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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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体内年齢が大学生どころか高校生なんだが、運動してなくても体重減る→筋肉の分、って分かるけど体脂肪率は何で減るんだろ・・・?え、今までの体操とかストレッチ全部意味なかったのか?(´Д`;) アレの出血が長引いてるせいかな?(シモな話題すみませんm(__)m)一応最近は一口は肉食べるようにしたり、塩トマトやめてココナッツオイル(いただきものだけどオリーブオイルよりはるかにアッサリしてて食べられる)と塩をサラダに使用したりもしてるんだけど。もうね、これ以上は胃が限界なんだよね。全く食べてない訳じゃないし、出るものもちゃんと出てるのにどうしたら良いんだろうorz てか今の自分でこの判定なら世の中の芸能人・モデルさんとか大丈夫なわけ? 街中歩いてる人ももっと薄い&ほっそい人見かけるし、皆よく体力持つな!Σ(゜Д゜;) でも修行僧みたいなガリガリ皺々にはなりたくない・・・いい加減そろそろ戻さないと、あーでも米と肉と油マジきつい→以下無限ループを繰り返して三か月\(^O^)/

第二部5章まで読んだよー。(※自分語り&病み要素多分に含みますm(__)m)

主人公クッソめんどくせえええええ!(>_<;) 自分も相当めんどくさいヤツだと思ってるけど、ここまで積極的に他者にガッツリぶつかるほどの気力は無いわ(笑)自意識の強さがコッチの方面に発揮されちゃったかー。コレは確かに語りたくない黒歴史。私とは逆で皆<自分と考えていながら「ちゃんとした“賢い”人間はすべて臆病者で奴隷である」という自己正当化をしちゃうタイプの人なのか(@_@:) 私は自分<他の全ての人間様と考えているために、いつ「コイツ人の皮被った虫けら以下だ」って見破られるかビクビクしているタイプだなぁ。あ、でも幼年~青年期に「誰ひとり自分に似ている者がなく、自分自身も他の誰にも似ていない」という事実に苦しんでいた、という点は近いかな。たぶん多かれ少なかれ皆一度はそういう感情を思春期に味わったことがあるのでは・・・? 特に学校とかは、浮かないように「周りの流行りに合わせる」のが大事な場だから「ホントはこんなの(スポーツとかアイドルとかテレビ系)どうでも良いけど、分かってないと話についていけないから見る」みたいな。フリをしないといけないじゃないですか、どういう本読んでるかやどんな音楽聴いてるか、とかも決まった友達としか話せない。そしてその「全て」を共有できる相手がいない、ということに軽く絶望するんだよね。そりゃそうだ、他者は決して自分と同一のものじゃないんだから。自分のコピーなんか欲したって意味が無い、と気づくまでの多感な時期独特の悩み(ノ∀`)
ロシ○独特のロマンチシズムについて語るくだりは「おおっ!」と来たな。「ロ○アの地には馬鹿がいない、そこにこそ他のヨーロッパ諸国との相違点がある」で、例にド○ツ(思い浮かぶ限りでゲーテとかか? かなりブラックな方向のロマンチシズムだと思うけど。笑)が出されているんですが、確かに余りにも厳しい風土・体制下で長年暮らしてきたロ○アでは、人々が完全に地面から足を離して現実から遠ざかることは難しいのかもしれない。「ヨーロッパ流の物指など、物の役にも立ちはしないのだ」と言い切っているところにロシ○人としての気概すら感じるし。・・・でも、やっぱり私の目には結構近いと思うわドイ○とロシ○(と日.本(^^;) つべの政治動画やニュース、露系Vlogerさんのコメ欄とか自動翻訳で見てみると、被害者意識とかナショナリズムの方向性が不思議なほど日/本人と似てるんですよ! 中.国系の分かりやすい「脳残」やゴモー系とはまた違った、純粋に自分の考えでソコに行き着いた、またある意味で「あーうん、まぁ気持ちも分からなくはないかな」と感じてしまう方向の長ったらしい主張とか。まぁ一言で言うとアングロ憎し、という共通点にまとまるかな?)「ぼく」の言うところのロ○ア的ロマンチストの特色、「すべてを明晰に見通し、妥協せず、さからわず、如才なく振る舞いつつも熱狂の中に目的を見失うことなく、自分自身をも宝石を真綿でくるんでしまうように無傷で保存する」って、コレまさに初期日/本の純文作家の目指していたところじゃないですかー(笑)あ、ドイ○帰りの鴎外さんとかまさに地で行かれてる感じですかね?(´ω`) まさに呆れ返るペテン師!共感いたします。
あ、でも「札付きの卑劣漢が同時に崇高なほど潔白な心の持ち主というのはロ○アでのみ起こり得る現象」という点にも心から同意(以下略)。スター○ンといい、プー○ンといい、ロシ○人の持つ人格の「幅の広さは舌を巻くほどのものであり、状況の変化に応じてどう変わっていくか、いかに仕上げられていくか、将来我々に何をもたらすかは神のみぞ知るとしか言いようがない」という一文には鳥肌すら立ったよ(((゜Д゜;)))gkbr 「とにかく出来が違う」同じロ○ア人にもそう思わせちゃうような存在を育む土壌が昔からあったんか、恐ろしい・・・。ラスプー○ンにプガチョ○(彼はタタールだからスラヴメインのロ○ア括りにするのは違うかもしれないけど)中々凄まじい人物多いもんなロシ○史。アレ、でも某女帝はド○ツ人やんね?(´・ω・`) やっぱロシ○とドイ○近くね?

私も話逸れたので内容の感想に戻ると、家にいる時は大体内部の鬱屈を外的刺激で紛らわせるために読書に逃げてる、ってのも自分と似てるなー、と感じた。あと彼とは微妙に方向性が異なるかもしれないけど、昔から心の内側に地下室をかかえていた、というのも。しかし将校のくだりは全く共感ができなかったかな。何て痛くて惨めで憐れな人なんだろう、としか(ノ∀`) 自分を誰よりも知的で高尚だと思っているのに一匹の蠅に過ぎないとか、どうしてそうなんの?(笑)最初から蠅どころか生物として生まれてきてしまってスミマセン状態の自分には、ちょっと彼の行動力と知力があればもっと人生どうにかなったんじゃねーの?としか思えない無駄な労力使ったな、というエピソードでした(´-`) でもね、後半に出てくる「ぼくには中間はなかった」って言葉には物凄くズドンと胸の真ん中を撃ち抜かれた。「賢すぎて」英雄かどぶ泥か、凡人になれないが故の苦しみ。そのために空想の世界に逃げる。そっか、そういう人間もこの世には確かに存在したかもしれないんだ、って色々考えさせられた。

スヴェルコフのくだりになってくると、学校時代の話も含めもうひたすら主人公が哀れで(つД`) でも面倒臭いのにまとわりつかれちゃった友人の皆さんにも同情するし。(似たような境遇で何故か「ハブ主犯」みたいな車座つるし上げを学級会議で食らった経験もあるしな! KYでどうしてもクラスから浮いちゃう、というか皆が避けがちな子に行き着かれたウチのグループが相当参ってしまって、どこが嫌とかダメという点をハッキリ指摘しただけなんだけど。今の日/本の教育って相当面倒な方向に歪んでるで!先生の身内と繋がりあったから後でコッソリ謝られたけど、「ウチの子いじめられてるんですー><」的な文句言ってくる親御さんの手前、ああいう対策(話し合い?)を取りましたパフォーマンスやらざるを得ないらしい。うっかりクラス一同の前で公開つるし上げ食らったウチらの方が不登校になるとこだったと思うわ正直^^)
でも人一倍敏感で傷つきやすく自尊心の殻に閉じこもってしまった「ぼく」の目から見た、恐らく当時のロ○アにおいて、一定の地位がある階級に属していた子弟の集まる学校に通う少年たちの残酷さはリアルだな、と。「彼らは世間的な成功だけに目がくらみ、たとえ正義であっても、辱められ、虐げられているものに対しては冷酷な嘲笑を浴びせた」というくだり。革命後の彼らやその子孫がどうなったか、いづこに亡命し何を呪って恨みながら死んでいったか、あるいは主人公のような諦観と絶望と自棄の境地に至り彼を理解することができたのか、フィクション中の人物とはいえちょっと興味深く妄想しちゃいますね。あと親友が欲しくなった「ぼく」が相手を無制限に自分の思うままにしようとした、ってのもやられたこともやったこともあるような、思い当たる節にギクリとしてしまった(-_-;) 上で書いたように最後は「あ、求めているのはもう一人の自分じゃなくて多様な価値観を教えてくれたり鏡になってくれる他者だ」ということに気づくんですが、思春期にありがちなボーダレス症候群ってやつですね・・・。
成長後のスヴェルコフ壮行会のエピソードは、何かドコに行っても逃れられない社会的階級の悲哀みたいなものが(特にこの時代のロ○ア、恐らくは日.本においても)、ここまで主人公を更に歪ませてしまったのかな、と(・・;) 私、あんまり相手をランク付けしたり上下比べる感覚が理解できなくて・・・自分がカーストの数にも入らない虫とかチェンジリング的な間違った存在だと思ってるからかもしれないけど。(繰り返しますが本当に病んでてスミマセンm(__)m)全ての人が自分よりよっぽど優れて輝いてマトモに見えるからさー。仮に吉○小百合と宮沢○えと北川景○が目の前に並んでたとしたら、特に誰が一番とか思わないでしょ? 皆それぞれ歳相応の美しさ、素晴らしさがあって、凡人の目からしたらどの方でも写真をお願いしてサインもらう対象。それと同じ理屈が大体適用されるというか・・・例え多少すれ違った相手に迷惑をかけられようと、こっちの方が生きてるだけで数倍世間様の不利益になってるしな、としか考えられないから最終的には「まぁ良いか、人間様って本当に素晴らしい」という結論に毎回到り、人混みに出ると大抵家に帰ってやっぱりダメ過ぎる自分に落ち込むのだった・・・(´-`)@我ながら「ぼく」と真逆の方向にめんどくせぇ!
あ、主人公がスヴェルコフたちに毒づく中で「おまえらなんか将棋の歩!」って例えてるとこ、原文はチェスのポーンですかね? S44初版の訳者さん頑張ったな!「お役所」じゃなくて「ご役所」ってくだりも面白い(^∀^)b 「自分がどんな感情や思想を持ち、知的に発達した人間かを思い知らせてやることができたら!」という独白は現代SNS(所謂バカッターや炎上ニ/コ生など)で問題になっている、若者の強すぎる承認欲求に近いものが昔から存在したことの証左ですね。ネットで悪目立ち・ニュース化するようになっただけで、以前から万引き自慢やわざと悪ぶる子、やっちゃいけないことをあえてそういう場でする子たちはいた。ホント学者って今更な段階になってから変に気取った名前付けて「研究」化する厄介な生き物だわ、とつくづく思う(-_-;) 日本の純文作家にもかなりこの手の人多いのが分かるけどなー。『檸檬』とか、今なら写メってツイ投稿→本屋から大目玉の流れやろ確実に(笑)

この後はいよいよ恋愛編?に入るみたいで楽しみです!しかし娼婦に「ド○ツ人?」って、当時のドイ○の認識(∩Д∩) おフラ○スは貴族社会の憧れで会話も仏語だったんですよね? 統一してなかったからロシ○まで流れてきちゃう貧しいゲルマン系も多かったんか・・・。メル○ルがロシ○語ペラペラなのエカチェ○ーナと被るイメージで見てましたけど、彼女東独生まれのポーラ○ド系と考えると当たり前か、と。(宿敵関係でも民族は同じスラヴで言語も近いですもんね)ド○ツはもう他国出身者に国のトップ任せんの止めた方が良いと思う(・ω・;) いくら世代重ねて「ドイ○文化・価値観」に馴染んでるように見えても、某オースト○ア人(いやコチラは同じ民族で後に併合してたけど)の件といい、もう縁起が悪すぎる。差別と言われようが今後は絶対避けた方が良いって!いや本当メルケ○女史には同情の余地もあるけど、実際国民に被害が及び、結果的に欧州全体の右傾化・保守化進めちゃった以上はさすがにもうしょうがないかな、と(;´Д`) 民族大移動経験者のフィ○ランドでまで「自警団」登場するとか、もうよっぽど心理的に追い詰められちゃってるじゃないですかヨーロッパの皆さん・・・。今後がどうなるのか本当に心配です。(そして国.連様、お願いだからコッチだけは見ないでね!@自己中と言われようが今の日/本じゃ絶対ムリ)

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主人公クッソめんどくせえええええ!(>_<;) 自分も相当めんどくさいヤツだと思ってるけど、ここまで積極的に他者にガッツリぶつかるほどの気力は無いわ(笑)自意識の強さがコッチの方面に発揮されちゃったかー。コレは確かに語りたくない黒歴史。私とは逆で皆<自分と考えていながら「ちゃんとした“賢い”人間はすべて臆病者で奴隷である」という自己正当化をしちゃうタイプの人なのか(@_@:) 私は自分<他の全ての人間様と考えているために、いつ「コイツ人の皮被った虫けら以下だ」って見破られるかビクビクしているタイプだなぁ。あ、でも幼年~青年期に「誰ひとり自分に似ている者がなく、自分自身も他の誰にも似ていない」という事実に苦しんでいた、という点は近いかな。たぶん多かれ少なかれ皆一度はそういう感情を思春期に味わったことがあるのでは・・・? 特に学校とかは、浮かないように「周りの流行りに合わせる」のが大事な場だから「ホントはこんなの(スポーツとかアイドルとかテレビ系)どうでも良いけど、分かってないと話についていけないから見る」みたいな。フリをしないといけないじゃないですか、どういう本読んでるかやどんな音楽聴いてるか、とかも決まった友達としか話せない。そしてその「全て」を共有できる相手がいない、ということに軽く絶望するんだよね。そりゃそうだ、他者は決して自分と同一のものじゃないんだから。自分のコピーなんか欲したって意味が無い、と気づくまでの多感な時期独特の悩み(ノ∀`)
ロシ○独特のロマンチシズムについて語るくだりは「おおっ!」と来たな。「ロ○アの地には馬鹿がいない、そこにこそ他のヨーロッパ諸国との相違点がある」で、例にド○ツ(思い浮かぶ限りでゲーテとかか? かなりブラックな方向のロマンチシズムだと思うけど。笑)が出されているんですが、確かに余りにも厳しい風土・体制下で長年暮らしてきたロ○アでは、人々が完全に地面から足を離して現実から遠ざかることは難しいのかもしれない。「ヨーロッパ流の物指など、物の役にも立ちはしないのだ」と言い切っているところにロシ○人としての気概すら感じるし。・・・でも、やっぱり私の目には結構近いと思うわドイ○とロシ○(と日.本(^^;) つべの政治動画やニュース、露系Vlogerさんのコメ欄とか自動翻訳で見てみると、被害者意識とかナショナリズムの方向性が不思議なほど日/本人と似てるんですよ! 中.国系の分かりやすい「脳残」やゴモー系とはまた違った、純粋に自分の考えでソコに行き着いた、またある意味で「あーうん、まぁ気持ちも分からなくはないかな」と感じてしまう方向の長ったらしい主張とか。まぁ一言で言うとアングロ憎し、という共通点にまとまるかな?)「ぼく」の言うところのロ○ア的ロマンチストの特色、「すべてを明晰に見通し、妥協せず、さからわず、如才なく振る舞いつつも熱狂の中に目的を見失うことなく、自分自身をも宝石を真綿でくるんでしまうように無傷で保存する」って、コレまさに初期日/本の純文作家の目指していたところじゃないですかー(笑)あ、ドイ○帰りの鴎外さんとかまさに地で行かれてる感じですかね?(´ω`) まさに呆れ返るペテン師!共感いたします。
あ、でも「札付きの卑劣漢が同時に崇高なほど潔白な心の持ち主というのはロ○アでのみ起こり得る現象」という点にも心から同意(以下略)。スター○ンといい、プー○ンといい、ロシ○人の持つ人格の「幅の広さは舌を巻くほどのものであり、状況の変化に応じてどう変わっていくか、いかに仕上げられていくか、将来我々に何をもたらすかは神のみぞ知るとしか言いようがない」という一文には鳥肌すら立ったよ(((゜Д゜;)))gkbr 「とにかく出来が違う」同じロ○ア人にもそう思わせちゃうような存在を育む土壌が昔からあったんか、恐ろしい・・・。ラスプー○ンにプガチョ○(彼はタタールだからスラヴメインのロ○ア括りにするのは違うかもしれないけど)中々凄まじい人物多いもんなロシ○史。アレ、でも某女帝はド○ツ人やんね?(´・ω・`) やっぱロシ○とドイ○近くね?

私も話逸れたので内容の感想に戻ると、家にいる時は大体内部の鬱屈を外的刺激で紛らわせるために読書に逃げてる、ってのも自分と似てるなー、と感じた。あと彼とは微妙に方向性が異なるかもしれないけど、昔から心の内側に地下室をかかえていた、というのも。しかし将校のくだりは全く共感ができなかったかな。何て痛くて惨めで憐れな人なんだろう、としか(ノ∀`) 自分を誰よりも知的で高尚だと思っているのに一匹の蠅に過ぎないとか、どうしてそうなんの?(笑)最初から蠅どころか生物として生まれてきてしまってスミマセン状態の自分には、ちょっと彼の行動力と知力があればもっと人生どうにかなったんじゃねーの?としか思えない無駄な労力使ったな、というエピソードでした(´-`) でもね、後半に出てくる「ぼくには中間はなかった」って言葉には物凄くズドンと胸の真ん中を撃ち抜かれた。「賢すぎて」英雄かどぶ泥か、凡人になれないが故の苦しみ。そのために空想の世界に逃げる。そっか、そういう人間もこの世には確かに存在したかもしれないんだ、って色々考えさせられた。

スヴェルコフのくだりになってくると、学校時代の話も含めもうひたすら主人公が哀れで(つД`) でも面倒臭いのにまとわりつかれちゃった友人の皆さんにも同情するし。(似たような境遇で何故か「ハブ主犯」みたいな車座つるし上げを学級会議で食らった経験もあるしな! KYでどうしてもクラスから浮いちゃう、というか皆が避けがちな子に行き着かれたウチのグループが相当参ってしまって、どこが嫌とかダメという点をハッキリ指摘しただけなんだけど。今の日/本の教育って相当面倒な方向に歪んでるで!先生の身内と繋がりあったから後でコッソリ謝られたけど、「ウチの子いじめられてるんですー><」的な文句言ってくる親御さんの手前、ああいう対策(話し合い?)を取りましたパフォーマンスやらざるを得ないらしい。うっかりクラス一同の前で公開つるし上げ食らったウチらの方が不登校になるとこだったと思うわ正直^^)
でも人一倍敏感で傷つきやすく自尊心の殻に閉じこもってしまった「ぼく」の目から見た、恐らく当時のロ○アにおいて、一定の地位がある階級に属していた子弟の集まる学校に通う少年たちの残酷さはリアルだな、と。「彼らは世間的な成功だけに目がくらみ、たとえ正義であっても、辱められ、虐げられているものに対しては冷酷な嘲笑を浴びせた」というくだり。革命後の彼らやその子孫がどうなったか、いづこに亡命し何を呪って恨みながら死んでいったか、あるいは主人公のような諦観と絶望と自棄の境地に至り彼を理解することができたのか、フィクション中の人物とはいえちょっと興味深く妄想しちゃいますね。あと親友が欲しくなった「ぼく」が相手を無制限に自分の思うままにしようとした、ってのもやられたこともやったこともあるような、思い当たる節にギクリとしてしまった(-_-;) 上で書いたように最後は「あ、求めているのはもう一人の自分じゃなくて多様な価値観を教えてくれたり鏡になってくれる他者だ」ということに気づくんですが、思春期にありがちなボーダレス症候群ってやつですね・・・。
成長後のスヴェルコフ壮行会のエピソードは、何かドコに行っても逃れられない社会的階級の悲哀みたいなものが(特にこの時代のロ○ア、恐らくは日.本においても)、ここまで主人公を更に歪ませてしまったのかな、と(・・;) 私、あんまり相手をランク付けしたり上下比べる感覚が理解できなくて・・・自分がカーストの数にも入らない虫とかチェンジリング的な間違った存在だと思ってるからかもしれないけど。(繰り返しますが本当に病んでてスミマセンm(__)m)全ての人が自分よりよっぽど優れて輝いてマトモに見えるからさー。仮に吉○小百合と宮沢○えと北川景○が目の前に並んでたとしたら、特に誰が一番とか思わないでしょ? 皆それぞれ歳相応の美しさ、素晴らしさがあって、凡人の目からしたらどの方でも写真をお願いしてサインもらう対象。それと同じ理屈が大体適用されるというか・・・例え多少すれ違った相手に迷惑をかけられようと、こっちの方が生きてるだけで数倍世間様の不利益になってるしな、としか考えられないから最終的には「まぁ良いか、人間様って本当に素晴らしい」という結論に毎回到り、人混みに出ると大抵家に帰ってやっぱりダメ過ぎる自分に落ち込むのだった・・・(´-`)@我ながら「ぼく」と真逆の方向にめんどくせぇ!
あ、主人公がスヴェルコフたちに毒づく中で「おまえらなんか将棋の歩!」って例えてるとこ、原文はチェスのポーンですかね? S44初版の訳者さん頑張ったな!「お役所」じゃなくて「ご役所」ってくだりも面白い(^∀^)b 「自分がどんな感情や思想を持ち、知的に発達した人間かを思い知らせてやることができたら!」という独白は現代SNS(所謂バカッターや炎上ニ/コ生など)で問題になっている、若者の強すぎる承認欲求に近いものが昔から存在したことの証左ですね。ネットで悪目立ち・ニュース化するようになっただけで、以前から万引き自慢やわざと悪ぶる子、やっちゃいけないことをあえてそういう場でする子たちはいた。ホント学者って今更な段階になってから変に気取った名前付けて「研究」化する厄介な生き物だわ、とつくづく思う(-_-;) 日本の純文作家にもかなりこの手の人多いのが分かるけどなー。『檸檬』とか、今なら写メってツイ投稿→本屋から大目玉の流れやろ確実に(笑)

この後はいよいよ恋愛編?に入るみたいで楽しみです!しかし娼婦に「ド○ツ人?」って、当時のドイ○の認識(∩Д∩) おフラ○スは貴族社会の憧れで会話も仏語だったんですよね? 統一してなかったからロシ○まで流れてきちゃう貧しいゲルマン系も多かったんか・・・。メル○ルがロシ○語ペラペラなのエカチェ○ーナと被るイメージで見てましたけど、彼女東独生まれのポーラ○ド系と考えると当たり前か、と。(宿敵関係でも民族は同じスラヴで言語も近いですもんね)ド○ツはもう他国出身者に国のトップ任せんの止めた方が良いと思う(・ω・;) いくら世代重ねて「ドイ○文化・価値観」に馴染んでるように見えても、某オースト○ア人(いやコチラは同じ民族で後に併合してたけど)の件といい、もう縁起が悪すぎる。差別と言われようが今後は絶対避けた方が良いって!いや本当メルケ○女史には同情の余地もあるけど、実際国民に被害が及び、結果的に欧州全体の右傾化・保守化進めちゃった以上はさすがにもうしょうがないかな、と(;´Д`) 民族大移動経験者のフィ○ランドでまで「自警団」登場するとか、もうよっぽど心理的に追い詰められちゃってるじゃないですかヨーロッパの皆さん・・・。今後がどうなるのか本当に心配です。(そして国.連様、お願いだからコッチだけは見ないでね!@自己中と言われようが今の日/本じゃ絶対ムリ)

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