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私が歴オタでヅカオタでスケオタなのは、初めから終わりがあることを知ってた方が傷つかないし綺麗な思い出にできるからかも。
全てが偶然で存在自体に特に意味がないとも小さい頃から思ってたし、買ってたペットが主に虫系だったので寿命短くて。それでも名前つけて可愛がってたし、死んだらちゃんとお墓作った。その代わりぬいぐるみやオモチャの形あるものは中々捨てられずに、私が生まれる前から母が持ってた物のみお焚き上げ許可。もう絶対に交わらない生き物の痕跡を見られるのが奇跡だと思った。感動したし楽しかった。そうやって生きていたんだ、命を繋いできたんだ、って。自分で強く実感するまで、それはただの興味本位だったのかもしれないけど自分の根っこにあるのはそれだと思う。
母がようやくスマホを買い替えるというので、ラインで父の画像アルバムを作った。久しぶりに彼の顔を見た気がする。そして3月。あの日からもう8年とか信じられないけど、それまでに起きた色々なことはなかったことにはとてもできない。だから、もうどうやっても戻れないんだ、と。でも正直、受け入れることはできないですよ。ただ仕方ないって言い聞かせてるだけ。もしかしたら、万が一、とはずっと考えてる。たぶん父のように、在りし日の姿は普段忘れてる(思い出したり考えないようにしてるし、その余裕がない)。でも、ふとした瞬間「あ、こここうだったな」「あの子ああだったな」って思い出す。2度と同じ時間は過ごせないし景色は戻ってこない。東北はずっとその影を背負い続ける。私、本当は今でも空港近くの景色は見たくなくて離着陸の時は寝てます。妹の嫁ぎ先付近なんて・・・何も被害なくても、地元で生まれ育った人が死にたくなる気持ち分かる。私も、あの後もその前も、それからしばらく経ってからも死のうといつでも思ってた。人は簡単に絶望するし、弱いし、自然はあっという間に人を追いこめるし。人が人を追い込むことも付け入ることも容易い。同じ国の中でさえ、地域の中でさえ被災地とそうではないところの温度差を直に感じました。他人の痛みを理解できるとは思わない。痛みの感じ方も、堪えられるキャパシティも違う。でも、自分だったら、といつも置き換えて考えてたい。父の死に誰よりも泣いてくれた妹の旦那の姿に、故郷の町並みも親友も失った彼の姿にそう思いました。私はずっと甘えきって息させてもらってきたロクデナシだから、精いっぱい生きて諦めなかった人たちのことを忘れちゃいけないな、と。みんなが、そこに生きる人たちの現実を知ってほしい、いや思いやってほしいと思う。・・・町民投票、どうにもならないのに誰得なんですか。漁業以外の産業なかった町で、関わる仕事で食べてる人たちや家族どんだけ気まずくなるんですか。他所から来てかき回すな。仙北に某自動車メーカー来てどんだけ人と仕事増えたと思ってんだ。未だに出稼ぎの風習がある地方なんだぞ。まだ仙台に通えるところで、経歴傷だらけでもそれなりに働けて良かったと思ってる。田舎の現実も知らずに政治利用したいだけの頭でっかちが偉そうにモノ語りに来ないでほしい。
母がようやくスマホを買い替えるというので、ラインで父の画像アルバムを作った。久しぶりに彼の顔を見た気がする。そして3月。あの日からもう8年とか信じられないけど、それまでに起きた色々なことはなかったことにはとてもできない。だから、もうどうやっても戻れないんだ、と。でも正直、受け入れることはできないですよ。ただ仕方ないって言い聞かせてるだけ。もしかしたら、万が一、とはずっと考えてる。たぶん父のように、在りし日の姿は普段忘れてる(思い出したり考えないようにしてるし、その余裕がない)。でも、ふとした瞬間「あ、こここうだったな」「あの子ああだったな」って思い出す。2度と同じ時間は過ごせないし景色は戻ってこない。東北はずっとその影を背負い続ける。私、本当は今でも空港近くの景色は見たくなくて離着陸の時は寝てます。妹の嫁ぎ先付近なんて・・・何も被害なくても、地元で生まれ育った人が死にたくなる気持ち分かる。私も、あの後もその前も、それからしばらく経ってからも死のうといつでも思ってた。人は簡単に絶望するし、弱いし、自然はあっという間に人を追いこめるし。人が人を追い込むことも付け入ることも容易い。同じ国の中でさえ、地域の中でさえ被災地とそうではないところの温度差を直に感じました。他人の痛みを理解できるとは思わない。痛みの感じ方も、堪えられるキャパシティも違う。でも、自分だったら、といつも置き換えて考えてたい。父の死に誰よりも泣いてくれた妹の旦那の姿に、故郷の町並みも親友も失った彼の姿にそう思いました。私はずっと甘えきって息させてもらってきたロクデナシだから、精いっぱい生きて諦めなかった人たちのことを忘れちゃいけないな、と。みんなが、そこに生きる人たちの現実を知ってほしい、いや思いやってほしいと思う。・・・町民投票、どうにもならないのに誰得なんですか。漁業以外の産業なかった町で、関わる仕事で食べてる人たちや家族どんだけ気まずくなるんですか。他所から来てかき回すな。仙北に某自動車メーカー来てどんだけ人と仕事増えたと思ってんだ。未だに出稼ぎの風習がある地方なんだぞ。まだ仙台に通えるところで、経歴傷だらけでもそれなりに働けて良かったと思ってる。田舎の現実も知らずに政治利用したいだけの頭でっかちが偉そうにモノ語りに来ないでほしい。
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母がようやくスマホを買い替えるというので、ラインで父の画像アルバムを作った。久しぶりに彼の顔を見た気がする。そして3月。あの日からもう8年とか信じられないけど、それまでに起きた色々なことはなかったことにはとてもできない。だから、もうどうやっても戻れないんだ、と。でも正直、受け入れることはできないですよ。ただ仕方ないって言い聞かせてるだけ。もしかしたら、万が一、とはずっと考えてる。たぶん父のように、在りし日の姿は普段忘れてる(思い出したり考えないようにしてるし、その余裕がない)。でも、ふとした瞬間「あ、こここうだったな」「あの子ああだったな」って思い出す。2度と同じ時間は過ごせないし景色は戻ってこない。東北はずっとその影を背負い続ける。私、本当は今でも空港近くの景色は見たくなくて離着陸の時は寝てます。妹の嫁ぎ先付近なんて・・・何も被害なくても、地元で生まれ育った人が死にたくなる気持ち分かる。私も、あの後もその前も、それからしばらく経ってからも死のうといつでも思ってた。人は簡単に絶望するし、弱いし、自然はあっという間に人を追いこめるし。人が人を追い込むことも付け入ることも容易い。同じ国の中でさえ、地域の中でさえ被災地とそうではないところの温度差を直に感じました。他人の痛みを理解できるとは思わない。痛みの感じ方も、堪えられるキャパシティも違う。でも、自分だったら、といつも置き換えて考えてたい。父の死に誰よりも泣いてくれた妹の旦那の姿に、故郷の町並みも親友も失った彼の姿にそう思いました。私はずっと甘えきって息させてもらってきたロクデナシだから、精いっぱい生きて諦めなかった人たちのことを忘れちゃいけないな、と。みんなが、そこに生きる人たちの現実を知ってほしい、いや思いやってほしいと思う。・・・町民投票、どうにもならないのに誰得なんですか。漁業以外の産業なかった町で、関わる仕事で食べてる人たちや家族どんだけ気まずくなるんですか。他所から来てかき回すな。仙北に某自動車メーカー来てどんだけ人と仕事増えたと思ってんだ。未だに出稼ぎの風習がある地方なんだぞ。まだ仙台に通えるところで、経歴傷だらけでもそれなりに働けて良かったと思ってる。田舎の現実も知らずに政治利用したいだけの頭でっかちが偉そうにモノ語りに来ないでほしい。
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