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『Summer Snow』雪夏の夫・由樹編。
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「来るぞ! 東を守れ!」
深い森の茂みに身を潜め、恐らくは最後になるであろう攻防――最早一方的に攻められているだけではあるが、の中、由樹は声を張り上げた。上を見れば木立の隙間からギラギラと燃えるような日が降り注いでいる。汗は止めどなく鎧の内を蒸して濡らし、携えた刀がいやに重い。先ほど銃弾に掠められた左足からの出血はまだ収まっていないようだ。霞みそうになる意識の中ふと、己を陣へと送り出す妻の真剣な瞳が脳裏を過る。
『ご武運を。もし……もしもあなたとこの国が救われるのなら、私は』
酷く思いつめた雪夏の眼差しに、由樹は細い肩にそっと手を置き首を振った。その先を告げてはならぬと。確かに練を戦に巻き込んだのは環だろう。環を裏切れば――帝国であれ西であれ、どちらに下るにせよ彼の命と民の名誉は保障されるのかもしれない。環の太守の娘、只今の敵・オーデンの王子のかつての許嫁であり、かの地で育った彼女がそれを口にすることは許されていないのだ。静かな深い黒の瞳は、涙をこぼすまいと懸命に見開かれていた。
「余り、惨い仕打ちはしてくれるなよ……」
そう、今己が向き合っている敵軍の大将が妻の元許婚を押しのけて太子の位を得た者なのだと思い出し、思わず密かな呟きが漏れた。
東では西とは異なり、一つの巨大な帝国の中に分かたれた小さな国々を帝国から太守の任を認められた長が統治する、という制度が長く続いてきた。月日と共に制度は崩れ、ただでさえ上辺を取り繕うに過ぎぬものと見られた帝国の権威は、都から遠ざかれば遠ざかるほど薄れ、地に落ちて行った。自治権を強めた諸国は各々が独自の道を模索し、互いに小競り合いを繰り返すようになる。そこに浸けこんできたのが、オーデンを含む西の国々だった。彼らは果ての国である環に海から近付き、貿易や学問の功をもって彼らを取り込むとしきりに東の体制の“異常”を吹聴し帝国からの独立を促した。その一方で帝国には毒にも等しい枯れた草の葉を高値で売り付け、内側の腐敗をますます深刻なものにした。両者の対立を煽り、武器を売り付けて、荒稼ぎした結果が今度(こたび)の戦だ。初めから、東の地を奪い取る口実を得ることが目的だったのだろう、環を利用し、足がかりとして彼らは帝国に手を伸ばす――
「このような時勢の中で、我らが国を名乗るようになるとはな」
皮肉な言と苦笑がこぼれる。潮の匂いを孕んだ風が、血に汚れた由樹の頬を荒く撫ぜた。
練は元々帝国の南の海に浮かぶ小さな島であり、帝国の諸国の一部というわけではなく、けれど帝国と全く関わりを持たぬわけではない、という曖昧な立場にあり続けた。島の統治者は首長と呼ばれ、代替わりをすれば大陸に出向き近くの国の太守に目通りし、また商いや漁においても帝国の名の元に大きな庇護を受けてきた。何代か前の首長の中には、都に赴き直接皇帝の拝謁を賜った者もいると聞く。けれど近頃西の輩が大洋を超えるようになり、島を取り巻く環境は大きな変化を遂げたのだ。
良くも悪くも帝国の支配は、己に従う姿勢を見せる限りは放っておき、政のやり方は現地の者に丸投げするというものである。仇為すものが入ってきたとて、都に害が及ばなければ――むしろ都が穢されるくらいであれば、容赦なく周囲の土地を身代りに差し出す、そのような考え方が中心だった。南に浮かぶ小さな島、格好の貿易拠点である練はそう見なされ、続々と訪れる西の蛮族の横暴をいくら訴えても、家財を奪われ畑を毒の葉の畑に変えられていく島民の窮状に助けを求めても“帝国”からの反応はなしのつぶてだった。
『何という酷い有様だ……何という、』
“帝国”に属していた人間で唯一島を訪れ、そう嘆いてくれたのは遠い環の国の太守。彼らが急速に西に接近しつつあることは既に広く知られた事実であり、初めは警戒感を隠せなかった由樹の心を、その一言はいささか緩め、温めた。
『我らは我らの国を、土地を、民たちを守りたいのだ。帝国にはそれができぬ。今のままでは、全てが西に奪われる。……ならばせめて、東の地に我ら在りと、示せる立場にならなければ』
いっそ悲壮な覚悟を帯びて輝く瞳に差し出された手を握ったのは、純粋な共感と子供じみた憧憬のせい故ではなかった。既に西の植民地も同然の地であればこそ、東と西の戦にならば真っ先に切り捨てられる地は練だろう。国とすら認められず、未開の島として扱われてきた練は、古くからの家筋である太守が治め、西から最新の学を得た環からも対等に見られることは無いかもしれない。それでも、彼らはきっと共に戦うことができる。一方的に見捨て、あるいは搾取するような関係ではなく、彼らに与え、また彼らが与えるであろう何かが、それを構築し得る関係が未来のこの地のためになるのではないか――? そうして由樹は、環の太守より与えられた“練”の国号と太守の地位を受け入れた。
『……娘がいる。名を雪夏、間もなくこちらに戻ってくる。……オーデン、西の地よりな』
それから時を経ずして、環の首都。向かい合う相手のいつになく顰められた眉からは、彼がこの特殊な状況で帰ってくる年頃の娘を心から案じていることが見て取れた。何故その日自分が呼ばれたのか、それを悟れぬほど由樹は愚かではなかったから。
『暫し時間をいただきたい、両国の絆を固めることに異存は無いが、私の一存で済む話とは思えませぬ』
従順な臣のように答える己の声を、どこか遠い場所で紡がれた言葉であるかのように彼の耳は拾っていた。
『西の夷の手垢のついた女子を伴侶に迎えるとおっしゃるか!』
東の地にいつの間にか入り込み、諸国への圧力を増す西に対する民の感情は甚だ悪い。ことに直接西の者どもの蹂躙を受け、島民たちが奴隷のように扱われた、生々しい記憶の残る練では尚更だ。太守がオーデン王子の許婚として数年をかの地で過ごした妻を娶ることに、臣たちの論議は白熱した。それでも結局、練が戦に巻き込まれることを避けられない以上、東においては最も西の理に精通した環との同盟を深めることはやむを得ないと判断されたのだ。それに加えて、由樹自身には一国を預かる者としての打算の側面も大いにあった。いくら鬼と称される西の人間であっても、五年の歳月を共にした許嫁に全く情が生まれていない訳がなかろう、と――まして今となって考えるに、雪夏は美しく気だても良い。……それともそれは、身内となった彼女へ向ける彼自身の欲目だろうか。
『はじめまして、由樹様。雪夏と申します、末永くよろしくお頼み申し上げます』
つつましやかな微笑と共に床へ手をついた女は彼の想像とは違い、穏やかで控えめな風情をまとう小柄な少女だった。西から来た女は派手好みのあちらの文化に染まり、目にも眩い洋装をして傲岸不遜に振る舞うのだろう、といつの間にか狭量な偏見に己が囚われていたことを、由樹は初めて自覚した。
東で育った彼には西で言うところの“愛”と言う概念が根づいているとは言い難いが、共に過ごす内、できる限り彼女に幸せであってほしいという思いが由樹の胸に湧いてくるようになった。南海育ちの彼は話にしか知らぬ、静かに降り注ぐ白い雪とは、このように優しい景色を作るのだろうか――雪夏の背後に浮かぶものを見るような心地で、彼はよく目を細めたものだ。国へ向ける愛着とも、民へ向ける庇護欲とも違う。彼女自身を欲したわけでも、彼女が望んで嫁いできたわけでもなく、燃え上がるような激しい感情は二人の間に存在しない。それでも確かに、同じ目線で同じものを見ているのだと、守りたいのだ、と共有できる思いがあった。それだけで、夫婦として、一つ家に住まう家族としては十分だと由樹は思った。
「思えば初めから、勝ち目の無い戦だったのだ……」
飛んでくる砲弾を見て、苦々しげに由樹は吐き捨てる。撃つ対象を定めるでもなく、死に行く者の顔も見えぬまま敵を屠る相手のやり方は、彼の目に到底好ましいとは映らなかった。許せないとすら感じるが、味方の身を守り敵を数多く殺す、と言う意味で確かに彼らは優れている。その技術力・資源力――妻から聞いた話だけでも、西は東を圧倒する。果ての国として見下され、それが故に西との細い繋がりを保ってきたかの国はきっと気づいていたのだろう、受け入れねばならぬ現実を。それでも、それに抗いたかった。だからあれほど愚かなことをしでかしたのだ、帝国を裏切り、西に迎合するように見せかけて彼らを取り込まんと立った。全ては己が地を、己が地として残したいという願い故に。西に暮らしたと言う妻が頑なに守る慣習を目の当たりにし、由樹はそう思わざるを得なかった。本当は誰もがそう願い、そのために争っているのかもしれない。戦わなければ奪われる、奪わなければ失ってしまう――あるいは西の輩もそんな観念に支配され、これほど惨い仕打ちができるのではないか。初めに掲げた理想はどうあれ、今の環とて同じこと。練の文化を、燐の言葉を、環は“一つ”にしようとした――全てを“同じ”にしてしまえば、奪われることはなくなるから。失うこともなくなるから。
「それでも、私は……」
おまえを娶ったことを悔やむことも、おまえの国を恨むこともないだろう。幸いあれ、この祈りを“愛”と呼ぶのなら――
猛烈な爆音とともに激しい土煙が由樹を襲う。既に音を発することもできない唇から苦しい息を吐きながら、どこか冷静に醒めゆく頭の片隅で彼は妻に呼びかけた。今、倒れゆく東に在るのはただ人々と土地だけだ。貧しく痩せ衰えた彼らと、腐り果て疲弊した社会。彼自身とて初めから負ける日を考え、利用するつもりで妻を娶った。滲む切なさと悔恨を押し込めて、由樹は静かに自嘲する。せめて王籍に留まっているという彼女のかつての許婚が、仁ある者であることを祈るしか、今の彼にはできなかった。その男と雪夏を引き裂いた眼前の敵が、東への強硬論を唱えついに彼らを打ち破らんとする目的に過った一抹の悪寒と共に、由樹の身体はグラリと傾く。眩しい夏の日差しが燦々と照りつける、蒸し暑い午後のことだった。
→関連作:秋に漂う・春に恨みし
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「来るぞ! 東を守れ!」
深い森の茂みに身を潜め、恐らくは最後になるであろう攻防――最早一方的に攻められているだけではあるが、の中、由樹は声を張り上げた。上を見れば木立の隙間からギラギラと燃えるような日が降り注いでいる。汗は止めどなく鎧の内を蒸して濡らし、携えた刀がいやに重い。先ほど銃弾に掠められた左足からの出血はまだ収まっていないようだ。霞みそうになる意識の中ふと、己を陣へと送り出す妻の真剣な瞳が脳裏を過る。
『ご武運を。もし……もしもあなたとこの国が救われるのなら、私は』
酷く思いつめた雪夏の眼差しに、由樹は細い肩にそっと手を置き首を振った。その先を告げてはならぬと。確かに練を戦に巻き込んだのは環だろう。環を裏切れば――帝国であれ西であれ、どちらに下るにせよ彼の命と民の名誉は保障されるのかもしれない。環の太守の娘、只今の敵・オーデンの王子のかつての許嫁であり、かの地で育った彼女がそれを口にすることは許されていないのだ。静かな深い黒の瞳は、涙をこぼすまいと懸命に見開かれていた。
「余り、惨い仕打ちはしてくれるなよ……」
そう、今己が向き合っている敵軍の大将が妻の元許婚を押しのけて太子の位を得た者なのだと思い出し、思わず密かな呟きが漏れた。
東では西とは異なり、一つの巨大な帝国の中に分かたれた小さな国々を帝国から太守の任を認められた長が統治する、という制度が長く続いてきた。月日と共に制度は崩れ、ただでさえ上辺を取り繕うに過ぎぬものと見られた帝国の権威は、都から遠ざかれば遠ざかるほど薄れ、地に落ちて行った。自治権を強めた諸国は各々が独自の道を模索し、互いに小競り合いを繰り返すようになる。そこに浸けこんできたのが、オーデンを含む西の国々だった。彼らは果ての国である環に海から近付き、貿易や学問の功をもって彼らを取り込むとしきりに東の体制の“異常”を吹聴し帝国からの独立を促した。その一方で帝国には毒にも等しい枯れた草の葉を高値で売り付け、内側の腐敗をますます深刻なものにした。両者の対立を煽り、武器を売り付けて、荒稼ぎした結果が今度(こたび)の戦だ。初めから、東の地を奪い取る口実を得ることが目的だったのだろう、環を利用し、足がかりとして彼らは帝国に手を伸ばす――
「このような時勢の中で、我らが国を名乗るようになるとはな」
皮肉な言と苦笑がこぼれる。潮の匂いを孕んだ風が、血に汚れた由樹の頬を荒く撫ぜた。
練は元々帝国の南の海に浮かぶ小さな島であり、帝国の諸国の一部というわけではなく、けれど帝国と全く関わりを持たぬわけではない、という曖昧な立場にあり続けた。島の統治者は首長と呼ばれ、代替わりをすれば大陸に出向き近くの国の太守に目通りし、また商いや漁においても帝国の名の元に大きな庇護を受けてきた。何代か前の首長の中には、都に赴き直接皇帝の拝謁を賜った者もいると聞く。けれど近頃西の輩が大洋を超えるようになり、島を取り巻く環境は大きな変化を遂げたのだ。
良くも悪くも帝国の支配は、己に従う姿勢を見せる限りは放っておき、政のやり方は現地の者に丸投げするというものである。仇為すものが入ってきたとて、都に害が及ばなければ――むしろ都が穢されるくらいであれば、容赦なく周囲の土地を身代りに差し出す、そのような考え方が中心だった。南に浮かぶ小さな島、格好の貿易拠点である練はそう見なされ、続々と訪れる西の蛮族の横暴をいくら訴えても、家財を奪われ畑を毒の葉の畑に変えられていく島民の窮状に助けを求めても“帝国”からの反応はなしのつぶてだった。
『何という酷い有様だ……何という、』
“帝国”に属していた人間で唯一島を訪れ、そう嘆いてくれたのは遠い環の国の太守。彼らが急速に西に接近しつつあることは既に広く知られた事実であり、初めは警戒感を隠せなかった由樹の心を、その一言はいささか緩め、温めた。
『我らは我らの国を、土地を、民たちを守りたいのだ。帝国にはそれができぬ。今のままでは、全てが西に奪われる。……ならばせめて、東の地に我ら在りと、示せる立場にならなければ』
いっそ悲壮な覚悟を帯びて輝く瞳に差し出された手を握ったのは、純粋な共感と子供じみた憧憬のせい故ではなかった。既に西の植民地も同然の地であればこそ、東と西の戦にならば真っ先に切り捨てられる地は練だろう。国とすら認められず、未開の島として扱われてきた練は、古くからの家筋である太守が治め、西から最新の学を得た環からも対等に見られることは無いかもしれない。それでも、彼らはきっと共に戦うことができる。一方的に見捨て、あるいは搾取するような関係ではなく、彼らに与え、また彼らが与えるであろう何かが、それを構築し得る関係が未来のこの地のためになるのではないか――? そうして由樹は、環の太守より与えられた“練”の国号と太守の地位を受け入れた。
『……娘がいる。名を雪夏、間もなくこちらに戻ってくる。……オーデン、西の地よりな』
それから時を経ずして、環の首都。向かい合う相手のいつになく顰められた眉からは、彼がこの特殊な状況で帰ってくる年頃の娘を心から案じていることが見て取れた。何故その日自分が呼ばれたのか、それを悟れぬほど由樹は愚かではなかったから。
『暫し時間をいただきたい、両国の絆を固めることに異存は無いが、私の一存で済む話とは思えませぬ』
従順な臣のように答える己の声を、どこか遠い場所で紡がれた言葉であるかのように彼の耳は拾っていた。
『西の夷の手垢のついた女子を伴侶に迎えるとおっしゃるか!』
東の地にいつの間にか入り込み、諸国への圧力を増す西に対する民の感情は甚だ悪い。ことに直接西の者どもの蹂躙を受け、島民たちが奴隷のように扱われた、生々しい記憶の残る練では尚更だ。太守がオーデン王子の許婚として数年をかの地で過ごした妻を娶ることに、臣たちの論議は白熱した。それでも結局、練が戦に巻き込まれることを避けられない以上、東においては最も西の理に精通した環との同盟を深めることはやむを得ないと判断されたのだ。それに加えて、由樹自身には一国を預かる者としての打算の側面も大いにあった。いくら鬼と称される西の人間であっても、五年の歳月を共にした許嫁に全く情が生まれていない訳がなかろう、と――まして今となって考えるに、雪夏は美しく気だても良い。……それともそれは、身内となった彼女へ向ける彼自身の欲目だろうか。
『はじめまして、由樹様。雪夏と申します、末永くよろしくお頼み申し上げます』
つつましやかな微笑と共に床へ手をついた女は彼の想像とは違い、穏やかで控えめな風情をまとう小柄な少女だった。西から来た女は派手好みのあちらの文化に染まり、目にも眩い洋装をして傲岸不遜に振る舞うのだろう、といつの間にか狭量な偏見に己が囚われていたことを、由樹は初めて自覚した。
東で育った彼には西で言うところの“愛”と言う概念が根づいているとは言い難いが、共に過ごす内、できる限り彼女に幸せであってほしいという思いが由樹の胸に湧いてくるようになった。南海育ちの彼は話にしか知らぬ、静かに降り注ぐ白い雪とは、このように優しい景色を作るのだろうか――雪夏の背後に浮かぶものを見るような心地で、彼はよく目を細めたものだ。国へ向ける愛着とも、民へ向ける庇護欲とも違う。彼女自身を欲したわけでも、彼女が望んで嫁いできたわけでもなく、燃え上がるような激しい感情は二人の間に存在しない。それでも確かに、同じ目線で同じものを見ているのだと、守りたいのだ、と共有できる思いがあった。それだけで、夫婦として、一つ家に住まう家族としては十分だと由樹は思った。
「思えば初めから、勝ち目の無い戦だったのだ……」
飛んでくる砲弾を見て、苦々しげに由樹は吐き捨てる。撃つ対象を定めるでもなく、死に行く者の顔も見えぬまま敵を屠る相手のやり方は、彼の目に到底好ましいとは映らなかった。許せないとすら感じるが、味方の身を守り敵を数多く殺す、と言う意味で確かに彼らは優れている。その技術力・資源力――妻から聞いた話だけでも、西は東を圧倒する。果ての国として見下され、それが故に西との細い繋がりを保ってきたかの国はきっと気づいていたのだろう、受け入れねばならぬ現実を。それでも、それに抗いたかった。だからあれほど愚かなことをしでかしたのだ、帝国を裏切り、西に迎合するように見せかけて彼らを取り込まんと立った。全ては己が地を、己が地として残したいという願い故に。西に暮らしたと言う妻が頑なに守る慣習を目の当たりにし、由樹はそう思わざるを得なかった。本当は誰もがそう願い、そのために争っているのかもしれない。戦わなければ奪われる、奪わなければ失ってしまう――あるいは西の輩もそんな観念に支配され、これほど惨い仕打ちができるのではないか。初めに掲げた理想はどうあれ、今の環とて同じこと。練の文化を、燐の言葉を、環は“一つ”にしようとした――全てを“同じ”にしてしまえば、奪われることはなくなるから。失うこともなくなるから。
「それでも、私は……」
おまえを娶ったことを悔やむことも、おまえの国を恨むこともないだろう。幸いあれ、この祈りを“愛”と呼ぶのなら――
猛烈な爆音とともに激しい土煙が由樹を襲う。既に音を発することもできない唇から苦しい息を吐きながら、どこか冷静に醒めゆく頭の片隅で彼は妻に呼びかけた。今、倒れゆく東に在るのはただ人々と土地だけだ。貧しく痩せ衰えた彼らと、腐り果て疲弊した社会。彼自身とて初めから負ける日を考え、利用するつもりで妻を娶った。滲む切なさと悔恨を押し込めて、由樹は静かに自嘲する。せめて王籍に留まっているという彼女のかつての許婚が、仁ある者であることを祈るしか、今の彼にはできなかった。その男と雪夏を引き裂いた眼前の敵が、東への強硬論を唱えついに彼らを打ち破らんとする目的に過った一抹の悪寒と共に、由樹の身体はグラリと傾く。眩しい夏の日差しが燦々と照りつける、蒸し暑い午後のことだった。
→関連作:秋に漂う・春に恨みし
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