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※7章まで読了。前半時事ネタ、後半から相変わらずかなりの病みが混じった感想に入りますm(__)m
ト○コもイ○ドネシアも、イ○ラム教が主流の国の中では比較的世俗派・穏健派だったはず。だから観光客だって集まったし、それを貴重な資源にしてきた。それが、ネット駆使したI Sの影響一つでここまで突き崩されちゃうものなのか。この間のタ.イの事件だってそう。誰も憎んでいなかったのに、植民地支配も戦争も乗り越えて、独立して前に進もうとしていた彼らを、どうしてこんな同じ宗教を信仰する人たちを追い込もうとするのか? いやトル○の件はシ○ア難民、タ/イの件はウイグ○族という複雑な事情も、自分たちを助けてくれない他者・社会・世界を恨むに足る動機は存在したのかもしれない。でも、全世界の追いつめられたムス○ムに向かって(少なくとも現在の彼らがそうなっている状況は半分以上I Sの責任が大きいにも関わらず。残りは彼らを育てたとも言えるアメ○カな(´-`))、「戦わなければ罪」だなんて。そんな意識を、憎しみを植え付けるなんて間違っている。生まれ育った国や、自身に対して何の危害も加えていない相手を攻撃しろ、だって? 何十年も前のことについて、むしろ今の自分たちは相互に利益を互換し合う間柄だろうに謝罪や賠償や復讐を求めて叫ぶどっかの隣国みたいで吐き気がする。人間ってどうしてそんなバカなの? 理解し合えないのか? 私は歴史が好きだけど、それが現代と繋がるものであることは解っているけど、そのことを利用しようとする連中は心底軽蔑するし許せない。
今アメ○カにイラついてるのは中途半端な安保政策態度とぶっちゃけ金の問題だし、中/国を警戒するのはその不透明な金の動きと影響力の拡大ぶり、軍事的にどこまで覇権を伸ばすつもりなのか、また実質的にそれが可能なのか、ということが隣国として気になるから。半島はどっちもホントにもう困ったもんだ、でロ○アはどうせ島返す気なくて経済的にも追いつめられてるのに交渉する意味あんのかな、って感じだし(とりあえず中.国に寄り過ぎないでね、って目的なのは分かるけど彼らもうソコしか頼りどこ無いんだから無駄じゃね? まぁ米にも裏で話通した上で「ポチじゃなくて独自外交してます」パフォーマンス、定型の国○省警告までセットのプロレスなのかもしれないけどさ(-_-;))、台/湾は選挙後もバランス取って上手くやってほしい、とかそんな現代の視点しかなくて、たまに感情的になることはあるけど過去は過去であって自分がやられたわけでも無いことに表舞台に出てまで騒ぐ気持ちは欠片も忖度できない。宗教や民族主義という信仰やイデオロギー(身内見てる限りぶっちゃけ区別つかないんだけどさ。笑)ってそこまで根深く「自分に関係ない」仲間の痛みまで背負わなきゃいけない、そういう感情や義務感を養っちゃうもんなの?
電気羊読み始めたんだけど、私にはフォークト=カンプフ検査をクリアできそうにないし、マーサー教の共感ボックスも全く役に立たなそうだな、と。てか人形供養の文化やどんと祭でのお焚き上げ(私も昔何体かお世話になったぬいぐるみやオモチャを持っていきました)、ロボットのペットが売れたり、スマホと会話して遊んだり、自動掃除機に名前を付けて可愛がる人が出てきちゃう日.本人は全員「特殊者」認定で地球外惑星への移住は認められないかも(笑)と思った。残酷だと感じる基準も、許せないことも、愛情や執着の観点も余りに違いすぎる。『高い城~』で東洋ごちゃ混ぜ解釈に戸惑いつつも確かに感じられた「同じ人間なんだ」という共感が、少なくとも電気羊の序盤ではことごとく裏切られているようで泣きそうになる。
何か(特に年明けの初詣鬱トークから、尾骨打って動けなくなり、更に初めて精神科医にトラウマについてぶっちゃけるというイベントが続いたために)情緒不安定が酷くなっているからかもしれないけど。マジで初期トラウマを打ち明けた時の反応が皆同じで笑えるんだけど( ノ∀`)「えっ、保育士さんに?」とかって(笑)皆さんどれだけ子供が無垢だと思ってんの? だからこそタチ悪いんだよ、もし性的倒錯者の大人にやられてたらこんなに引きずってないよ。ソイツを憎んで責めれば済む話だもん。ただ大人の真似事をしてみたかった子供のイタズラの範疇だって分かってるから、余計に誰を恨むことも責めることもできずに感情の行き場がなくてずっと膿み続けてるんだっつの。何か大晦日のド○ツ女性が「難民」にされたことの具体例聞いたら、成長してからの諸々も含め自分のこと思い出し過ぎて吐き気してくる。大勢の、大人の男に囲まれて持ち物も奪われながら、とか考えると・・・泣けるとかそんなもんじゃなくて痛くて気持ち悪くてしょうがないんだよ、心臓とか胃とか体中と頭や心の中身が。作中に登場する名句「死は確かなもの、生は不確かなもの」、コレまさに私に当てはまるんじゃね?と感じた(^-^; 何で生きてるのか分からない、ずっと死んでるも同然の状態だと思うもん。確実に心臓が止まろうとする瞬間に、あー生きてたのか、って実感がやっと得られる気がする。(ホント病み100%でスミマセンm(__)m)
しかし電気羊と『高い城~』両方読んでると、勝者の側、そしてアメリ○でもいかに放射能・核に対する怯えが広がっていたのか、ということがうかがえて少し暗澹としてしまうような、一方で日/本人として胸がすくような複雑な気持ちになる。冷戦下ということもあっただろうけど、あれほど後世にまで害を及ぼす、非人道的な代物を開発し実際に人間が暮らす都市に落とすという行為をし出かしておいて、それをやった国の人間が何も感じないとか、それこそアンドロイド(機械)と同じ、感情を持たない無機物の狂気じゃないですか? そう考えると70年経った今に至っても、あそこまでアメ○カ人・アングロ側が日.本人の感情を刺激するほど過度に原.爆の正当化・「落としていなかったらより多くの命が失われていた」説を熱心に主張する訳も理解できる。(一日/本人としては決して認められないし、最終的に降伏という決断に結び付いたのは中立条約を結び、和平交渉を願い出ていたはずのソ.連の裏切り的な参戦が最も大きかったと考えている派ですけど)
アメ○カが戦後日/本の経済や安保面での支援を(同時に搾取や利用もありましたが、国際社会の非情さを考えればソコはお互い様の面もあるかと)行ってくれたのは、確かに大陸の共.産化と冷戦という切実な状況に迫られたという理由ももちろん大きかったのだろうけれど、もしかしたら罪悪感を払拭するための贖いの意味も込められていたのかもしれないし、自分たちがされたら決して許せない絶望的な憎しみに囚われるレベルの事柄だと自覚した上で、こちらの恨みを和らげる目的もあったのかもしれない。そう考えると、やっぱり人間は人間なのかな。当時日/本兵を同じ人間だと見なさずに(そうすることができずに)残酷なことを平気で出来た米.兵もいれば、「同じ人間」としての痛みを汲み取って政策を打ち立てた偉いさんや、後の時代に恐怖に打ち震えたアメリ○人もいた。そのことに、事実に私はやっぱり希望を見出だしたいな、と改めて考えさせられました。いつかI Sに洗脳された人々の心にも、そういう「人間としての共感の感情」がちゃんと届くと良いんだけど(´・ω・`)
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ト○コもイ○ドネシアも、イ○ラム教が主流の国の中では比較的世俗派・穏健派だったはず。だから観光客だって集まったし、それを貴重な資源にしてきた。それが、ネット駆使したI Sの影響一つでここまで突き崩されちゃうものなのか。この間のタ.イの事件だってそう。誰も憎んでいなかったのに、植民地支配も戦争も乗り越えて、独立して前に進もうとしていた彼らを、どうしてこんな同じ宗教を信仰する人たちを追い込もうとするのか? いやトル○の件はシ○ア難民、タ/イの件はウイグ○族という複雑な事情も、自分たちを助けてくれない他者・社会・世界を恨むに足る動機は存在したのかもしれない。でも、全世界の追いつめられたムス○ムに向かって(少なくとも現在の彼らがそうなっている状況は半分以上I Sの責任が大きいにも関わらず。残りは彼らを育てたとも言えるアメ○カな(´-`))、「戦わなければ罪」だなんて。そんな意識を、憎しみを植え付けるなんて間違っている。生まれ育った国や、自身に対して何の危害も加えていない相手を攻撃しろ、だって? 何十年も前のことについて、むしろ今の自分たちは相互に利益を互換し合う間柄だろうに謝罪や賠償や復讐を求めて叫ぶどっかの隣国みたいで吐き気がする。人間ってどうしてそんなバカなの? 理解し合えないのか? 私は歴史が好きだけど、それが現代と繋がるものであることは解っているけど、そのことを利用しようとする連中は心底軽蔑するし許せない。
今アメ○カにイラついてるのは中途半端な安保政策態度とぶっちゃけ金の問題だし、中/国を警戒するのはその不透明な金の動きと影響力の拡大ぶり、軍事的にどこまで覇権を伸ばすつもりなのか、また実質的にそれが可能なのか、ということが隣国として気になるから。半島はどっちもホントにもう困ったもんだ、でロ○アはどうせ島返す気なくて経済的にも追いつめられてるのに交渉する意味あんのかな、って感じだし(とりあえず中.国に寄り過ぎないでね、って目的なのは分かるけど彼らもうソコしか頼りどこ無いんだから無駄じゃね? まぁ米にも裏で話通した上で「ポチじゃなくて独自外交してます」パフォーマンス、定型の国○省警告までセットのプロレスなのかもしれないけどさ(-_-;))、台/湾は選挙後もバランス取って上手くやってほしい、とかそんな現代の視点しかなくて、たまに感情的になることはあるけど過去は過去であって自分がやられたわけでも無いことに表舞台に出てまで騒ぐ気持ちは欠片も忖度できない。宗教や民族主義という信仰やイデオロギー(身内見てる限りぶっちゃけ区別つかないんだけどさ。笑)ってそこまで根深く「自分に関係ない」仲間の痛みまで背負わなきゃいけない、そういう感情や義務感を養っちゃうもんなの?
電気羊読み始めたんだけど、私にはフォークト=カンプフ検査をクリアできそうにないし、マーサー教の共感ボックスも全く役に立たなそうだな、と。てか人形供養の文化やどんと祭でのお焚き上げ(私も昔何体かお世話になったぬいぐるみやオモチャを持っていきました)、ロボットのペットが売れたり、スマホと会話して遊んだり、自動掃除機に名前を付けて可愛がる人が出てきちゃう日.本人は全員「特殊者」認定で地球外惑星への移住は認められないかも(笑)と思った。残酷だと感じる基準も、許せないことも、愛情や執着の観点も余りに違いすぎる。『高い城~』で東洋ごちゃ混ぜ解釈に戸惑いつつも確かに感じられた「同じ人間なんだ」という共感が、少なくとも電気羊の序盤ではことごとく裏切られているようで泣きそうになる。
何か(特に年明けの初詣鬱トークから、尾骨打って動けなくなり、更に初めて精神科医にトラウマについてぶっちゃけるというイベントが続いたために)情緒不安定が酷くなっているからかもしれないけど。マジで初期トラウマを打ち明けた時の反応が皆同じで笑えるんだけど( ノ∀`)「えっ、保育士さんに?」とかって(笑)皆さんどれだけ子供が無垢だと思ってんの? だからこそタチ悪いんだよ、もし性的倒錯者の大人にやられてたらこんなに引きずってないよ。ソイツを憎んで責めれば済む話だもん。ただ大人の真似事をしてみたかった子供のイタズラの範疇だって分かってるから、余計に誰を恨むことも責めることもできずに感情の行き場がなくてずっと膿み続けてるんだっつの。何か大晦日のド○ツ女性が「難民」にされたことの具体例聞いたら、成長してからの諸々も含め自分のこと思い出し過ぎて吐き気してくる。大勢の、大人の男に囲まれて持ち物も奪われながら、とか考えると・・・泣けるとかそんなもんじゃなくて痛くて気持ち悪くてしょうがないんだよ、心臓とか胃とか体中と頭や心の中身が。作中に登場する名句「死は確かなもの、生は不確かなもの」、コレまさに私に当てはまるんじゃね?と感じた(^-^; 何で生きてるのか分からない、ずっと死んでるも同然の状態だと思うもん。確実に心臓が止まろうとする瞬間に、あー生きてたのか、って実感がやっと得られる気がする。(ホント病み100%でスミマセンm(__)m)
しかし電気羊と『高い城~』両方読んでると、勝者の側、そしてアメリ○でもいかに放射能・核に対する怯えが広がっていたのか、ということがうかがえて少し暗澹としてしまうような、一方で日/本人として胸がすくような複雑な気持ちになる。冷戦下ということもあっただろうけど、あれほど後世にまで害を及ぼす、非人道的な代物を開発し実際に人間が暮らす都市に落とすという行為をし出かしておいて、それをやった国の人間が何も感じないとか、それこそアンドロイド(機械)と同じ、感情を持たない無機物の狂気じゃないですか? そう考えると70年経った今に至っても、あそこまでアメ○カ人・アングロ側が日.本人の感情を刺激するほど過度に原.爆の正当化・「落としていなかったらより多くの命が失われていた」説を熱心に主張する訳も理解できる。(一日/本人としては決して認められないし、最終的に降伏という決断に結び付いたのは中立条約を結び、和平交渉を願い出ていたはずのソ.連の裏切り的な参戦が最も大きかったと考えている派ですけど)
アメ○カが戦後日/本の経済や安保面での支援を(同時に搾取や利用もありましたが、国際社会の非情さを考えればソコはお互い様の面もあるかと)行ってくれたのは、確かに大陸の共.産化と冷戦という切実な状況に迫られたという理由ももちろん大きかったのだろうけれど、もしかしたら罪悪感を払拭するための贖いの意味も込められていたのかもしれないし、自分たちがされたら決して許せない絶望的な憎しみに囚われるレベルの事柄だと自覚した上で、こちらの恨みを和らげる目的もあったのかもしれない。そう考えると、やっぱり人間は人間なのかな。当時日/本兵を同じ人間だと見なさずに(そうすることができずに)残酷なことを平気で出来た米.兵もいれば、「同じ人間」としての痛みを汲み取って政策を打ち立てた偉いさんや、後の時代に恐怖に打ち震えたアメリ○人もいた。そのことに、事実に私はやっぱり希望を見出だしたいな、と改めて考えさせられました。いつかI Sに洗脳された人々の心にも、そういう「人間としての共感の感情」がちゃんと届くと良いんだけど(´・ω・`)
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