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二年ほど前に亡くなった祖父との思い出話です。
何か葬式の式次第を見つけたら色々バーッと蘇ってきちゃって・・・。
あの時、父の涙を初めて見ました。
その頃私は地元を離れており、祖父の容体が悪くなっていく様子を
目の当たりにはしていなくて・・・でも亡くなったのはたまたまこっちに
帰ってきてるときだったんです。
(しかも友達が遊びに来てた・・・あの時は本当にごめんなさいm(__)m)
北国育ちで何よりも白い雪景色を愛した祖父らしく、3月だというのに
寒々しい真っ白な雪に覆われた日のお葬式で、私自身初めてキリスト教の
お葬式に出たこともあり、色んな意味で衝撃的でした。
あの、花を手向けるというスタイルはいいですね。
焼香より気楽だし何だか明るい。
「天国でのあなたの人生も花に溢れたものでありますように」
という願いが込められている気がします。
画集の話と、祖父が本当は画家になりたかった話は事実で、
今でも私がずっと後悔してしまっていることでもあります。
小学生の頃、何故か下手くそながらに何度か絵の賞をいただいたとき、
誰よりも喜んでくれたのは祖父でした。
私は見たものをありのままにしか描けず、キラキラ目の可愛い女の子とかが
一切描けなかったので、周りの女の子たちのお絵かきに混ざると
いつも馬鹿にされていたんですね。
そんな私の絵を、唯一誉めてくれたのが祖父でした。
きっと、周りの方にとっての祖父は「厳格なクリスチャンの教師」
というイメージが強かったと思うんですが、私にとっての祖父は
「ロマンチストな芸術家肌」という印象が強く残っています。
(何たって夢二に憧れるくらいだから・・・)
若いころの祖父は結核で兵役を免れたものの、生活のために
師範学校に入り、教師となるしか生きる術がなかった、と聞いています。
その後、管理職に就くために(笑)壮年に差し掛かってから
通信制の大学を受講し、卒業。そのとき随分役立った、
という古文書全集は有難く受け取らせていただきました(^^;
あとはモンテーニュの随想録とか、島崎藤村の『破戒』はちゃんと
受け取ったなぁ・・・表紙やカバーが取れてボロボロになったやつ(笑)
きっと若いときから、きちんと学問を学んでみたい気持ちもあったんでしょうね。
孫がこんなへたれてる有様を考えると土下座して謝りたくなります・・・orz
大好きな、大好きなおじいちゃんだったのに、画集の件を含め晩年は
ちっとも優しくできなかったんじゃないか、といつも悔やんできました。
これを書いたことで一区切りをつけ、いつかきちんとしたかたちで
おじいちゃんの大事な画集を受け継げるように前向きに頑張っていきたいなー、
と気持ちを切り替えることができれば、と思います。
夜中に超私小説的なネタを上げてどうも申し訳ありませんでしたm(__)m
あの時、父の涙を初めて見ました。
その頃私は地元を離れており、祖父の容体が悪くなっていく様子を
目の当たりにはしていなくて・・・でも亡くなったのはたまたまこっちに
帰ってきてるときだったんです。
(しかも友達が遊びに来てた・・・あの時は本当にごめんなさいm(__)m)
北国育ちで何よりも白い雪景色を愛した祖父らしく、3月だというのに
寒々しい真っ白な雪に覆われた日のお葬式で、私自身初めてキリスト教の
お葬式に出たこともあり、色んな意味で衝撃的でした。
あの、花を手向けるというスタイルはいいですね。
焼香より気楽だし何だか明るい。
「天国でのあなたの人生も花に溢れたものでありますように」
という願いが込められている気がします。
画集の話と、祖父が本当は画家になりたかった話は事実で、
今でも私がずっと後悔してしまっていることでもあります。
小学生の頃、何故か下手くそながらに何度か絵の賞をいただいたとき、
誰よりも喜んでくれたのは祖父でした。
私は見たものをありのままにしか描けず、キラキラ目の可愛い女の子とかが
一切描けなかったので、周りの女の子たちのお絵かきに混ざると
いつも馬鹿にされていたんですね。
そんな私の絵を、唯一誉めてくれたのが祖父でした。
きっと、周りの方にとっての祖父は「厳格なクリスチャンの教師」
というイメージが強かったと思うんですが、私にとっての祖父は
「ロマンチストな芸術家肌」という印象が強く残っています。
(何たって夢二に憧れるくらいだから・・・)
若いころの祖父は結核で兵役を免れたものの、生活のために
師範学校に入り、教師となるしか生きる術がなかった、と聞いています。
その後、管理職に就くために(笑)壮年に差し掛かってから
通信制の大学を受講し、卒業。そのとき随分役立った、
という古文書全集は有難く受け取らせていただきました(^^;
あとはモンテーニュの随想録とか、島崎藤村の『破戒』はちゃんと
受け取ったなぁ・・・表紙やカバーが取れてボロボロになったやつ(笑)
きっと若いときから、きちんと学問を学んでみたい気持ちもあったんでしょうね。
孫がこんなへたれてる有様を考えると土下座して謝りたくなります・・・orz
大好きな、大好きなおじいちゃんだったのに、画集の件を含め晩年は
ちっとも優しくできなかったんじゃないか、といつも悔やんできました。
これを書いたことで一区切りをつけ、いつかきちんとしたかたちで
おじいちゃんの大事な画集を受け継げるように前向きに頑張っていきたいなー、
と気持ちを切り替えることができれば、と思います。
夜中に超私小説的なネタを上げてどうも申し訳ありませんでしたm(__)m
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あの時、父の涙を初めて見ました。
その頃私は地元を離れており、祖父の容体が悪くなっていく様子を
目の当たりにはしていなくて・・・でも亡くなったのはたまたまこっちに
帰ってきてるときだったんです。
(しかも友達が遊びに来てた・・・あの時は本当にごめんなさいm(__)m)
北国育ちで何よりも白い雪景色を愛した祖父らしく、3月だというのに
寒々しい真っ白な雪に覆われた日のお葬式で、私自身初めてキリスト教の
お葬式に出たこともあり、色んな意味で衝撃的でした。
あの、花を手向けるというスタイルはいいですね。
焼香より気楽だし何だか明るい。
「天国でのあなたの人生も花に溢れたものでありますように」
という願いが込められている気がします。
画集の話と、祖父が本当は画家になりたかった話は事実で、
今でも私がずっと後悔してしまっていることでもあります。
小学生の頃、何故か下手くそながらに何度か絵の賞をいただいたとき、
誰よりも喜んでくれたのは祖父でした。
私は見たものをありのままにしか描けず、キラキラ目の可愛い女の子とかが
一切描けなかったので、周りの女の子たちのお絵かきに混ざると
いつも馬鹿にされていたんですね。
そんな私の絵を、唯一誉めてくれたのが祖父でした。
きっと、周りの方にとっての祖父は「厳格なクリスチャンの教師」
というイメージが強かったと思うんですが、私にとっての祖父は
「ロマンチストな芸術家肌」という印象が強く残っています。
(何たって夢二に憧れるくらいだから・・・)
若いころの祖父は結核で兵役を免れたものの、生活のために
師範学校に入り、教師となるしか生きる術がなかった、と聞いています。
その後、管理職に就くために(笑)壮年に差し掛かってから
通信制の大学を受講し、卒業。そのとき随分役立った、
という古文書全集は有難く受け取らせていただきました(^^;
あとはモンテーニュの随想録とか、島崎藤村の『破戒』はちゃんと
受け取ったなぁ・・・表紙やカバーが取れてボロボロになったやつ(笑)
きっと若いときから、きちんと学問を学んでみたい気持ちもあったんでしょうね。
孫がこんなへたれてる有様を考えると土下座して謝りたくなります・・・orz
大好きな、大好きなおじいちゃんだったのに、画集の件を含め晩年は
ちっとも優しくできなかったんじゃないか、といつも悔やんできました。
これを書いたことで一区切りをつけ、いつかきちんとしたかたちで
おじいちゃんの大事な画集を受け継げるように前向きに頑張っていきたいなー、
と気持ちを切り替えることができれば、と思います。
夜中に超私小説的なネタを上げてどうも申し訳ありませんでしたm(__)m
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