忍者ブログ
ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


六万枚の言の葉に』続編。タウゼントの息子・アインス視点。リハビリがてらできたので載せます。拍手下さった皆様本当にどうもありがとうございました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





哀しみに果てはないのだろうか。
屋敷の裏手に位置する小さな湖の畔で、アインスは小石を蹴飛ばしながらチラと考えた。向かいの岸には緑の木々に隠れるように、白い屋根の小さな家が立っている。そこに住まうどこか儚げな風情をまとった貴婦人は、アインスの父のかつての主だった先代の領主の娘、アインスの母の従姉にあたる女性である。男児に恵まれなかった先代の領主は騎士として忠実に仕えた父を信頼し、遠戚の女性を嫁して跡を継がせ、生まれたのがアインスだ。実の娘がいるのだから、跡取りにはそちらを縁づければ良かったのではないか――? 先代の領主がそうできなかった理由についての噂は、母が必死に遠ざけようとしてもなお彼の耳にこぼれ落ちてくる。かの女性――湖畔の家の主はそう、あの“うすのろ王”の愛妾だったのだ。
うすのろ王、と忌名される先王のことを、少年アインスはよく知らない。彼が生まれる前に崩じた暗君。屋敷に使える馬丁にまで『あのうすのろ』と蔑まれる、長寿を全うした幸せな愚者。国政を執り行う力が皆無だったにも関わらず、長く在位したため腐った貴族の勢力を助長させ、現在の混乱の源を生み出した――年若い現国王が真実先王の血を引いておらず、王位にふさわしくないと主張する王族の一派と、彼を傀儡のように操る王太后とその親族との対立は日ましに激しいものとなり、アインスが生まれてからこの方ずっと、国には不穏な空気が漂い続けている。そんな中で火種となるかもしれぬ“先王の妾”を抱えて、父はこの地を受け継いだ。
己の立場を敏感に感じ取ってか、かの家の住人は親族間の集まりであっても賑やかな場に姿を現すことは滅多になく、朝な夕なこの湖の淵をぐるりと巡って野草を摘み、時に鳥や魚に餌をまいてはその場に佇み、じっと景色を見つめる姿を見かけるくらいだ。世捨て人も同然の暮らしをする彼女は未だ四十を迎えていまい。恐らく少年の母といくらも変わらないだろう。それでも彼女に子はなく、これから先一生、母のように他の夫人から午後の茶会に招かれることも、夫に腕を取られて華やかな夜会に赴くこともないのだ。
 
「何とかしてさしあげたいけれど……こればっかりは、本当にお気の毒ね」
 
暖かな暖炉の内で火のはぜる音が響く居間の窓越しに、湖を見やって呟く母の瞳は同情と憂いに満ち、しかして声にはかすかな優越が滲んでいた。整った顔立ちに涼やかな物腰、そしてたくましい身体つきをした父の姿を思い描く。この静かな田舎にあって、騎士としての父はどれほど眩しく若い娘たちの目を惹きつけたことか。そして彼の仕える家には娘が一人――騎士号を得ようと懸命に努める彼の姿に、彼に目をかけ厚遇するその主に、誰もが思ったに違いない、主は騎士に娘を聚せ跡を継がせる気なのだと。彼は彼女のものだと。母もそうして父を諦めようとした娘の内の一人だったのだろう。けれど思わぬ天啓が、都から降って来た……そうして“天”から降り注いだ槍が、あのたおやかな女性を貫いたのだ。
 
「ツェーン様、何かお困りのことはございませんか? 不都合がございましたらいつでもおっしゃって下さい。冬の間だけでも、こちらにいらしていただいて構わないのですよ? ……何せ元々は、あなたのお屋敷なのですから」
 
食事に招いた彼女を送る道すがら、父が宝物を守る騎士のように――確かに彼は騎士なのだが、まるで主に対するように――有り体に言えば、領主としての威厳など消え失せた、騎士になりたての少年のように頬を染め、穏やかに微笑んで彼女に手を差し出している様をアインスは見た。見てしまった、と言った方が正しい。正直に打ち明ければ、彼は見たくなかったのだ。息子や妻の前で何が起ころうとも常に表情を変えず泰然としている父の姿は、少年の誇りだったから。
 
「ありがとう、タウゼント……そんなに気を遣わなくても良いのよ? 領主はあなたで、私はここに住まわせてもらっている身なのだから」
 
目元をゆるめて笑った彼女の背を見送る父の瞳――その眼差しの切なさに、アインスは思わず視線を逸らしてしまった。母ですら呼び捨てたことが無いであろう父の名を、いとも簡単に口にした彼女の声。そしてその目はきっと……父が、欲しかったものは。彼が何のために騎士号を得ようと努力し、主の信頼を得たのか。気づいてしまった、だからこそこんなにも、小さな胸は痛むのか。引き裂かれてしまった絆は二度と戻らないと言うのだろうか。もし、この先父が地位を退き、アインスが後を継いで主となることが叶った日には……母には申し訳なく思うが、己の力で、せめて二人に今より近しい距離を与えてあげられる方法はないだろうか? この湖に差し掛かる度、白い屋根を目にする度に、少年はそんなことを考えるようになっていた。
哀しみに果てがないなんて――あの優しげな女性と敬愛する父が、永遠に癒されぬ傷を抱えて生きなければいけないなんて。彼が憤りとやるせなさにうつむけていた顔を上げた時、ちょうど視線の片隅に、今しがた思い描いていたかの人の影がよぎった。手の中に何やら小さな紙の束と筆記用具を抱えているらしい彼女は、キョロキョロと辺りを見渡し、手ごろな切り株を見つけると手巾を敷いて座り込んだ。
 
「蝶々……種類は何かしら? 後で調べてみないとね」
 
飛んできた蝶を見つめて、歌うように呟いた彼女の声が少年の鼓膜を揺らす。
 
「この花はタンポポよ、それから、白いのはシロツメクサ……クローバーよ。これは三つだけど、葉が四枚あるのは珍しくて、見つければ幸福になれるって言われてるの。ふふ、あなたは見たことがあったかしら? ゼクス……」
 
愛しげに紡がれたその名前。その名前は、少年の父のものではなかった。それどころか、――思い至ったその可能性に、アインスは目を見開いた。
 
「まさか……」
 
ゼクス、先王の名前。誰も呼ばない、うすのろ王の名前。その名を呼んで誰もいない空間に語りかける彼女の表情(かお)は、柔らかに輝いていた。
 
「あぁ、あぁ、見つけたわ……! ほら、あなた見えるかしら? 四枚よ、四葉のクローバー! あなたのところにも、届くと良いわね」
 
白い指先を土で汚して草をかき分けていた彼女が、微笑んで掲げた手の先にあるものは、少し離れたアインスの位置からとても確認できないが。その声が、いつも彼の屋敷を訪れる時とはまるで違う、弾んだものであることは、確かに耳で感じられた。切り株に置かれたその小さなものを、手にした帳面に移し取っているのであろう、サラサラと鉛筆のこすれる音が聞こえ、アインスは静かに瞳を閉じた。
ああ、自分が何かするまでもなく、彼女は既に“しあわせ”なのだ。たった一つの愛を見つけ、たった一つの愛と共に今もきっと生きている。そしてその幸せを、想い人の愛を見守る父もまた、きっと満たされているのであろう。彼らは出会えたのだ、たった一人に。知ることができたのだ……愛することの喜びを。
いつか己もまた真実愛する存在に出会えたら、彼女の家を訪ねてみよう。そうして見せてもらうのだ、彼女の愛と生の証を。かの人と共に在った時も、彼と離れてからの時間も全て伝えることができるよう、丁寧に紡がれた言の葉の束を。そこには彼女の哀しみも、怒りも、喜びも全て込められているはずだ――おしまいの無い、彼と彼女の想いの全てが。哀しみに果ては無いだろう、けれど愛に終わりが無い以上、そこに幸せも在るのだと、彼女の姿が教えてくれた。
湖に背を向け静かに歩き出した少年の口元には、凪いだ湖面のように澄み切った笑みが浮かんでいた。

拍手[5回]

PR


追記を閉じる▲

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





哀しみに果てはないのだろうか。
屋敷の裏手に位置する小さな湖の畔で、アインスは小石を蹴飛ばしながらチラと考えた。向かいの岸には緑の木々に隠れるように、白い屋根の小さな家が立っている。そこに住まうどこか儚げな風情をまとった貴婦人は、アインスの父のかつての主だった先代の領主の娘、アインスの母の従姉にあたる女性である。男児に恵まれなかった先代の領主は騎士として忠実に仕えた父を信頼し、遠戚の女性を嫁して跡を継がせ、生まれたのがアインスだ。実の娘がいるのだから、跡取りにはそちらを縁づければ良かったのではないか――? 先代の領主がそうできなかった理由についての噂は、母が必死に遠ざけようとしてもなお彼の耳にこぼれ落ちてくる。かの女性――湖畔の家の主はそう、あの“うすのろ王”の愛妾だったのだ。
うすのろ王、と忌名される先王のことを、少年アインスはよく知らない。彼が生まれる前に崩じた暗君。屋敷に使える馬丁にまで『あのうすのろ』と蔑まれる、長寿を全うした幸せな愚者。国政を執り行う力が皆無だったにも関わらず、長く在位したため腐った貴族の勢力を助長させ、現在の混乱の源を生み出した――年若い現国王が真実先王の血を引いておらず、王位にふさわしくないと主張する王族の一派と、彼を傀儡のように操る王太后とその親族との対立は日ましに激しいものとなり、アインスが生まれてからこの方ずっと、国には不穏な空気が漂い続けている。そんな中で火種となるかもしれぬ“先王の妾”を抱えて、父はこの地を受け継いだ。
己の立場を敏感に感じ取ってか、かの家の住人は親族間の集まりであっても賑やかな場に姿を現すことは滅多になく、朝な夕なこの湖の淵をぐるりと巡って野草を摘み、時に鳥や魚に餌をまいてはその場に佇み、じっと景色を見つめる姿を見かけるくらいだ。世捨て人も同然の暮らしをする彼女は未だ四十を迎えていまい。恐らく少年の母といくらも変わらないだろう。それでも彼女に子はなく、これから先一生、母のように他の夫人から午後の茶会に招かれることも、夫に腕を取られて華やかな夜会に赴くこともないのだ。
 
「何とかしてさしあげたいけれど……こればっかりは、本当にお気の毒ね」
 
暖かな暖炉の内で火のはぜる音が響く居間の窓越しに、湖を見やって呟く母の瞳は同情と憂いに満ち、しかして声にはかすかな優越が滲んでいた。整った顔立ちに涼やかな物腰、そしてたくましい身体つきをした父の姿を思い描く。この静かな田舎にあって、騎士としての父はどれほど眩しく若い娘たちの目を惹きつけたことか。そして彼の仕える家には娘が一人――騎士号を得ようと懸命に努める彼の姿に、彼に目をかけ厚遇するその主に、誰もが思ったに違いない、主は騎士に娘を聚せ跡を継がせる気なのだと。彼は彼女のものだと。母もそうして父を諦めようとした娘の内の一人だったのだろう。けれど思わぬ天啓が、都から降って来た……そうして“天”から降り注いだ槍が、あのたおやかな女性を貫いたのだ。
 
「ツェーン様、何かお困りのことはございませんか? 不都合がございましたらいつでもおっしゃって下さい。冬の間だけでも、こちらにいらしていただいて構わないのですよ? ……何せ元々は、あなたのお屋敷なのですから」
 
食事に招いた彼女を送る道すがら、父が宝物を守る騎士のように――確かに彼は騎士なのだが、まるで主に対するように――有り体に言えば、領主としての威厳など消え失せた、騎士になりたての少年のように頬を染め、穏やかに微笑んで彼女に手を差し出している様をアインスは見た。見てしまった、と言った方が正しい。正直に打ち明ければ、彼は見たくなかったのだ。息子や妻の前で何が起ころうとも常に表情を変えず泰然としている父の姿は、少年の誇りだったから。
 
「ありがとう、タウゼント……そんなに気を遣わなくても良いのよ? 領主はあなたで、私はここに住まわせてもらっている身なのだから」
 
目元をゆるめて笑った彼女の背を見送る父の瞳――その眼差しの切なさに、アインスは思わず視線を逸らしてしまった。母ですら呼び捨てたことが無いであろう父の名を、いとも簡単に口にした彼女の声。そしてその目はきっと……父が、欲しかったものは。彼が何のために騎士号を得ようと努力し、主の信頼を得たのか。気づいてしまった、だからこそこんなにも、小さな胸は痛むのか。引き裂かれてしまった絆は二度と戻らないと言うのだろうか。もし、この先父が地位を退き、アインスが後を継いで主となることが叶った日には……母には申し訳なく思うが、己の力で、せめて二人に今より近しい距離を与えてあげられる方法はないだろうか? この湖に差し掛かる度、白い屋根を目にする度に、少年はそんなことを考えるようになっていた。
哀しみに果てがないなんて――あの優しげな女性と敬愛する父が、永遠に癒されぬ傷を抱えて生きなければいけないなんて。彼が憤りとやるせなさにうつむけていた顔を上げた時、ちょうど視線の片隅に、今しがた思い描いていたかの人の影がよぎった。手の中に何やら小さな紙の束と筆記用具を抱えているらしい彼女は、キョロキョロと辺りを見渡し、手ごろな切り株を見つけると手巾を敷いて座り込んだ。
 
「蝶々……種類は何かしら? 後で調べてみないとね」
 
飛んできた蝶を見つめて、歌うように呟いた彼女の声が少年の鼓膜を揺らす。
 
「この花はタンポポよ、それから、白いのはシロツメクサ……クローバーよ。これは三つだけど、葉が四枚あるのは珍しくて、見つければ幸福になれるって言われてるの。ふふ、あなたは見たことがあったかしら? ゼクス……」
 
愛しげに紡がれたその名前。その名前は、少年の父のものではなかった。それどころか、――思い至ったその可能性に、アインスは目を見開いた。
 
「まさか……」
 
ゼクス、先王の名前。誰も呼ばない、うすのろ王の名前。その名を呼んで誰もいない空間に語りかける彼女の表情(かお)は、柔らかに輝いていた。
 
「あぁ、あぁ、見つけたわ……! ほら、あなた見えるかしら? 四枚よ、四葉のクローバー! あなたのところにも、届くと良いわね」
 
白い指先を土で汚して草をかき分けていた彼女が、微笑んで掲げた手の先にあるものは、少し離れたアインスの位置からとても確認できないが。その声が、いつも彼の屋敷を訪れる時とはまるで違う、弾んだものであることは、確かに耳で感じられた。切り株に置かれたその小さなものを、手にした帳面に移し取っているのであろう、サラサラと鉛筆のこすれる音が聞こえ、アインスは静かに瞳を閉じた。
ああ、自分が何かするまでもなく、彼女は既に“しあわせ”なのだ。たった一つの愛を見つけ、たった一つの愛と共に今もきっと生きている。そしてその幸せを、想い人の愛を見守る父もまた、きっと満たされているのであろう。彼らは出会えたのだ、たった一人に。知ることができたのだ……愛することの喜びを。
いつか己もまた真実愛する存在に出会えたら、彼女の家を訪ねてみよう。そうして見せてもらうのだ、彼女の愛と生の証を。かの人と共に在った時も、彼と離れてからの時間も全て伝えることができるよう、丁寧に紡がれた言の葉の束を。そこには彼女の哀しみも、怒りも、喜びも全て込められているはずだ――おしまいの無い、彼と彼女の想いの全てが。哀しみに果ては無いだろう、けれど愛に終わりが無い以上、そこに幸せも在るのだと、彼女の姿が教えてくれた。
湖に背を向け静かに歩き出した少年の口元には、凪いだ湖面のように澄み切った笑みが浮かんでいた。

拍手[5回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック