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近所で不幸があったんですけど、やっぱり分かるもんなんだなー、って。ポルターガイスト?じゃないですけどあったんですよ、ちょっとその時間に。で、あ一つ消えた、と思ったんだけど身内じゃないのは感じてたのでスルー→数日憑かれてるっぽい重さで肩ポン(自己流はね除け術。笑)し続けてたら、そういうことだった、とお聞きしてなるほど、と(´・ω・`)) 気づいてほしかったんだな、って聞いたら痛みも引いたんで。そういうのあるんだよねぇ、私は魂否定論者なんでそん時の慌ててた気持ちとか「嘘だろ死ぬの!?」感がさまよって、たまたま分かってくれたり同期?しやすいというか伝わりやすい人のとこに行く状態、と捉えてますけど。でも身内がいない方の事故ってどうなるんだろう、と今後の展開が近所住人として戸惑ってしまう。この歳まで生きてると色々ありますね。もう怖いとか悲しいとかは(特に正直あの震災の後は)だんだん鈍感になってきている自覚はあるんだけど。薄まるというより、ちゃんと調べたり弔いをしてもらえることのありがたみや幸福をヒシヒシと感じざるを得なくてね。肩身狭そうにヒッソリお葬式出してた人、いつまでもお弔いができなかった人、一人一人の悲しみに浸りきることができなかった人など色々見てきたから。人生は色んなことがあって、次に何が起きるかはどんなに元気な人でも、誰にも予想はつかないんだな、って。
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