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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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尾骨痛で動けないのも手伝って一気に読んでしまった\(^O^)/
※病みトーク含みます。

何というか、主人公と同じように物凄く疲れて絶望して、けれど同時にやはり人間という生き物へのかすかな希望にすがりたいような読後感。作者がこのSF小説の中で語りたかったのは、ありがちなハチャメチャ近未来的な世界観の中で本当に伝えたかったメッセージは『高い城~』と同じく、機械のことでも核のもたらす破滅の話でも宇宙への移住ネタでもなくて、人間とは何かというテーマなんだ、と。ある意味それは何よりも普遍的な純文学で求められてきた問いに近い、人間らしさとは、人間の在り方とはどうあるべきか、ってことを彼は作中でずっと追い続け、探し求め、語っている。マーサーの正体が何者であっても、人々の心の中から恐らく永遠にその面影、共感ボックスの取っ手を握る行為があの世界で消えることはないだろう。そしてソレを「すっぱ抜いた」アンドロイドのコメディアンが、そうした人間たちの行為を理解することはきっと不可能。結果として彼は逆に正体が露見し、彼を「使用」してきた人間たちに駆逐される羽目になるのかもしれない。
何て絶望的で哀しい世界だろう。感情をコントロールする装置、人間のために生み出された機械が「自由」を求めて脱走しつつ、「人間」になりきれずに処分されていく、同胞の「破壊」に同情すら感じない彼らに対し、彼らの「始末」に胸を痛め、彼らの存在に愛着を覚えてしまう人間というものの虚しさ・脆さ・哀しさ。けれどだからこそ人はある意味で「強い」のだろうか? 彼ら(機械)に勝る唯一の長所がその「情」というものなんだろうか? だとしたら「自分は人間だ」という偽の記憶を植え付けられたフィルやレイチェルはどうだろう? 彼らの恐怖・葛藤・矛盾の全てが淡々とした筆致ゆえに胸に迫って締め付けられる。特に屋上から山羊を突き落としたレイチェルの行動は、究極的に「人間らしい」嫉妬と羨望の表れなのでは? 寿命があと二年のアンドロイド、信じていた自分を全て否定され、同型種の存在とその破壊を「愛していた・くれた」男の手によって行うことまで知らされて。アンドロイドに感情に近い回路(と記憶)を埋め込むという行為は何て残酷なものだろう、と思わず感じてしまいました(つД`) どれほど人間に憧れ、近づこうとした「彼ら」がいたことか。そしてそんな「彼ら」に惹かれてしまう、心を寄せる人間たちがいたことか!
欧米・一神教徒がロボット研究の発展を恐れる理由が少し分かったような気がします。彼らはそうなること(無機物を愛する、という神の教えに抗うこと。獣.姦や同/性愛に対しての考え方も同じかな? 彼らの「規範」を表すものの象徴が、作中世界では彼らを「彼ら」にしか持ちえない「感情」を共有する、という行為・絶対的な絆で繋ぐことによって「人間」という存在に留めてくれるマーサーという存在なのだと思う)を何よりも怖れていて、だからこそ多神教徒、無機物を崇めたり愛することに何の抵抗も感じないウチらがロボット開発にこだわる理由が理解できない。すぐ兵器とかセク○ロイドというネガティヴな方向に発想が向いてしまう。「共感」こそが人間を人間たらしめる所以、という点には同意するけど、全ての感情を共有したり賛同するのは異なる人間である以上不可能だし、各々の背景が違う以上必ずしも「共感」を強制する必要は存在しないとも考えるから(例えば父親を殺された娘が犯人の気持ちに同情すべきか? あるいは裁判員が双方の感情に入り込み過ぎて法に基づく正しい判断を下せなくなってしまったら?)、やはりマーサー教、そして共感ボックスの存在には、私はアンドロイド側の立場に立たざるを得ないかな(´・ω・`) でもちょっと情調オルガンは欲しいというか、あったら薬も飲まなくて良いし少しはマトモになれるのかな、という気も・・・(本当病んでてすみま(以下略)m(__)m)最近も順調に?体内年齢が若返ってしまい(ついに十代回帰^^)運動しなくて寝てるだけでも何故か痩せることって可能なんだ、と学んだわー(笑)一応体脂肪率もBMIもまだ標準範囲内ではあるんですが、このトシで実年齢と十歳以上差が出るのはそろそろマズいかと思い、今日は頑張って鶏肉一口とパリパリに焼いた皮一切れ食べてみましたが、既に気持ち悪くてヤバイorz
この作品における田上ポジションはイジドアですね。切ねぇ・・・(;_;) 初恋のアンドロイドが、彼が久々に目にした「生きた蜘蛛」の足を、止めてくれという懇願も聞かずに一本一本切り落としていく。そして彼女と、初めて得た「友人」たちが残らず「処分」され、ただ一人取り残されて。特殊者・ピンボケであるというだけで汚染の進んだ地球に留まることを余儀なくされ、伴侶を得る権利も持たぬ彼が、更には信仰を通り越して依存していたとも言って良いマーサーの虚構まで暴露されてしまった彼が(それでも肝心な時に彼の前に「マーサー」は現れ、新たな、そして完全な(機械であるかもしれなくても)蜘蛛を与えたことによって恐らく信仰は揺らがないのだろう、という推測は成り立つけど)、どうやってこれからの途方も無い孤独を灰の中で長い歳月過ごして行くのだろうか、と考えると陰鬱な気分になりますね(゜_゜;)

散々映画好き言っといてブレード○ンナー観たこと無いんだけど、見るべきかな?(今更)まぁ良いや、私の中の偏ったSF観を良い感じに変えていただけたことに感謝したい。てか謝りますm(__)m 「時代の洗礼を受けた小説」ハルキの作中に出てくる言葉を受け入れるのに抵抗はあるけど(どんだけ嫌いなんだよ(^^;)確かにそれはそうだな、と。ホント今更で恥ずかしいですが、心から読めて良かったと思います。あ、次何読もっかなー、と本棚漁ってたら『刺青/秘密』出て来ちゃった(∩///∩) あとコチラも持ってねぇだろ、と思ってたはずの芥川氏も、『地獄変』表紙買いしたヤツが。あの人気漫画家に表紙描かせるシリーズ結構引っかかったんだよなー。『舞姫』もクラ○プ画のヤツですもん。図書室で一回読んで「カーッ(`Д´#)=3 許せん!」となったのに「大人になって読んだらまた違う印象受けるかもよ?」という悪魔の囁きが、あの表紙に・・・(∩Д∩) 積ん読は色々たまってるんだけど、まだ現代に帰りたくない気持ち(笑)なので、近代日本の純文短編さまようか(中・長編はちょっと今日のでお腹いっぱい)取っておきカフカに行ってしまうかで迷い中。

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何というか、主人公と同じように物凄く疲れて絶望して、けれど同時にやはり人間という生き物へのかすかな希望にすがりたいような読後感。作者がこのSF小説の中で語りたかったのは、ありがちなハチャメチャ近未来的な世界観の中で本当に伝えたかったメッセージは『高い城~』と同じく、機械のことでも核のもたらす破滅の話でも宇宙への移住ネタでもなくて、人間とは何かというテーマなんだ、と。ある意味それは何よりも普遍的な純文学で求められてきた問いに近い、人間らしさとは、人間の在り方とはどうあるべきか、ってことを彼は作中でずっと追い続け、探し求め、語っている。マーサーの正体が何者であっても、人々の心の中から恐らく永遠にその面影、共感ボックスの取っ手を握る行為があの世界で消えることはないだろう。そしてソレを「すっぱ抜いた」アンドロイドのコメディアンが、そうした人間たちの行為を理解することはきっと不可能。結果として彼は逆に正体が露見し、彼を「使用」してきた人間たちに駆逐される羽目になるのかもしれない。
何て絶望的で哀しい世界だろう。感情をコントロールする装置、人間のために生み出された機械が「自由」を求めて脱走しつつ、「人間」になりきれずに処分されていく、同胞の「破壊」に同情すら感じない彼らに対し、彼らの「始末」に胸を痛め、彼らの存在に愛着を覚えてしまう人間というものの虚しさ・脆さ・哀しさ。けれどだからこそ人はある意味で「強い」のだろうか? 彼ら(機械)に勝る唯一の長所がその「情」というものなんだろうか? だとしたら「自分は人間だ」という偽の記憶を植え付けられたフィルやレイチェルはどうだろう? 彼らの恐怖・葛藤・矛盾の全てが淡々とした筆致ゆえに胸に迫って締め付けられる。特に屋上から山羊を突き落としたレイチェルの行動は、究極的に「人間らしい」嫉妬と羨望の表れなのでは? 寿命があと二年のアンドロイド、信じていた自分を全て否定され、同型種の存在とその破壊を「愛していた・くれた」男の手によって行うことまで知らされて。アンドロイドに感情に近い回路(と記憶)を埋め込むという行為は何て残酷なものだろう、と思わず感じてしまいました(つД`) どれほど人間に憧れ、近づこうとした「彼ら」がいたことか。そしてそんな「彼ら」に惹かれてしまう、心を寄せる人間たちがいたことか!
欧米・一神教徒がロボット研究の発展を恐れる理由が少し分かったような気がします。彼らはそうなること(無機物を愛する、という神の教えに抗うこと。獣.姦や同/性愛に対しての考え方も同じかな? 彼らの「規範」を表すものの象徴が、作中世界では彼らを「彼ら」にしか持ちえない「感情」を共有する、という行為・絶対的な絆で繋ぐことによって「人間」という存在に留めてくれるマーサーという存在なのだと思う)を何よりも怖れていて、だからこそ多神教徒、無機物を崇めたり愛することに何の抵抗も感じないウチらがロボット開発にこだわる理由が理解できない。すぐ兵器とかセク○ロイドというネガティヴな方向に発想が向いてしまう。「共感」こそが人間を人間たらしめる所以、という点には同意するけど、全ての感情を共有したり賛同するのは異なる人間である以上不可能だし、各々の背景が違う以上必ずしも「共感」を強制する必要は存在しないとも考えるから(例えば父親を殺された娘が犯人の気持ちに同情すべきか? あるいは裁判員が双方の感情に入り込み過ぎて法に基づく正しい判断を下せなくなってしまったら?)、やはりマーサー教、そして共感ボックスの存在には、私はアンドロイド側の立場に立たざるを得ないかな(´・ω・`) でもちょっと情調オルガンは欲しいというか、あったら薬も飲まなくて良いし少しはマトモになれるのかな、という気も・・・(本当病んでてすみま(以下略)m(__)m)最近も順調に?体内年齢が若返ってしまい(ついに十代回帰^^)運動しなくて寝てるだけでも何故か痩せることって可能なんだ、と学んだわー(笑)一応体脂肪率もBMIもまだ標準範囲内ではあるんですが、このトシで実年齢と十歳以上差が出るのはそろそろマズいかと思い、今日は頑張って鶏肉一口とパリパリに焼いた皮一切れ食べてみましたが、既に気持ち悪くてヤバイorz
この作品における田上ポジションはイジドアですね。切ねぇ・・・(;_;) 初恋のアンドロイドが、彼が久々に目にした「生きた蜘蛛」の足を、止めてくれという懇願も聞かずに一本一本切り落としていく。そして彼女と、初めて得た「友人」たちが残らず「処分」され、ただ一人取り残されて。特殊者・ピンボケであるというだけで汚染の進んだ地球に留まることを余儀なくされ、伴侶を得る権利も持たぬ彼が、更には信仰を通り越して依存していたとも言って良いマーサーの虚構まで暴露されてしまった彼が(それでも肝心な時に彼の前に「マーサー」は現れ、新たな、そして完全な(機械であるかもしれなくても)蜘蛛を与えたことによって恐らく信仰は揺らがないのだろう、という推測は成り立つけど)、どうやってこれからの途方も無い孤独を灰の中で長い歳月過ごして行くのだろうか、と考えると陰鬱な気分になりますね(゜_゜;)

散々映画好き言っといてブレード○ンナー観たこと無いんだけど、見るべきかな?(今更)まぁ良いや、私の中の偏ったSF観を良い感じに変えていただけたことに感謝したい。てか謝りますm(__)m 「時代の洗礼を受けた小説」ハルキの作中に出てくる言葉を受け入れるのに抵抗はあるけど(どんだけ嫌いなんだよ(^^;)確かにそれはそうだな、と。ホント今更で恥ずかしいですが、心から読めて良かったと思います。あ、次何読もっかなー、と本棚漁ってたら『刺青/秘密』出て来ちゃった(∩///∩) あとコチラも持ってねぇだろ、と思ってたはずの芥川氏も、『地獄変』表紙買いしたヤツが。あの人気漫画家に表紙描かせるシリーズ結構引っかかったんだよなー。『舞姫』もクラ○プ画のヤツですもん。図書室で一回読んで「カーッ(`Д´#)=3 許せん!」となったのに「大人になって読んだらまた違う印象受けるかもよ?」という悪魔の囁きが、あの表紙に・・・(∩Д∩) 積ん読は色々たまってるんだけど、まだ現代に帰りたくない気持ち(笑)なので、近代日本の純文短編さまようか(中・長編はちょっと今日のでお腹いっぱい)取っておきカフカに行ってしまうかで迷い中。

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