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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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豪の潜水艦選定は途中段階での政権クーデター、恐らくアメ○カ(英も一噛みしてたっけ?)を間にほぼ決まりかけてたウチの輸出を真っ先にひっくり返した情報リークといい、中/国様の金と圧力の影響を強く感じざるを得ませんね。最も性能が劣るというか求められる規格や水準的に不向きであろうモノを、技術のない自国の労働者()に造らせるとか命かけてソレに乗る海軍の方々のお気持ちを考えると(ノ_・,) ドイ○ならまだサイズの問題、ってだけで何とかできる可能性もあったと思うんだけど・・・。いかに五目のお身内といえども経済的に依存率最大なわけだし、港の賃与といいこの前の訪中で裏でも相当な取引あったな(笑)

以下、弟帰ってくる前に好物のミリもの観てウサ晴らし感想@穀潰しのロクデナシですとも!
いやー、懐かしすぎワロタ(^ω^) 今見ると火炎瓶とか靴下爆弾でそれはねーわ、とかピストルで連射(笑)当時の性能を明らかに上回る砲弾と機関銃の当たりっぷりだの、全員のび太かよ、って精鋭メンツにツッコんでしまうのだが、タイタニックいや主にレオ様のおかげで洋画にハマり出した頃で、マットくんもレオ様似と言われて注目されてましたしある意味ミリものへの目覚め的な意味で思い出深い作品なんですよねー(´―`) トム・ハンクスもマット・デイモンもメッチャ若いな!
あとやっぱりその後色々見た後だとアメリ○様はやっぱりキレイなオチというか「ヒーロー像」の演出が少なくとも当時はまだ好きだったんだな、ということがよく分かる。全くもって正義でも何でもない戦争が行われる前、イヤそれまでの戦争で通用してきたプロパガンダの真実が明るみに出る時代に変わった、という社会の転換点を如実に読み取ることができるよね、これから『アメリカン・スナイパー』までの流れによって(^^;原.爆投下を正当化できないと考える層が若い世代に増えているわけもよく解るよ、半島だけおかしな方向に逆行つーか暴走してるけど(笑)久々に向こうの「クオリティ・ペーパー」記事覗いたら、何だあの無関係な二国間イベントに関しての非難社説の山は(@_@;) 一応最も近しい味方と言える位置の国に、間に入ってくれる同盟国様(国家存立の大恩人)のトップが立ち入り関係を深める、つまり韓/国含めアジアとの関係は強固だよ、決して見捨てないよ、 というアピールなのに、なに中.国喜ばすような騒ぎ方してんだ。賠償、済ませましたよね? 戦場にしてないのに、本土より徴兵も徴用も全くゆるかった植民地相手に謝罪と賠償した旧列強国がどんだけあるか言ってみな!イギ○スなんか植民地住民からドンドン前線やキツい戦場に何度も何度も駆り出してたんだぞ?イ○ド、カ○ダ、OZ、NZの兵士たちが「イギリ○の戦争」で「イギ○ス人の盾」として使い捨てにされてった例がどんだけあるか調べてみろ^^#
本当ビン・ラディン死んで祭してた時もビビったけど、イラ○に核兵器なかったわ(・ω<)テヘペロ☆事件の後も70年前の謂わば自国の「大本営発表」を信じ続けられるアメリ○人の神経マジわからん。あ、普段あれだけ党や政府に不満を抱えて疑いながら南.京の盛りっぷりや7 3 1のメチャクチャな尾ひれ信じられる中/国人の脳味噌も謎だけどね。その点ド○ツやロ○アの戦争ものはただひたすら不条理と虚しさを覚える幕切れや展開でリアルだなぁ、と思う。戦争なんか動物の縄張り争いと同じですよ。「なんか」って表現しちゃったけど、だからこそ皆必死なの、生きるために仲間の住みかや持ち分守るために死にもの狂いにもなるし、裏切ったり命乞いしたりビックリするくらい残酷になれたり。
アパムくんの人間味が実に良いよね。敵であっても言葉が解り、実戦経験の少なさ故に戦場に「法」を持ち込もうとする。その結果同胞の命がいくつも失われ、最後の最後で脅えて震えていた、仲間の援護も満足にできず死なせてしまった青年が複数の敵の前に圧倒的な威圧感を帯びて銃を構えつつ躍り出し、自らの手で復讐、オトシマエを付ける、という成長ぶり。キーンさんも日.本を身近に感じて親しみを抱くキッカケは遺された兵士たちの日記を読んだことからだった、と語ってたなー・・・(゜_゜)
しかしアメ○カ軍が捕虜を取らずに降伏した敵を殺しまくったことはこんな風に映画の中ですら「こういう事情があったので仕方なかった」と正当化されるのに、 国際法に従って捕虜を取ったけれど自分たちの食糧すら満足に得られず、劣勢で移動せざるを得なかったので(以下略)というウチらの行為はいつまでも「虐待」と叩かれ続けるのはどういう事情?^^ 後遺症でビッコ引くようになったって? その歳まで生きてんだから良いじゃん、コッチなんか作中で描かれていたような「やむを得ない事情」すらなくゲームのように殺された挙げ句、最高に悪趣味な記念品(しゃれこうべに刀に旗に・・・マジで鬼畜の名にふさわしいとしか言いようがない><;)持ち帰られた兵士がどれだけいたと思って?@リンドバーグ日記を読んでみよう!
それでもまぁ兵隊同士が撃ち合い刺し合いで死ぬならまだ良い、戦場ってそういうもんだろうから。でも、女子供が暮らす都市に上から爆弾落として相手の顔も見ずに丸焼きしながら正当化とか、ホント今の無人機攻撃といい向こうの連中の発想には恐れ入るわー。日.本人としてだけじゃなく、人間の端くれとして生き物として理解や納得を拒みたい(-_-) 人力でどうやったらその都市の元々の人口を上回る人数を殺せるのかちょっとよく分かんないですけど、面と向かって人間対人間の殺しをやった日 /本軍のがはるかにマシじゃね?と考えたりするわ正直。だってその方が後ででも何でも、ちゃんと良心に響くもん人間だとしたら、あるいは人間に戻れた時に。機械任せで責任を覚える感覚が薄く、オマケに勝って正当化できる立場も得られてしまうとホント性質悪い。永遠に罪悪感をそれと認められずに、無理やり自分を納得させる、頑なな方向に苦しみ続けることになるんですよ。だから勝ったのに余裕がないの、70年経ってもアメリ○はあの兵器の誕生と使用が人類にもたらしてしまった破滅的惨禍や恐怖の大きさを認めらず、冷静に考える議論すら拒む羽目に陥っている。ハタから見てると正直惨めで哀れですよ。
とにかく戦争はアホみたいだけど人間が自然の一部、生き物である以上は避けられないことだから用心するに越したことはない、と自分はそういう考え方です。英雄なんていない。たまたま運の良い者、生命力の強い者が「任務」とやらを遂行し(笑)生き残れる、あるいは勝てるというだけのこと。正義も悪もない、ただみんな必死なだけ。恐らく仮想敵になるのであろう「旧東側」陣営に対しても純粋にそう思ってます。煽りに使われるのは困るし、明らかに事実とは異なることを国際的に喧伝されたり、戦後ずっと行ってきた援助や関係改善の努力すらも否定されたり全く知られていなかったりすると、やっぱり腹は立つし虚しくなってしまうけどね(*_*; 彼らもただでさえ狭まりつつある世界の中で、自分たちの居場所をキープし続けるために、消えないように、滅ぼされないように懸命なのだと。それが他国への強硬手段に走らせる。プーチ○というカリスマと恐ろしさを兼ね備えた指導者、あるいは党という絶対的な力を持つ組織の存在がまた不幸。でもその土地やそこで育まれた人々が何だかんだ言ってその思想や体制を受け入れたからこそ、どんなに恐怖や理不尽を伴おうがその国や地域はそういう道を辿ったという側面もあるわけで(以下略)アフリカや南米見ても、政治と気候風土と人々の気質の相関関係って改めて興味深いな、と感じます。
あ、一番ナゾなのは一応資本主義・民主主義体制なのにドコより社会主義っぽかったり、西洋のシステムや思想取り入れたように見えながらアジア的価値観にもしっかり足突っ込みぱなしで抜けないっつーか抜こうともしてない?ウチの国だけどな!本当どこにでも属しているようで当てはまらない、既存の捉え方とは全く異なる不思議な世界、というザッケローニさんの言は言い得て妙だとつくづく思うわ。一周回って日/本史や純文に帰りつくのも母国だというだけじゃなしにソレが理由なのかも、と考えたりもする( ´_ゝ`) あ、何かまた作品感想関係ない方向に話が流れてしまった・・・。

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いやー、懐かしすぎワロタ(^ω^) 今見ると火炎瓶とか靴下爆弾でそれはねーわ、とかピストルで連射(笑)当時の性能を明らかに上回る砲弾と機関銃の当たりっぷりだの、全員のび太かよ、って精鋭メンツにツッコんでしまうのだが、タイタニックいや主にレオ様のおかげで洋画にハマり出した頃で、マットくんもレオ様似と言われて注目されてましたしある意味ミリものへの目覚め的な意味で思い出深い作品なんですよねー(´―`) トム・ハンクスもマット・デイモンもメッチャ若いな!
あとやっぱりその後色々見た後だとアメリ○様はやっぱりキレイなオチというか「ヒーロー像」の演出が少なくとも当時はまだ好きだったんだな、ということがよく分かる。全くもって正義でも何でもない戦争が行われる前、イヤそれまでの戦争で通用してきたプロパガンダの真実が明るみに出る時代に変わった、という社会の転換点を如実に読み取ることができるよね、これから『アメリカン・スナイパー』までの流れによって(^^;原.爆投下を正当化できないと考える層が若い世代に増えているわけもよく解るよ、半島だけおかしな方向に逆行つーか暴走してるけど(笑)久々に向こうの「クオリティ・ペーパー」記事覗いたら、何だあの無関係な二国間イベントに関しての非難社説の山は(@_@;) 一応最も近しい味方と言える位置の国に、間に入ってくれる同盟国様(国家存立の大恩人)のトップが立ち入り関係を深める、つまり韓/国含めアジアとの関係は強固だよ、決して見捨てないよ、 というアピールなのに、なに中.国喜ばすような騒ぎ方してんだ。賠償、済ませましたよね? 戦場にしてないのに、本土より徴兵も徴用も全くゆるかった植民地相手に謝罪と賠償した旧列強国がどんだけあるか言ってみな!イギ○スなんか植民地住民からドンドン前線やキツい戦場に何度も何度も駆り出してたんだぞ?イ○ド、カ○ダ、OZ、NZの兵士たちが「イギリ○の戦争」で「イギ○ス人の盾」として使い捨てにされてった例がどんだけあるか調べてみろ^^#
本当ビン・ラディン死んで祭してた時もビビったけど、イラ○に核兵器なかったわ(・ω<)テヘペロ☆事件の後も70年前の謂わば自国の「大本営発表」を信じ続けられるアメリ○人の神経マジわからん。あ、普段あれだけ党や政府に不満を抱えて疑いながら南.京の盛りっぷりや7 3 1のメチャクチャな尾ひれ信じられる中/国人の脳味噌も謎だけどね。その点ド○ツやロ○アの戦争ものはただひたすら不条理と虚しさを覚える幕切れや展開でリアルだなぁ、と思う。戦争なんか動物の縄張り争いと同じですよ。「なんか」って表現しちゃったけど、だからこそ皆必死なの、生きるために仲間の住みかや持ち分守るために死にもの狂いにもなるし、裏切ったり命乞いしたりビックリするくらい残酷になれたり。
アパムくんの人間味が実に良いよね。敵であっても言葉が解り、実戦経験の少なさ故に戦場に「法」を持ち込もうとする。その結果同胞の命がいくつも失われ、最後の最後で脅えて震えていた、仲間の援護も満足にできず死なせてしまった青年が複数の敵の前に圧倒的な威圧感を帯びて銃を構えつつ躍り出し、自らの手で復讐、オトシマエを付ける、という成長ぶり。キーンさんも日.本を身近に感じて親しみを抱くキッカケは遺された兵士たちの日記を読んだことからだった、と語ってたなー・・・(゜_゜)
しかしアメ○カ軍が捕虜を取らずに降伏した敵を殺しまくったことはこんな風に映画の中ですら「こういう事情があったので仕方なかった」と正当化されるのに、 国際法に従って捕虜を取ったけれど自分たちの食糧すら満足に得られず、劣勢で移動せざるを得なかったので(以下略)というウチらの行為はいつまでも「虐待」と叩かれ続けるのはどういう事情?^^ 後遺症でビッコ引くようになったって? その歳まで生きてんだから良いじゃん、コッチなんか作中で描かれていたような「やむを得ない事情」すらなくゲームのように殺された挙げ句、最高に悪趣味な記念品(しゃれこうべに刀に旗に・・・マジで鬼畜の名にふさわしいとしか言いようがない><;)持ち帰られた兵士がどれだけいたと思って?@リンドバーグ日記を読んでみよう!
それでもまぁ兵隊同士が撃ち合い刺し合いで死ぬならまだ良い、戦場ってそういうもんだろうから。でも、女子供が暮らす都市に上から爆弾落として相手の顔も見ずに丸焼きしながら正当化とか、ホント今の無人機攻撃といい向こうの連中の発想には恐れ入るわー。日.本人としてだけじゃなく、人間の端くれとして生き物として理解や納得を拒みたい(-_-) 人力でどうやったらその都市の元々の人口を上回る人数を殺せるのかちょっとよく分かんないですけど、面と向かって人間対人間の殺しをやった日 /本軍のがはるかにマシじゃね?と考えたりするわ正直。だってその方が後ででも何でも、ちゃんと良心に響くもん人間だとしたら、あるいは人間に戻れた時に。機械任せで責任を覚える感覚が薄く、オマケに勝って正当化できる立場も得られてしまうとホント性質悪い。永遠に罪悪感をそれと認められずに、無理やり自分を納得させる、頑なな方向に苦しみ続けることになるんですよ。だから勝ったのに余裕がないの、70年経ってもアメリ○はあの兵器の誕生と使用が人類にもたらしてしまった破滅的惨禍や恐怖の大きさを認めらず、冷静に考える議論すら拒む羽目に陥っている。ハタから見てると正直惨めで哀れですよ。
とにかく戦争はアホみたいだけど人間が自然の一部、生き物である以上は避けられないことだから用心するに越したことはない、と自分はそういう考え方です。英雄なんていない。たまたま運の良い者、生命力の強い者が「任務」とやらを遂行し(笑)生き残れる、あるいは勝てるというだけのこと。正義も悪もない、ただみんな必死なだけ。恐らく仮想敵になるのであろう「旧東側」陣営に対しても純粋にそう思ってます。煽りに使われるのは困るし、明らかに事実とは異なることを国際的に喧伝されたり、戦後ずっと行ってきた援助や関係改善の努力すらも否定されたり全く知られていなかったりすると、やっぱり腹は立つし虚しくなってしまうけどね(*_*; 彼らもただでさえ狭まりつつある世界の中で、自分たちの居場所をキープし続けるために、消えないように、滅ぼされないように懸命なのだと。それが他国への強硬手段に走らせる。プーチ○というカリスマと恐ろしさを兼ね備えた指導者、あるいは党という絶対的な力を持つ組織の存在がまた不幸。でもその土地やそこで育まれた人々が何だかんだ言ってその思想や体制を受け入れたからこそ、どんなに恐怖や理不尽を伴おうがその国や地域はそういう道を辿ったという側面もあるわけで(以下略)アフリカや南米見ても、政治と気候風土と人々の気質の相関関係って改めて興味深いな、と感じます。
あ、一番ナゾなのは一応資本主義・民主主義体制なのにドコより社会主義っぽかったり、西洋のシステムや思想取り入れたように見えながらアジア的価値観にもしっかり足突っ込みぱなしで抜けないっつーか抜こうともしてない?ウチの国だけどな!本当どこにでも属しているようで当てはまらない、既存の捉え方とは全く異なる不思議な世界、というザッケローニさんの言は言い得て妙だとつくづく思うわ。一周回って日/本史や純文に帰りつくのも母国だというだけじゃなしにソレが理由なのかも、と考えたりもする( ´_ゝ`) あ、何かまた作品感想関係ない方向に話が流れてしまった・・・。

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