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ちびちび10章まで。ドラマではフランク夫妻とジョーの三角関係がメインなのか(´・ω・`) いつかこっちでも見られるかな?
やっとドイ○側の視点もちょいちょい出てくるようになったけど、シー○ッハ処分されて結局ゲッべ○スの勝利か・・・(((;´д`)))gkbr
ジョーの言ってることが一々真理過ぎて共感してしまう。彼自身が「俺こそが本物のファ○スト」と名乗っているにも関わらず。イタリ○人って他のフィクションでも取って置きの隠し玉キーパーソンや狂言回し的な役振られること多いし、実際オペラなんかのストーリー創るのも上手いよね。国がバラバラで色んなとこから支配を受けたり、地中海貿易で多様な背景を持つ人々との交流があったこと、ある意味バチ○ン・ローマの存在故にヨー○ッパの主役に位置付けられているはずが、実際は帝国滅亡後決して主体的なポジションを得られなかった事実への歪んだ悟りみたいなものがあるのかな? まさに中心地から斜に構えて欧州全体の価値観や歴史の変遷を客観視することに、もしかしたら一番長けている人たちなのかもしれない。周りはそんな彼らの生き方を考えなしだとか享楽的だとバカにするけど、日/本的わび・さび、禅的な精神と紙一重なのでは?と少し思った。住んでた子の話を聞いても正反対のようで似ているところが結構あるような。ご当地ものへのこだわりや異様なまでのプライドの高さ。「悟り・諦め」の裏返しが彼らの場合はあの一見呑気で陽気なライフスタイルで、ウチらはひたすらストイックにシンプルな方向に向かっていった、とそれだけのことなんじゃないか、と。 (日.本の場合はTennoの存在が法/王の権威と極めて近い+荘園制→地頭・守護→大名による各国統治の在り方が中世ヨー○ッパの封建制に似ていたし、その後の幕府による藩制や各地の特産品作れ指令(笑)とか、「お詣り」を関所越える旅の言い訳にできた点という背景が、支配者が色々カオスで小国がバラバラに存在しつつ同じ言語喋って同じ信仰守って、ってイ○リアの歴史というか文化的背景に近いんじゃないかと思う。あと地域的にはすぐ傍に圧倒的な大国があって、支配されてた訳ではないけれど彼らを上回るという発想すら近代まで生まれなかったとことか)
しかし『イナゴ~』はチラチラ出てくる概要見る限り結局当時のアメ○カが辿っていた「現実」も揶揄するっぽい内容なんですね。戦前の彼らがいかに中/国に夢を抱いていたか! 今じゃホント理解できない、と思うけどだからアソコまでプロパガンダに加担してウチの悪魔化にも協力できたんか・・・(´д`|||) 何か本当、易や輪車だけじゃなくて明らか中.国名の煙草の箱に和歌が書かれているくだりとか勘弁してほしいわ。いくらウチらがアジア支配して混じり合った結果だとしても、ヨー○ッパとは根本的に違うんだよ。ド○ツやイギ○スでナチュラルにイタリ○のオペラが通じる感覚ほど距離近くないんだわアジア圏の文化って、と言いたくなっちゃうよね・・・。
あとロシ○の国力自体とコミュ○スト舐めすぎじゃない? それよりイギリ○とユダ○人の方が怖いって? いかにもアメリ○的なおめでたい発想だな、と(-_-;) アング○サクソンにだけ世界を支配する資格と能力がある、みたいな。最近は大分色んなとこの移民混じったおかげで?少しは価値観変わってきているみたいだけど、それでも決して他の言語圏のメンバー入れない五目・エシュ○ンのこととか考えると彼らが基盤になっている国って基本的にそういう考え方なんだろうな、と捉えちゃうよね。その中で一つの駒として良いように扱われざるを得ない国の人間としてはさー。(この辺りに関しては変に根深いコンプレックスを抱いてしまっている自覚はありますm(__)mサーセン)
あと60年代のフィクション中のフィクションで書かれていたのと真逆の状況が21世紀の今になって起きていることに笑ってしまう。「世界の工場」は中/国はじめアジア、結局資本主義は安い労働力こそ至高、ってとこに行き着いちゃってやっぱり平等に発展した豊かな世界で争いがなくなるなんてことは起こり得ませんでしたネー、としか(^ω^) イギ○スの強制収用所話はイ○ドや南アの件考えるとリアル過ぎて笑えない。資源を巡る戦争ネタが一切スルーされてるのも、作者の意図がうかがえるような気がするなぁ。
日/本が爆発的に成長するのは70年代だし、日.本製品=高品質・最先端のイメージ定着もバブル期以降だから正直この時点でこういう描かれ方なのはしょうがないかもしれないけど。『イナゴ~』の夢見がちな妄想記述も、作品世界全体通してのドイ○側の方が技術も医療も進んでいてアジア人には何も革新的なものは生み出せない、白人のお恵みがなければ自分たちの生活を改善することすらできない、みたいな描き方はちょっと・・・私が日/本人だからコンプレックスでそう感じてしまうのかな?(・・;)
実際に戦後のアメリ○からウチが学んだことは多かったし、開国からずっとヨー○ッパに対してはあらゆる分野で習う側であったことは確か。でも一応、開戦時には何とか自力で飛行機とか空母とか造ってはいたんですけど・・・。テレビや洗濯機、自動車だって初めは輸入したけど最終的には自国企業の製品が国内シェアの主体になったよ! 輸出だって頑張ったじゃん! 半導体も、薬も医療機器も、ユー○の恩恵がなくてもド○ツ企業に負けないくらい張り合ってる現実は・・・全てアメ○カ様のおかげですかそうですか、とついうがった見方をね!どうしてもしちゃうよね(^-^;
まぁ「WW2が人種差別をなくした」って黒人と白人が当たり前に肩を並べて歩くことがファンタジーのように描かれている点から見ても、当時の現実の合衆国の置かれた状況を皮肉る意味が強かったのかもしれないですが。共.産主義が台頭しまくってアチコチで代理戦争起こりまくり、ヨー○ッパは戦争の痛手から中々回復できない中で鉄○カーテンが引かれ市場の自由化は未だ夢に過ぎず、各地の独立運動も激化してとても「連合国勝利後の(アング○サクソンにとって)理想的な世界」からは程遠い状態でしたもんね60年代。
今回ちょっと希望を持てたのはチルダンのアメリ○の伝統に対する誇りを垣間見られたこと。お金や取引のためだけじゃなくて、純粋に古き良き自国の歴史やそれを秘めた品物に愛着とプライドを持っているからああいう商売をやっているんだ、っていうことがうかがえたのが良かった。そりゃ多少その本当の値打ちも分からずに?買い漁っていくように見える日/本人に反感覚えたり歪んだ解釈しちゃうのも無理はないかな、って微妙に納得((´-`)ウンウン
彼の抱く梶浦夫妻への複雑な感情や、特にベティさんの魅力的な描かれ方も中々興味深い作品のポイントだと思うんだけど、向こうの感想読む限りどうもドラマでは彼らは脇役っぽいなぁ。原作での物語の始まりはこっち側からだし、深い問答や互い(ナ○ス、日.本、アメ○カ)の価値観の違いが分かりやすく表れている描写が結構あって面白い視点なのに。主役白人でラブストーリー要素入れないとドラマ的にはやりづらかったのかなー。(あと米メディア界において大事なポイント、フランク=ユダ○人をメインキャラに据えることとか?^^)
ジュリアナとジョーの高い城行きの大冒険、バイデン氏(=ルドルフ・ヴェゲナー?)と矢田部(=手崎将軍?)の正体と会談の目的とか、サスペンスめいてきて楽しいですね(((*´∀`)ワクワク ゲッペ○スの演説の中身も気になる!フランクとよく分からない書類にサインしちゃったチルダンはどうなっちゃうんだろう、とか・・・どっかでジュリアナと再会して修羅場ったりするのかな? ドラマ版トレーラーではもう一人女の子キャラが出てきてハードボイルドな展開になるっぽかったけど。
50年も前のヒット作いまさら手出して何言ってんだ、って話ですけど本当に面白くて一級品のエンタメだと思うので、ちびちびネタバレ読まずに頑張ろうと思います(笑) ホント、翻訳物で読んでて楽しい作品って貴重(-人-)アリガタヤ その上当時の自国の捉えられ方とか世界情勢についても考察できるとか、歴オタのくせに何でスルーしてたんだろう、と正直いっそ恥ずかしいです・・・(∩///∩)
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やっとドイ○側の視点もちょいちょい出てくるようになったけど、シー○ッハ処分されて結局ゲッべ○スの勝利か・・・(((;´д`)))gkbr
ジョーの言ってることが一々真理過ぎて共感してしまう。彼自身が「俺こそが本物のファ○スト」と名乗っているにも関わらず。イタリ○人って他のフィクションでも取って置きの隠し玉キーパーソンや狂言回し的な役振られること多いし、実際オペラなんかのストーリー創るのも上手いよね。国がバラバラで色んなとこから支配を受けたり、地中海貿易で多様な背景を持つ人々との交流があったこと、ある意味バチ○ン・ローマの存在故にヨー○ッパの主役に位置付けられているはずが、実際は帝国滅亡後決して主体的なポジションを得られなかった事実への歪んだ悟りみたいなものがあるのかな? まさに中心地から斜に構えて欧州全体の価値観や歴史の変遷を客観視することに、もしかしたら一番長けている人たちなのかもしれない。周りはそんな彼らの生き方を考えなしだとか享楽的だとバカにするけど、日/本的わび・さび、禅的な精神と紙一重なのでは?と少し思った。住んでた子の話を聞いても正反対のようで似ているところが結構あるような。ご当地ものへのこだわりや異様なまでのプライドの高さ。「悟り・諦め」の裏返しが彼らの場合はあの一見呑気で陽気なライフスタイルで、ウチらはひたすらストイックにシンプルな方向に向かっていった、とそれだけのことなんじゃないか、と。 (日.本の場合はTennoの存在が法/王の権威と極めて近い+荘園制→地頭・守護→大名による各国統治の在り方が中世ヨー○ッパの封建制に似ていたし、その後の幕府による藩制や各地の特産品作れ指令(笑)とか、「お詣り」を関所越える旅の言い訳にできた点という背景が、支配者が色々カオスで小国がバラバラに存在しつつ同じ言語喋って同じ信仰守って、ってイ○リアの歴史というか文化的背景に近いんじゃないかと思う。あと地域的にはすぐ傍に圧倒的な大国があって、支配されてた訳ではないけれど彼らを上回るという発想すら近代まで生まれなかったとことか)
しかし『イナゴ~』はチラチラ出てくる概要見る限り結局当時のアメ○カが辿っていた「現実」も揶揄するっぽい内容なんですね。戦前の彼らがいかに中/国に夢を抱いていたか! 今じゃホント理解できない、と思うけどだからアソコまでプロパガンダに加担してウチの悪魔化にも協力できたんか・・・(´д`|||) 何か本当、易や輪車だけじゃなくて明らか中.国名の煙草の箱に和歌が書かれているくだりとか勘弁してほしいわ。いくらウチらがアジア支配して混じり合った結果だとしても、ヨー○ッパとは根本的に違うんだよ。ド○ツやイギ○スでナチュラルにイタリ○のオペラが通じる感覚ほど距離近くないんだわアジア圏の文化って、と言いたくなっちゃうよね・・・。
あとロシ○の国力自体とコミュ○スト舐めすぎじゃない? それよりイギリ○とユダ○人の方が怖いって? いかにもアメリ○的なおめでたい発想だな、と(-_-;) アング○サクソンにだけ世界を支配する資格と能力がある、みたいな。最近は大分色んなとこの移民混じったおかげで?少しは価値観変わってきているみたいだけど、それでも決して他の言語圏のメンバー入れない五目・エシュ○ンのこととか考えると彼らが基盤になっている国って基本的にそういう考え方なんだろうな、と捉えちゃうよね。その中で一つの駒として良いように扱われざるを得ない国の人間としてはさー。(この辺りに関しては変に根深いコンプレックスを抱いてしまっている自覚はありますm(__)mサーセン)
あと60年代のフィクション中のフィクションで書かれていたのと真逆の状況が21世紀の今になって起きていることに笑ってしまう。「世界の工場」は中/国はじめアジア、結局資本主義は安い労働力こそ至高、ってとこに行き着いちゃってやっぱり平等に発展した豊かな世界で争いがなくなるなんてことは起こり得ませんでしたネー、としか(^ω^) イギ○スの強制収用所話はイ○ドや南アの件考えるとリアル過ぎて笑えない。資源を巡る戦争ネタが一切スルーされてるのも、作者の意図がうかがえるような気がするなぁ。
日/本が爆発的に成長するのは70年代だし、日.本製品=高品質・最先端のイメージ定着もバブル期以降だから正直この時点でこういう描かれ方なのはしょうがないかもしれないけど。『イナゴ~』の夢見がちな妄想記述も、作品世界全体通してのドイ○側の方が技術も医療も進んでいてアジア人には何も革新的なものは生み出せない、白人のお恵みがなければ自分たちの生活を改善することすらできない、みたいな描き方はちょっと・・・私が日/本人だからコンプレックスでそう感じてしまうのかな?(・・;)
実際に戦後のアメリ○からウチが学んだことは多かったし、開国からずっとヨー○ッパに対してはあらゆる分野で習う側であったことは確か。でも一応、開戦時には何とか自力で飛行機とか空母とか造ってはいたんですけど・・・。テレビや洗濯機、自動車だって初めは輸入したけど最終的には自国企業の製品が国内シェアの主体になったよ! 輸出だって頑張ったじゃん! 半導体も、薬も医療機器も、ユー○の恩恵がなくてもド○ツ企業に負けないくらい張り合ってる現実は・・・全てアメ○カ様のおかげですかそうですか、とついうがった見方をね!どうしてもしちゃうよね(^-^;
まぁ「WW2が人種差別をなくした」って黒人と白人が当たり前に肩を並べて歩くことがファンタジーのように描かれている点から見ても、当時の現実の合衆国の置かれた状況を皮肉る意味が強かったのかもしれないですが。共.産主義が台頭しまくってアチコチで代理戦争起こりまくり、ヨー○ッパは戦争の痛手から中々回復できない中で鉄○カーテンが引かれ市場の自由化は未だ夢に過ぎず、各地の独立運動も激化してとても「連合国勝利後の(アング○サクソンにとって)理想的な世界」からは程遠い状態でしたもんね60年代。
今回ちょっと希望を持てたのはチルダンのアメリ○の伝統に対する誇りを垣間見られたこと。お金や取引のためだけじゃなくて、純粋に古き良き自国の歴史やそれを秘めた品物に愛着とプライドを持っているからああいう商売をやっているんだ、っていうことがうかがえたのが良かった。そりゃ多少その本当の値打ちも分からずに?買い漁っていくように見える日/本人に反感覚えたり歪んだ解釈しちゃうのも無理はないかな、って微妙に納得((´-`)ウンウン
彼の抱く梶浦夫妻への複雑な感情や、特にベティさんの魅力的な描かれ方も中々興味深い作品のポイントだと思うんだけど、向こうの感想読む限りどうもドラマでは彼らは脇役っぽいなぁ。原作での物語の始まりはこっち側からだし、深い問答や互い(ナ○ス、日.本、アメ○カ)の価値観の違いが分かりやすく表れている描写が結構あって面白い視点なのに。主役白人でラブストーリー要素入れないとドラマ的にはやりづらかったのかなー。(あと米メディア界において大事なポイント、フランク=ユダ○人をメインキャラに据えることとか?^^)
ジュリアナとジョーの高い城行きの大冒険、バイデン氏(=ルドルフ・ヴェゲナー?)と矢田部(=手崎将軍?)の正体と会談の目的とか、サスペンスめいてきて楽しいですね(((*´∀`)ワクワク ゲッペ○スの演説の中身も気になる!フランクとよく分からない書類にサインしちゃったチルダンはどうなっちゃうんだろう、とか・・・どっかでジュリアナと再会して修羅場ったりするのかな? ドラマ版トレーラーではもう一人女の子キャラが出てきてハードボイルドな展開になるっぽかったけど。
50年も前のヒット作いまさら手出して何言ってんだ、って話ですけど本当に面白くて一級品のエンタメだと思うので、ちびちびネタバレ読まずに頑張ろうと思います(笑) ホント、翻訳物で読んでて楽しい作品って貴重(-人-)アリガタヤ その上当時の自国の捉えられ方とか世界情勢についても考察できるとか、歴オタのくせに何でスルーしてたんだろう、と正直いっそ恥ずかしいです・・・(∩///∩)
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