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上野は初めて東京に行った時、両親とパンダを見た思い出の場所でした。
まだ北海道に行く勇気は出ない。どこに行っても思い出して重ねるから。動物園に行った訳じゃないけど、駅周辺の雰囲気も全く変わってしまったけど(何より当時は東北新幹線が上野止まりだった。笑)、パンダ橋の古い人形あるじゃないですか。あれ見た瞬間、「あ、ここで写真撮ったことあるわ」と。私実はパンダには余り興味なくて、新幹線自体がメインだったんですね。だから、乗り物乗り終わって、地元にもある動物園とか(´д`)=3 何でこんな並んで白黒のやつ動かねーじゃん、てかちょっとしか見られないし、と不満タラタラなクソガキを、特に父は色々走り回って一所懸命なだめてくれてたような・・・。あとパパっ子だった私が初めて仕事の都合で長期間別離を余儀なくされた時、入場券買って東京向かう彼の姿にずーっと泣きっぱなしだったなぁ、とか新幹線・上野のコンボ何で自分が初めて母を1人にする選択肢に選んだのか無意識に考えてたんかな、ってちょっとしんみりした。弟が戻ってくるつもりなら大丈夫とは思うけど、私がいない状態にも慣れてほしい。あと、そろそろお供え続けるだけじゃなくて別れの対話をすべきなのかな、と。骨壺と寝る寝室で嫌というほど向き合わされてはいるのかもしれないけど、一緒にいると本当の意味で彼の喪失や、それが自分にもたらしたものを深く抉り出すことができない。サヨナラが言えない。それは互いをダメにすると感じた。歳行ってからフツーに死んだなら、死ぬ側も送る側もある程度当たり前の未来として覚悟ができてた状況なら良いだろう。でも、何も言わずに自分だけいつも通りのふりして「バイバイ、バイバーイ!」とだけ告げて逝った父の第一発見者になってしまった母は、恐らく私と同じように自責の念にかられ、でも私とは違って他者にそれを指摘されることに堪えきれない彼女はどうだろうかと思った。私は、自分の自己認識と願望とそうなったところで誰のせいでもなく本来あるべき状態に戻ったと考えてくれ、とは残酷だと思うけど伝えてある。でも父は、どうやらギリギリまで「お金さえどうにかなれば」と揺れてた人だったみたいだからさー(-_-;) だから整理してほしかったし、一対一で向き合ってほしかった。深夜までお友達と過ごしてたみたいですが、一人きりの家で父と眠るという時間をね。年明けは2泊するけど大丈夫かなぁ。私も正直親不孝しない自信がないんで。首しめられても産まなきゃ良かっただの欠陥品扱いされても(まぁその通りだし。笑)、心配だから。あとやっぱり家のことやっててくれるのは助かるし共依存してる状態なんでしょうね。ホント生きるのって苦しい。
京都もね、学生時代だけじゃなくて家族との思い出も沢山あります。てか東京より先に京都行ってた(^_^;) まさか住むことになるとはねー。外堀から埋めていく。父との「日常」は、やっと勤め先(かつ死に場所)の最寄り駅名聞いても胸が痛まなくなった。ピクッと意識してしまうことはあるけど、なるべく近くは通りたくないけどスイッチの切り方を見つけた。あとは思い出を1つ1つ見つけて仕舞う作業が必要なんだろう、と。福島も、東京も。父と行ったとこ全部。一緒に味わったもの、やったこと、いない今だからこそできること。(ブルー・インパルスだの皇居観光なんて絶対無理。笑) そうやって不在を受け入れていく。存在してくれた過去にありがとうって言う。人の死の、特に近しい人のそれを受け止めることは簡単ではなくて、とても時間や手間がかかることだと思う。でも一方で先やられた感はあるけど自分の未来図でもあると思うから、それまでじっくり、私自身が向き合えるようにならないとちゃんとした終活ができない。きちんと願望を果たすために、白髪増えようが金飛ぼうが、自分自身と身内の弱さと罪悪には向き合いたいです。本当私が死ねば良かった。死にたかった。死にたい、今でも。こんな苦しい思いするくらいなら、生きてても、生きれば生きるほど苦しいつらい悲しいことしかないじゃん。もう良い、もう沢山、自分の存在が許せない。こんな害悪が存在するとか、ってずっと感じ続けてる私があの時もこの時も、どうしてのうのうと息しちゃってんのかマジミラクル┐(-。-;)┌ 早く終われますように。何もかも早く。
京都もね、学生時代だけじゃなくて家族との思い出も沢山あります。てか東京より先に京都行ってた(^_^;) まさか住むことになるとはねー。外堀から埋めていく。父との「日常」は、やっと勤め先(かつ死に場所)の最寄り駅名聞いても胸が痛まなくなった。ピクッと意識してしまうことはあるけど、なるべく近くは通りたくないけどスイッチの切り方を見つけた。あとは思い出を1つ1つ見つけて仕舞う作業が必要なんだろう、と。福島も、東京も。父と行ったとこ全部。一緒に味わったもの、やったこと、いない今だからこそできること。(ブルー・インパルスだの皇居観光なんて絶対無理。笑) そうやって不在を受け入れていく。存在してくれた過去にありがとうって言う。人の死の、特に近しい人のそれを受け止めることは簡単ではなくて、とても時間や手間がかかることだと思う。でも一方で先やられた感はあるけど自分の未来図でもあると思うから、それまでじっくり、私自身が向き合えるようにならないとちゃんとした終活ができない。きちんと願望を果たすために、白髪増えようが金飛ぼうが、自分自身と身内の弱さと罪悪には向き合いたいです。本当私が死ねば良かった。死にたかった。死にたい、今でも。こんな苦しい思いするくらいなら、生きてても、生きれば生きるほど苦しいつらい悲しいことしかないじゃん。もう良い、もう沢山、自分の存在が許せない。こんな害悪が存在するとか、ってずっと感じ続けてる私があの時もこの時も、どうしてのうのうと息しちゃってんのかマジミラクル┐(-。-;)┌ 早く終われますように。何もかも早く。
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京都もね、学生時代だけじゃなくて家族との思い出も沢山あります。てか東京より先に京都行ってた(^_^;) まさか住むことになるとはねー。外堀から埋めていく。父との「日常」は、やっと勤め先(かつ死に場所)の最寄り駅名聞いても胸が痛まなくなった。ピクッと意識してしまうことはあるけど、なるべく近くは通りたくないけどスイッチの切り方を見つけた。あとは思い出を1つ1つ見つけて仕舞う作業が必要なんだろう、と。福島も、東京も。父と行ったとこ全部。一緒に味わったもの、やったこと、いない今だからこそできること。(ブルー・インパルスだの皇居観光なんて絶対無理。笑) そうやって不在を受け入れていく。存在してくれた過去にありがとうって言う。人の死の、特に近しい人のそれを受け止めることは簡単ではなくて、とても時間や手間がかかることだと思う。でも一方で先やられた感はあるけど自分の未来図でもあると思うから、それまでじっくり、私自身が向き合えるようにならないとちゃんとした終活ができない。きちんと願望を果たすために、白髪増えようが金飛ぼうが、自分自身と身内の弱さと罪悪には向き合いたいです。本当私が死ねば良かった。死にたかった。死にたい、今でも。こんな苦しい思いするくらいなら、生きてても、生きれば生きるほど苦しいつらい悲しいことしかないじゃん。もう良い、もう沢山、自分の存在が許せない。こんな害悪が存在するとか、ってずっと感じ続けてる私があの時もこの時も、どうしてのうのうと息しちゃってんのかマジミラクル┐(-。-;)┌ 早く終われますように。何もかも早く。
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