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オタベージェワちゃんが遂にセラムン全シリーズを見終わった、という情報が例の先輩から入ってだな・・・(´―`) 5年分でしょ?あのハードな練習の合間縫ってよくやるわ。この後はウテナ見る予定だとか。最新のアニメ、はもうチェック済みでコス参戦もしてんのか(@_@;) もうぽんずにでも嫁いで引退後は日.本でオタ三昧すれば良くね?
以下いつもの読書感想。(※オカルトネタ含みますm(__)m)ちょっとでも本読んで感想まとめる時間取れるのはやっぱり幸せ(*´∀`)
以下いつもの読書感想。(※オカルトネタ含みますm(__)m)ちょっとでも本読んで感想まとめる時間取れるのはやっぱり幸せ(*´∀`)
今日は山田詠美ちびちび読みながらようやく今なら戻れるかも、と魯迅回帰。『GIと遊んだ話(三)』どっかで一回読んだけど三沢の帰りの電車で読んでたら妙にリアルで笑えた(^^;『涙腺転換』は高校生で母を亡くした主人公の複雑な心理と肉体の切り離しがたい関係性、母に沁みつけられたそれ故に得た初恋の彼女をもそのせいで失ってしまう、というしょっぱさが何ともおかしいんだけど切なくて良い(ノ_・,)
『GIと遊んだ話(四)』日/本に戦争というものを教えてくれるのは昔も今も良くも悪くも敵だろうが味方だろうがアメ○カ、あるいはアング○サクソンの皆様なんだなぁ、とやはり三沢行った直後というタイミングも重なり改めて感じた。人それぞれに違う、男女の機微の難しさと異国に駐留する軍という狭い世界で巻き起こる、相手の生死を常に気にしなければいけない環境の厳しさや愛情表現における価値観の違い。まさに国や人種関係なく、十人十色の気持ちや感じ方があって、それを上手く伝えられず、あるいは無い物ねだりで満足できずに悩み苦しみ、大事な子供まで傷つけて。難しい現実をありのままに描き出してるよねー((´д`)ウンウン 実際日.本駐留組からもあのバカげた割と最近の戦争に結構行って帰らなかった人も多いわけだし。そんでもって「誰も殺すな、軍は持つな!(日/本も恩恵受ける石油ゲットのために他国の兵士はいくらでも死んでどうぞ、金は出すんで)」と言ってるわけでしょ? 鼻白まれて当然だっつの。大体自国に軍がなくて他国の軍に駐留してもらってる()以上、どうやったってその人たちとくっつく自国女性は出るわけでしょ? パートナー喪った彼女たちの立場はどうなるの? 相手が旅立ってから子供ができてることがわかったら? 国籍違うのに米.軍関係の住居に住み続けられたりサポート受けられたりは一体どこまで可能なのかな? もし結婚して子供いたとして、アメリ○のご家族との繋がりは? 某芸人みたいに英語忘れて育ったら祖父母との関係だって途切れちゃうんじゃないの? だから私ある意味ソレ系の人と付き合える女性を尊敬するんですよ。外専ミリオタビッチなんてとても罵れない。彼女たちこそ日/本中で誰よりボケずに現実と日々向き合ってる、真剣に恋愛したり家族やってる人たちだよ。国際結婚ってただでさえゾッとするほど面倒そう、って思うもん。加えて軍人とか、スポーツ選手のはるか上を行くストレスだわ(-_-;) 欧米の警官もキツそうだけどな!自国で軍隊を持たずに外国の軍隊様に「いてもらう」ということの問題を改めて考えさせるキッカケになるような話だと感じた。ねぇ、どっちがマシだと思う?ってケイティじゃないけど「馬鹿」な日.本人に問いかけてくれる作品じゃないのかな。
魯迅の短編はいずれも当時の大陸全体を覆っていた社会の不条理、人の心の貧しさへの哀しみと虚しさを根底に感じさせて堪らなくなる。せっかくある程度の学を身につけておきながら高みには到達できず、結局盗みをするしか生きる術を失った孔乙己の姿はぶっちゃけ自分と重なるし、『薬』の親たちも結果的には全員が哀れな不幸を被っている。それを天罰と捉えるかどうかはその人の考え方次第だけど(-_-;) 『小さな事件』も先日たけくらべで感じた幼なじみの隔たっていく寂しさがより生々しく、当時から際立っていた大陸社会の格差の激しさやまさに人の心根の卑しさなどが余すことなく表現されていて(´;ω;`) 主人公さん、いくら偉くなっても可哀想や・・・ただひたすら哀しく虚しい。
『髪の話』で大陸の歴史における髪型の意味を知り、というか改めて考えさせられ、馬鹿らしいと思うと同時に日/本にもそういう風潮はあったと聞くけどまだマシだったというか、向こうでは本当に命がけの旗色表明だったんだな、と複雑な気持ちになった。本当に知識としてしか知らないことが当時実際に留学から帰国し、「外国かぶれ」扱いされていたのであろう魯迅の筆によりリアルな感覚に若干近づけたというか(・・;) 格好なんて意味のない下らないことに縛られる自国の人々への風刺、「革命」への鋭い批判がNさんの語る言葉の中に全て込められているような気がした。正直阿Qや狂人日記よりコッチの方が簡潔に彼の主張が胸に響く良作のように思うくらい。
『家鴨の悲劇』はウチの近所の水路に町内会のお祭りで余った金魚を放したら繁殖してボウフラが湧かなくなったのは良いけど、同時にアメンボやヤゴも姿を消して越してきた当時は大勢いた銀ヤンマ、鬼ヤンマや普通の赤トンボすらほとんど見かけなくなって残念な気持ちになったことを思い出した><;更にその後猫屋敷の主が夜逃げして野良猫が増え、震災後の水流・水質変化すら乗り切った金魚までもが数を減らしつつあるという。人間による生態系破壊の見本のような皮肉!やっぱり豊かな里山削って新興住宅地造るのはどうかと思うわ。ましてやウチの団地は名前そっから取った神社がある=地元の方にとってはそれなりに神聖な場所だったと思うので、そりゃ地震で崩れた滝の跡にヤバいもんが溜まるのも道理かと(以下略)
・・・またオカルトネタになってサーセンm(__)m 定住の宮司さんいらっしゃる前はボロッボロだった神社自体がその状態になっていて、綺麗に直して神職の方が住まれるようになってからそちらの方の空気は全く変わったんですが、震災後崩れてしまった滝のトコ行ったら気持ち悪くて倒れそうになった。つーか2回目行った時はそこでタヒのうと思ったくらいで、コレは危ない、と。滝や水ってそれ自体に力があるし、そこはやっぱり神社の聖地扱いで傍に小さなお堂もあり、それごと潰れてからずっと手が付けられていないので、ちょっと暴走しているというか良くないもん呼んじゃうんですよねきっと(;´д`) 私前に書いたように処理する時も自分の意思とタイミングで、がモットーなので(笑)引っ張られて他のもんに責任擦り付けたくはないんですよ。「確かに早く終わりたいけど自分で決めたいんで!」と必死に頭から追い出そうとしても吸い寄せられそうになる。ので、ヤバいなぁと感じて近所の山遊歩道散歩は中断したのでした(*_*) 我ながら怖キモい!
とか語ってたら魂話の『祝福』ktkr(^ω^) これも『髪の話』並みにツボなんだが。当時の大陸における文化的価値観、地域格差、それに基づく差別。祥林嫂の絶望が痛いほど伝わってくる。きっと彼女は魂にすらなりたくなかった、完全に消えてしまいたかったんだよ、悲しいことばっかりの世界から。だから主人公に魂の存在を否定してほしかった。馬鹿げた迷信やしきたりのせいでどれだけ彼女という一人の女性・人間の権利が奪われ虐げられてきたか!そりゃ心も病むっつの、自分はもちろんここまで悲惨な状況ではないけれど共感できすぎて泣ける(;_;) ICUのお医者さんも連休や年末年始で世間がイベントムード真っ最中の時は自殺者多いって言ってたしな@立ち聞きだけど! そして大陸の人の落伍者への冷たさよ・・・人数多くて余裕ないからなの? 昔っから格差スゲェ官僚制競争社会だったから? ウチのおっそろしい連帯責任システムの方がまだマシに思えてくる勢い(((゜ロ゜;)))gkbr
『GIと遊んだ話(四)』日/本に戦争というものを教えてくれるのは昔も今も良くも悪くも敵だろうが味方だろうがアメ○カ、あるいはアング○サクソンの皆様なんだなぁ、とやはり三沢行った直後というタイミングも重なり改めて感じた。人それぞれに違う、男女の機微の難しさと異国に駐留する軍という狭い世界で巻き起こる、相手の生死を常に気にしなければいけない環境の厳しさや愛情表現における価値観の違い。まさに国や人種関係なく、十人十色の気持ちや感じ方があって、それを上手く伝えられず、あるいは無い物ねだりで満足できずに悩み苦しみ、大事な子供まで傷つけて。難しい現実をありのままに描き出してるよねー((´д`)ウンウン 実際日.本駐留組からもあのバカげた割と最近の戦争に結構行って帰らなかった人も多いわけだし。そんでもって「誰も殺すな、軍は持つな!(日/本も恩恵受ける石油ゲットのために他国の兵士はいくらでも死んでどうぞ、金は出すんで)」と言ってるわけでしょ? 鼻白まれて当然だっつの。大体自国に軍がなくて他国の軍に駐留してもらってる()以上、どうやったってその人たちとくっつく自国女性は出るわけでしょ? パートナー喪った彼女たちの立場はどうなるの? 相手が旅立ってから子供ができてることがわかったら? 国籍違うのに米.軍関係の住居に住み続けられたりサポート受けられたりは一体どこまで可能なのかな? もし結婚して子供いたとして、アメリ○のご家族との繋がりは? 某芸人みたいに英語忘れて育ったら祖父母との関係だって途切れちゃうんじゃないの? だから私ある意味ソレ系の人と付き合える女性を尊敬するんですよ。外専ミリオタビッチなんてとても罵れない。彼女たちこそ日/本中で誰よりボケずに現実と日々向き合ってる、真剣に恋愛したり家族やってる人たちだよ。国際結婚ってただでさえゾッとするほど面倒そう、って思うもん。加えて軍人とか、スポーツ選手のはるか上を行くストレスだわ(-_-;) 欧米の警官もキツそうだけどな!自国で軍隊を持たずに外国の軍隊様に「いてもらう」ということの問題を改めて考えさせるキッカケになるような話だと感じた。ねぇ、どっちがマシだと思う?ってケイティじゃないけど「馬鹿」な日.本人に問いかけてくれる作品じゃないのかな。
魯迅の短編はいずれも当時の大陸全体を覆っていた社会の不条理、人の心の貧しさへの哀しみと虚しさを根底に感じさせて堪らなくなる。せっかくある程度の学を身につけておきながら高みには到達できず、結局盗みをするしか生きる術を失った孔乙己の姿はぶっちゃけ自分と重なるし、『薬』の親たちも結果的には全員が哀れな不幸を被っている。それを天罰と捉えるかどうかはその人の考え方次第だけど(-_-;) 『小さな事件』も先日たけくらべで感じた幼なじみの隔たっていく寂しさがより生々しく、当時から際立っていた大陸社会の格差の激しさやまさに人の心根の卑しさなどが余すことなく表現されていて(´;ω;`) 主人公さん、いくら偉くなっても可哀想や・・・ただひたすら哀しく虚しい。
『髪の話』で大陸の歴史における髪型の意味を知り、というか改めて考えさせられ、馬鹿らしいと思うと同時に日/本にもそういう風潮はあったと聞くけどまだマシだったというか、向こうでは本当に命がけの旗色表明だったんだな、と複雑な気持ちになった。本当に知識としてしか知らないことが当時実際に留学から帰国し、「外国かぶれ」扱いされていたのであろう魯迅の筆によりリアルな感覚に若干近づけたというか(・・;) 格好なんて意味のない下らないことに縛られる自国の人々への風刺、「革命」への鋭い批判がNさんの語る言葉の中に全て込められているような気がした。正直阿Qや狂人日記よりコッチの方が簡潔に彼の主張が胸に響く良作のように思うくらい。
『家鴨の悲劇』はウチの近所の水路に町内会のお祭りで余った金魚を放したら繁殖してボウフラが湧かなくなったのは良いけど、同時にアメンボやヤゴも姿を消して越してきた当時は大勢いた銀ヤンマ、鬼ヤンマや普通の赤トンボすらほとんど見かけなくなって残念な気持ちになったことを思い出した><;更にその後猫屋敷の主が夜逃げして野良猫が増え、震災後の水流・水質変化すら乗り切った金魚までもが数を減らしつつあるという。人間による生態系破壊の見本のような皮肉!やっぱり豊かな里山削って新興住宅地造るのはどうかと思うわ。ましてやウチの団地は名前そっから取った神社がある=地元の方にとってはそれなりに神聖な場所だったと思うので、そりゃ地震で崩れた滝の跡にヤバいもんが溜まるのも道理かと(以下略)
・・・またオカルトネタになってサーセンm(__)m 定住の宮司さんいらっしゃる前はボロッボロだった神社自体がその状態になっていて、綺麗に直して神職の方が住まれるようになってからそちらの方の空気は全く変わったんですが、震災後崩れてしまった滝のトコ行ったら気持ち悪くて倒れそうになった。つーか2回目行った時はそこでタヒのうと思ったくらいで、コレは危ない、と。滝や水ってそれ自体に力があるし、そこはやっぱり神社の聖地扱いで傍に小さなお堂もあり、それごと潰れてからずっと手が付けられていないので、ちょっと暴走しているというか良くないもん呼んじゃうんですよねきっと(;´д`) 私前に書いたように処理する時も自分の意思とタイミングで、がモットーなので(笑)引っ張られて他のもんに責任擦り付けたくはないんですよ。「確かに早く終わりたいけど自分で決めたいんで!」と必死に頭から追い出そうとしても吸い寄せられそうになる。ので、ヤバいなぁと感じて近所の山遊歩道散歩は中断したのでした(*_*) 我ながら怖キモい!
とか語ってたら魂話の『祝福』ktkr(^ω^) これも『髪の話』並みにツボなんだが。当時の大陸における文化的価値観、地域格差、それに基づく差別。祥林嫂の絶望が痛いほど伝わってくる。きっと彼女は魂にすらなりたくなかった、完全に消えてしまいたかったんだよ、悲しいことばっかりの世界から。だから主人公に魂の存在を否定してほしかった。馬鹿げた迷信やしきたりのせいでどれだけ彼女という一人の女性・人間の権利が奪われ虐げられてきたか!そりゃ心も病むっつの、自分はもちろんここまで悲惨な状況ではないけれど共感できすぎて泣ける(;_;) ICUのお医者さんも連休や年末年始で世間がイベントムード真っ最中の時は自殺者多いって言ってたしな@立ち聞きだけど! そして大陸の人の落伍者への冷たさよ・・・人数多くて余裕ないからなの? 昔っから格差スゲェ官僚制競争社会だったから? ウチのおっそろしい連帯責任システムの方がまだマシに思えてくる勢い(((゜ロ゜;)))gkbr
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『GIと遊んだ話(四)』日/本に戦争というものを教えてくれるのは昔も今も良くも悪くも敵だろうが味方だろうがアメ○カ、あるいはアング○サクソンの皆様なんだなぁ、とやはり三沢行った直後というタイミングも重なり改めて感じた。人それぞれに違う、男女の機微の難しさと異国に駐留する軍という狭い世界で巻き起こる、相手の生死を常に気にしなければいけない環境の厳しさや愛情表現における価値観の違い。まさに国や人種関係なく、十人十色の気持ちや感じ方があって、それを上手く伝えられず、あるいは無い物ねだりで満足できずに悩み苦しみ、大事な子供まで傷つけて。難しい現実をありのままに描き出してるよねー((´д`)ウンウン 実際日.本駐留組からもあのバカげた割と最近の戦争に結構行って帰らなかった人も多いわけだし。そんでもって「誰も殺すな、軍は持つな!(日/本も恩恵受ける石油ゲットのために他国の兵士はいくらでも死んでどうぞ、金は出すんで)」と言ってるわけでしょ? 鼻白まれて当然だっつの。大体自国に軍がなくて他国の軍に駐留してもらってる()以上、どうやったってその人たちとくっつく自国女性は出るわけでしょ? パートナー喪った彼女たちの立場はどうなるの? 相手が旅立ってから子供ができてることがわかったら? 国籍違うのに米.軍関係の住居に住み続けられたりサポート受けられたりは一体どこまで可能なのかな? もし結婚して子供いたとして、アメリ○のご家族との繋がりは? 某芸人みたいに英語忘れて育ったら祖父母との関係だって途切れちゃうんじゃないの? だから私ある意味ソレ系の人と付き合える女性を尊敬するんですよ。外専ミリオタビッチなんてとても罵れない。彼女たちこそ日/本中で誰よりボケずに現実と日々向き合ってる、真剣に恋愛したり家族やってる人たちだよ。国際結婚ってただでさえゾッとするほど面倒そう、って思うもん。加えて軍人とか、スポーツ選手のはるか上を行くストレスだわ(-_-;) 欧米の警官もキツそうだけどな!自国で軍隊を持たずに外国の軍隊様に「いてもらう」ということの問題を改めて考えさせるキッカケになるような話だと感じた。ねぇ、どっちがマシだと思う?ってケイティじゃないけど「馬鹿」な日.本人に問いかけてくれる作品じゃないのかな。
魯迅の短編はいずれも当時の大陸全体を覆っていた社会の不条理、人の心の貧しさへの哀しみと虚しさを根底に感じさせて堪らなくなる。せっかくある程度の学を身につけておきながら高みには到達できず、結局盗みをするしか生きる術を失った孔乙己の姿はぶっちゃけ自分と重なるし、『薬』の親たちも結果的には全員が哀れな不幸を被っている。それを天罰と捉えるかどうかはその人の考え方次第だけど(-_-;) 『小さな事件』も先日たけくらべで感じた幼なじみの隔たっていく寂しさがより生々しく、当時から際立っていた大陸社会の格差の激しさやまさに人の心根の卑しさなどが余すことなく表現されていて(´;ω;`) 主人公さん、いくら偉くなっても可哀想や・・・ただひたすら哀しく虚しい。
『髪の話』で大陸の歴史における髪型の意味を知り、というか改めて考えさせられ、馬鹿らしいと思うと同時に日/本にもそういう風潮はあったと聞くけどまだマシだったというか、向こうでは本当に命がけの旗色表明だったんだな、と複雑な気持ちになった。本当に知識としてしか知らないことが当時実際に留学から帰国し、「外国かぶれ」扱いされていたのであろう魯迅の筆によりリアルな感覚に若干近づけたというか(・・;) 格好なんて意味のない下らないことに縛られる自国の人々への風刺、「革命」への鋭い批判がNさんの語る言葉の中に全て込められているような気がした。正直阿Qや狂人日記よりコッチの方が簡潔に彼の主張が胸に響く良作のように思うくらい。
『家鴨の悲劇』はウチの近所の水路に町内会のお祭りで余った金魚を放したら繁殖してボウフラが湧かなくなったのは良いけど、同時にアメンボやヤゴも姿を消して越してきた当時は大勢いた銀ヤンマ、鬼ヤンマや普通の赤トンボすらほとんど見かけなくなって残念な気持ちになったことを思い出した><;更にその後猫屋敷の主が夜逃げして野良猫が増え、震災後の水流・水質変化すら乗り切った金魚までもが数を減らしつつあるという。人間による生態系破壊の見本のような皮肉!やっぱり豊かな里山削って新興住宅地造るのはどうかと思うわ。ましてやウチの団地は名前そっから取った神社がある=地元の方にとってはそれなりに神聖な場所だったと思うので、そりゃ地震で崩れた滝の跡にヤバいもんが溜まるのも道理かと(以下略)
・・・またオカルトネタになってサーセンm(__)m 定住の宮司さんいらっしゃる前はボロッボロだった神社自体がその状態になっていて、綺麗に直して神職の方が住まれるようになってからそちらの方の空気は全く変わったんですが、震災後崩れてしまった滝のトコ行ったら気持ち悪くて倒れそうになった。つーか2回目行った時はそこでタヒのうと思ったくらいで、コレは危ない、と。滝や水ってそれ自体に力があるし、そこはやっぱり神社の聖地扱いで傍に小さなお堂もあり、それごと潰れてからずっと手が付けられていないので、ちょっと暴走しているというか良くないもん呼んじゃうんですよねきっと(;´д`) 私前に書いたように処理する時も自分の意思とタイミングで、がモットーなので(笑)引っ張られて他のもんに責任擦り付けたくはないんですよ。「確かに早く終わりたいけど自分で決めたいんで!」と必死に頭から追い出そうとしても吸い寄せられそうになる。ので、ヤバいなぁと感じて近所の山遊歩道散歩は中断したのでした(*_*) 我ながら怖キモい!
とか語ってたら魂話の『祝福』ktkr(^ω^) これも『髪の話』並みにツボなんだが。当時の大陸における文化的価値観、地域格差、それに基づく差別。祥林嫂の絶望が痛いほど伝わってくる。きっと彼女は魂にすらなりたくなかった、完全に消えてしまいたかったんだよ、悲しいことばっかりの世界から。だから主人公に魂の存在を否定してほしかった。馬鹿げた迷信やしきたりのせいでどれだけ彼女という一人の女性・人間の権利が奪われ虐げられてきたか!そりゃ心も病むっつの、自分はもちろんここまで悲惨な状況ではないけれど共感できすぎて泣ける(;_;) ICUのお医者さんも連休や年末年始で世間がイベントムード真っ最中の時は自殺者多いって言ってたしな@立ち聞きだけど! そして大陸の人の落伍者への冷たさよ・・・人数多くて余裕ないからなの? 昔っから格差スゲェ官僚制競争社会だったから? ウチのおっそろしい連帯責任システムの方がまだマシに思えてくる勢い(((゜ロ゜;)))gkbr
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