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『苦役列車』同時収録のやつ。
うおお、寛多が「書くこと」に執着しておる・・・!(゜Д゜;) というのが『苦役列車』『汚れなき酒のへど』辺りの頃から考えるとかなり大きな進歩なんじゃないか、とまずビックリした。藤澤淸造に出会い、彼を師とも父とも慕い、その足跡を追い続けた果てに始めた文筆業が、彼をその道へと誘った。文学を通して新たな欲望、つまり生き甲斐を得た訳ですよね。投げやりに日銭を稼いでた若い時や、とにかく共に暮らせる女性の存在を求めることにこだわっていた頃に比べると、より野心的で前向きな生き生きとした方向に舵を切れたことは、例え生来の僻み癖が抜けなくても、同時に惨めな自覚と共に抱えるスペシャル・スノーフレーク症候群によって他者を見下す姿勢(彼はそれが己の弱さと劣等感の裏返しだと誰よりもよく知り、傲慢な態度を取る一方で文中に赤裸々な怯えもまた綴っている)を変えられずとも、間違いなく人生の坂を登りつつある過程にようやく到達できたのではないか、と感じました。少なくとも15歳?から何とか一人で生きてきた訳だし、いくら本が好きでもそこまで特定の作家や作品といった対象を追いかける情熱は無く、彼のように書くことへの欲も思いっきり奮い起こすことが不可能だった私よりは少なくともずっとマシだわ(^^)b
今ホント尾骨痛くて寝たきり状態も作品中の彼と被って一々共感しながら読んでたんだけどさー。(しかし男性は羨ましいな!女だしアレ中だから張ってでもトイレ@ウォッシュレット付きに向かわざるを得ないもん。前と後ろで痛さ倍増だし。下な話題でスミマセンm(__)m)腰はホント何故か精神状態がダイレクトに反映されちゃう部位だよなぁ。神経が集まってるからだっけ? 表裏の関係だからか胃とも思いっきり連動するし(;´_ゝ`)
でもやっぱりニシケンさんは凄いわ。野間賞取って物書きの端っこに名を連ねたところで何も変わらない、取り囲む人間が倉庫会社の社員から編集者たちに変わっても、出世の概念が倉庫番を任されることから文芸賞の受賞に変わっても、それらに向ける欲と、同時に存在するそういう欲に対して厭世的な、全てをぶっ壊したいという衝動を抱く刹那的な態度や心情の在り様が何も変わらない。それってある意味すごいこと。欲しがってるのに欲しくない、イヤそういうフリをする。どこかで見ている「師匠」に失望されたくないから、これまで「負け犬」であり続けた自分が見下し続けてきた、当たり前の出世や名声を求める「エリート・成功者」なぞになりたくないから。一方で文芸家として憐れな顛末を辿った堀木の本に奇妙な同情と恐怖を抱き、文芸者としての己の今後を悲観し出す、というのも相変わらずの矛盾溢れる人間味で( ノ∀`)
でも、一つ安心したのは彼が堀木のようになるかもしれない、と心配している理由が「根は小説を書くことが何よりも好き」だから、という点に私は心底感動した。きっと彼は、今後どんな栄華を掴んで没落したり裏切られたり人並みになれたり、どんな道に進もうと、どんな目に遭ったとしても絶望も絶筆もしないだろう、と。いつもどこか高みから自分を見下ろして「ネタ」として客観視できる、そんな私小説をこの忙しなくモノと情報が溢れて止まらない現代社会において立ち止まって冷静に(かつすこぶる主観的な情熱も込めて。笑)描き出すことのできる貴重な作家さんだな、と改めて思った。だから、これからの作品も楽しみにできるo(^o^)o
いやー、しかし彼は中卒コンプの塊だけど、絶対その辺の文学部生より近代文学への造詣は深いんじゃないか? 堀木克三なんて正直聞いたこともなかったもん。私が否定的な近代日本文学の分類と系統、歴史についてもシッカリ把握しているし、語彙の豊富さや用い方と言い、ハルキや人気エンタメ作家(それらインテリの皆様はあえて現代読者向けに難しすぎる言葉は使わない方針を貫かれてらっしゃるだけなのかもしれないませんが^^)さんたちより、よっぽど古くて味のある日本語を使いこなしてらっしゃる。まぁぶっちゃけ遊んでても何とかなる大学生は置いといて、中学の国語教師が地名の読み間違えてたことも、高校の国語教師が古典の基本的な知識すら誤解したまま授業を進めていて呆れ返った事実も個人的に忘れられずにいるので、それらの人々に比べたらよっぽど彼の方が「先生」と呼ばれるにふさわしい(少なくとも国語・文学分野においては)教養を備えていると言えるんじゃないかな、と。しかも彼はそれらの知識を必要に迫られて詰め込んだ訳ではなく、純粋に「好きだから」自然と身に付けたというところが素晴らしくないですか? 頭の固い学者に支配され、すっかり一般社会からは隔絶されてしまった印象を覚えて久しい近代日本文学の世界でだよ?(マジでこの方面は日本の文系学問の中でも特に硬直している分野としか(以下略)私は文学専攻じゃなかったし、ソッチ系で仲良かった友達も古典分野メインにやってる子だったから、昨今の研究事情について偉そうなこと言える立場じゃないけどさー)
あと巻末の解説某元都知事でクッソ吹いた( ノ∀`) ニシケンさんがずっと憎んできた、彼とは真逆の所謂エリート層・ボンボン作家?に書かせるとか! ニシケンさんよく許したなー。てか『落ちぶれて~』読む限りS潮社担当の復讐?(笑)でもA川賞の受賞から一気に華やかな表舞台に引き上げられたことで、ニシケンさんが彼の私小説の根幹を成していた貧困から脱け出し、裕福という障害を負った以後の作品の変質に興味が湧く、という一種のイヤミとも受け取れる意地の悪い言葉にはちょっぴり共感してしまった(^-^; 上に書いたようにどんな状況でも己を客観視した末の破壊衝動が抑えきれずに100%は満たされないまま、その鬱屈を書いて発散させるタイプの方だと思うのでそう心配はしていないのですが・・・。(イヤ決してニシケンさんに幸せになってほしくない訳じゃないんだけど(-_-;))とにかく、正しく純文学的な世界で勝負できる作家さんが現代にもいること、ニシケンさんと酒見さんが同時代に健在な事実(つまり新作を読める、その作家の人生観や心情の変遷を生で追えるということ)が嬉しい。いくら出版不況だ娯楽の多様化だラノベしかない、とか言われても、日本「文学」の世界はまだ死者だけのものではないんだ、と確認できたので、安心して翻訳モノ・電気羊に戻っていけるわー(´∀`)
ホント色々ぶちぶち言ってても、外の世界を知るには相手の側で流行ったり評価された出版物や創作物を見ることが一番だと考えているので(特にフィクションにおいては登場人物の思考パターンや心情ね。全く別の文化や異なる外見をしていても結局同じ人間なんだ、ってことが理解できる最も重要なポイントだと思う)、まずはトコトン「翻訳する」という努力をしてくれた近代化の先達の皆様には本当に感謝したいですm(__)m
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うおお、寛多が「書くこと」に執着しておる・・・!(゜Д゜;) というのが『苦役列車』『汚れなき酒のへど』辺りの頃から考えるとかなり大きな進歩なんじゃないか、とまずビックリした。藤澤淸造に出会い、彼を師とも父とも慕い、その足跡を追い続けた果てに始めた文筆業が、彼をその道へと誘った。文学を通して新たな欲望、つまり生き甲斐を得た訳ですよね。投げやりに日銭を稼いでた若い時や、とにかく共に暮らせる女性の存在を求めることにこだわっていた頃に比べると、より野心的で前向きな生き生きとした方向に舵を切れたことは、例え生来の僻み癖が抜けなくても、同時に惨めな自覚と共に抱えるスペシャル・スノーフレーク症候群によって他者を見下す姿勢(彼はそれが己の弱さと劣等感の裏返しだと誰よりもよく知り、傲慢な態度を取る一方で文中に赤裸々な怯えもまた綴っている)を変えられずとも、間違いなく人生の坂を登りつつある過程にようやく到達できたのではないか、と感じました。少なくとも15歳?から何とか一人で生きてきた訳だし、いくら本が好きでもそこまで特定の作家や作品といった対象を追いかける情熱は無く、彼のように書くことへの欲も思いっきり奮い起こすことが不可能だった私よりは少なくともずっとマシだわ(^^)b
今ホント尾骨痛くて寝たきり状態も作品中の彼と被って一々共感しながら読んでたんだけどさー。(しかし男性は羨ましいな!女だしアレ中だから張ってでもトイレ@ウォッシュレット付きに向かわざるを得ないもん。前と後ろで痛さ倍増だし。下な話題でスミマセンm(__)m)腰はホント何故か精神状態がダイレクトに反映されちゃう部位だよなぁ。神経が集まってるからだっけ? 表裏の関係だからか胃とも思いっきり連動するし(;´_ゝ`)
でもやっぱりニシケンさんは凄いわ。野間賞取って物書きの端っこに名を連ねたところで何も変わらない、取り囲む人間が倉庫会社の社員から編集者たちに変わっても、出世の概念が倉庫番を任されることから文芸賞の受賞に変わっても、それらに向ける欲と、同時に存在するそういう欲に対して厭世的な、全てをぶっ壊したいという衝動を抱く刹那的な態度や心情の在り様が何も変わらない。それってある意味すごいこと。欲しがってるのに欲しくない、イヤそういうフリをする。どこかで見ている「師匠」に失望されたくないから、これまで「負け犬」であり続けた自分が見下し続けてきた、当たり前の出世や名声を求める「エリート・成功者」なぞになりたくないから。一方で文芸家として憐れな顛末を辿った堀木の本に奇妙な同情と恐怖を抱き、文芸者としての己の今後を悲観し出す、というのも相変わらずの矛盾溢れる人間味で( ノ∀`)
でも、一つ安心したのは彼が堀木のようになるかもしれない、と心配している理由が「根は小説を書くことが何よりも好き」だから、という点に私は心底感動した。きっと彼は、今後どんな栄華を掴んで没落したり裏切られたり人並みになれたり、どんな道に進もうと、どんな目に遭ったとしても絶望も絶筆もしないだろう、と。いつもどこか高みから自分を見下ろして「ネタ」として客観視できる、そんな私小説をこの忙しなくモノと情報が溢れて止まらない現代社会において立ち止まって冷静に(かつすこぶる主観的な情熱も込めて。笑)描き出すことのできる貴重な作家さんだな、と改めて思った。だから、これからの作品も楽しみにできるo(^o^)o
いやー、しかし彼は中卒コンプの塊だけど、絶対その辺の文学部生より近代文学への造詣は深いんじゃないか? 堀木克三なんて正直聞いたこともなかったもん。私が否定的な近代日本文学の分類と系統、歴史についてもシッカリ把握しているし、語彙の豊富さや用い方と言い、ハルキや人気エンタメ作家(それらインテリの皆様はあえて現代読者向けに難しすぎる言葉は使わない方針を貫かれてらっしゃるだけなのかもしれないませんが^^)さんたちより、よっぽど古くて味のある日本語を使いこなしてらっしゃる。まぁぶっちゃけ遊んでても何とかなる大学生は置いといて、中学の国語教師が地名の読み間違えてたことも、高校の国語教師が古典の基本的な知識すら誤解したまま授業を進めていて呆れ返った事実も個人的に忘れられずにいるので、それらの人々に比べたらよっぽど彼の方が「先生」と呼ばれるにふさわしい(少なくとも国語・文学分野においては)教養を備えていると言えるんじゃないかな、と。しかも彼はそれらの知識を必要に迫られて詰め込んだ訳ではなく、純粋に「好きだから」自然と身に付けたというところが素晴らしくないですか? 頭の固い学者に支配され、すっかり一般社会からは隔絶されてしまった印象を覚えて久しい近代日本文学の世界でだよ?(マジでこの方面は日本の文系学問の中でも特に硬直している分野としか(以下略)私は文学専攻じゃなかったし、ソッチ系で仲良かった友達も古典分野メインにやってる子だったから、昨今の研究事情について偉そうなこと言える立場じゃないけどさー)
あと巻末の解説某元都知事でクッソ吹いた( ノ∀`) ニシケンさんがずっと憎んできた、彼とは真逆の所謂エリート層・ボンボン作家?に書かせるとか! ニシケンさんよく許したなー。てか『落ちぶれて~』読む限りS潮社担当の復讐?(笑)でもA川賞の受賞から一気に華やかな表舞台に引き上げられたことで、ニシケンさんが彼の私小説の根幹を成していた貧困から脱け出し、裕福という障害を負った以後の作品の変質に興味が湧く、という一種のイヤミとも受け取れる意地の悪い言葉にはちょっぴり共感してしまった(^-^; 上に書いたようにどんな状況でも己を客観視した末の破壊衝動が抑えきれずに100%は満たされないまま、その鬱屈を書いて発散させるタイプの方だと思うのでそう心配はしていないのですが・・・。(イヤ決してニシケンさんに幸せになってほしくない訳じゃないんだけど(-_-;))とにかく、正しく純文学的な世界で勝負できる作家さんが現代にもいること、ニシケンさんと酒見さんが同時代に健在な事実(つまり新作を読める、その作家の人生観や心情の変遷を生で追えるということ)が嬉しい。いくら出版不況だ娯楽の多様化だラノベしかない、とか言われても、日本「文学」の世界はまだ死者だけのものではないんだ、と確認できたので、安心して翻訳モノ・電気羊に戻っていけるわー(´∀`)
ホント色々ぶちぶち言ってても、外の世界を知るには相手の側で流行ったり評価された出版物や創作物を見ることが一番だと考えているので(特にフィクションにおいては登場人物の思考パターンや心情ね。全く別の文化や異なる外見をしていても結局同じ人間なんだ、ってことが理解できる最も重要なポイントだと思う)、まずはトコトン「翻訳する」という努力をしてくれた近代化の先達の皆様には本当に感謝したいですm(__)m
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