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読んで良かった。
死刑の意義や捉え方、宗教的見地・あるいは道徳や倫理観の問題、個人的な心理的事情、そもそも人はなぜ犯罪を犯すのか、ていうかそもそも犯罪の定義って何だよ?基準は?裁くのは誰?一神教とムラルール文化との違い(笑)ついでに言うと当時のアメリカにおける他国と自国との関係性、プア・ホワイトの歪んだ卑屈な自尊心と嫉妬心(彼には無いという分析だったが私はヒコックがその塊だと感じた。自尊心があるから劣等感を感じられるんだよ・・・)、「混ざり者」(インディアンなんか原住民であるにもかかわらずだ!)ペリーへの揶揄と、彼の悲惨な生育・家庭環境。(私なら今でさえそうであるようにもっと早く気が狂って兄姉のような道辿ってただろうから、他の人間様に攻撃や復讐心を向けたという時点で共感も同情もできないけど、よく持ちこたえられたな、と思う)都市と田舎の関係、同じ国でありながら全く密度の異なる社会の繋がりと心理的距離感。移民の国だから、メキシコは犯罪者の逃げ場、黒人=犯罪者、インディアン(当時の呼び方に従う、と作者は表記してたので習います)は差別対象、という一方でヨーロッパ系農夫の会^^に日本人がフツーに交じってたり、何か色々不思議やなー、って。朝鮮戦争行ったペリーの思い出話が大半ホモと日本ネタだったこととか(ノ∀`) 家族の関係性、時代の空気、社会の圧力。これが当時のリアルアメリカンか、と思いつつ興味深く読みました。
死刑について、アジアでは一般的に認められてて欧米圏では「ダメ、絶対!」なのって何つーか多分歯止め利かなくなるからなんやろな、って。過去の歴史振り返ってもそうだし、もう全能の神の名を借りて「人の命奪うのは罪やで!」ってしないと基本的に個人社会だからもう次から次へと起こりまくりというか、悔い改めれば許してくれちゃう神様だとさー。あと家族もさー。アジア圏の文化は連帯責任文化じゃん?内輪で殺し合おうもんなら社会が死ぬっつーか、日本なんかどっこにも逃げ場ない島国だから(メヒコたんが隣にあってくれれば良かったネ☆)、死刑設定しないと生活の安定も秩序の維持もクソもないわけ。だから、キッビシー社会的ルール設定して死刑囚の家族はひたすら平身低頭で顔出さずに謝り続けないといけないシステムなんだよなぁ。私この問題については宗教というより社会の体質、人々の考え方、価値観の違いにあると思う。死刑廃止論者は宗教を利用してるだけ。他の問題についても、例えば仏教やShintoだって、かなり教義解釈を都合良く変えたり付け加えてるとこがあると思う。全てはその時代時代の、国や社会を安定させるために。人をどのルールで縛らなければならないのか、本人の良心か、国の定めた法律か、社会から加えられる制裁か、それとも彼らの信仰する神の教えか。時々、人によって場所によって社会によって変わるというだけの話。宗教的なんちゃらがどうの、って言われる度に、都合よく利用される神さんも可哀想やな、と毎回感じます正直(´-`) あの土地で生まれたイエスが鯨見たことあったと思う?ないよね? たぶんタコもないんじゃないの? 日本にも広く伝わってる大乗仏教だってブッダ本人の教えとかほとんど残ってないんじゃないの? 少なくとも仏式で葬式出す日本人の生活見てるとそう思わざるを得ない。
最後の、ボビーとスーザン、若い二人が着実に前に進んでいることと、デューイが迷いながらも職務を続けていることにちょっとホッとさせられた。さすがカポーティ先生(´;ω;`)ブワッ 妄想の手始めに家族皆殺しにして、人の命にも自分の命にも興味持てないアンドルーズ少年?青年?は哀しかったな。マジで一歩引いたところに意識あって自分の言動を見てる、っての私もよくやるし。いつなってたか覚えてる時と覚えてない時がある。基本的にどうでも良いんだもん。あ、人の命はどうでも良くないけど、自分のことと、それも含まれるんだろうけど自分と他人様との関係性にもあんまり興味ない。恩を感じる人にはできる限りの恩を返したいし、友人たちはできる範囲で大切にしたいけど、相手から何が返ってくるかとかどういう反応か、とか割とどうでも(以下略)周り大天使ばっかなのでひたすらしていただくばかりで申し訳ない、と思うことが多いからある意味幸せな状態なのかもしれないけど(-人-) アンドルーズ君の天国も地獄もなく死んだら人は塵に帰すだけ、罪の意識を全く覚えないペリーの無神論には同意するけど、まだ「無」になるべきじゃなかった、塵にしてはいけなかった他人の命を勝手に終わらせてしまったのは、やっぱり虫けらから見て重大な罪だと思います。ていうか生かしといても誰にとっても良いことないよ、こういうネジゆるんでる欠陥品は、と自分に重ねちゃうからね(^^;命に価値がないと思ってるんだから、恐らくそれはディック以外の狂気に包まれた二人にとっては自分のだってそうなんだよ。夢見た人生を生きられないなら、這いつくばって泥なめるしかないなら生きてても吊るされてもそう変わらない。同じこと繰り返すだけ。不遇への鬱憤、憎悪の暴発、狂気と快楽を紙一重のゲームのように置き換えてしまう。更生なんか期待すんな。裁いてくれ、とっとと。そのために捕まえたんじゃないのか? とっとと終わりにしてほしいんだよ、犯人は自分のクソみたいな人生を、それから住民は心の平穏と安定した生活を取り戻すために犯人の命を。法律にも背いてないならまさにWin-Win(ちうごく様のマネー!)じゃん。
死刑が野蛮、抑止力ないって? うん、抑止力は全くないと私も思う(・-・))ウンウン でもね、一度そこまで行きついた人間が「普通」に戻るのは到底無理だって。『アメリカン・スナイパー』観た?戦場で「合法的に」人殺してた「英雄」だってああなんだぞ。まして日本みたいな社会なら仮に生かしといたとしてマトモな仕事得るのは絶望的、もっかい闇落ちするか狂うしかない。それで被害者家族は納得できんの?社会は機能すんの?私刑とか起こんないの未だに年末になると仇討もの特番連発する国で(´-`) 某S鬼薔薇さんが実証してくださったじゃないですか、「ダメだこいつ更生もクソもねぇわ」っつーの。あ、何か死刑の話に終始してしまった。あと陪審員制度についてとか諸々語りたかったんですけど、松本清張とか横山秀夫が目指してんのももしかしたらこの域なんかな、とかちょっと色々考えてしまった@『64』読むの楽しみです!文庫Xもこれネタなんだってね(笑)私ジャスト誘拐世代で(ハイハイ歳ばれ)「一番怖いのは人間なんだからね」と親から口すっぱくして気を付けるように言われたことを覚えています、ええ、3~4歳の頃に(>ω・)b でも人間様そういう点も含めて興味深くて面白いけどね。先日落としたICカードションボリしながら再発行して、日曜に「見つかったんでデポジット代返します」って電話来るようなこの社会が何だかんだ言って好きだよ。休日出勤のしんどさ分かるけど><;だって、再発行してもらったカードの中身チェックしたら一切使われてなかった上に、届いたってことは誰か拾って届けてくれた方がいるってことじゃん?天使か・・・マジで人間様尊い。全てが冷たい血だけでできてる人間なんていないんだよ、皮被ってるもどきは紛れてるけど(^^;
死刑について、アジアでは一般的に認められてて欧米圏では「ダメ、絶対!」なのって何つーか多分歯止め利かなくなるからなんやろな、って。過去の歴史振り返ってもそうだし、もう全能の神の名を借りて「人の命奪うのは罪やで!」ってしないと基本的に個人社会だからもう次から次へと起こりまくりというか、悔い改めれば許してくれちゃう神様だとさー。あと家族もさー。アジア圏の文化は連帯責任文化じゃん?内輪で殺し合おうもんなら社会が死ぬっつーか、日本なんかどっこにも逃げ場ない島国だから(メヒコたんが隣にあってくれれば良かったネ☆)、死刑設定しないと生活の安定も秩序の維持もクソもないわけ。だから、キッビシー社会的ルール設定して死刑囚の家族はひたすら平身低頭で顔出さずに謝り続けないといけないシステムなんだよなぁ。私この問題については宗教というより社会の体質、人々の考え方、価値観の違いにあると思う。死刑廃止論者は宗教を利用してるだけ。他の問題についても、例えば仏教やShintoだって、かなり教義解釈を都合良く変えたり付け加えてるとこがあると思う。全てはその時代時代の、国や社会を安定させるために。人をどのルールで縛らなければならないのか、本人の良心か、国の定めた法律か、社会から加えられる制裁か、それとも彼らの信仰する神の教えか。時々、人によって場所によって社会によって変わるというだけの話。宗教的なんちゃらがどうの、って言われる度に、都合よく利用される神さんも可哀想やな、と毎回感じます正直(´-`) あの土地で生まれたイエスが鯨見たことあったと思う?ないよね? たぶんタコもないんじゃないの? 日本にも広く伝わってる大乗仏教だってブッダ本人の教えとかほとんど残ってないんじゃないの? 少なくとも仏式で葬式出す日本人の生活見てるとそう思わざるを得ない。
最後の、ボビーとスーザン、若い二人が着実に前に進んでいることと、デューイが迷いながらも職務を続けていることにちょっとホッとさせられた。さすがカポーティ先生(´;ω;`)ブワッ 妄想の手始めに家族皆殺しにして、人の命にも自分の命にも興味持てないアンドルーズ少年?青年?は哀しかったな。マジで一歩引いたところに意識あって自分の言動を見てる、っての私もよくやるし。いつなってたか覚えてる時と覚えてない時がある。基本的にどうでも良いんだもん。あ、人の命はどうでも良くないけど、自分のことと、それも含まれるんだろうけど自分と他人様との関係性にもあんまり興味ない。恩を感じる人にはできる限りの恩を返したいし、友人たちはできる範囲で大切にしたいけど、相手から何が返ってくるかとかどういう反応か、とか割とどうでも(以下略)周り大天使ばっかなのでひたすらしていただくばかりで申し訳ない、と思うことが多いからある意味幸せな状態なのかもしれないけど(-人-) アンドルーズ君の天国も地獄もなく死んだら人は塵に帰すだけ、罪の意識を全く覚えないペリーの無神論には同意するけど、まだ「無」になるべきじゃなかった、塵にしてはいけなかった他人の命を勝手に終わらせてしまったのは、やっぱり虫けらから見て重大な罪だと思います。ていうか生かしといても誰にとっても良いことないよ、こういうネジゆるんでる欠陥品は、と自分に重ねちゃうからね(^^;命に価値がないと思ってるんだから、恐らくそれはディック以外の狂気に包まれた二人にとっては自分のだってそうなんだよ。夢見た人生を生きられないなら、這いつくばって泥なめるしかないなら生きてても吊るされてもそう変わらない。同じこと繰り返すだけ。不遇への鬱憤、憎悪の暴発、狂気と快楽を紙一重のゲームのように置き換えてしまう。更生なんか期待すんな。裁いてくれ、とっとと。そのために捕まえたんじゃないのか? とっとと終わりにしてほしいんだよ、犯人は自分のクソみたいな人生を、それから住民は心の平穏と安定した生活を取り戻すために犯人の命を。法律にも背いてないならまさにWin-Win(ちうごく様のマネー!)じゃん。
死刑が野蛮、抑止力ないって? うん、抑止力は全くないと私も思う(・-・))ウンウン でもね、一度そこまで行きついた人間が「普通」に戻るのは到底無理だって。『アメリカン・スナイパー』観た?戦場で「合法的に」人殺してた「英雄」だってああなんだぞ。まして日本みたいな社会なら仮に生かしといたとしてマトモな仕事得るのは絶望的、もっかい闇落ちするか狂うしかない。それで被害者家族は納得できんの?社会は機能すんの?私刑とか起こんないの未だに年末になると仇討もの特番連発する国で(´-`) 某S鬼薔薇さんが実証してくださったじゃないですか、「ダメだこいつ更生もクソもねぇわ」っつーの。あ、何か死刑の話に終始してしまった。あと陪審員制度についてとか諸々語りたかったんですけど、松本清張とか横山秀夫が目指してんのももしかしたらこの域なんかな、とかちょっと色々考えてしまった@『64』読むの楽しみです!文庫Xもこれネタなんだってね(笑)私ジャスト誘拐世代で(ハイハイ歳ばれ)「一番怖いのは人間なんだからね」と親から口すっぱくして気を付けるように言われたことを覚えています、ええ、3~4歳の頃に(>ω・)b でも人間様そういう点も含めて興味深くて面白いけどね。先日落としたICカードションボリしながら再発行して、日曜に「見つかったんでデポジット代返します」って電話来るようなこの社会が何だかんだ言って好きだよ。休日出勤のしんどさ分かるけど><;だって、再発行してもらったカードの中身チェックしたら一切使われてなかった上に、届いたってことは誰か拾って届けてくれた方がいるってことじゃん?天使か・・・マジで人間様尊い。全てが冷たい血だけでできてる人間なんていないんだよ、皮被ってるもどきは紛れてるけど(^^;
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死刑について、アジアでは一般的に認められてて欧米圏では「ダメ、絶対!」なのって何つーか多分歯止め利かなくなるからなんやろな、って。過去の歴史振り返ってもそうだし、もう全能の神の名を借りて「人の命奪うのは罪やで!」ってしないと基本的に個人社会だからもう次から次へと起こりまくりというか、悔い改めれば許してくれちゃう神様だとさー。あと家族もさー。アジア圏の文化は連帯責任文化じゃん?内輪で殺し合おうもんなら社会が死ぬっつーか、日本なんかどっこにも逃げ場ない島国だから(メヒコたんが隣にあってくれれば良かったネ☆)、死刑設定しないと生活の安定も秩序の維持もクソもないわけ。だから、キッビシー社会的ルール設定して死刑囚の家族はひたすら平身低頭で顔出さずに謝り続けないといけないシステムなんだよなぁ。私この問題については宗教というより社会の体質、人々の考え方、価値観の違いにあると思う。死刑廃止論者は宗教を利用してるだけ。他の問題についても、例えば仏教やShintoだって、かなり教義解釈を都合良く変えたり付け加えてるとこがあると思う。全てはその時代時代の、国や社会を安定させるために。人をどのルールで縛らなければならないのか、本人の良心か、国の定めた法律か、社会から加えられる制裁か、それとも彼らの信仰する神の教えか。時々、人によって場所によって社会によって変わるというだけの話。宗教的なんちゃらがどうの、って言われる度に、都合よく利用される神さんも可哀想やな、と毎回感じます正直(´-`) あの土地で生まれたイエスが鯨見たことあったと思う?ないよね? たぶんタコもないんじゃないの? 日本にも広く伝わってる大乗仏教だってブッダ本人の教えとかほとんど残ってないんじゃないの? 少なくとも仏式で葬式出す日本人の生活見てるとそう思わざるを得ない。
最後の、ボビーとスーザン、若い二人が着実に前に進んでいることと、デューイが迷いながらも職務を続けていることにちょっとホッとさせられた。さすがカポーティ先生(´;ω;`)ブワッ 妄想の手始めに家族皆殺しにして、人の命にも自分の命にも興味持てないアンドルーズ少年?青年?は哀しかったな。マジで一歩引いたところに意識あって自分の言動を見てる、っての私もよくやるし。いつなってたか覚えてる時と覚えてない時がある。基本的にどうでも良いんだもん。あ、人の命はどうでも良くないけど、自分のことと、それも含まれるんだろうけど自分と他人様との関係性にもあんまり興味ない。恩を感じる人にはできる限りの恩を返したいし、友人たちはできる範囲で大切にしたいけど、相手から何が返ってくるかとかどういう反応か、とか割とどうでも(以下略)周り大天使ばっかなのでひたすらしていただくばかりで申し訳ない、と思うことが多いからある意味幸せな状態なのかもしれないけど(-人-) アンドルーズ君の天国も地獄もなく死んだら人は塵に帰すだけ、罪の意識を全く覚えないペリーの無神論には同意するけど、まだ「無」になるべきじゃなかった、塵にしてはいけなかった他人の命を勝手に終わらせてしまったのは、やっぱり虫けらから見て重大な罪だと思います。ていうか生かしといても誰にとっても良いことないよ、こういうネジゆるんでる欠陥品は、と自分に重ねちゃうからね(^^;命に価値がないと思ってるんだから、恐らくそれはディック以外の狂気に包まれた二人にとっては自分のだってそうなんだよ。夢見た人生を生きられないなら、這いつくばって泥なめるしかないなら生きてても吊るされてもそう変わらない。同じこと繰り返すだけ。不遇への鬱憤、憎悪の暴発、狂気と快楽を紙一重のゲームのように置き換えてしまう。更生なんか期待すんな。裁いてくれ、とっとと。そのために捕まえたんじゃないのか? とっとと終わりにしてほしいんだよ、犯人は自分のクソみたいな人生を、それから住民は心の平穏と安定した生活を取り戻すために犯人の命を。法律にも背いてないならまさにWin-Win(ちうごく様のマネー!)じゃん。
死刑が野蛮、抑止力ないって? うん、抑止力は全くないと私も思う(・-・))ウンウン でもね、一度そこまで行きついた人間が「普通」に戻るのは到底無理だって。『アメリカン・スナイパー』観た?戦場で「合法的に」人殺してた「英雄」だってああなんだぞ。まして日本みたいな社会なら仮に生かしといたとしてマトモな仕事得るのは絶望的、もっかい闇落ちするか狂うしかない。それで被害者家族は納得できんの?社会は機能すんの?私刑とか起こんないの未だに年末になると仇討もの特番連発する国で(´-`) 某S鬼薔薇さんが実証してくださったじゃないですか、「ダメだこいつ更生もクソもねぇわ」っつーの。あ、何か死刑の話に終始してしまった。あと陪審員制度についてとか諸々語りたかったんですけど、松本清張とか横山秀夫が目指してんのももしかしたらこの域なんかな、とかちょっと色々考えてしまった@『64』読むの楽しみです!文庫Xもこれネタなんだってね(笑)私ジャスト誘拐世代で(ハイハイ歳ばれ)「一番怖いのは人間なんだからね」と親から口すっぱくして気を付けるように言われたことを覚えています、ええ、3~4歳の頃に(>ω・)b でも人間様そういう点も含めて興味深くて面白いけどね。先日落としたICカードションボリしながら再発行して、日曜に「見つかったんでデポジット代返します」って電話来るようなこの社会が何だかんだ言って好きだよ。休日出勤のしんどさ分かるけど><;だって、再発行してもらったカードの中身チェックしたら一切使われてなかった上に、届いたってことは誰か拾って届けてくれた方がいるってことじゃん?天使か・・・マジで人間様尊い。全てが冷たい血だけでできてる人間なんていないんだよ、皮被ってるもどきは紛れてるけど(^^;
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