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今日も友人にお付き合いいただいて(^ω^) 皆さん本当にありがとうございます!
正直今までで一番ショボ(以下略)マスクだったけど衰退期なら仕方ないな@のっけから失礼m(__)m 彩色木棺は綺麗で面白かったし、久々にヒエログリフ見まくって懐かしい友人について思い出したり(部屋の壁上部ぐるっとヒエログリフが張り巡らされていて、他人のレジュメにヒエログリフで名前書きまくってくるという行為を仕掛けてくる方で、何故日.本史の方を選んだのか?と常々疑問に感じておりました(´∀`))、マジでちゃんとした古代エジプ○人(他の地から来た異民族が治めるようになる前)の○ジプト文化の独自性と豊かさパネェ、と思いました。宝石に金に、元のサイズ考えたらファラオの権力というか富もそうだけど、花崗岩の彫刻や木棺の彩色、ミイラ製造に到るまでレベル高すぎて目の玉飛び出るホント(@_@;) うちらがのんびり狩猟採集して、恐らく日/本列島に文化というものを成すに至るはるか前の出来事ですからね。その後行った歴博の方で大好きな土偶とかを見たけれど、やっぱり古代の大河周辺で育った文明のレベルの高さは凄いな、と。
肥沃な土地で交通の便も良いから人が集まり、人が集まるから争いも起きるわけだけど、やはりそれだけ競争は進歩と豊かさをもたらすのだと。人間、いや生物の業ですね。サバンナは水と草が豊富だから野生動物の楽園だけれど、その中では常に熾烈な弱肉強食の生存競争が繰り広げられている。災害が多く資源もない(あるいは天候に恵まれない)島国の厳しい環境と孤立感の一方で攻められにくい、言い方を変えれば独自の文化を成熟しやすく他国の政情に巻き込まれにくいという利点と、恵まれた土地で最先端の学問・技術・貿易の中心地で多様な文化に接することができるけれども、情勢が不安定で常にどこに付くか見極めないといけない不安定な生活とどちらが良いか、という話なのかな、と。やはり自分の国だけ見ていても人間様全体のこと、世界の歴史や思想の全ては学べない。人間教信者の歴オタとして(笑)色んな地域・国・文化の価値観や歴史はずっと興味を持って知ろうとする努力を続けたいです。私は日.本人にしかなれないし、信仰は持てないから完璧に理解することは無理だと思う。ただ、知識として知り、また目にすることは大事だといつもつくづく感じるから。経済的(あるいはぶっちゃけエジプトなんかは政治的事情から><;)訪問するのは困難そうなので、こういう貴重な機会を地方都市でも堪能できることは本当にありがたいと素直に思う(-人-) ありがとう学芸員の皆さん!
次に行った歴博の大白隠展が爆笑もんだった。何ばーちゃんにホウキで叩かれて悟るって(ノ∀`) 掛け軸の字の配置もマジ適当過ぎるだろ。こんなもんありがたがる庶民を嘲るニヒリスト根性の持ち主だったのか(免罪符に反発したルターさんのごとく。笑)、純粋に面白がる趣味人全開だったのか? あ、今日のハイライトは雪隠=トイレの燈火画+句・・・ではなかったはずなんだけど、友人が涙を流すほどツボっていたのが強く印象に残りました(^ω^) たくさんあった達磨の絵ちゃんと覚えてるかな?かわいいのから迫力ある目力、コミカルな七福神に面白カッコ良い文字アートの原形的なものまで、本当にセンスに溢れていて、彼が現代に生まれていたら赤塚不二夫のような漫画家になっていたかも、と少し妄想してしまいました。
んで、その雪隠の実情(お寺だったからもっと広くて真っ暗で他の僧侶等もいて大変だったでしょうけど)を説明しようと、こちらも久しぶりに覗かせてもらった今野家住宅がスッカリ気合入れて補修されていて、釜神様のレプリカも展示してあり、囲炉裏に火も入って土日だったせいかボランティアガイドの方も複数待機されていてビックリΣ(゜Д゜;) 前来た時は余りやる気なさそうに放置プレイな感じで、古民家好きの私が興奮しまくってズカズカ進みまくったのと干渉を嫌う母の組み合わせでガイドさんいたかもだけど付いて解説とかは無かったんですけど、今日は私と友人が色々食いついたせいかガイドさんが丁寧に案内&解説して下さり、長持ちや引き取っ手?(トトロの家の階段の扉のヤツです)の戸も開け閉めさせてくれたり、果ては仙台箪笥の引き出しの隠し細工部分を開けて見せて下さって大興奮!o(゜∀゜)=3フウフウッ! ラッキーだったわー。
そういえば子供の頃、日.本標準より時間が正直一世代遅れているかもしれないA森共和国(バカにしているわけではなく褒めておりますm(__)m)出身の母の帰省時に曾祖父母が建てた大叔母宅で例の扉の開け閉めも喜んでさせてもらってたなー、と(ちなみにボットン便所の扉でした☆)。徒歩圏内に温泉銭湯があったから既に使われてはいなかったけど、それこそトトロの家仕様のお風呂も「危ないからダメ!」って怒られつつ覗かせてもらってたことなど思い出した((´-`)ウンウン懐かしい。「座敷童のためのお人形部屋」というのもある家で、大叔母に懐いていたこともあり大好きな場所でした。(広いので昔は下宿の方もいたらしく、母の小さい頃に下宿されていたご家族の女の子が亡くなったということもあり、供養のためも兼ねてだったのか、大叔母の趣味だったのかは謎ですが、後で東北の旧家は結構そういう部屋のある家が多い、と聞き、そういえば何も怖いとか不思議だとか感じなかったけど気配とか笑い声聞いたことある気がする、とかね(笑)まぁ今は維持が大変なので残念ながら取り潰して空き地になり、大叔母はアパートに移ってしまったんですけど。
宮城で同居することになった祖父母がクリスチャンで父が無神論者、神棚も仏壇も日/本の伝統的な家屋の仕組みや年中行事にも全くご縁がなく転勤族の多い地域から新興住宅地に新居建てて越してしまった私には、古い家や土着の家系の習俗って昔からとても憧れるんですよ。だから古い農家や古民家見るととりあえず「入りたい!」と騒ぐ子供だったし、こけしが飾ってあって神棚と仏壇があったり、作業場に漬物樽が並んでるようなスペースのあるお宅には本当に興味津々で。京都に行ったり日.本史や民俗学、文化に関心持つようになったのもそのせいかも。ある意味ちょっと外部的な目線で見ているのだけれど、でも自分は日/本人だ、って気持ちもあるから焦りと純粋に好きで知りたいという好奇心が入り混じっている複雑な心理状態(^^;あちらでは元々そういう家庭に育ったから京都でそちらの方面への理解をより深めに来た、とか寺社のお子さん、お茶やお花を長く習っている子など結構そういうの常識、みたいな子が割と世代比で多かったように感じるので、土地柄もあって沢山恥も掻いたしご迷惑もおかけしたと思います(・・;) でも、おかげで各地の風習や日.本古来からの共通する文化、マナーやルールについて学べたこと、知識を得られたことは行っただけ、経験させてもらっただけで余り役には立たないかもしれないけど、自分を豊かにさせてもらった、虚ろな中に大好きな成分を注入していただいた、という意味では良かったのかな、と改めて感じました。
イヤだって餅の木年中挿しっぱなしとか、全国的にはやっぱ無いから!毎年新しく紅白で作るもんだよ、年神様への捧げものだもん基本的に><;餅を手に入れることすら困難な厳しい土地柄ゆえなのか(一応米の産地ですけど)、仙台時間に代表されるルーズさゆえなのか。「験をかつぐ」ってお相撲さんでも浴衣やまわしなんかで「勝ってる時は変えない」とかあると聞きますけど、餅の木はなぁ・・・。あと畳の間は京都の本当に良いお家訪問させてもらった時のお茶室と同じ感覚ですね。子供は絶対に立ち入ってはいけない、喪中の家人の立ち入りも禁止、けれど家の中で最も大事なもの・価値ある宝(掛け軸や壺とか)はそこに残しておく、という。一回その喪中のお宅で覗かせていただいた時に遺言書?見つけてたまげたことあったわ(゜Д゜;) ただの手紙とか、とにかく家人に宛ててのものだと思うからそのまま黙っておきましょう、と先生に言われて慌てて出たけど。長く続く家は本当に大変だ。家のメンテだけじゃなくて庭のお手入れも面倒そうだもん。それでも京都を離れなかった彼らの誇りと義務感には毎度つくづく恐れ入ったね。アイデンティティさすらってる場合じゃないんだ、って。羨ましいけど、自分には無理だとも感じた。ただ、知れたこと、学べたことは確実に自分の意識に影響したし、世界や人間の考え方についての視野が広がったようにも感じる。
日/本って実は結構広いし(というか縦に長いから移動が手間)、基本関所越え禁止の藩制が敷かれたこともあって文化や習俗、言葉や顔つきも地域によって様々なので、国内だけでもアチコチ旅してみると面白いかも。あと色んな地域出身の友達作って話聞くだけで勉強になるし。私、ホントお盆のお馬とか地蔵盆も知らなかったけど、当たり前にやる地域とそうでもない、かたちを変えた祭礼や供物を捧げる地域、お馬作る地域内でも素材や形が違ったり、もちろん盆踊りの調子や型、祭りの囃子の音からして土地によって本当に様々なんですよね(@o@) たぶん地蔵盆やるのは西日.本、あるいは近畿地区周辺だけなのでは?ねぶたの笛持ってったら「どうやって吹くの!?」とビックリされたし、やっぱり京都の節とはテンポや高低、強弱のレベルが異なるのが面白い。初めは違和感あるんですけど、この狭い島一つでここまで色々違いがあるんだ、って発見できるだけでもやっぱり捉え方が変わるし、お金が無いから行けないけど、海外にはもっと色んな文化があって、考え方の人がいるんだろうな、って外に対しての興味も深まる。初めから全部受け入れようとか理解しようと志さないで、それくらいの好奇心からで良いと思うんだよね、何事も。0から100を無理にさせようとするから反発や歪みを生じるのであって・・・ゆるいスピードで曖昧に、「和して融け合う」のがうちらの気質的にも一番良いかたちじゃないかと個人的には考えるのですが、白黒ハッキリ文化の欧米を手本にしてしまっている内は(向こうの思惑からの圧力もあるとはいえ)中々その発想は受け入れにくい世の中になってしまっているのかもしれません。
肥沃な土地で交通の便も良いから人が集まり、人が集まるから争いも起きるわけだけど、やはりそれだけ競争は進歩と豊かさをもたらすのだと。人間、いや生物の業ですね。サバンナは水と草が豊富だから野生動物の楽園だけれど、その中では常に熾烈な弱肉強食の生存競争が繰り広げられている。災害が多く資源もない(あるいは天候に恵まれない)島国の厳しい環境と孤立感の一方で攻められにくい、言い方を変えれば独自の文化を成熟しやすく他国の政情に巻き込まれにくいという利点と、恵まれた土地で最先端の学問・技術・貿易の中心地で多様な文化に接することができるけれども、情勢が不安定で常にどこに付くか見極めないといけない不安定な生活とどちらが良いか、という話なのかな、と。やはり自分の国だけ見ていても人間様全体のこと、世界の歴史や思想の全ては学べない。人間教信者の歴オタとして(笑)色んな地域・国・文化の価値観や歴史はずっと興味を持って知ろうとする努力を続けたいです。私は日.本人にしかなれないし、信仰は持てないから完璧に理解することは無理だと思う。ただ、知識として知り、また目にすることは大事だといつもつくづく感じるから。経済的(あるいはぶっちゃけエジプトなんかは政治的事情から><;)訪問するのは困難そうなので、こういう貴重な機会を地方都市でも堪能できることは本当にありがたいと素直に思う(-人-) ありがとう学芸員の皆さん!
次に行った歴博の大白隠展が爆笑もんだった。何ばーちゃんにホウキで叩かれて悟るって(ノ∀`) 掛け軸の字の配置もマジ適当過ぎるだろ。こんなもんありがたがる庶民を嘲るニヒリスト根性の持ち主だったのか(免罪符に反発したルターさんのごとく。笑)、純粋に面白がる趣味人全開だったのか? あ、今日のハイライトは雪隠=トイレの燈火画+句・・・ではなかったはずなんだけど、友人が涙を流すほどツボっていたのが強く印象に残りました(^ω^) たくさんあった達磨の絵ちゃんと覚えてるかな?かわいいのから迫力ある目力、コミカルな七福神に面白カッコ良い文字アートの原形的なものまで、本当にセンスに溢れていて、彼が現代に生まれていたら赤塚不二夫のような漫画家になっていたかも、と少し妄想してしまいました。
んで、その雪隠の実情(お寺だったからもっと広くて真っ暗で他の僧侶等もいて大変だったでしょうけど)を説明しようと、こちらも久しぶりに覗かせてもらった今野家住宅がスッカリ気合入れて補修されていて、釜神様のレプリカも展示してあり、囲炉裏に火も入って土日だったせいかボランティアガイドの方も複数待機されていてビックリΣ(゜Д゜;) 前来た時は余りやる気なさそうに放置プレイな感じで、古民家好きの私が興奮しまくってズカズカ進みまくったのと干渉を嫌う母の組み合わせでガイドさんいたかもだけど付いて解説とかは無かったんですけど、今日は私と友人が色々食いついたせいかガイドさんが丁寧に案内&解説して下さり、長持ちや引き取っ手?(トトロの家の階段の扉のヤツです)の戸も開け閉めさせてくれたり、果ては仙台箪笥の引き出しの隠し細工部分を開けて見せて下さって大興奮!o(゜∀゜)=3フウフウッ! ラッキーだったわー。
そういえば子供の頃、日.本標準より時間が正直一世代遅れているかもしれないA森共和国(バカにしているわけではなく褒めておりますm(__)m)出身の母の帰省時に曾祖父母が建てた大叔母宅で例の扉の開け閉めも喜んでさせてもらってたなー、と(ちなみにボットン便所の扉でした☆)。徒歩圏内に温泉銭湯があったから既に使われてはいなかったけど、それこそトトロの家仕様のお風呂も「危ないからダメ!」って怒られつつ覗かせてもらってたことなど思い出した((´-`)ウンウン懐かしい。「座敷童のためのお人形部屋」というのもある家で、大叔母に懐いていたこともあり大好きな場所でした。(広いので昔は下宿の方もいたらしく、母の小さい頃に下宿されていたご家族の女の子が亡くなったということもあり、供養のためも兼ねてだったのか、大叔母の趣味だったのかは謎ですが、後で東北の旧家は結構そういう部屋のある家が多い、と聞き、そういえば何も怖いとか不思議だとか感じなかったけど気配とか笑い声聞いたことある気がする、とかね(笑)まぁ今は維持が大変なので残念ながら取り潰して空き地になり、大叔母はアパートに移ってしまったんですけど。
宮城で同居することになった祖父母がクリスチャンで父が無神論者、神棚も仏壇も日/本の伝統的な家屋の仕組みや年中行事にも全くご縁がなく転勤族の多い地域から新興住宅地に新居建てて越してしまった私には、古い家や土着の家系の習俗って昔からとても憧れるんですよ。だから古い農家や古民家見るととりあえず「入りたい!」と騒ぐ子供だったし、こけしが飾ってあって神棚と仏壇があったり、作業場に漬物樽が並んでるようなスペースのあるお宅には本当に興味津々で。京都に行ったり日.本史や民俗学、文化に関心持つようになったのもそのせいかも。ある意味ちょっと外部的な目線で見ているのだけれど、でも自分は日/本人だ、って気持ちもあるから焦りと純粋に好きで知りたいという好奇心が入り混じっている複雑な心理状態(^^;あちらでは元々そういう家庭に育ったから京都でそちらの方面への理解をより深めに来た、とか寺社のお子さん、お茶やお花を長く習っている子など結構そういうの常識、みたいな子が割と世代比で多かったように感じるので、土地柄もあって沢山恥も掻いたしご迷惑もおかけしたと思います(・・;) でも、おかげで各地の風習や日.本古来からの共通する文化、マナーやルールについて学べたこと、知識を得られたことは行っただけ、経験させてもらっただけで余り役には立たないかもしれないけど、自分を豊かにさせてもらった、虚ろな中に大好きな成分を注入していただいた、という意味では良かったのかな、と改めて感じました。
イヤだって餅の木年中挿しっぱなしとか、全国的にはやっぱ無いから!毎年新しく紅白で作るもんだよ、年神様への捧げものだもん基本的に><;餅を手に入れることすら困難な厳しい土地柄ゆえなのか(一応米の産地ですけど)、仙台時間に代表されるルーズさゆえなのか。「験をかつぐ」ってお相撲さんでも浴衣やまわしなんかで「勝ってる時は変えない」とかあると聞きますけど、餅の木はなぁ・・・。あと畳の間は京都の本当に良いお家訪問させてもらった時のお茶室と同じ感覚ですね。子供は絶対に立ち入ってはいけない、喪中の家人の立ち入りも禁止、けれど家の中で最も大事なもの・価値ある宝(掛け軸や壺とか)はそこに残しておく、という。一回その喪中のお宅で覗かせていただいた時に遺言書?見つけてたまげたことあったわ(゜Д゜;) ただの手紙とか、とにかく家人に宛ててのものだと思うからそのまま黙っておきましょう、と先生に言われて慌てて出たけど。長く続く家は本当に大変だ。家のメンテだけじゃなくて庭のお手入れも面倒そうだもん。それでも京都を離れなかった彼らの誇りと義務感には毎度つくづく恐れ入ったね。アイデンティティさすらってる場合じゃないんだ、って。羨ましいけど、自分には無理だとも感じた。ただ、知れたこと、学べたことは確実に自分の意識に影響したし、世界や人間の考え方についての視野が広がったようにも感じる。
日/本って実は結構広いし(というか縦に長いから移動が手間)、基本関所越え禁止の藩制が敷かれたこともあって文化や習俗、言葉や顔つきも地域によって様々なので、国内だけでもアチコチ旅してみると面白いかも。あと色んな地域出身の友達作って話聞くだけで勉強になるし。私、ホントお盆のお馬とか地蔵盆も知らなかったけど、当たり前にやる地域とそうでもない、かたちを変えた祭礼や供物を捧げる地域、お馬作る地域内でも素材や形が違ったり、もちろん盆踊りの調子や型、祭りの囃子の音からして土地によって本当に様々なんですよね(@o@) たぶん地蔵盆やるのは西日.本、あるいは近畿地区周辺だけなのでは?ねぶたの笛持ってったら「どうやって吹くの!?」とビックリされたし、やっぱり京都の節とはテンポや高低、強弱のレベルが異なるのが面白い。初めは違和感あるんですけど、この狭い島一つでここまで色々違いがあるんだ、って発見できるだけでもやっぱり捉え方が変わるし、お金が無いから行けないけど、海外にはもっと色んな文化があって、考え方の人がいるんだろうな、って外に対しての興味も深まる。初めから全部受け入れようとか理解しようと志さないで、それくらいの好奇心からで良いと思うんだよね、何事も。0から100を無理にさせようとするから反発や歪みを生じるのであって・・・ゆるいスピードで曖昧に、「和して融け合う」のがうちらの気質的にも一番良いかたちじゃないかと個人的には考えるのですが、白黒ハッキリ文化の欧米を手本にしてしまっている内は(向こうの思惑からの圧力もあるとはいえ)中々その発想は受け入れにくい世の中になってしまっているのかもしれません。
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肥沃な土地で交通の便も良いから人が集まり、人が集まるから争いも起きるわけだけど、やはりそれだけ競争は進歩と豊かさをもたらすのだと。人間、いや生物の業ですね。サバンナは水と草が豊富だから野生動物の楽園だけれど、その中では常に熾烈な弱肉強食の生存競争が繰り広げられている。災害が多く資源もない(あるいは天候に恵まれない)島国の厳しい環境と孤立感の一方で攻められにくい、言い方を変えれば独自の文化を成熟しやすく他国の政情に巻き込まれにくいという利点と、恵まれた土地で最先端の学問・技術・貿易の中心地で多様な文化に接することができるけれども、情勢が不安定で常にどこに付くか見極めないといけない不安定な生活とどちらが良いか、という話なのかな、と。やはり自分の国だけ見ていても人間様全体のこと、世界の歴史や思想の全ては学べない。人間教信者の歴オタとして(笑)色んな地域・国・文化の価値観や歴史はずっと興味を持って知ろうとする努力を続けたいです。私は日.本人にしかなれないし、信仰は持てないから完璧に理解することは無理だと思う。ただ、知識として知り、また目にすることは大事だといつもつくづく感じるから。経済的(あるいはぶっちゃけエジプトなんかは政治的事情から><;)訪問するのは困難そうなので、こういう貴重な機会を地方都市でも堪能できることは本当にありがたいと素直に思う(-人-) ありがとう学芸員の皆さん!
次に行った歴博の大白隠展が爆笑もんだった。何ばーちゃんにホウキで叩かれて悟るって(ノ∀`) 掛け軸の字の配置もマジ適当過ぎるだろ。こんなもんありがたがる庶民を嘲るニヒリスト根性の持ち主だったのか(免罪符に反発したルターさんのごとく。笑)、純粋に面白がる趣味人全開だったのか? あ、今日のハイライトは雪隠=トイレの燈火画+句・・・ではなかったはずなんだけど、友人が涙を流すほどツボっていたのが強く印象に残りました(^ω^) たくさんあった達磨の絵ちゃんと覚えてるかな?かわいいのから迫力ある目力、コミカルな七福神に面白カッコ良い文字アートの原形的なものまで、本当にセンスに溢れていて、彼が現代に生まれていたら赤塚不二夫のような漫画家になっていたかも、と少し妄想してしまいました。
んで、その雪隠の実情(お寺だったからもっと広くて真っ暗で他の僧侶等もいて大変だったでしょうけど)を説明しようと、こちらも久しぶりに覗かせてもらった今野家住宅がスッカリ気合入れて補修されていて、釜神様のレプリカも展示してあり、囲炉裏に火も入って土日だったせいかボランティアガイドの方も複数待機されていてビックリΣ(゜Д゜;) 前来た時は余りやる気なさそうに放置プレイな感じで、古民家好きの私が興奮しまくってズカズカ進みまくったのと干渉を嫌う母の組み合わせでガイドさんいたかもだけど付いて解説とかは無かったんですけど、今日は私と友人が色々食いついたせいかガイドさんが丁寧に案内&解説して下さり、長持ちや引き取っ手?(トトロの家の階段の扉のヤツです)の戸も開け閉めさせてくれたり、果ては仙台箪笥の引き出しの隠し細工部分を開けて見せて下さって大興奮!o(゜∀゜)=3フウフウッ! ラッキーだったわー。
そういえば子供の頃、日.本標準より時間が正直一世代遅れているかもしれないA森共和国(バカにしているわけではなく褒めておりますm(__)m)出身の母の帰省時に曾祖父母が建てた大叔母宅で例の扉の開け閉めも喜んでさせてもらってたなー、と(ちなみにボットン便所の扉でした☆)。徒歩圏内に温泉銭湯があったから既に使われてはいなかったけど、それこそトトロの家仕様のお風呂も「危ないからダメ!」って怒られつつ覗かせてもらってたことなど思い出した((´-`)ウンウン懐かしい。「座敷童のためのお人形部屋」というのもある家で、大叔母に懐いていたこともあり大好きな場所でした。(広いので昔は下宿の方もいたらしく、母の小さい頃に下宿されていたご家族の女の子が亡くなったということもあり、供養のためも兼ねてだったのか、大叔母の趣味だったのかは謎ですが、後で東北の旧家は結構そういう部屋のある家が多い、と聞き、そういえば何も怖いとか不思議だとか感じなかったけど気配とか笑い声聞いたことある気がする、とかね(笑)まぁ今は維持が大変なので残念ながら取り潰して空き地になり、大叔母はアパートに移ってしまったんですけど。
宮城で同居することになった祖父母がクリスチャンで父が無神論者、神棚も仏壇も日/本の伝統的な家屋の仕組みや年中行事にも全くご縁がなく転勤族の多い地域から新興住宅地に新居建てて越してしまった私には、古い家や土着の家系の習俗って昔からとても憧れるんですよ。だから古い農家や古民家見るととりあえず「入りたい!」と騒ぐ子供だったし、こけしが飾ってあって神棚と仏壇があったり、作業場に漬物樽が並んでるようなスペースのあるお宅には本当に興味津々で。京都に行ったり日.本史や民俗学、文化に関心持つようになったのもそのせいかも。ある意味ちょっと外部的な目線で見ているのだけれど、でも自分は日/本人だ、って気持ちもあるから焦りと純粋に好きで知りたいという好奇心が入り混じっている複雑な心理状態(^^;あちらでは元々そういう家庭に育ったから京都でそちらの方面への理解をより深めに来た、とか寺社のお子さん、お茶やお花を長く習っている子など結構そういうの常識、みたいな子が割と世代比で多かったように感じるので、土地柄もあって沢山恥も掻いたしご迷惑もおかけしたと思います(・・;) でも、おかげで各地の風習や日.本古来からの共通する文化、マナーやルールについて学べたこと、知識を得られたことは行っただけ、経験させてもらっただけで余り役には立たないかもしれないけど、自分を豊かにさせてもらった、虚ろな中に大好きな成分を注入していただいた、という意味では良かったのかな、と改めて感じました。
イヤだって餅の木年中挿しっぱなしとか、全国的にはやっぱ無いから!毎年新しく紅白で作るもんだよ、年神様への捧げものだもん基本的に><;餅を手に入れることすら困難な厳しい土地柄ゆえなのか(一応米の産地ですけど)、仙台時間に代表されるルーズさゆえなのか。「験をかつぐ」ってお相撲さんでも浴衣やまわしなんかで「勝ってる時は変えない」とかあると聞きますけど、餅の木はなぁ・・・。あと畳の間は京都の本当に良いお家訪問させてもらった時のお茶室と同じ感覚ですね。子供は絶対に立ち入ってはいけない、喪中の家人の立ち入りも禁止、けれど家の中で最も大事なもの・価値ある宝(掛け軸や壺とか)はそこに残しておく、という。一回その喪中のお宅で覗かせていただいた時に遺言書?見つけてたまげたことあったわ(゜Д゜;) ただの手紙とか、とにかく家人に宛ててのものだと思うからそのまま黙っておきましょう、と先生に言われて慌てて出たけど。長く続く家は本当に大変だ。家のメンテだけじゃなくて庭のお手入れも面倒そうだもん。それでも京都を離れなかった彼らの誇りと義務感には毎度つくづく恐れ入ったね。アイデンティティさすらってる場合じゃないんだ、って。羨ましいけど、自分には無理だとも感じた。ただ、知れたこと、学べたことは確実に自分の意識に影響したし、世界や人間の考え方についての視野が広がったようにも感じる。
日/本って実は結構広いし(というか縦に長いから移動が手間)、基本関所越え禁止の藩制が敷かれたこともあって文化や習俗、言葉や顔つきも地域によって様々なので、国内だけでもアチコチ旅してみると面白いかも。あと色んな地域出身の友達作って話聞くだけで勉強になるし。私、ホントお盆のお馬とか地蔵盆も知らなかったけど、当たり前にやる地域とそうでもない、かたちを変えた祭礼や供物を捧げる地域、お馬作る地域内でも素材や形が違ったり、もちろん盆踊りの調子や型、祭りの囃子の音からして土地によって本当に様々なんですよね(@o@) たぶん地蔵盆やるのは西日.本、あるいは近畿地区周辺だけなのでは?ねぶたの笛持ってったら「どうやって吹くの!?」とビックリされたし、やっぱり京都の節とはテンポや高低、強弱のレベルが異なるのが面白い。初めは違和感あるんですけど、この狭い島一つでここまで色々違いがあるんだ、って発見できるだけでもやっぱり捉え方が変わるし、お金が無いから行けないけど、海外にはもっと色んな文化があって、考え方の人がいるんだろうな、って外に対しての興味も深まる。初めから全部受け入れようとか理解しようと志さないで、それくらいの好奇心からで良いと思うんだよね、何事も。0から100を無理にさせようとするから反発や歪みを生じるのであって・・・ゆるいスピードで曖昧に、「和して融け合う」のがうちらの気質的にも一番良いかたちじゃないかと個人的には考えるのですが、白黒ハッキリ文化の欧米を手本にしてしまっている内は(向こうの思惑からの圧力もあるとはいえ)中々その発想は受け入れにくい世の中になってしまっているのかもしれません。
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