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殿の仇討ちも、葬儀も盛大に終わった。正室のわたくしは、常のごとく人形のようにその場に座しているだけ。側室たちのように大袈裟に泣きわめくことも、家臣たちのようにぐっと拳を握りしめ悲しみに堪えてみせることもしなかった。
そんなわたくしを、人は「冷たい」と言うのだろうか。「やはり殿との仲が思わしくなかったから」と陰口を叩くのだろうか。長年住み慣れた居室の庭をぼんやりと眺める。ここは新しい“殿”の正室の居室となる。よって、わたくしはこの城を、この庭を去らねばならない。
殿が初めてわたくしに与えて下さった場所。蘭丸と初めて出会った場所。
わたくしは庭へと降り、その片隅に膝を折った。傍らで見つけた、適当な小石で手ずから土を掘る。殿の墓も、蘭丸の墓もそれぞれ立派な寺に設けられることが決まったと聞く。ならばわたくしはここに、わたくしだけの“墓”を作ろう。
女の細腕で、ようやく出来た小さな穴に、それまで肌身離さず持っていた懐剣を埋めた。この国に嫁いでくる際、父から手渡された短刀。
『もし信長が真のうつけ者であったなら、そなたがこの刃で夫を殺せ』
今となっては懐かしい、しわがれた父の声が耳の奥に木霊する。
『……わかりました。しかし、もしわたくしがその大うつけを愛したなら、この刃、父上に向くことになるかもしれませぬ』
微笑んで答えたわたくしに、父は声を上げて笑ったものだった。
「でもまさか、想像もしませんでしたわ、父上。この刃を自らの胸に向けようと思う日が来るなんて」
苦笑しながら、古びた刀に土をかける。もしわたくしが、この刃を己の胸に突き刺してしまったら。殿の想いにも、蘭丸との約束にも背くことになると、わたくしは痛いほど解っている。
「分かりやす過ぎるのも、困りものね……」
遠い都で最期を遂げた二人の男を思い浮かべながら溜め息を吐く。
「愛しているわ。愛しています。故郷の美濃より、父上さまより……ずっと、ずっと。あなた方の分まで、わたくしが言います。生きている時に伝えられなかった分まで、これからは、わたくしがずっと……」
わたくしは殿を愛していた。わたくしは蘭丸を愛していた。
殿はわたくしを愛していた。殿は蘭丸を愛していた。
蘭丸は殿を愛していた。蘭丸はわたくしを愛していた。
自惚れなどではない、確かな事実。誰も知らない、わたくしたちだけが知る、何よりも苦くて、何よりも甘美な蜜の味。
わたくしは一人、懐剣を埋めた“墓”に向かって合掌し、黙祷を捧げた。
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その後の彼女の行方は、誰も知らない。愛した男たちの後を追うように命を絶ったのか、尼となって彼らの魂を弔う道を選んだのか、“信長の正室”という檻の中に最後まで留まり続けたのか……。
人の想いなど置き去りにして、愛など置き去りにして、歴史は流れゆく。美濃の蝮・斎藤道三の娘、天下人に最も近づきながら夢敗れた男・織田信長の正室、濃姫の姿もまた、その激流の中に呑まれ、消えていった儚きひとひらの花弁であった。
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殿の仇討ちも、葬儀も盛大に終わった。正室のわたくしは、常のごとく人形のようにその場に座しているだけ。側室たちのように大袈裟に泣きわめくことも、家臣たちのようにぐっと拳を握りしめ悲しみに堪えてみせることもしなかった。
そんなわたくしを、人は「冷たい」と言うのだろうか。「やはり殿との仲が思わしくなかったから」と陰口を叩くのだろうか。長年住み慣れた居室の庭をぼんやりと眺める。ここは新しい“殿”の正室の居室となる。よって、わたくしはこの城を、この庭を去らねばならない。
殿が初めてわたくしに与えて下さった場所。蘭丸と初めて出会った場所。
わたくしは庭へと降り、その片隅に膝を折った。傍らで見つけた、適当な小石で手ずから土を掘る。殿の墓も、蘭丸の墓もそれぞれ立派な寺に設けられることが決まったと聞く。ならばわたくしはここに、わたくしだけの“墓”を作ろう。
女の細腕で、ようやく出来た小さな穴に、それまで肌身離さず持っていた懐剣を埋めた。この国に嫁いでくる際、父から手渡された短刀。
『もし信長が真のうつけ者であったなら、そなたがこの刃で夫を殺せ』
今となっては懐かしい、しわがれた父の声が耳の奥に木霊する。
『……わかりました。しかし、もしわたくしがその大うつけを愛したなら、この刃、父上に向くことになるかもしれませぬ』
微笑んで答えたわたくしに、父は声を上げて笑ったものだった。
「でもまさか、想像もしませんでしたわ、父上。この刃を自らの胸に向けようと思う日が来るなんて」
苦笑しながら、古びた刀に土をかける。もしわたくしが、この刃を己の胸に突き刺してしまったら。殿の想いにも、蘭丸との約束にも背くことになると、わたくしは痛いほど解っている。
「分かりやす過ぎるのも、困りものね……」
遠い都で最期を遂げた二人の男を思い浮かべながら溜め息を吐く。
「愛しているわ。愛しています。故郷の美濃より、父上さまより……ずっと、ずっと。あなた方の分まで、わたくしが言います。生きている時に伝えられなかった分まで、これからは、わたくしがずっと……」
わたくしは殿を愛していた。わたくしは蘭丸を愛していた。
殿はわたくしを愛していた。殿は蘭丸を愛していた。
蘭丸は殿を愛していた。蘭丸はわたくしを愛していた。
自惚れなどではない、確かな事実。誰も知らない、わたくしたちだけが知る、何よりも苦くて、何よりも甘美な蜜の味。
わたくしは一人、懐剣を埋めた“墓”に向かって合掌し、黙祷を捧げた。
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その後の彼女の行方は、誰も知らない。愛した男たちの後を追うように命を絶ったのか、尼となって彼らの魂を弔う道を選んだのか、“信長の正室”という檻の中に最後まで留まり続けたのか……。
人の想いなど置き去りにして、愛など置き去りにして、歴史は流れゆく。美濃の蝮・斎藤道三の娘、天下人に最も近づきながら夢敗れた男・織田信長の正室、濃姫の姿もまた、その激流の中に呑まれ、消えていった儚きひとひらの花弁であった。