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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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違う世界に来てしまっただけで、どっかで別にあの前の世界が続いている感覚でいる。考えたくないし余所者はうるさいほっとけと思う。どんなに寒かったか、神も仏も無いと感じたか、みんな死んでると考えた恐怖。死んだ人が感じただろう苦しみ。できることはなかったかと想像しても、時間を遡ったところで何ができたとも思えない。『君の名は』みたいな奇跡なんて起こせないからファンタジーとして成り立つんですよね。あの後も沢山死んで失った。風化させたくないと思わない。特に原発勢などは電気代値上がりに苦しむ庶民として本当に黙ってほしい。T電と我関せずな管轄の民、最近こんなに離れた場所に迷惑施設作ろうとしてるK電は許さないけど。余り愛着の無い生まれ育っただけの場所でも、居合わせてしまったし知っているから。今の仕事で子供や若い人死んだ話聞くだけで声が震えそうになる。でもあの時は知っている人が年齢も出ている死亡者の名前を涙を堪えながらずっと読み上げ続けていた。同級生は仕事行ってて助かった世代なんですよ。春休み謳歌してた子たちと年寄りと自営業と、家にいた人達、そういう世代が亡くなったわけ。妹の世代や親やおじいちゃんおばあちゃんが。街ごと消えてるのに何て声かければ良いのよ。具体的なことを聞くともっと悲惨です。話だけでうなされそう。だから考えない。弱いので。ガチの被災地に妹が嫁いでから、余計に現実を生きているその家族の姿を見て、そこまでメディアが毎年毎年大げさに好きなストーリー作って一々取り上げるようなことだろうか、と感じるようになった。必死に押し込んで生きてる人達に1番嫌な記憶引きずり出させて踏みにじる行為では? 
社会復帰後は毎年普通に出勤して仕事してます。今日も。一々発生時刻に時間取って黙祷できるような仕事じゃない。「皆さんにとって忘れられない日だと思います。業務中ですが心の中で祈りを捧げて下さい」って同僚の言葉に、あーそれして良いんだ、ってハッとした。毎年それどころじゃなかったし、結局今日もそうだったんだけど。(眠気と花粉のせいもあった) よく知りもしない人に想像で踏み込まれ物語化されるより、風化の方が良いです。そこに住む人が忘れなかったらそれで良いのでは? その後もあちこちでたくさん災害あったけど、他地方の人何も見てないし学んでないじゃん。うちら東京やられたと思ったから、原発のニュースも聞いてもうここで終わると思って覚悟したよ。どうしようもなかったからある物分け合うしかなかった。北関東の人とかメッチャ騒いでたらしいけど、その頃こっちはTwitterもできなかった。備蓄以外の食料がなかった。どうして九州も毎年台風とかも来るのに何も備えずに声だけでかいのか。関西も大好きだけどそう。北海道と東北の蝦夷が最初から中央から見放された歴史あるだけに比較的マシなのかも。あー、この季節何もかもうるさい。ヘリ飛ばすなもう何もないんだから。ほっといてほしい。

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