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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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慌てて観て来ました(笑)
フェルメール展の方は、やはり3月にしばらく電気の無い状態で過ごしたこと、節電の日々からそういうものが最初から無い時代の光のあり方というか存在の大きさをつくづく感じました。生で見ると3Dかと思うほど立体的に見えることに驚いた。
ナショナル・ギャラリー展ではモネとロートレックが見られたことにとりあえず満足^^ 本当にのどかな景色を描ける人はその真逆の景色を知っている人なんだろうなぁ、と。
両方を見て、絵画が極限に辿りついた時に生まれたのが写真なのかな、と考えたり。同時に絵画は描き手や制作依頼者の恣意を織り込むことが可能なものだから、そういうものから解き放たれた“真実”として写真が求められたのかな、とも。そういう意味では“影”の表現を消してしまう電気(照明)もやはり対を為すものなのかも。
今では誰でも簡単に画像をいじれるようになり、恣意的な写真というか写真の絵画化が進んでいて、逆に抽象的ではあるけれど内面的な本質を絵画に求めていく傾向があるんじゃないかな、とかグルグル考えてしまいました。

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