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掌編。古代エジプト王ツタンカーメンとその正妃アンケセナーメン。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「まぁ、何てお可愛らしい。まるでお人形のような王(ファラオ)とお妃様でいらっしゃること」
わずか九つで即位した夫と、その二つ年上の正妃であるわたくしは、皆によくそう称された。
「どうぞ、これをお納め下さい。ファラオと妃殿下のお二人にふさわしく、本物の金と宝石をあしらった玩具にございます」
あれはいつのことだったか、重臣の一人が差し出したその“ままごと道具”を、わたくしは怒りに任せて床に投げつけてしまったことがあった。
「アンケセナーメン、どうしたの? この女の子の人形、君にとてもよく似ている。こちらの男の子の人形は、僕そっくりだ。本物の金でできた玉座までついて、本当に素敵な贈り物じゃないか」
わたくしはファラオよりも二才年長だ。既にそれなりの自我も、誇りも芽生えつつある時期を迎えていた。だから、その贈り物が許せなかったのだ。ニヤニヤと下卑た表情(かお)で他人(ひと)を小馬鹿にした嗤いを浮かべながらわたくしたちにそれを差し出したあの男が。“玩具”と称される、その贈り物自体が!
「ファラオは悔しくないのですか!? その人形がわたくしたちに似ているのは当たり前です! あの男はわたくしたちを馬鹿にして、揶揄するためにそれを作らせたのです! この偉大なるエジプトのファラオと妃でありながら傀儡も同然のままごと夫婦、そのように侮辱しているのですよ!?」
そう叫んだわたくしに、ファラオはどこか寂しそうに俯き、人形を手に静かに部屋を出て行った。
「ファラオ、お待ちください、ファラオ!」
少し言葉が過ぎたことに気づき、慌ててその背中を追ったわたくしが辿り着いたのは、王宮の一角にある矢車草の花畑だった。
「ああ、アンケセナーメン」
ファラオはわたくしの姿を認めると、嬉しそうに顔をほころばせて名を呼んだ。
「ファラオ……何をなさっておいでなのですか?」
一心に花を摘み、何かをこしらえているらしいファラオの手元をそっと覗きこむと、そこには小さな小さな、可愛らしい花輪が出来上がっていた。
「ほら、こうして花で飾ってあげたら、人形の表情がどこか和らいで見えないかい? 君は、人形に魂は宿らないと考えているかもしれないけれど、僕はそうは思わない。人形だって生み出されたその瞬間から、“心”を持つんだ。その“心”さえ忘れずにいれば、いつかは人間になれるかもしれない。だからね、アンケセナーメン、僕は“心”を失いたくない。どんなものにも優しく、思いやりのある王でいたい」
そう告げられ、ファラオの手に握られた人形の顔を覗き込むと、花輪を被せられた人形の表情(かお)が冷たさを宿した無表情から、ほんの少しだけ暖かいものに変わっているような気がした。
そのとき、わたくしはようやく気付いたのだ。“人形”でいたのはわたくしの方。皆に言われるまま、なすがままに前王(ファラオ)であった父のかたちだけの妻となり、父が死して後(のち)は異母弟である新しい王(ファラオ)の妃となり、信仰も名前も変えてしまった。幼きころより共に過ごしたきょうだいの一人であるツタンカーメン……ファラオも、また同じこと。即位と同時に周囲の指図通り改宗し、改名し、異母姉であるわたくしを妻に娶った。それなのに、昔と変わらぬ笑顔を保っていられるのは、わたくしの名を呼ぶ声がぬくもりを失わぬ理由は、ファラオがその“心”を守り続けているため。“人形”でありながら“心”を抱き続けるのがどれほどの苦痛か。こんなにも長く傍にいながら、今の今までその事実に気付けなかったなんて……。
「わたくし、王妃失格ですわね、ファラオ」
溜息を吐きながらファラオの傍らに座り込んだわたくしに、ファラオはさも心外そうに大きく目を見開いて首を振った。
「とんでもない、アンケセナーメンが妃でなかったら、僕はさっさとファラオの座を放っぽり出して、きっとどこかへ消えてしまうよ」
ファラオの真っ直ぐな言葉に胸を打たれ、照れ隠しにわたくしもまた花を摘み出す。
「ファラオ、そちらのお人形の分の花輪は、わたくしがお作り致しますわ」
「えーっ、そしたらきっと僕よりずっと上手に出来てしまうから、二人を並べたらこちらの人形の花輪が随分と見劣りしてしまうじゃないか!」
わたくしの言葉に、慌てて少女の人形を背中に隠そうとするファラオの姿に即位前のあどけなかった異母弟の面影が重なり、思わずクスリと笑みがこぼれる。
「駄目ですよ、お隠しになられては。“わたくし”の花輪をファラオが、“ファラオ”の花輪をわたくしが編む、という事実が大切なのですから」
「また、アンケセナーメンはお姉さんぶって。小さいころから何も変わっていないんだから」
ぶすくれたファラオの呟きが響いた、陽だまりの花畑。わたくし生涯に一筋の明るい日差しが差した刹那。二度と戻ることのない、幸せな時間(とき)。
~~~
「それはあなたもですよ、ファラオ。お小さいころから最期のときまで、何一つお変わりになってはおられません」
心の奥で、暖かい思い出の中のファラオに呼びかける。目の前には既に冷たく変わり果てたファラオの、全身を亜麻布に覆われた亡骸が横たわっている。静まり返った地の底、これからファラオが永遠の眠りにつくことになる玄室の中。ファラオとの最後の別れを邪魔しないでほしい、と全ての神官や側近・女官たちは下がらせた。
あのとき、あの花畑で、わたくしはファラオと自分の“心”を守り抜こうと決めた。そうしていつか二人で、本物の“人間”になろうと。ところが、それは失敗に終わった。ファラオが“人間”になろうとしていることに気づいた者たちは、それを歓迎しなかった。在位わずか九年。未だ“人形”のままのわたくしを置いてファラオは、わたくしの異母弟にして最愛の夫であったツタンカーメンは、十八の若さで逝ってしまった。
「ファラオ、ファラオ……、わたくしが今日まで己が“心”を保ち続けていられたのは、どなたのおかげかお分かりですか?」
あのとき作った花輪よりもずっと大きな花輪を、愛しき人の、死してようやく“人間”となったファラオの額にそっと被せる。偉大なるエジプトの王(ファラオ)は太陽神(ラー)の化身。けれどファラオが、ツタンカーメンとわたくしがなりたかったのは、祀られる神でも飾られる人形でもなく、当たり前に息をし、“心”のままに生きることの出来るただの“人間”であったのだから。
「ファラオ、ファラオ……ツタンカーメン、あなたがいたから、わたくしは魂を宿した人形でいられたのです。“人形”であったわたくしを大切に慈しみ、暖かく包み込み、優しく名を呼んでくださったあなたがいたから……!」
棺の前で泣き崩れるわたくしの身体を、そっと抱き起こして慰めてくれる手はもう無い。もう永遠に、永遠に失われてしまったのだ!
「ファラオ……主を亡くした人形が、“心”を持ち続ける意味などもうありませんわよね? ファラオよ、ファラオ……どうかわたくしの“心”を、あなたと共にお連れ下さい。そうすればわたくしはきっと、黄泉の国で“人間”になれます」
微笑みながら、愛しきファラオの胸元に今度は大きな花束を捧げる。あの矢車草の花畑で、両手に抱えられる限り、手ずから摘んだありったけの花々。わたくしの最後の思い出、わたくしの最後の幸せ! これからのわたくしの生涯は、ただ“人形”として飾られるだけのままごと遊びとなり果てる。
「ファラオ、ファラオ、愛しています。“わたくし”のただ一人の夫、“わたくし”のただ一人の王、わたくしの唯一の“心”の在り処……」
~~~
エジプト第十八王朝の若き少年王・ツタンカーメンの棺の蓋が閉じられると共に、王妃アンケセナーメンの“心”は死んだ。
アンケセナーメンはその後、ツタンカーメンの後を継ぎ王(ファラオ)に即位した老神官アイを夫に迎えるが、一人の子も生すことはなく、歴史の闇へと消えていった。
そうして遥かな時代(とき)を超え、ツタンカーメンの亡骸が再び人々の前に姿を現したとき……儚く崩れ落ちる枯れた花輪に、“人形”の真実はようやく明るみに出ることとなる。
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「まぁ、何てお可愛らしい。まるでお人形のような王(ファラオ)とお妃様でいらっしゃること」
わずか九つで即位した夫と、その二つ年上の正妃であるわたくしは、皆によくそう称された。
「どうぞ、これをお納め下さい。ファラオと妃殿下のお二人にふさわしく、本物の金と宝石をあしらった玩具にございます」
あれはいつのことだったか、重臣の一人が差し出したその“ままごと道具”を、わたくしは怒りに任せて床に投げつけてしまったことがあった。
「アンケセナーメン、どうしたの? この女の子の人形、君にとてもよく似ている。こちらの男の子の人形は、僕そっくりだ。本物の金でできた玉座までついて、本当に素敵な贈り物じゃないか」
わたくしはファラオよりも二才年長だ。既にそれなりの自我も、誇りも芽生えつつある時期を迎えていた。だから、その贈り物が許せなかったのだ。ニヤニヤと下卑た表情(かお)で他人(ひと)を小馬鹿にした嗤いを浮かべながらわたくしたちにそれを差し出したあの男が。“玩具”と称される、その贈り物自体が!
「ファラオは悔しくないのですか!? その人形がわたくしたちに似ているのは当たり前です! あの男はわたくしたちを馬鹿にして、揶揄するためにそれを作らせたのです! この偉大なるエジプトのファラオと妃でありながら傀儡も同然のままごと夫婦、そのように侮辱しているのですよ!?」
そう叫んだわたくしに、ファラオはどこか寂しそうに俯き、人形を手に静かに部屋を出て行った。
「ファラオ、お待ちください、ファラオ!」
少し言葉が過ぎたことに気づき、慌ててその背中を追ったわたくしが辿り着いたのは、王宮の一角にある矢車草の花畑だった。
「ああ、アンケセナーメン」
ファラオはわたくしの姿を認めると、嬉しそうに顔をほころばせて名を呼んだ。
「ファラオ……何をなさっておいでなのですか?」
一心に花を摘み、何かをこしらえているらしいファラオの手元をそっと覗きこむと、そこには小さな小さな、可愛らしい花輪が出来上がっていた。
「ほら、こうして花で飾ってあげたら、人形の表情がどこか和らいで見えないかい? 君は、人形に魂は宿らないと考えているかもしれないけれど、僕はそうは思わない。人形だって生み出されたその瞬間から、“心”を持つんだ。その“心”さえ忘れずにいれば、いつかは人間になれるかもしれない。だからね、アンケセナーメン、僕は“心”を失いたくない。どんなものにも優しく、思いやりのある王でいたい」
そう告げられ、ファラオの手に握られた人形の顔を覗き込むと、花輪を被せられた人形の表情(かお)が冷たさを宿した無表情から、ほんの少しだけ暖かいものに変わっているような気がした。
そのとき、わたくしはようやく気付いたのだ。“人形”でいたのはわたくしの方。皆に言われるまま、なすがままに前王(ファラオ)であった父のかたちだけの妻となり、父が死して後(のち)は異母弟である新しい王(ファラオ)の妃となり、信仰も名前も変えてしまった。幼きころより共に過ごしたきょうだいの一人であるツタンカーメン……ファラオも、また同じこと。即位と同時に周囲の指図通り改宗し、改名し、異母姉であるわたくしを妻に娶った。それなのに、昔と変わらぬ笑顔を保っていられるのは、わたくしの名を呼ぶ声がぬくもりを失わぬ理由は、ファラオがその“心”を守り続けているため。“人形”でありながら“心”を抱き続けるのがどれほどの苦痛か。こんなにも長く傍にいながら、今の今までその事実に気付けなかったなんて……。
「わたくし、王妃失格ですわね、ファラオ」
溜息を吐きながらファラオの傍らに座り込んだわたくしに、ファラオはさも心外そうに大きく目を見開いて首を振った。
「とんでもない、アンケセナーメンが妃でなかったら、僕はさっさとファラオの座を放っぽり出して、きっとどこかへ消えてしまうよ」
ファラオの真っ直ぐな言葉に胸を打たれ、照れ隠しにわたくしもまた花を摘み出す。
「ファラオ、そちらのお人形の分の花輪は、わたくしがお作り致しますわ」
「えーっ、そしたらきっと僕よりずっと上手に出来てしまうから、二人を並べたらこちらの人形の花輪が随分と見劣りしてしまうじゃないか!」
わたくしの言葉に、慌てて少女の人形を背中に隠そうとするファラオの姿に即位前のあどけなかった異母弟の面影が重なり、思わずクスリと笑みがこぼれる。
「駄目ですよ、お隠しになられては。“わたくし”の花輪をファラオが、“ファラオ”の花輪をわたくしが編む、という事実が大切なのですから」
「また、アンケセナーメンはお姉さんぶって。小さいころから何も変わっていないんだから」
ぶすくれたファラオの呟きが響いた、陽だまりの花畑。わたくし生涯に一筋の明るい日差しが差した刹那。二度と戻ることのない、幸せな時間(とき)。
~~~
「それはあなたもですよ、ファラオ。お小さいころから最期のときまで、何一つお変わりになってはおられません」
心の奥で、暖かい思い出の中のファラオに呼びかける。目の前には既に冷たく変わり果てたファラオの、全身を亜麻布に覆われた亡骸が横たわっている。静まり返った地の底、これからファラオが永遠の眠りにつくことになる玄室の中。ファラオとの最後の別れを邪魔しないでほしい、と全ての神官や側近・女官たちは下がらせた。
あのとき、あの花畑で、わたくしはファラオと自分の“心”を守り抜こうと決めた。そうしていつか二人で、本物の“人間”になろうと。ところが、それは失敗に終わった。ファラオが“人間”になろうとしていることに気づいた者たちは、それを歓迎しなかった。在位わずか九年。未だ“人形”のままのわたくしを置いてファラオは、わたくしの異母弟にして最愛の夫であったツタンカーメンは、十八の若さで逝ってしまった。
「ファラオ、ファラオ……、わたくしが今日まで己が“心”を保ち続けていられたのは、どなたのおかげかお分かりですか?」
あのとき作った花輪よりもずっと大きな花輪を、愛しき人の、死してようやく“人間”となったファラオの額にそっと被せる。偉大なるエジプトの王(ファラオ)は太陽神(ラー)の化身。けれどファラオが、ツタンカーメンとわたくしがなりたかったのは、祀られる神でも飾られる人形でもなく、当たり前に息をし、“心”のままに生きることの出来るただの“人間”であったのだから。
「ファラオ、ファラオ……ツタンカーメン、あなたがいたから、わたくしは魂を宿した人形でいられたのです。“人形”であったわたくしを大切に慈しみ、暖かく包み込み、優しく名を呼んでくださったあなたがいたから……!」
棺の前で泣き崩れるわたくしの身体を、そっと抱き起こして慰めてくれる手はもう無い。もう永遠に、永遠に失われてしまったのだ!
「ファラオ……主を亡くした人形が、“心”を持ち続ける意味などもうありませんわよね? ファラオよ、ファラオ……どうかわたくしの“心”を、あなたと共にお連れ下さい。そうすればわたくしはきっと、黄泉の国で“人間”になれます」
微笑みながら、愛しきファラオの胸元に今度は大きな花束を捧げる。あの矢車草の花畑で、両手に抱えられる限り、手ずから摘んだありったけの花々。わたくしの最後の思い出、わたくしの最後の幸せ! これからのわたくしの生涯は、ただ“人形”として飾られるだけのままごと遊びとなり果てる。
「ファラオ、ファラオ、愛しています。“わたくし”のただ一人の夫、“わたくし”のただ一人の王、わたくしの唯一の“心”の在り処……」
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エジプト第十八王朝の若き少年王・ツタンカーメンの棺の蓋が閉じられると共に、王妃アンケセナーメンの“心”は死んだ。
アンケセナーメンはその後、ツタンカーメンの後を継ぎ王(ファラオ)に即位した老神官アイを夫に迎えるが、一人の子も生すことはなく、歴史の闇へと消えていった。
そうして遥かな時代(とき)を超え、ツタンカーメンの亡骸が再び人々の前に姿を現したとき……儚く崩れ落ちる枯れた花輪に、“人形”の真実はようやく明るみに出ることとなる。
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