殺や統制や環境汚染が進もうがまるで無関心の癖に、「戦争行かされるかもよー!」って狼少年の一声聞いた途端に「それは嫌っ(゜ロ゜)カッ!」ってお祭りデモし出す今の私たちと同じように。 白人・ヨーロッパ・新大陸に収まらない世界を丸ごと同一にくくるって言うなら、その「仲間たち」に同情を寄せず、守ることもできずに新たな支配者になることしか目指せなかった私たちは確かに冷血漢なのかもしれない。色々悔しいし悲しいなー(ノ_・,) 何でウチらってこうなんだろう、いっつも。と物語離れたところから色々考えさせられるわ海外古典系。
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ジョナサン・スモールは確かにどうしようもないロクデナシだけど、同胞を無惨に追いつめた現地人全てを見下したり憎んだりしてはいなかった。人殺しはもちろん非道極まりない罪だけど、そもそもの持ち主王族の人格にも何ともスッキリしない下卑た人間味を感じるし、シーク教徒の二人、そしてその仲間と宝について固い忠誠を約束し、アンダマン島でトンガになつかれ、二人が絶対的な絆で結ばれて逃亡を共にしはるばるロンドンまで流れ着いて、辛酸を舐めながら復讐、あるいは自分のためだけじゃなくて仲間たちの分まで財宝を取り戻そうという執念の深さを考えると、何とも胸打たれてしまう(つд`) 昨日のスカーレットとマミーじゃないけどさ、イギリ○本土にしかいたことない人間が島の原住民を化物のように扱ったり、イ○ド人を平気で召使にしていたことや、「苦力」と呼んで奴隷同然の待遇を強いていた現地の労働者、そういう状況下で当たり前に起こった暴動の恐怖などに、改めて知識としてしか知らない歴史や人々の生々しい記憶・感情を双方の視点から思い起こさせられるんだよねぇ(´-`)
イ○ドの場合は作中でも見られるように宗派・民族・階級が元々多様に存在する土地だったことを植民支配の分断統治にたくみに利用されてきた背景もまざまざと思い浮かぶし。今も少数派シク教徒はアング○とウマが合うのか国外に出る率が高く、圧倒的多数派のヒンドゥー教徒はパキ○タンに追い出したムス○ムと未だに揉めてる上に、復活した仏教とも一悶着起こさないか心配><;こっちはぶっちゃけ日.本人も絡んでるからなー。しかもヒンドゥー的階級制を否定し、不可触民に広がってるそうじゃないですか・・・? 怖い! 頼むから揉めんなよー、と(・m・;)
比較文化論か文化人類学かどっちか忘れましたけど、ツチ族とフツ族のエピソード思い出したわ。白人に近い方が優秀で、そうじゃない方は奴隷にしても良い種族みたいな。それから長らくその地で対等に勢力の均衡を保ってきたはずの両民族の間で起きた悲劇。白人の考え出した学問超こええ!と感じて興味深かったけどそちらには欠片も進もうと思わなかったなぁ。「現地民・部族」みたいな研究対象であって同じ人間として見なさない感じが何か嫌。『バスカヴィル~』の頭蓋骨トークなんかもそうですね。テメェらのオモチャじゃないんだわ、って考古学かじった歴オタが言える話じゃないのは承知してますが(^^;
他の話に出てきた刺青で依頼者の中/国渡航歴を当てる、って話も、当時ヨーロッパ人がこぞって彫りに来てたのは日.本だし、イ○ド人についてスモールが語る「東洋人は用心深い」の東洋人ってどこまでのこと? orientalの一語でどんだけ広い、文化も肌の色も生活習慣も全く異なる地域のことまとめて指していたんでしょうかね? 仮にもウチが必死に欧米の猿真似して日.英.同盟への流れを必死に作り上げていた時代に、こりゃF沢さんも「脱亜入欧」訴えたくなるわ。(『学問のすゝめ』も持ってます☆「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」これこそが彼の信条であり私の考えるところの真理でもある、と小学生の頃から信じてるからね。笑)ここまでの植民支配の悲惨さと有色人種への扱い鑑みたら必死に「ウチは違いますから!」アピールしないととても生き残れないと考えるのは道理。決して他のアジア諸国をバカにして唱えた言葉ではないのだ、とどうか皆さん?に解ってほしい・・・(´-`)
ストーリーとしての出来はワトソンくんが出会った瞬間から恋をした彼女をゲットできたこと、犯人の最高に中身の詰まった数奇な運命の自白から、最後のホームズの「コカインがあるさ」って危険で堪らなく格好良いセリフまで素晴らしい結末だと確かに言えるんですけど・・・何かなー。現在のフィルターを通さずに見る19Cヨーロッパの世界観に、ちょっと哀しみというか虚しさというか、現実を思い知らされた感じ?(@_@;) でもこんなに少しの時間で世界はここまで変わることができるというのがせめてもの希望かな? 英/国が孤立化や排外主義に陥らず、現在のヨーロッパの混乱が収束してくれれば・・・奇跡のように思えてきたorz 歴史って繰り返すことしかできないんかな?
まぁウチに関して言えば少なくとも谷崎の時代には「東洋」の端にまで『The Sign Of Four』は伝わり、何の抵抗もてらいもなく日/本人はその奇怪な事件や殺人や世界観のみを楽しみ、影響を受け・・・島国だから、やっぱり「他人事」 だったのかな? 隣で誰が捕まろうが抗議の自殺しようが言論の封殺や統制や環境汚染が進もうがまるで無関心の癖に、「戦争行かされるかもよー!」って狼少年の一声聞いた途端に「それは嫌っ(゜ロ゜)カッ!」ってお祭りデモし出す今の私たちと同じように。 白人・ヨーロッパ・新大陸に収まらない世界を丸ごと同一にくくるって言うなら、その「仲間たち」に同情を寄せず、守ることもできずに新たな支配者になることしか目指せなかった私たちは確かに冷血漢なのかもしれない。色々悔しいし悲しいなー(ノ_・,) 何でウチらってこうなんだろう、いっつも。と物語離れたところから色々考えさせられるわ海外古典系。
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