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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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ダメだ・・・読み進めるのがしんどかった(´Д`;)
※ゴメンナサイ中.国、韓/国の方のお気に障る表現が多々含まれるかもしれないですm(__)m
欠片も共感できないんだよ、阿Qにも周囲の人々にも。文化も宗教も遠く離れた欧米文学には感じるシンパシーが、何故お隣の、ウチの今に到る全ての文化的基礎を与えてくれたはずの国の文学から得られないのか?ということに絶望しそうになるorz 今なら右.翼様のおっしゃる南/京市民皇/軍大歓迎・虐殺否定説すら信じてしまいそうだ@革命党が来た時の人々の寝返りっぷり。この簡単に寝返る文化、相手の態度や風貌や身分によって、あっという間に見方や接し方を変える彼らの気持ちが私には永遠に理解できそうもない。(何たって奥.羽越列.藩同盟の東北育ちなもんですから・・・(´-`) 修学旅行で会津行って白/虎隊の歴史学ぶのはお約束だよね。五稜郭も行って、土.方歳.三最期の地も見てきたし)
阿Qの「精神勝利」の発想も全くもって理解不能。ずっと自分がウッカリ人間様の皮を被って生まれてきてしまった虫けらだと思っているせいか、あるいは接する相手のランク付けのようなものをした経験が無いせいか、「アイツに勝ちたい」とか「コイツよりは上の立場」だと考えたことがないので・・・(@_@;) 中学の教師に対して抱いた理不尽への抵抗くらいが精いっぱいの激しい感情の発露だったかな?一回で満足したけど。何だろう、儒教精神と長く続いた官僚制度の弊害なのかな? 半島もこういうとこあるけど、全く理解できなくて絶望しそうになる。(ホント今回この表現しか出てこない><)寝返りは王朝コロコロ変わって異民族による長年の支配を経験し、常に一握りのエリートに搾取される立場に置かれ、大人数の競争の中で何とか生き残る知恵として大陸の民衆が育んできたやり方なのかもしれないですけど。そう考えると大陸の掲示板ですぐ「漢/奸」という言葉が出てくる理由も分かるかな・・・。ぶっちゃけ海外華僑もそんな感じだもんな。祖国を捨てておきながら利用するというか、悪びれずにスパイはするわ、同胞は騙すわ、そのくせ差別と権利は声高に主張するわ、平気でその国の同盟国に対するアンチ活動もするわ(´-`)
生活や心理面で痛めつけられ、追いつめられた彼らの唯一すがる先がその儒教、「上下関係」という秩序、金や身分や賢さによるランク付け、時に華夷秩序における「中華」華夏の一員であることそれ自体にあり、だから「下にあるべき者」に屈辱を受けることは決して許せない行為と見なし、夷による支配や侵入は忌避していたのだろうか。(つまり元や清の上流階級を心の底で見下していたり、かと思えば今は必死に「中華民族」とやらを創り出してその歴史・領土を自国のものとして取り込もうとしている矛盾溢れる態度も・・・(´-`))阿Qの強烈な外国への嫌悪、また当時の清/国で実際に起こった義.和.団の乱、そして現代に到りねつ造を含めてまで熱心に繰り広げる日/本軍/国主義を貶める思想や教育の根底はそこにあるのだろうか?同じ漢人の革命軍には瞬時に降った人々が、ウチに対してだけ熱心に抗戦を試みたというのはにわかに信じがたいのだが。だって革命軍も略奪や残虐な見せしめ・処刑やりまくってるじゃん。(この辺り帝政ロ○ア期のプガチョ○の乱も思い起こさせますね)西洋かぶれの東夷、裏切者の日.本相手だから、許容できずに憎しみも深まったと?
話変わるが、ぶっちゃけ半島は間違いなく当時は一部のよっぽど学識と気概のある人物以外は大日○帝国の一員であることに納得というか、ある程度満足してたっぽいんだよな。(在/日一世の親御さんが存命中の二世の方のお話を聞く限り)差別がゼロだったとは言いません。ただ、暮らし向きや教育環境が少なくとも朝.鮮時代よりはマシになったという意味で。画家の李さんの奥様のエピソード(李姓が三人いたので日.本人はそれぞれにあだ名を付けて呼び分けていた、とか)等を見ても、『藤野先生』読んでも大陸・半島からの留学生と日.本人学生が普通に交流してたり友情育んでた話が残ってるし。
人間、それもどんなに困った人物であったとしてもよく知っている同胞の死に喝采を叫ぶ人々の気持ちもわからない。だってコレ二十世紀に入ろうかという時代の話だよ?どんだけ冷たいの?『三国志』の時代に見られた仁・義・徳はドコへ消えたんや?大陸はそんなに長く深く病んで中世に留まってしまったのか?(-_-;) イギ○スの阿片のせい?外来王朝のロクデナシ施政のせい?わからん・・・マジでわからん。「殺されるのは悪だから、悪でなければ殺されるはずがない」これも一種の運命論、孔子の教えなのか?「人として天地の間に生まれてきた以上、こういうこともあろう」という阿Qの達観をむしろ尊敬する。彼こそがある意味で死の直前に悟りを得た仙人になり得たのかもしれない。彼の「精神勝利」の方程式ゆえに。でもやっぱり理解はできない。日/本人の悟りや諦めのかたちと似ているようで違う。私たちは己の運命を無理に納得させるためではなく、現実をありのまま受け入れるためにその言葉を使うから。(個人的に震災時の人々の振る舞いを見ていてそう感じました)

あー何か華夷秩序を初めて学んだ時と同じくらいの悲しみと、どうしようもない絶望感に押しつぶされそう(;_;) だって大陸が好きで、アジアが大好きなんだもん。いつか西側の呪縛から解き放たれて、元々近しいはずだった国々と上手く行くようになればそれが一番幸せなのに、って心の奥底では考えてたから@アジア主義歴オタ的に。だから華夷秩序を知って、それじゃ彼らとウチらが理解し合えるはずがない、彼らの立場ではウチのことを許せるはずがなく、認められる日も決して来ないだろう、と絶望した。それは大陸・半島の人々の中に二千年近く染みついてきた「あるべき秩序」を全否定することになるから。そして私たちは永遠に彼らのそういう態度が理解できず受け入れることも不可能だろう、と。でもあるいは、それに染まりきる前の子供たちに正しい教育を施すように体制が変われば、新しい世代が育てば、というかすかな希みもこの作品を読んだことで潰えてしまった。余りに虐げられることに慣れ過ぎて、大勢の中で競い淘汰されることに慣れ過ぎて、彼の地の人々はそのようにしか考えられず、そのようにしか生きられないのだ、と。そしてそれは私たちとは決して相容れることのできない在り方だ、と感じずにはいられなかった。悲しい・・・とても悲しい(´;ω;`)
日.本に、仙台に留学してくれた魯迅がこう書いたというのなら、それでいて大陸があの現状に留まっている(どころかますます酷くなっている)ことを考えるともう無理なのではないか。どうしてアメ○カやイギ○スやロ○アやド○ツの文学を読んで得られる共感が、最も近い国の、最も近い存在が書いた小説からどうしても得られないのか。ウチはやっぱり東アジアの異端、文化・思想的孤児なのだろうか、とorz このままじゃW W 3は避けられないし、それこそ無理やり統合・民族浄化でもされない限り永遠に解り合えたり、同じ陣営に属せる日は来ないんじゃないかとさえ考えざるを得なかった。歴史を学んで、ずっと憧れ尊敬してきた。行ってみたいと思っていた。友達もいる。何年にドコいたかバレるかもしれませんが、前主席の姿も見たことがあります。漢詩も一番満点取りやすい項目で好きだった(^^; これを読んで感じたことは、日/本人、いや私の目から見た大陸は、あくまで理想をおっ被せていただけのまがい物だったのだと。勝手にイメージ押し付けて失望して、これほど失礼なことはないな、とその点については謝りたいm(__)m 大陸信者としての最後の希望が粉々に打ち砕かれた感じ。今ならSM○Pファンの気持ちが分かる・・・。(何その例え)
これからは彼の国の現実について、庇うのでも貶めるのでもなく、より真面目に、冷静に本当の現地の方の言葉を、そして甘辛両方のウチの国や外信様方の大陸レポートをよくよく見極めていきたいと思います@やっぱり懲りずに興味は尽きない。(日.本人として言えば隣国・かつ最も敵視されていると同時に経済面での相互依存が深い国として、歴オタ的に見れば世界に新しい混沌・あるいは秩序をもたらすかもしれない国として)

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欠片も共感できないんだよ、阿Qにも周囲の人々にも。文化も宗教も遠く離れた欧米文学には感じるシンパシーが、何故お隣の、ウチの今に到る全ての文化的基礎を与えてくれたはずの国の文学から得られないのか?ということに絶望しそうになるorz 今なら右.翼様のおっしゃる南/京市民皇/軍大歓迎・虐殺否定説すら信じてしまいそうだ@革命党が来た時の人々の寝返りっぷり。この簡単に寝返る文化、相手の態度や風貌や身分によって、あっという間に見方や接し方を変える彼らの気持ちが私には永遠に理解できそうもない。(何たって奥.羽越列.藩同盟の東北育ちなもんですから・・・(´-`) 修学旅行で会津行って白/虎隊の歴史学ぶのはお約束だよね。五稜郭も行って、土.方歳.三最期の地も見てきたし)
阿Qの「精神勝利」の発想も全くもって理解不能。ずっと自分がウッカリ人間様の皮を被って生まれてきてしまった虫けらだと思っているせいか、あるいは接する相手のランク付けのようなものをした経験が無いせいか、「アイツに勝ちたい」とか「コイツよりは上の立場」だと考えたことがないので・・・(@_@;) 中学の教師に対して抱いた理不尽への抵抗くらいが精いっぱいの激しい感情の発露だったかな?一回で満足したけど。何だろう、儒教精神と長く続いた官僚制度の弊害なのかな? 半島もこういうとこあるけど、全く理解できなくて絶望しそうになる。(ホント今回この表現しか出てこない><)寝返りは王朝コロコロ変わって異民族による長年の支配を経験し、常に一握りのエリートに搾取される立場に置かれ、大人数の競争の中で何とか生き残る知恵として大陸の民衆が育んできたやり方なのかもしれないですけど。そう考えると大陸の掲示板ですぐ「漢/奸」という言葉が出てくる理由も分かるかな・・・。ぶっちゃけ海外華僑もそんな感じだもんな。祖国を捨てておきながら利用するというか、悪びれずにスパイはするわ、同胞は騙すわ、そのくせ差別と権利は声高に主張するわ、平気でその国の同盟国に対するアンチ活動もするわ(´-`)
生活や心理面で痛めつけられ、追いつめられた彼らの唯一すがる先がその儒教、「上下関係」という秩序、金や身分や賢さによるランク付け、時に華夷秩序における「中華」華夏の一員であることそれ自体にあり、だから「下にあるべき者」に屈辱を受けることは決して許せない行為と見なし、夷による支配や侵入は忌避していたのだろうか。(つまり元や清の上流階級を心の底で見下していたり、かと思えば今は必死に「中華民族」とやらを創り出してその歴史・領土を自国のものとして取り込もうとしている矛盾溢れる態度も・・・(´-`))阿Qの強烈な外国への嫌悪、また当時の清/国で実際に起こった義.和.団の乱、そして現代に到りねつ造を含めてまで熱心に繰り広げる日/本軍/国主義を貶める思想や教育の根底はそこにあるのだろうか?同じ漢人の革命軍には瞬時に降った人々が、ウチに対してだけ熱心に抗戦を試みたというのはにわかに信じがたいのだが。だって革命軍も略奪や残虐な見せしめ・処刑やりまくってるじゃん。(この辺り帝政ロ○ア期のプガチョ○の乱も思い起こさせますね)西洋かぶれの東夷、裏切者の日.本相手だから、許容できずに憎しみも深まったと?
話変わるが、ぶっちゃけ半島は間違いなく当時は一部のよっぽど学識と気概のある人物以外は大日○帝国の一員であることに納得というか、ある程度満足してたっぽいんだよな。(在/日一世の親御さんが存命中の二世の方のお話を聞く限り)差別がゼロだったとは言いません。ただ、暮らし向きや教育環境が少なくとも朝.鮮時代よりはマシになったという意味で。画家の李さんの奥様のエピソード(李姓が三人いたので日.本人はそれぞれにあだ名を付けて呼び分けていた、とか)等を見ても、『藤野先生』読んでも大陸・半島からの留学生と日.本人学生が普通に交流してたり友情育んでた話が残ってるし。
人間、それもどんなに困った人物であったとしてもよく知っている同胞の死に喝采を叫ぶ人々の気持ちもわからない。だってコレ二十世紀に入ろうかという時代の話だよ?どんだけ冷たいの?『三国志』の時代に見られた仁・義・徳はドコへ消えたんや?大陸はそんなに長く深く病んで中世に留まってしまったのか?(-_-;) イギ○スの阿片のせい?外来王朝のロクデナシ施政のせい?わからん・・・マジでわからん。「殺されるのは悪だから、悪でなければ殺されるはずがない」これも一種の運命論、孔子の教えなのか?「人として天地の間に生まれてきた以上、こういうこともあろう」という阿Qの達観をむしろ尊敬する。彼こそがある意味で死の直前に悟りを得た仙人になり得たのかもしれない。彼の「精神勝利」の方程式ゆえに。でもやっぱり理解はできない。日/本人の悟りや諦めのかたちと似ているようで違う。私たちは己の運命を無理に納得させるためではなく、現実をありのまま受け入れるためにその言葉を使うから。(個人的に震災時の人々の振る舞いを見ていてそう感じました)

あー何か華夷秩序を初めて学んだ時と同じくらいの悲しみと、どうしようもない絶望感に押しつぶされそう(;_;) だって大陸が好きで、アジアが大好きなんだもん。いつか西側の呪縛から解き放たれて、元々近しいはずだった国々と上手く行くようになればそれが一番幸せなのに、って心の奥底では考えてたから@アジア主義歴オタ的に。だから華夷秩序を知って、それじゃ彼らとウチらが理解し合えるはずがない、彼らの立場ではウチのことを許せるはずがなく、認められる日も決して来ないだろう、と絶望した。それは大陸・半島の人々の中に二千年近く染みついてきた「あるべき秩序」を全否定することになるから。そして私たちは永遠に彼らのそういう態度が理解できず受け入れることも不可能だろう、と。でもあるいは、それに染まりきる前の子供たちに正しい教育を施すように体制が変われば、新しい世代が育てば、というかすかな希みもこの作品を読んだことで潰えてしまった。余りに虐げられることに慣れ過ぎて、大勢の中で競い淘汰されることに慣れ過ぎて、彼の地の人々はそのようにしか考えられず、そのようにしか生きられないのだ、と。そしてそれは私たちとは決して相容れることのできない在り方だ、と感じずにはいられなかった。悲しい・・・とても悲しい(´;ω;`)
日.本に、仙台に留学してくれた魯迅がこう書いたというのなら、それでいて大陸があの現状に留まっている(どころかますます酷くなっている)ことを考えるともう無理なのではないか。どうしてアメ○カやイギ○スやロ○アやド○ツの文学を読んで得られる共感が、最も近い国の、最も近い存在が書いた小説からどうしても得られないのか。ウチはやっぱり東アジアの異端、文化・思想的孤児なのだろうか、とorz このままじゃW W 3は避けられないし、それこそ無理やり統合・民族浄化でもされない限り永遠に解り合えたり、同じ陣営に属せる日は来ないんじゃないかとさえ考えざるを得なかった。歴史を学んで、ずっと憧れ尊敬してきた。行ってみたいと思っていた。友達もいる。何年にドコいたかバレるかもしれませんが、前主席の姿も見たことがあります。漢詩も一番満点取りやすい項目で好きだった(^^; これを読んで感じたことは、日/本人、いや私の目から見た大陸は、あくまで理想をおっ被せていただけのまがい物だったのだと。勝手にイメージ押し付けて失望して、これほど失礼なことはないな、とその点については謝りたいm(__)m 大陸信者としての最後の希望が粉々に打ち砕かれた感じ。今ならSM○Pファンの気持ちが分かる・・・。(何その例え)
これからは彼の国の現実について、庇うのでも貶めるのでもなく、より真面目に、冷静に本当の現地の方の言葉を、そして甘辛両方のウチの国や外信様方の大陸レポートをよくよく見極めていきたいと思います@やっぱり懲りずに興味は尽きない。(日.本人として言えば隣国・かつ最も敵視されていると同時に経済面での相互依存が深い国として、歴オタ的に見れば世界に新しい混沌・あるいは秩序をもたらすかもしれない国として)

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