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車出してくれたり泊めてくれた皆様に感謝m(__)m
1発目、大樹寺~!歴代将軍意外とちっさかったのね・・・Σ(゜Д゜)
ファースト味噌煮込みうどん(^p^)ちゃんと出汁の味が利いてておいしかった!
名古屋城
堀の生き物豊富すぎワロタ。
やつぱ鯱さんや((o( ̄ー ̄)o))
わかりやすくおのぼりスポットサンシャイン(笑)
きっしめ~ん☆
ホント愛知めしって味濃いイメージあったんですけど、濃さの方向性が全く違って偏見が覆されました(-_-;) 中仙道でも愛知でも、食べられるものが限られてる現状が申し訳ない・・・と感じることしきりでしたが、日本の食文化の多様性と旅の楽しさ、十分に味わえた素敵な4日間でした。歴オタパラダイスな東海地方、またぜひ行ってみたいです!(o^O^o)
離れた場所、非日常の中でようやく父の死を実感できた気がした。友人のお父様に会ったり、父が亡くなったことを話したり。生前から彼の話をしてきた人たちにそれを直接打ち明けられたこと。彼のルーツのある土地で、彼の一族が信仰する宗教の方に出会えたこと。私は、自分の根がわからないことがコンプレックスだった。当たり前の、普通の日本人になりたくて知りたくて必死だった。平野ではなく、住みづらい山地に必死で田畑を作り風習と故郷を守り続ける人々の姿に『楢山節考』とか山林が国土の7割以上を占めるこの国の原風景とその生活の厳しさを思い知った。憧れていたものの正体が何だったのか。7割の山林のためにどれだけの人が犠牲になり、努力の元に「里山」や「宿場町」を守り続けてきたのか。観光地化が十分に進んでいる中仙道ですらあの有り様。藤村はよくこんな僻地まで来た(*_*; 日本人は強いと思う。凄いと思う。理不尽に従い、それが結果として地域を活かすことに繋がっている。素晴らしい木と山と水の景色。水田が広がる平野育ちのコンプレックス、「家 」の伝統的なやり方を知らないコンプレックス。宗教も思想も全く理解できないけれど、切ないまでの必死な想いはどの方面からも伝わってくる。わからないことが悔しい。知らないことが苦しい。羨ましい。大好き。どう捉えて、形容して良いかわからない。圧倒される、そこに生きてきた人々と通り抜けてきた人々の想いに。自分は何て薄っぺらなんだろう。父が生きていたら。お土産あげたかった。感じたことを伝えたかった。もう叶わないけど、その土地で父より早死にした人はいっぱいいただろう。混乱する。どう捉えて良いかわからない。でも、もういないこともお土産を渡せないことも、やたら友人たちに父の話をしてしまう自分にも気づいた。そして帰って来た母の機嫌の悪さ(^-^; 結局代わりに弟が行ってくれたから、私は私で楽しんでいるアピールのメールすらウザくて困ったと言われた。二人で楽しみにしていた集まりで、父が逝ってしまった後も性別比一緒にしてほしかったから弟と母が心置きなく参加できるように金銭と体調的に厳しくても無理やり旅行組んだのに。苦しい。何やっても空回りみたい。母は(私と合わなさすぎるから)妹の嫁ぎ先についていきたがってるし、でも向こうはお義母さんもいて絶対迷惑だろうからそんなことさせられないし、でもこのままじゃ転職活動なんかできるわけない。死にたい。やっぱそれしか考えられない。一通り会いたい人に会って巡れるだけのとこ行ったら終わりにしたい。もういい。沢山。もう無理。何をやっても上手くいかない。生まれてきたことが申し訳ない。関わって面倒見てくれた友人知人勤務先に迷惑をかけることだけが心配。存在をなかったことにしてほしい。何で存在しちゃったのか、息し続けないといけないのか本気で謎。どうすれば良いんだろう。還りたい。死にたい。無になりたい。
追記
やっと実感できた=現実として直視できたのが今だから、まだまだ全然受け入れられていないことも乗り越えられていないことも改めて学んだ。何で死んだの、ってずっと思い続けている。嘘だって泣いて叫びたい。何でこんな短期間で色々忘れかけてんの。私ただ単に逃げてただけだ。向き合うの怖かった。自分が何もかも崩れちゃって仕事にも行けなくなる。気持ち悪い。吐きそう。お腹痛い。泣きたい。死亡の連絡なんか取りたくない。近い歳の人も、彼より何十年も生きた人のも。自信がない。マトモな精神でいられるか、電話口で発作や嗚咽しちゃわないか。限界だよ、限界、限界・・・でも母は(以下略)母のせいにしてるだけなんだろうか。どうすれば良いかわからない。死にたい。一昔前の木曽路もしくは東北の寒村に住んでた人よりよっぽどマシな生活なんだとはわかってる。でももういい。終わりたい。人の皮から解放されたい。終わりたい。
ファースト味噌煮込みうどん(^p^)ちゃんと出汁の味が利いてておいしかった!
名古屋城
堀の生き物豊富すぎワロタ。
やつぱ鯱さんや((o( ̄ー ̄)o))
わかりやすくおのぼりスポットサンシャイン(笑)
きっしめ~ん☆
ホント愛知めしって味濃いイメージあったんですけど、濃さの方向性が全く違って偏見が覆されました(-_-;) 中仙道でも愛知でも、食べられるものが限られてる現状が申し訳ない・・・と感じることしきりでしたが、日本の食文化の多様性と旅の楽しさ、十分に味わえた素敵な4日間でした。歴オタパラダイスな東海地方、またぜひ行ってみたいです!(o^O^o)
離れた場所、非日常の中でようやく父の死を実感できた気がした。友人のお父様に会ったり、父が亡くなったことを話したり。生前から彼の話をしてきた人たちにそれを直接打ち明けられたこと。彼のルーツのある土地で、彼の一族が信仰する宗教の方に出会えたこと。私は、自分の根がわからないことがコンプレックスだった。当たり前の、普通の日本人になりたくて知りたくて必死だった。平野ではなく、住みづらい山地に必死で田畑を作り風習と故郷を守り続ける人々の姿に『楢山節考』とか山林が国土の7割以上を占めるこの国の原風景とその生活の厳しさを思い知った。憧れていたものの正体が何だったのか。7割の山林のためにどれだけの人が犠牲になり、努力の元に「里山」や「宿場町」を守り続けてきたのか。観光地化が十分に進んでいる中仙道ですらあの有り様。藤村はよくこんな僻地まで来た(*_*; 日本人は強いと思う。凄いと思う。理不尽に従い、それが結果として地域を活かすことに繋がっている。素晴らしい木と山と水の景色。水田が広がる平野育ちのコンプレックス、「家 」の伝統的なやり方を知らないコンプレックス。宗教も思想も全く理解できないけれど、切ないまでの必死な想いはどの方面からも伝わってくる。わからないことが悔しい。知らないことが苦しい。羨ましい。大好き。どう捉えて、形容して良いかわからない。圧倒される、そこに生きてきた人々と通り抜けてきた人々の想いに。自分は何て薄っぺらなんだろう。父が生きていたら。お土産あげたかった。感じたことを伝えたかった。もう叶わないけど、その土地で父より早死にした人はいっぱいいただろう。混乱する。どう捉えて良いかわからない。でも、もういないこともお土産を渡せないことも、やたら友人たちに父の話をしてしまう自分にも気づいた。そして帰って来た母の機嫌の悪さ(^-^; 結局代わりに弟が行ってくれたから、私は私で楽しんでいるアピールのメールすらウザくて困ったと言われた。二人で楽しみにしていた集まりで、父が逝ってしまった後も性別比一緒にしてほしかったから弟と母が心置きなく参加できるように金銭と体調的に厳しくても無理やり旅行組んだのに。苦しい。何やっても空回りみたい。母は(私と合わなさすぎるから)妹の嫁ぎ先についていきたがってるし、でも向こうはお義母さんもいて絶対迷惑だろうからそんなことさせられないし、でもこのままじゃ転職活動なんかできるわけない。死にたい。やっぱそれしか考えられない。一通り会いたい人に会って巡れるだけのとこ行ったら終わりにしたい。もういい。沢山。もう無理。何をやっても上手くいかない。生まれてきたことが申し訳ない。関わって面倒見てくれた友人知人勤務先に迷惑をかけることだけが心配。存在をなかったことにしてほしい。何で存在しちゃったのか、息し続けないといけないのか本気で謎。どうすれば良いんだろう。還りたい。死にたい。無になりたい。
追記
やっと実感できた=現実として直視できたのが今だから、まだまだ全然受け入れられていないことも乗り越えられていないことも改めて学んだ。何で死んだの、ってずっと思い続けている。嘘だって泣いて叫びたい。何でこんな短期間で色々忘れかけてんの。私ただ単に逃げてただけだ。向き合うの怖かった。自分が何もかも崩れちゃって仕事にも行けなくなる。気持ち悪い。吐きそう。お腹痛い。泣きたい。死亡の連絡なんか取りたくない。近い歳の人も、彼より何十年も生きた人のも。自信がない。マトモな精神でいられるか、電話口で発作や嗚咽しちゃわないか。限界だよ、限界、限界・・・でも母は(以下略)母のせいにしてるだけなんだろうか。どうすれば良いかわからない。死にたい。一昔前の木曽路もしくは東北の寒村に住んでた人よりよっぽどマシな生活なんだとはわかってる。でももういい。終わりたい。人の皮から解放されたい。終わりたい。
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ファースト味噌煮込みうどん(^p^)ちゃんと出汁の味が利いてておいしかった!
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わかりやすくおのぼりスポットサンシャイン(笑)
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ホント愛知めしって味濃いイメージあったんですけど、濃さの方向性が全く違って偏見が覆されました(-_-;) 中仙道でも愛知でも、食べられるものが限られてる現状が申し訳ない・・・と感じることしきりでしたが、日本の食文化の多様性と旅の楽しさ、十分に味わえた素敵な4日間でした。歴オタパラダイスな東海地方、またぜひ行ってみたいです!(o^O^o)
離れた場所、非日常の中でようやく父の死を実感できた気がした。友人のお父様に会ったり、父が亡くなったことを話したり。生前から彼の話をしてきた人たちにそれを直接打ち明けられたこと。彼のルーツのある土地で、彼の一族が信仰する宗教の方に出会えたこと。私は、自分の根がわからないことがコンプレックスだった。当たり前の、普通の日本人になりたくて知りたくて必死だった。平野ではなく、住みづらい山地に必死で田畑を作り風習と故郷を守り続ける人々の姿に『楢山節考』とか山林が国土の7割以上を占めるこの国の原風景とその生活の厳しさを思い知った。憧れていたものの正体が何だったのか。7割の山林のためにどれだけの人が犠牲になり、努力の元に「里山」や「宿場町」を守り続けてきたのか。観光地化が十分に進んでいる中仙道ですらあの有り様。藤村はよくこんな僻地まで来た(*_*; 日本人は強いと思う。凄いと思う。理不尽に従い、それが結果として地域を活かすことに繋がっている。素晴らしい木と山と水の景色。水田が広がる平野育ちのコンプレックス、「家 」の伝統的なやり方を知らないコンプレックス。宗教も思想も全く理解できないけれど、切ないまでの必死な想いはどの方面からも伝わってくる。わからないことが悔しい。知らないことが苦しい。羨ましい。大好き。どう捉えて、形容して良いかわからない。圧倒される、そこに生きてきた人々と通り抜けてきた人々の想いに。自分は何て薄っぺらなんだろう。父が生きていたら。お土産あげたかった。感じたことを伝えたかった。もう叶わないけど、その土地で父より早死にした人はいっぱいいただろう。混乱する。どう捉えて良いかわからない。でも、もういないこともお土産を渡せないことも、やたら友人たちに父の話をしてしまう自分にも気づいた。そして帰って来た母の機嫌の悪さ(^-^; 結局代わりに弟が行ってくれたから、私は私で楽しんでいるアピールのメールすらウザくて困ったと言われた。二人で楽しみにしていた集まりで、父が逝ってしまった後も性別比一緒にしてほしかったから弟と母が心置きなく参加できるように金銭と体調的に厳しくても無理やり旅行組んだのに。苦しい。何やっても空回りみたい。母は(私と合わなさすぎるから)妹の嫁ぎ先についていきたがってるし、でも向こうはお義母さんもいて絶対迷惑だろうからそんなことさせられないし、でもこのままじゃ転職活動なんかできるわけない。死にたい。やっぱそれしか考えられない。一通り会いたい人に会って巡れるだけのとこ行ったら終わりにしたい。もういい。沢山。もう無理。何をやっても上手くいかない。生まれてきたことが申し訳ない。関わって面倒見てくれた友人知人勤務先に迷惑をかけることだけが心配。存在をなかったことにしてほしい。何で存在しちゃったのか、息し続けないといけないのか本気で謎。どうすれば良いんだろう。還りたい。死にたい。無になりたい。
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やっと実感できた=現実として直視できたのが今だから、まだまだ全然受け入れられていないことも乗り越えられていないことも改めて学んだ。何で死んだの、ってずっと思い続けている。嘘だって泣いて叫びたい。何でこんな短期間で色々忘れかけてんの。私ただ単に逃げてただけだ。向き合うの怖かった。自分が何もかも崩れちゃって仕事にも行けなくなる。気持ち悪い。吐きそう。お腹痛い。泣きたい。死亡の連絡なんか取りたくない。近い歳の人も、彼より何十年も生きた人のも。自信がない。マトモな精神でいられるか、電話口で発作や嗚咽しちゃわないか。限界だよ、限界、限界・・・でも母は(以下略)母のせいにしてるだけなんだろうか。どうすれば良いかわからない。死にたい。一昔前の木曽路もしくは東北の寒村に住んでた人よりよっぽどマシな生活なんだとはわかってる。でももういい。終わりたい。人の皮から解放されたい。終わりたい。
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