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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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真汐楼(ましおろう)のお早芽(さめ)と、「一夜大尽」の井崎。

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()お早芽の元にその客がやって来たのは、夏の終わりにもの哀しく蝉が鳴く、
そんな季節のことだった。
蝉の声は、遠くで聞こえる。
山にいた時は、もっと近くにあったものを――
そんな思いに浸りながら、お早芽はぼんやりと外を見やる。
乱雑な、貧しい花町の風景。今日は何人、客を取るのだろうか。
 
北国の山奥の村を出て、もう五年。
お国言葉で泣き言をこぼすばかりだった少女は、控えめで大人しい()になった。
美しく慎ましやかな()は客に好まれ、稼ぎは増えた。借金は、少しずつだが減りつつある。
けれど……返し終わったところで、何が得られるというのだろう?
「穢れた」己を愛してくれる男など、この世にいるとは思えない。
そして苦界を知った己もまた、“男”を愛せるとは思えない。
 
そんなことを思ううち、日は暮れた。さあ、今日も長い夜が始まる……
 

~~~~
 
 
一夜大尽()、という言葉がある。
普段はとても遊郭に足を運ぶことができない者が、数ヶ月、あるいは
数年分の給料を使って一夜の夢を買うのである。常連にはならぬ客。
一目見ただけで、今夜最初の客がそうであることが、お早芽には分かった。
日焼けしたたくましい顔。荒れた肌、荒れた髪。
 
「ようこそ真汐楼()へ。お早芽にございます」

微笑んで挨拶を告げたお早芽に、彼は戸惑ったように頭を下げた。
 
「あ、どうも井崎です」
 
遊女に頭を下げるなんて、変な人。思いながらも、顔には出さない。
働いている船の主にここへ連れてきてもらったのだ、という彼と話すうち、
ふとしたことからお早芽と彼が、同郷であることが分かった。
そうと気づくと、皆に笑われるから、と封印していた郷里の言葉が、泉のように
次から次へと溢れ出てきた。彼は一年分の給料を、一晩につぎ込んだ。
その夜は、お早芽にとって、廓に来て初めての、幸せな時間であった。
 
翌朝、彼はお早芽に小さな和紙の人形を残していった。
故郷の郷土玩具であるそれを最後に目にしたのは、実に十年も前のこと。
荒くれた北の海へと旅立つ兄に妹が渡してくれたそれを、彼はお守り代わりに、
とずっと懐に入れて持ち歩いていたのだ、と言った。
俺の妹が作ったものだから、余り上手い出来ではないけれど、と照れくさそうに
微笑う井崎からそれを受け取った瞬間、お早芽の瞳から不意に涙が溢れた。
借金が増えても、親からの便りが来なくなっても……
ただひたすらに堪えてきた、五年分の涙。
井崎は笑顔で去っていった。昨夜と全く変わることのない、どこか懐かしい明るい笑顔で。
 
 
~~~

 
それから、五年の月日が流れた。
明けるはずだった年季は、実家から次々と重ねられる借金に寄って延び続け、
気づけばお早芽は間もなく三十路()になろうとしていた。
それでも、年に一度は彼に会えるかもしれない。そのことだけがお早芽の希望だった。
一年が過ぎ、二年が過ぎ……お早芽は、彼を待ち続けた。
たった一晩、心を通わせただけの、貧しい同郷の男を。
けれども五年間、船主が井崎を連れて来ることはなかった。
 
お早芽が井崎と出会ってから五度目の夏の終わり、
廓にやって来た船主は、お早芽の顔を見ると手招きして己が元へと呼び寄せた。
 
「おまえ、うちの若い衆となんぞ言い交わしておったのか?」
 
「いいえ」
 
思わぬ問いに、お早芽は静かにそう答える。
 
「……五年ほど前に連れてきた、井崎という男がおっただろう? 覚えとるか?」
 
「はい」
 
お早芽の胸が、ドクンと脈打つ。
 
「あれに、うちの娘との結婚を勧めたとき、真汐楼の妓を請け出したいから、
と断られてな……。あんまり奴が真剣じゃったからわしも諦めたんじゃが、
それが先日流行り病に罹って、ポックリ逝ってしもうた。
一応、ここで奴の敵娼(あいかた)じゃったおまえさんには伝えておくわ」

しんみりと、壮年の男が語った言葉に、お早芽は丁寧に礼を述べた。
 
「……ありがとう、ございます」
 
その先の言葉は無かった。

 
 
翌年、お早芽はようやく年季が明け、気の良い漁師と夫婦になった。
井崎と同じ、潮の香りを身に纏った夫と、お早芽は幸せに暮らした。
あの和紙の人形は、廓を出てすぐ、浜辺で思い出と共に燃やした。
彼の魂を、天に送るために。恋する人を追いかけることが出来なかった、
愛する人のために涙を流すことさえ許されなかった己の過去を、空に葬るために。
それでも尚、お早芽の心からは、井崎の最後の笑顔が消えることはなかった。





茎伸びる
 

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()お早芽の元にその客がやって来たのは、夏の終わりにもの哀しく蝉が鳴く、
そんな季節のことだった。
蝉の声は、遠くで聞こえる。
山にいた時は、もっと近くにあったものを――
そんな思いに浸りながら、お早芽はぼんやりと外を見やる。
乱雑な、貧しい花町の風景。今日は何人、客を取るのだろうか。
 
北国の山奥の村を出て、もう五年。
お国言葉で泣き言をこぼすばかりだった少女は、控えめで大人しい()になった。
美しく慎ましやかな()は客に好まれ、稼ぎは増えた。借金は、少しずつだが減りつつある。
けれど……返し終わったところで、何が得られるというのだろう?
「穢れた」己を愛してくれる男など、この世にいるとは思えない。
そして苦界を知った己もまた、“男”を愛せるとは思えない。
 
そんなことを思ううち、日は暮れた。さあ、今日も長い夜が始まる……
 

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一夜大尽()、という言葉がある。
普段はとても遊郭に足を運ぶことができない者が、数ヶ月、あるいは
数年分の給料を使って一夜の夢を買うのである。常連にはならぬ客。
一目見ただけで、今夜最初の客がそうであることが、お早芽には分かった。
日焼けしたたくましい顔。荒れた肌、荒れた髪。
 
「ようこそ真汐楼()へ。お早芽にございます」

微笑んで挨拶を告げたお早芽に、彼は戸惑ったように頭を下げた。
 
「あ、どうも井崎です」
 
遊女に頭を下げるなんて、変な人。思いながらも、顔には出さない。
働いている船の主にここへ連れてきてもらったのだ、という彼と話すうち、
ふとしたことからお早芽と彼が、同郷であることが分かった。
そうと気づくと、皆に笑われるから、と封印していた郷里の言葉が、泉のように
次から次へと溢れ出てきた。彼は一年分の給料を、一晩につぎ込んだ。
その夜は、お早芽にとって、廓に来て初めての、幸せな時間であった。
 
翌朝、彼はお早芽に小さな和紙の人形を残していった。
故郷の郷土玩具であるそれを最後に目にしたのは、実に十年も前のこと。
荒くれた北の海へと旅立つ兄に妹が渡してくれたそれを、彼はお守り代わりに、
とずっと懐に入れて持ち歩いていたのだ、と言った。
俺の妹が作ったものだから、余り上手い出来ではないけれど、と照れくさそうに
微笑う井崎からそれを受け取った瞬間、お早芽の瞳から不意に涙が溢れた。
借金が増えても、親からの便りが来なくなっても……
ただひたすらに堪えてきた、五年分の涙。
井崎は笑顔で去っていった。昨夜と全く変わることのない、どこか懐かしい明るい笑顔で。
 
 
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それから、五年の月日が流れた。
明けるはずだった年季は、実家から次々と重ねられる借金に寄って延び続け、
気づけばお早芽は間もなく三十路()になろうとしていた。
それでも、年に一度は彼に会えるかもしれない。そのことだけがお早芽の希望だった。
一年が過ぎ、二年が過ぎ……お早芽は、彼を待ち続けた。
たった一晩、心を通わせただけの、貧しい同郷の男を。
けれども五年間、船主が井崎を連れて来ることはなかった。
 
お早芽が井崎と出会ってから五度目の夏の終わり、
廓にやって来た船主は、お早芽の顔を見ると手招きして己が元へと呼び寄せた。
 
「おまえ、うちの若い衆となんぞ言い交わしておったのか?」
 
「いいえ」
 
思わぬ問いに、お早芽は静かにそう答える。
 
「……五年ほど前に連れてきた、井崎という男がおっただろう? 覚えとるか?」
 
「はい」
 
お早芽の胸が、ドクンと脈打つ。
 
「あれに、うちの娘との結婚を勧めたとき、真汐楼の妓を請け出したいから、
と断られてな……。あんまり奴が真剣じゃったからわしも諦めたんじゃが、
それが先日流行り病に罹って、ポックリ逝ってしもうた。
一応、ここで奴の敵娼(あいかた)じゃったおまえさんには伝えておくわ」

しんみりと、壮年の男が語った言葉に、お早芽は丁寧に礼を述べた。
 
「……ありがとう、ございます」
 
その先の言葉は無かった。

 
 
翌年、お早芽はようやく年季が明け、気の良い漁師と夫婦になった。
井崎と同じ、潮の香りを身に纏った夫と、お早芽は幸せに暮らした。
あの和紙の人形は、廓を出てすぐ、浜辺で思い出と共に燃やした。
彼の魂を、天に送るために。恋する人を追いかけることが出来なかった、
愛する人のために涙を流すことさえ許されなかった己の過去を、空に葬るために。
それでも尚、お早芽の心からは、井崎の最後の笑顔が消えることはなかった。





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