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フィリップ・K・ディック推薦のイザヤ書新刊だと・・・!? Σ(゜Д゜)ガタタッ それは天界限定出版なの!?何それズルい超読みたい一刻も早く昇天(以下略)ふぅ、EXILEの好きなメンバー聞かれて固まるマリアさんにもメッチャ共感しちゃったわ、何人だかも知らないもん(-_-;) かろうじて3代目なんちゃらとEガールズが系列なのは分かる。あと歌う人がアツシとタカヒロさん、とその知識しかないからね!歌に至ってはチューチュートレインのカバーやってたことしか全く知らない\(^o^)/ 冠番組(ぶっちゃけ存在すら知らなかった)見てるくらい好きな親に「プフッε- (´ー`*)」って笑われるくらい昨今の俳優とタレントさん無知なんで・・・リア充怖い! あと親に関しては爪塗ってないとケチ付けてくんのとズボンをパンツと言い直してくるのがイラッときます。ズボンはズボンだろ!@昭和生まれ(胸を張る( ̄^ ̄)ドヤァ)下着をパンツっつってたら「それはパンツじゃない、パンティーと呼びなさい」と繰り返し言っていた亡き祖母の面影が蘇ってきます・・・津軽のド田舎出身なのに何なのあの人たち(∩Д∩) 欲しいのはあったかズボンだもん、あったかパンツって言ったら毛糸のパンツしか浮かばないもん、どこで何の話してんだか分かんなくなってきたけどズボンをズボンと呼べない世の中にアラサーのオバチャンは全力で抗いたい!
あーあと昨日映画の宣伝でスコセッシの沈黙流れてたけど観たいなー。めっさ観たいなー。未だにキリスト教の中では賛否両論な作品だそうですが、私これでやっと祖父の心情というか魂に触れられたというか、ちょっと理解に近づけた気がするんですよ。彼が欲しかったのはまさに沈黙、求めていたのは赦しだったのだと。戦地に旅立つ友人を見送り、兄弟の厄介になり女性ばっかりの師範学校に入らざるを得なくて。当時の日本にあって男として役立たずの烙印を押されたも同然、かといって彼の本当にやりたかったこと、絵の道に進むこともできず、終戦を迎え、国全体がグチャグチャ苦しんでいて生きて帰ってこない人やシベリア送りの人たち沢山見てきた中で物凄く葛藤があったと思う。そんな中、親兄弟が篤く信仰するT理教は結構アグレッシブというか、積極的に行動することを求められる宗教じゃないですか・・・(ホントうちカオスでサーセンm(__)m)。それこそ布教だのお布施だのT理市に詣でての修行だの。やらなきゃグダグダ親戚中から言われるけど、悩んでる青年に意味も分からないご詠歌なんか延々歌ってる暇はないわけで。(私から言わせりゃ牧師の説教聞くのも讃美歌も同じだけどねぶっちゃけ☆)そこを行くと一神教の持つ静けさ、ただ信じて祈りを捧げていればそれだけで救いがもたらされる、神の沈黙は「赦し」と同義であり、それをどう受け止めるかで己の生き方を己で定めることができる、という点に彼は惹かれたのかな、と。何かやっぱりどうやっても信仰持てない人間なんで、全ては外側から頭で考えた推測でしかないんですけどね(・・;) だから、スコセッシ監督とガチキリスト教的世界観で育った皆様の作り上げる『沈黙』の捉え方をとっても観てみたいんです。そういえばあれだけの規模になってんだからT理教作家やS価作家で信仰と作品の関係をオープンに表現する人もいて良いと思うんだけど、中々現れませんね・・・私が知らないだけだろうか? 宗教ってホントわからないだけに奥深くて興味そそられる@心から失礼ですみません><;
あーあと昨日映画の宣伝でスコセッシの沈黙流れてたけど観たいなー。めっさ観たいなー。未だにキリスト教の中では賛否両論な作品だそうですが、私これでやっと祖父の心情というか魂に触れられたというか、ちょっと理解に近づけた気がするんですよ。彼が欲しかったのはまさに沈黙、求めていたのは赦しだったのだと。戦地に旅立つ友人を見送り、兄弟の厄介になり女性ばっかりの師範学校に入らざるを得なくて。当時の日本にあって男として役立たずの烙印を押されたも同然、かといって彼の本当にやりたかったこと、絵の道に進むこともできず、終戦を迎え、国全体がグチャグチャ苦しんでいて生きて帰ってこない人やシベリア送りの人たち沢山見てきた中で物凄く葛藤があったと思う。そんな中、親兄弟が篤く信仰するT理教は結構アグレッシブというか、積極的に行動することを求められる宗教じゃないですか・・・(ホントうちカオスでサーセンm(__)m)。それこそ布教だのお布施だのT理市に詣でての修行だの。やらなきゃグダグダ親戚中から言われるけど、悩んでる青年に意味も分からないご詠歌なんか延々歌ってる暇はないわけで。(私から言わせりゃ牧師の説教聞くのも讃美歌も同じだけどねぶっちゃけ☆)そこを行くと一神教の持つ静けさ、ただ信じて祈りを捧げていればそれだけで救いがもたらされる、神の沈黙は「赦し」と同義であり、それをどう受け止めるかで己の生き方を己で定めることができる、という点に彼は惹かれたのかな、と。何かやっぱりどうやっても信仰持てない人間なんで、全ては外側から頭で考えた推測でしかないんですけどね(・・;) だから、スコセッシ監督とガチキリスト教的世界観で育った皆様の作り上げる『沈黙』の捉え方をとっても観てみたいんです。そういえばあれだけの規模になってんだからT理教作家やS価作家で信仰と作品の関係をオープンに表現する人もいて良いと思うんだけど、中々現れませんね・・・私が知らないだけだろうか? 宗教ってホントわからないだけに奥深くて興味そそられる@心から失礼ですみません><;
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