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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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まだ第一部までしか読んでないけど色々語りたくなったので。(※病み要素含みますm(__)m)

これさ、フィクションってなってるけど思いっきり作者の心情こもった激白だよね?とやっぱり思っちゃう。てか母に「アレすげぇな、山も谷も起承転結の欠片もなくひたすらぶっ通し独白なんだけど、何で薦めたの?」と聞いたら「好きだから!」とスッパリ言い切られて「トルストイとかは着地点が予想できるとこに落ち着き過ぎでつまんないのよ!ドストエフスキーの本質は『地下室~』にあるの!」とマシンガントークをかまされ、「あ、やっぱ紛れもなく血が繋がった親だこの人・・・(^ω^)」と思いました。彼女も文頭のフィクションアピール凄まじいけど、コレ残らず作者本人の本音ぶっちゃけ作品だよね?という点に間違いなく同意してた(笑)カラ○ーゾフは長男・三男よりも次男のイワンと例の隠し子が思いっきり自己投影されたキャラだったんだなぁ、とか。「あんたの好きなカフカとも被るでしょ!? ヘミングウェイとかアッチ系もダメなの、ちゃんと世の中の不条理とか綺麗なオチが着かない話じゃなきゃ!><」と力説された・・・見抜かれておる(((゜Д゜;)))gkbr でも母はドSなので「アレは健康な状態の時に読んで歯痛なのに歯医者行かずに痛みに快楽覚えるとかwwwプギャーm9(^Д^)って読むものであって、リアルに痛いとこがある時に読んではいけない」みたいな忠告も受けたけど、正直もう手遅れだよね。読み終わったら今度もう鬱を極めるためにハムレットに向かおうかと思ってるし(´∀`)エッヘヘ

てか日.本人が最も共感できる外国語文学はドイ○語圏とロ○ア語圏だ、というのをしみじみ感じるなぁ。英語圏は・・・何つーか、感情が真っ直ぐ過ぎるんだ、「恐怖」はあくまで心の底からの恐怖で可能な限り決して自らの傍に寄せ付けたくないもの、として描かれる。けど、ド○ツ・ロシ○圏では恐れつつもどこかでその恐怖から逃れられないことへの悟り、恐怖の渦中に浸りきる自分、という想像が具体的に成り立っている。この辺民族的特性というか、島だったりほぼ自らが勢力下に置いた大陸でしか生きたことがないアングロ系の人たちと、大陸で常に国境を巡る争いが絶えない状況下で生きてきた、あるいは他民族からの屈辱的な支配を受けた経験を持つ人々との発想の違いなのかな?(日/本も島国だが、災害の多さとドーヴァー海峡なんてもんじゃない日.本海の荒波+果ての見えない太平洋という逃れようのない孤立が大陸ヨーロッパに近い諦観の念を育んだのかもしれない(-_-;))
科学の萌芽がアチコチで発達した19世紀、人々がソレに期待を寄せ過ぎていたことと、同時に全ての「真理」が解明され、「科学的正しさ」によって人間や社会といった存在が完全に支配されてしまうことをいかに恐れていたか、ということがうかがえて複雑な気持ちになった(´・ω・`) 今、科学はますます進歩し人は宇宙や生命の神秘にすら当時よりよっぽど近づきつつあるけれど、同時にその科学から最も縁遠いものであるはずの宗教を名分にした過激派が台頭し争いは決して終わらない、そして科学はその戦争の道具としての前進も続けている。そんな未来を、「ぼく」は予言さえしているかのようだ。
主人公にあり得ないくらい共感するのは、「自身が何者にも、虫けらにさえなり得なかった」と独白している点。だからこそヒキってひねくれた吐き出しにわずかな刺激を見出だしている、ってまさに私か!/(^o^)\ まぁ私は賢くは無いし、彼が馬鹿正直な「活動家」を嘲りつつも実は心から憧れ羨んでいる気持ちも分かるけどね(笑)思いっきり壁にぶち当たって砕け散る気力すら湧かない状態なんだから。憤怒や恋情や憎しみすら、全ては退屈から無理やりひねり出した産物であって、本源的要因が見つからないと分かった途端に霧消する、という考えにも思い当たる節が有り過ぎて( ノ∀`) もうホントどうして良いか分かんないよね。傍から見たらただの怠惰、なまけ者と変わらないという自己認識は確かにあるんだけど。(あ、「ぼく」は40まで役所勤めして遺産を得て今後の生活の心配がない、という点で私とはまるで状況が違いますが)
ボックルさん読んだことないけど、イギ○ス人は「(自分たちの基準による)文明化によって戦争が減る」という理屈に基づいてあんなに冷酷極まりない植民地支配・文化の押し付けを次々と行うことができたんですかー^^ ソレを端から具体的事例を示しつつ否定する「ぼく」、カッコ良すぎる・・・!まさにそう、残虐行為の主役として個人の名が際立つことは減っても、今に至るまで原/爆だの無人機だの、文明や科学の発展は人間をより惨たらしい行為に駆り立て、またその自覚を薄れさせてしまっておりますとも、と(;´_ゝ`) 水晶宮(コチラも『何をなすべきか?』未読の無知でスミマセンが)に対する批判も、結局後にロ○アが辿ることになった道を考えると興味深い。「退屈まぎれ」に完璧なはずのシステムの管理者=つまり絶大な権力を握ることになった連中が何をしたか。ロシ○人は思索の末に「ぼく」のような懸念と葛藤を覚える人々を打ち負かし、「真理」を信奉する余りあの道へと走ってしまったのだろうか? まぁ例の革命には日.露戦争との関わりも大きいので日/本人としては何ともコメントしづらい面もありますが(・・;)
8,9章では電気羊の内容にも通じる人間の最も人間らしいところ、人間とは何か、どういう生き物か、という科学的側面からは推し量れない「真理」が語られている印象を受けますね。自分にとって何の利益にもならない無駄なことをしちゃうのが人間(笑)自我を主張する、ただの社会の歯車・機械ではないと証明するためだけに、世界を呪ったり「2×2=4」という「真理」を否定する意志を抱くのは人間だけに可能な心情であり行動だ、という点には同意せざるを得ない(^-^;) では何故人間はそのような愚かな真似をしてしまうのか? それは「人が道を切りひらく使命を負っているからこそ、道がどこまでも続くようにしなければならないから」というフレーズに思わずハッとさせられたΣ(゜Д゜) 「人間が破壊と混沌を愛するのは本当のところ目的を達成すること、完成を恐れているから」って、まさにウチのわび・さび・ZENの思想じゃないっすかー! 目的に達する経緯だけを好み、目的そのものはどうでも良いとか、え、なに主人公もしかして日.本人・・・? あ、でも日/本人はプロセスとしての「生」よりゴール地点の「死」にこだわるからなぁ。この辺大きな矛盾かも。ヤバい、外国文学のおかげで自国の文化がますます理解できなくなるという矛盾がこれで何度目かorz
でも、9章最後に出てきた「自意識は人間にとって最大の不幸だが人間がそれを愛しており、ある意味それこそが最も高尚な人間を人間足らしめる所以だ」(※ニュアンス)みたいなことが書いてあって少しホッとしちゃった。私大体いつも親に悩みとか打ち明けると「自意識過剰」って言われまくって終わるからさ(^^; イヤ誰もコッチのことなんぞ気にしてないの分かってるけど、石ころ帽子被って誰の目にも触れない存在になりたい気持ちを理解してもらえない・・・。逃れようもない、目に見える、戸籍にも登録された人間として存在していないといけないこと自体が苦痛でござる(´・ω・`)という、恐らく強すぎる自意識ゆえの苦しみをね!肯定してもらえたような気がして。科学どころか歴史学でももちろん決して許されない、「2×2=5」を愛する生き方も良いじゃない、って言葉に何か勝手に救われたような気持ちになりました。

追記:第一部読み終わったので追記。
それまでの10章分のクドクドした愚痴を一転してこきおろす11章(笑)「真実はあっても純真さに欠ける、心は淫蕩に汚されていて嘘ばかりだ!」そうそう、こんな風に叱って欲しかったっつーかツッコんでる自分がいるんだよね、現在の状況に((´-`)ウンウン、とココも病み共感。でも何でこんな恥ずかしいこと、極端なこと、ひねくれた考えを書き起こして世間様の目に触れるような前提で語っちゃってるのか、という理由の説明がまた・・・「誰にも、親友にも打ち明けられないような、省みる行為に堪えられないようなことを、せめて自分自身に対してくらい裸になりきれないものか、真実を恐れずにいられるものか試してみたい」あー、ソレ私がブログ始めた時の心情に近いな、と思っちゃった(*_*; んで実際に書き(打ち)始めてみると、確かに自分の気持ちを整理してより客観的・批判的になれたり気持ちが軽くなる、ってのも同じ。あとどんなに思い出したくないようなことでも、一回外に吐き出してみればソレから逃れられるような気がする、というのも。本当に救いようがないし申し訳ないですね、読者の方に対してorz(最近隠しきれてないけど、私の場合は細切れに創作の中にもそういう要素を入れちゃってたので)

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これさ、フィクションってなってるけど思いっきり作者の心情こもった激白だよね?とやっぱり思っちゃう。てか母に「アレすげぇな、山も谷も起承転結の欠片もなくひたすらぶっ通し独白なんだけど、何で薦めたの?」と聞いたら「好きだから!」とスッパリ言い切られて「トルストイとかは着地点が予想できるとこに落ち着き過ぎでつまんないのよ!ドストエフスキーの本質は『地下室~』にあるの!」とマシンガントークをかまされ、「あ、やっぱ紛れもなく血が繋がった親だこの人・・・(^ω^)」と思いました。彼女も文頭のフィクションアピール凄まじいけど、コレ残らず作者本人の本音ぶっちゃけ作品だよね?という点に間違いなく同意してた(笑)カラ○ーゾフは長男・三男よりも次男のイワンと例の隠し子が思いっきり自己投影されたキャラだったんだなぁ、とか。「あんたの好きなカフカとも被るでしょ!? ヘミングウェイとかアッチ系もダメなの、ちゃんと世の中の不条理とか綺麗なオチが着かない話じゃなきゃ!><」と力説された・・・見抜かれておる(((゜Д゜;)))gkbr でも母はドSなので「アレは健康な状態の時に読んで歯痛なのに歯医者行かずに痛みに快楽覚えるとかwwwプギャーm9(^Д^)って読むものであって、リアルに痛いとこがある時に読んではいけない」みたいな忠告も受けたけど、正直もう手遅れだよね。読み終わったら今度もう鬱を極めるためにハムレットに向かおうかと思ってるし(´∀`)エッヘヘ

てか日.本人が最も共感できる外国語文学はドイ○語圏とロ○ア語圏だ、というのをしみじみ感じるなぁ。英語圏は・・・何つーか、感情が真っ直ぐ過ぎるんだ、「恐怖」はあくまで心の底からの恐怖で可能な限り決して自らの傍に寄せ付けたくないもの、として描かれる。けど、ド○ツ・ロシ○圏では恐れつつもどこかでその恐怖から逃れられないことへの悟り、恐怖の渦中に浸りきる自分、という想像が具体的に成り立っている。この辺民族的特性というか、島だったりほぼ自らが勢力下に置いた大陸でしか生きたことがないアングロ系の人たちと、大陸で常に国境を巡る争いが絶えない状況下で生きてきた、あるいは他民族からの屈辱的な支配を受けた経験を持つ人々との発想の違いなのかな?(日/本も島国だが、災害の多さとドーヴァー海峡なんてもんじゃない日.本海の荒波+果ての見えない太平洋という逃れようのない孤立が大陸ヨーロッパに近い諦観の念を育んだのかもしれない(-_-;))
科学の萌芽がアチコチで発達した19世紀、人々がソレに期待を寄せ過ぎていたことと、同時に全ての「真理」が解明され、「科学的正しさ」によって人間や社会といった存在が完全に支配されてしまうことをいかに恐れていたか、ということがうかがえて複雑な気持ちになった(´・ω・`) 今、科学はますます進歩し人は宇宙や生命の神秘にすら当時よりよっぽど近づきつつあるけれど、同時にその科学から最も縁遠いものであるはずの宗教を名分にした過激派が台頭し争いは決して終わらない、そして科学はその戦争の道具としての前進も続けている。そんな未来を、「ぼく」は予言さえしているかのようだ。
主人公にあり得ないくらい共感するのは、「自身が何者にも、虫けらにさえなり得なかった」と独白している点。だからこそヒキってひねくれた吐き出しにわずかな刺激を見出だしている、ってまさに私か!/(^o^)\ まぁ私は賢くは無いし、彼が馬鹿正直な「活動家」を嘲りつつも実は心から憧れ羨んでいる気持ちも分かるけどね(笑)思いっきり壁にぶち当たって砕け散る気力すら湧かない状態なんだから。憤怒や恋情や憎しみすら、全ては退屈から無理やりひねり出した産物であって、本源的要因が見つからないと分かった途端に霧消する、という考えにも思い当たる節が有り過ぎて( ノ∀`) もうホントどうして良いか分かんないよね。傍から見たらただの怠惰、なまけ者と変わらないという自己認識は確かにあるんだけど。(あ、「ぼく」は40まで役所勤めして遺産を得て今後の生活の心配がない、という点で私とはまるで状況が違いますが)
ボックルさん読んだことないけど、イギ○ス人は「(自分たちの基準による)文明化によって戦争が減る」という理屈に基づいてあんなに冷酷極まりない植民地支配・文化の押し付けを次々と行うことができたんですかー^^ ソレを端から具体的事例を示しつつ否定する「ぼく」、カッコ良すぎる・・・!まさにそう、残虐行為の主役として個人の名が際立つことは減っても、今に至るまで原/爆だの無人機だの、文明や科学の発展は人間をより惨たらしい行為に駆り立て、またその自覚を薄れさせてしまっておりますとも、と(;´_ゝ`) 水晶宮(コチラも『何をなすべきか?』未読の無知でスミマセンが)に対する批判も、結局後にロ○アが辿ることになった道を考えると興味深い。「退屈まぎれ」に完璧なはずのシステムの管理者=つまり絶大な権力を握ることになった連中が何をしたか。ロシ○人は思索の末に「ぼく」のような懸念と葛藤を覚える人々を打ち負かし、「真理」を信奉する余りあの道へと走ってしまったのだろうか? まぁ例の革命には日.露戦争との関わりも大きいので日/本人としては何ともコメントしづらい面もありますが(・・;)
8,9章では電気羊の内容にも通じる人間の最も人間らしいところ、人間とは何か、どういう生き物か、という科学的側面からは推し量れない「真理」が語られている印象を受けますね。自分にとって何の利益にもならない無駄なことをしちゃうのが人間(笑)自我を主張する、ただの社会の歯車・機械ではないと証明するためだけに、世界を呪ったり「2×2=4」という「真理」を否定する意志を抱くのは人間だけに可能な心情であり行動だ、という点には同意せざるを得ない(^-^;) では何故人間はそのような愚かな真似をしてしまうのか? それは「人が道を切りひらく使命を負っているからこそ、道がどこまでも続くようにしなければならないから」というフレーズに思わずハッとさせられたΣ(゜Д゜) 「人間が破壊と混沌を愛するのは本当のところ目的を達成すること、完成を恐れているから」って、まさにウチのわび・さび・ZENの思想じゃないっすかー! 目的に達する経緯だけを好み、目的そのものはどうでも良いとか、え、なに主人公もしかして日.本人・・・? あ、でも日/本人はプロセスとしての「生」よりゴール地点の「死」にこだわるからなぁ。この辺大きな矛盾かも。ヤバい、外国文学のおかげで自国の文化がますます理解できなくなるという矛盾がこれで何度目かorz
でも、9章最後に出てきた「自意識は人間にとって最大の不幸だが人間がそれを愛しており、ある意味それこそが最も高尚な人間を人間足らしめる所以だ」(※ニュアンス)みたいなことが書いてあって少しホッとしちゃった。私大体いつも親に悩みとか打ち明けると「自意識過剰」って言われまくって終わるからさ(^^; イヤ誰もコッチのことなんぞ気にしてないの分かってるけど、石ころ帽子被って誰の目にも触れない存在になりたい気持ちを理解してもらえない・・・。逃れようもない、目に見える、戸籍にも登録された人間として存在していないといけないこと自体が苦痛でござる(´・ω・`)という、恐らく強すぎる自意識ゆえの苦しみをね!肯定してもらえたような気がして。科学どころか歴史学でももちろん決して許されない、「2×2=5」を愛する生き方も良いじゃない、って言葉に何か勝手に救われたような気持ちになりました。

追記:第一部読み終わったので追記。
それまでの10章分のクドクドした愚痴を一転してこきおろす11章(笑)「真実はあっても純真さに欠ける、心は淫蕩に汚されていて嘘ばかりだ!」そうそう、こんな風に叱って欲しかったっつーかツッコんでる自分がいるんだよね、現在の状況に((´-`)ウンウン、とココも病み共感。でも何でこんな恥ずかしいこと、極端なこと、ひねくれた考えを書き起こして世間様の目に触れるような前提で語っちゃってるのか、という理由の説明がまた・・・「誰にも、親友にも打ち明けられないような、省みる行為に堪えられないようなことを、せめて自分自身に対してくらい裸になりきれないものか、真実を恐れずにいられるものか試してみたい」あー、ソレ私がブログ始めた時の心情に近いな、と思っちゃった(*_*; んで実際に書き(打ち)始めてみると、確かに自分の気持ちを整理してより客観的・批判的になれたり気持ちが軽くなる、ってのも同じ。あとどんなに思い出したくないようなことでも、一回外に吐き出してみればソレから逃れられるような気がする、というのも。本当に救いようがないし申し訳ないですね、読者の方に対してorz(最近隠しきれてないけど、私の場合は細切れに創作の中にもそういう要素を入れちゃってたので)

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