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このマンガは横山光輝の『三国志』並みに価値がある作品になりつつあると思うんだけどどうか?(でも横山作品で一番好きなのは『徳川家康』だったりする(^^; 家康と側室さんたちとか、旭と秀忠とか秀頼と千姫とか女子キャラとの関係性が良くて。『三国志』で鉄板のガン泣きは貂蝉のエピソード。・゜・(ノД`)・゜・。)
で、今巻も泣かせるというかカーンッと頭を打ち砕かれるような内容。私が最近ニュース漁りに夢中になってる理由だよまさに!産.経と朝/日、NYTとWSJ、BBCとアルジャジーラ、ついでにRTと環球なんちゃらも、全てのメディアと国の主張を同時に見比べられる世の中に生まれたことがどれほどありがたいか、何て楽しくて幸せなことなんだろう、ってつくづく思います。ユルールの「筆を、言葉を、文字をどこまでも増やす」ってセリフに。敗者の主張を勝者が葬るばかりでは争いの原因を理解できず、それをなくすための希望は消え失せてしまうから。伝わらないから、後世まで、その戦いを知らない人にまで何故そうなったのか、って人々の思いも状況も実態も。敗戦国の人間として昨今の諸々に苛立っていたということもあるかもしれないけど、難民のことに関しても人種差別のことに関しても、昨今蔓延するポリティカル・コレクトネスという”配慮”に対して感じる危うさ、恐怖の根源が込められたやりとりじゃないかなー、ってテムジンとユルールの会話を読んで感じました。
日.本には日.本の、朝/鮮には朝/鮮の、中.国には中/国の、露には露の、米には米のそれぞれに「正しい物語」があって、それらはきっと一つにはなれない。なったらおかしいんだよ、本当は。違う国、違う人なんだから。残さないと、どう感じたか、誰が何をして、結果何が起こり、誰が痛んで誰が何を得たか。怒りも苦しみも喜びも、それぞれが全て記して残せば良い。その全てこそがきっと「真実」で、一番知りたいことだから。私は歴オタだから、昔のことについて「全て」を見られたらなぁ、と不満を感じた経験が結構ある。昔の記録は朝廷や幕府による公式記録か偉い人の日記のようなものしかないから、実際のとこどうだったのか、どこまで情報が行き渡って庶民はどう感じて生活にどう変化が出たのか、転換点や重要人物だって史料読み漁って「もしかしたらこの場所?」「この人の身内の可能性が・・・」とかを延々とやり続けないといけない訳っすよ!それが今は、ちょっとブログやツイッター漁れば右も左も上から下から垂れ流しだし、お金や軍事がこう動いてるんだな、んでこっち側の人はこう思っててあっち側の人はそう受け取ってるんだ、ってのが、多少の制限や監視下にあっても余裕で見られる。その感想もベラベラ吐き出せるし話し合える!素晴らしくない?未来の歴史家だったら、って妄想すると大変そうだけど興奮せざるを得ない(((´Д`;)ハアハア
でも一方でユルールのその発想がすべての王の害になるというのも納得。今ならアメ○カでしょうかね・・・だからウチとド○ツは(ry ただ彼らは、日.本語とドイ○語を殺さなかったから。もしこれが帝国時代のヨーロッパや大陸国家だったとしたら、私たちは私たちの物語を自分たちの言葉で本当に欠片も残せなかったんじゃないか、って。判官贔屓や平家物語のような価値観まで何一つ、根本から変えられてしまった可能性もあったんじゃないか、と他所の国を見て感じたりもする。ので、正直初めての敗北と支配?がこの時代の彼ら相手である意味幸運だったのかもなー、とも思います(-_-;
<プチ脱線>・・・まぁ少なくとも一つ特に不満を挙げるとすれば、国/家神/道についてもかじったし古来のものが政治的に歪められてしまって確かに現状が完全に正しいものだとは思っていないけど(信仰を持たない身で言えることじゃないが)、特定の国の宗教行為について他国が批判するというのは確実に間違っているんじゃないか、ってことかな。地位のある政治家が行うから? かつてその宗教を政治的に利用した末に残虐な戦争を引き起こしたから? そんなこと言い出したら無傷でいられる宗教はないよ。十/字軍も、植民地化も、もちろんI.Sやミャ○マーの仏教徒だって。大量虐殺した独裁者の銅像奉ってるのと同じだとでも捉えられてんのか? そもそも当時のうちは集団狂気の塊状態だったも同然で明確に独裁者と言えるような存在はいなかった訳だが・・・。戦犯(正確には「元」になってるけど)祀ってるバチ○ンさんの扱いは?まさか知らないのか、あえて無視しているのか? とかで、その点については話題に上る度に憤りを感じます正直。何で宗教施設への参拝だの奉納ごときで反省がどーたら、って話になるんだよ(^ω^#) 「彼ら」が何かと比較したがるド○ツの与党名知ってんの? そりゃム○リムとの軋轢生まれるの当然だわ、って感じだよ(笑)
しっかし今巻は圧倒の見開きシーンいつにも増して多いな!テムジンの人たるが故の苦悩、そしてゆるがない獣たろうとする大ハンの強さ。トルイに理想を(そしてそうあったかもしれない自己を)託しすぎたナランの憐れさと、メルミの「愛しています」あんな小さい女の子が、これこそがユルールの言う語られなければならない「人」の心なんだなぁ、と(;_;)そして恐らくはナランの野心と痛みを誰よりも知っていたであろうヴェロニカの最後の思いやりが(´;ω;`)ブワッ 西に向かう彼女の傷口の深さも気になる。シュトヘルはスドー再びなのか。じゃあユルールはあの女の子で戻ってこないかな?玉音同はどうなるのか、次巻も楽しみです!
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で、今巻も泣かせるというかカーンッと頭を打ち砕かれるような内容。私が最近ニュース漁りに夢中になってる理由だよまさに!産.経と朝/日、NYTとWSJ、BBCとアルジャジーラ、ついでにRTと環球なんちゃらも、全てのメディアと国の主張を同時に見比べられる世の中に生まれたことがどれほどありがたいか、何て楽しくて幸せなことなんだろう、ってつくづく思います。ユルールの「筆を、言葉を、文字をどこまでも増やす」ってセリフに。敗者の主張を勝者が葬るばかりでは争いの原因を理解できず、それをなくすための希望は消え失せてしまうから。伝わらないから、後世まで、その戦いを知らない人にまで何故そうなったのか、って人々の思いも状況も実態も。敗戦国の人間として昨今の諸々に苛立っていたということもあるかもしれないけど、難民のことに関しても人種差別のことに関しても、昨今蔓延するポリティカル・コレクトネスという”配慮”に対して感じる危うさ、恐怖の根源が込められたやりとりじゃないかなー、ってテムジンとユルールの会話を読んで感じました。
日.本には日.本の、朝/鮮には朝/鮮の、中.国には中/国の、露には露の、米には米のそれぞれに「正しい物語」があって、それらはきっと一つにはなれない。なったらおかしいんだよ、本当は。違う国、違う人なんだから。残さないと、どう感じたか、誰が何をして、結果何が起こり、誰が痛んで誰が何を得たか。怒りも苦しみも喜びも、それぞれが全て記して残せば良い。その全てこそがきっと「真実」で、一番知りたいことだから。私は歴オタだから、昔のことについて「全て」を見られたらなぁ、と不満を感じた経験が結構ある。昔の記録は朝廷や幕府による公式記録か偉い人の日記のようなものしかないから、実際のとこどうだったのか、どこまで情報が行き渡って庶民はどう感じて生活にどう変化が出たのか、転換点や重要人物だって史料読み漁って「もしかしたらこの場所?」「この人の身内の可能性が・・・」とかを延々とやり続けないといけない訳っすよ!それが今は、ちょっとブログやツイッター漁れば右も左も上から下から垂れ流しだし、お金や軍事がこう動いてるんだな、んでこっち側の人はこう思っててあっち側の人はそう受け取ってるんだ、ってのが、多少の制限や監視下にあっても余裕で見られる。その感想もベラベラ吐き出せるし話し合える!素晴らしくない?未来の歴史家だったら、って妄想すると大変そうだけど興奮せざるを得ない(((´Д`;)ハアハア
でも一方でユルールのその発想がすべての王の害になるというのも納得。今ならアメ○カでしょうかね・・・だからウチとド○ツは(ry ただ彼らは、日.本語とドイ○語を殺さなかったから。もしこれが帝国時代のヨーロッパや大陸国家だったとしたら、私たちは私たちの物語を自分たちの言葉で本当に欠片も残せなかったんじゃないか、って。判官贔屓や平家物語のような価値観まで何一つ、根本から変えられてしまった可能性もあったんじゃないか、と他所の国を見て感じたりもする。ので、正直初めての敗北と支配?がこの時代の彼ら相手である意味幸運だったのかもなー、とも思います(-_-;
<プチ脱線>・・・まぁ少なくとも一つ特に不満を挙げるとすれば、国/家神/道についてもかじったし古来のものが政治的に歪められてしまって確かに現状が完全に正しいものだとは思っていないけど(信仰を持たない身で言えることじゃないが)、特定の国の宗教行為について他国が批判するというのは確実に間違っているんじゃないか、ってことかな。地位のある政治家が行うから? かつてその宗教を政治的に利用した末に残虐な戦争を引き起こしたから? そんなこと言い出したら無傷でいられる宗教はないよ。十/字軍も、植民地化も、もちろんI.Sやミャ○マーの仏教徒だって。大量虐殺した独裁者の銅像奉ってるのと同じだとでも捉えられてんのか? そもそも当時のうちは集団狂気の塊状態だったも同然で明確に独裁者と言えるような存在はいなかった訳だが・・・。戦犯(正確には「元」になってるけど)祀ってるバチ○ンさんの扱いは?まさか知らないのか、あえて無視しているのか? とかで、その点については話題に上る度に憤りを感じます正直。何で宗教施設への参拝だの奉納ごときで反省がどーたら、って話になるんだよ(^ω^#) 「彼ら」が何かと比較したがるド○ツの与党名知ってんの? そりゃム○リムとの軋轢生まれるの当然だわ、って感じだよ(笑)
しっかし今巻は圧倒の見開きシーンいつにも増して多いな!テムジンの人たるが故の苦悩、そしてゆるがない獣たろうとする大ハンの強さ。トルイに理想を(そしてそうあったかもしれない自己を)託しすぎたナランの憐れさと、メルミの「愛しています」あんな小さい女の子が、これこそがユルールの言う語られなければならない「人」の心なんだなぁ、と(;_;)そして恐らくはナランの野心と痛みを誰よりも知っていたであろうヴェロニカの最後の思いやりが(´;ω;`)ブワッ 西に向かう彼女の傷口の深さも気になる。シュトヘルはスドー再びなのか。じゃあユルールはあの女の子で戻ってこないかな?玉音同はどうなるのか、次巻も楽しみです!
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