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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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六万打記念。老王と愛妾。差別的な表現が出てきますのでご注意ください。

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ゼクス王が死んだ。知恵遅れに生まれつき、満足に国政を執り行えず、佞臣に利権を貪らせ、民を飢えさせ、国を傾けた王だった。王族は疎み、貴族たちは嗤い、民たちは憎んだ王だった。本当の名を覚えている者は誰もいない。人は彼をこう呼んだ。嘲弄を秘め、怨嗟を込めて――「うすのろ王」と。
 
王の一人目の妃は異国の姫。聡明な知を誇った彼女は白痴の夫を受け入れず、半年と経ずに帰路に着いた。二人目の妃は王の従妹。穏やかな優しさを備えた彼女は嫁いでから数年の後、初めての子と共に冥土に渡った。三人目の妃は公爵の娘。艶やかな美貌を謳われた彼女は夫を捨て、愛人と共に離宮に籠った。
心は幼子のまま、身体ばかりが老いてゆく王に佞臣たちは困り果てた。悪知恵の限りを尽くして彼らは閃く――王に妾をあてがうことを。家柄は良いが決して裕福では無い貴族の、見目良く心映え優れた娘たちを、彼らは片端から吟味した。そうして最後に王の居城に招かれたのが私。瑞々しい果実の輝きに満ちた十年を、私は枯れ枝も同然の王の傍らで過ごし、その最期を看取ったのだ。
王の死を知るやいなや愛人との子を諸手に抱えて城に帰還した王妃により、妾であった私は城を追われることになった。馬車いっぱいに荷物を詰め込み去りゆく私に、王妃はこれ見よがしに眉を顰めた。
 
「まぁ、嫌だ。陛下にどれほどおねだりなさったというのかしら。卑しい立場に甘んじる方の考えることは、わたくしには想像もつきませんわ」
 
そんな王妃に小さく会釈をし、私は馬車に乗り込んだ――懐かしい故郷に向けて。
 
 
~~~
 
 
「ツェーンお嬢様、長のお勤め、御苦労さまでございました……再びこのお屋敷でお仕えできる日が来るとは、感無量でございます」
 
玄関ホールで私を出迎えたタウゼント――我が家の騎士が、青い瞳いっぱいに涙を溜めて眼前に跪く。淡い金色の髪は記憶の中のそれよりも長く背へと流され、体つきもたくましく眩しいほどの精悍さを身に帯びた彼は、私が城に召された時、誰よりも憤り、最後まで反対してくれた幼馴染の青年だった。ほのかな、色づく前の苺ほどに淡い恋心を抱いた相手でもある。けれど今の私には彼の何もかもが明る過ぎ、その姿に、言葉に、暗く沈んだ心の澱が一層濃くなる気配を見せた。
 
「お嬢様が城へ呼ばれた時は胸が潰れる思いも致しましたが……本当に、ようやくあの“うすのろ王”から解き放たれてよろしゅうございました。この日をどれほどお待ちしたことか……」
 
馬車の荷を降ろしながら続けられた言葉に、私の中に張られていた細く固い糸が、ぷつりと音を立てて切れる。
 
「お黙りなさい!」
 
そう叫んだ瞬間、タウゼントは驚いて抱えていた箱を取り落としてしまった――そうして、土の上に広がったのは。
 
「……絵のカード……? いや、裏に言葉も書いてある……これは」
 
呆然とするタウゼントの前にしゃがみこんで、私は散らばったカードを必死にかき集めた。拙い鳥の絵、上手に描けた花の絵、得意としていた海の絵……小さな紙きれの一つ一つに、大切な思い出が秘められている。馬車いっぱいに詰め込まれた、荷物の正体。
 
「ゼクス王はね……あの方はコマドリも知らなかったのよ。コマドリがどんな色をしているのか、ツグミがどんな声で鳴くのか、スミレがとても小さな花だということも、バラの茎に棘があることも知らなかった。私がコマドリの絵を描けば、あの方は目を輝かせて私を見たわ。私がツグミの真似をすれば、あの方は瞳を閉じて耳をすませた。スミレを摘んできた時は侍女に捨てられてしまったし、届けられたバラの茎には棘が無かった。でも……それでも、あの方は笑うのよ。楽しそうに、嬉しそうに、『ありがとう、ツェーン』と」
 
熱を持った身体が小刻みに震え出し、喉の奥から嗚咽が漏れる。彼は無垢だった――余りにも、悲しいほどに。
 
「お嬢様……あなたはもしや」
 
目を見開いた彼の表情(かお)に、衝撃と悲憤を認め、私は哀しく微笑んだ。
 
「あの方の……ゼクス王のことを、侮辱しないで」
 
ようやく拾い終えたカードを抱えて、私は用意された自室へと引きこもる。タウゼントは正式な騎士号を得ながら未だ独り身だと聞く。私を“うすのろ王”に差し出したことに負い目を感じる両親は、もしかしたら彼と私を結婚させるつもりでいたのかもしれない。その唯一の希望を、私は自ら断ち切ったのだ。
 
埃は払われているものの、少し黴臭いにおいの残る久方ぶりの自室の机にカードを広げ、かかった土を払いのける。何も知らない王のために、一枚、一枚描き出したカード。いつの間にかその作業には王も加わり、覚えたものの名前を書き記し始めた。たどたどしい文字と間違いの混じる綴りを丁寧に確かめながら、二人で築き上げた六万枚の言の葉の束。最後の一枚は、あの日、あの部屋で、初めて彼一人で完成させたものだったはず。恥ずかしがる彼が最後まで手放そうとしなかったそのカードを、私は未だ見ていない。
 
「おしまいなんて……寂しいわ。寂しいもの」
 
張り裂けそうな胸の痛みに思わず机の上に伏したその時、小さなノックの音が聞こえた。続けて扉の外から聞こえてきた声は、予想通りの騎士のもの。
 
「お嬢様、ツェーン様……あなたが、ゼクス王に同情する気持ちもわかります。けれど王はあなたの青春を犠牲にしたのです。あなたはもう自由なのです。どうか、余り思い詰めることなきよう……」
 
「誰が、私を犠牲だと言ったのです!?」
 
私は今度こそ叫んでいた。頬をしたたる涙をぬぐい、扉に向かって声を荒げる。
 
「私が犠牲になったと、自由を欲していたと誰が言ったというのです? 私は、私の心は自由でした。ゼクス王の傍で……私は、私は」
 
扉に駆け寄って手を這わせると、その向こうでタウゼントの息を飲む音が聞こえた。
 
「後悔、していないのですか? 四十も年の離れた、白痴の王の元で過ごした日々を」
 
深い絶望と戸惑いを含んだ声だった。偽ることはできない、例え期待を裏切ろうとも――私は覚悟を決めて扉を開く。
 
「……していません。私にとっては、何より実り多き年月(としつき)でした」
 
真っすぐにタウゼントを見すえて告げれば、その目に一瞬激しい嵐が宿り――底の見えぬ群青へと変化した瞳が、ただ静かに天を仰いだ。深い深い溜息が、私の頭上に降り注ぐ。
 
「ツェーンお嬢様……あなたを攫えなかった己を、私は呪いたい。それでも、あなたが望まれた道ならば……」
 
「タウゼント……長の年月、私などよりあなたに、苦しい思いをさせてしまいました。申し訳なく思います」
 
交差した眼差しが果てのない切なさを宿して潤み、遠く隔たった二人の時間(とき)と想いを駆ける。
 
「謝らないで下さい、お嬢様……私にはまだ、これからの生があるのですから」
 
儚い微笑みに、私は俯いた。彼は気づいている。私が、先を“生きる”意志の無いことを。終わってしまったあの方の生と同様に、私の生もまたこの先には存在しない、消え去る覚悟でいることを。
 
踵を返した彼を見送り机の上に目を移すと、乱雑に広げられたカードの中に一通、白い封筒が混じっていることに気づいた。記憶の糸を手繰り寄せれば、唇に人差し指をあてて悪戯めいた笑みを浮かべる王の姿。自分のいないところで開けろ、と暗に伝える彼の仕草に、苦笑しながら受け取った封筒。そう、あれはゼクス王が死の床に就く間際――彼は知っていた。皆が、自分の死を待ち望んでいることを。
 
『ツェーン、いいんだよ、おこらないで。ツェーンがそばにいればそれでいい』
 
『ツェーン、わらって』
 
『なかないで、おはなしして、ねむるまで……』
 
そうだ、この封筒の中身こそ、六万枚目の最後のカード。彼がたった一人で完成させた、最初にして最後のカード。
 
「……開けて、おしまいにする?」
 
一人でに漏れた言葉に唇を抑える。結局そんなこと、できるわけないがない。例え全てのカードを作り終えてしまっても、この想いは終わらないのだから。私は震える手で鋏を掴み、封筒の淵に滑らせた。
 
「え……わた、し?」
 
文字を書くのは覚束なかったはずの彼が鉛筆一本で描いたであろう小さな人物画は、それが誰だかはっきりと分かるほど優れた出来栄えのものだった。そういえば彼に手伝ってもらったバラの絵は、棘は描かれておらずとも見事な一枚に仕上がっていた。
 
「見たことがないから描けなかっただけで、本当は、あなたはこんなに……」
 
カードの裏、意味を表す文字を記した面に目をやった瞬間、私は言葉を失った。
 
『ツェーン――愛』
 
とめどなく溢れる涙が、カードの上にこぼれ落ちる。大切な最後の一枚がふやけていく様を見ても、私は涙を止めることができなかった。立ちつくしたまま、後から後から込み上げる嗚咽を堪え切れずに声を上げた。
 
手入れの悪い白髪、皺だらけの顔、手に握られた重厚な樫の杖――初めは、何もかもが恐ろしかった。白亜の王宮を抜け出して、この家に逃げ帰ろうと、両親に、タウゼントに会いたいと、何度思ったことだろう。
 
『なにをしているの? ツェーン』
 
『し、刺繍をしておりますの』
 
『なんのししゅうをしているの?』
 
『コマドリですわ、陛下』
 
『こまどり……コマドリって、なんだい?』
 
あの日、無邪気に問うてきた老人の幼子のように澄んだ瞳。たったそれだけの言の葉が、私の全てを変えてしまった。
 
「私は、あなたに……愛を教えてあげられましたの? ゼクス……」
 
誰に受け入れられずとも、解されずとも良い。“うすのろ王”を愛した女が、誰もに嘲られ誰もに憎まれた男を愛する女がいることを、私だけが知っている。それで良い。それが、良い――私は顔を上げて微笑んだ。
 
「違うわ、タウゼント……まだおしまいじゃ、なかったのよ」
 
六万枚の言の葉に、愛は確かに生きて在るから。





後書き
 
  番外編:果てなき一葉(タウゼントの息子視点)

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ゼクス王が死んだ。知恵遅れに生まれつき、満足に国政を執り行えず、佞臣に利権を貪らせ、民を飢えさせ、国を傾けた王だった。王族は疎み、貴族たちは嗤い、民たちは憎んだ王だった。本当の名を覚えている者は誰もいない。人は彼をこう呼んだ。嘲弄を秘め、怨嗟を込めて――「うすのろ王」と。
 
王の一人目の妃は異国の姫。聡明な知を誇った彼女は白痴の夫を受け入れず、半年と経ずに帰路に着いた。二人目の妃は王の従妹。穏やかな優しさを備えた彼女は嫁いでから数年の後、初めての子と共に冥土に渡った。三人目の妃は公爵の娘。艶やかな美貌を謳われた彼女は夫を捨て、愛人と共に離宮に籠った。
心は幼子のまま、身体ばかりが老いてゆく王に佞臣たちは困り果てた。悪知恵の限りを尽くして彼らは閃く――王に妾をあてがうことを。家柄は良いが決して裕福では無い貴族の、見目良く心映え優れた娘たちを、彼らは片端から吟味した。そうして最後に王の居城に招かれたのが私。瑞々しい果実の輝きに満ちた十年を、私は枯れ枝も同然の王の傍らで過ごし、その最期を看取ったのだ。
王の死を知るやいなや愛人との子を諸手に抱えて城に帰還した王妃により、妾であった私は城を追われることになった。馬車いっぱいに荷物を詰め込み去りゆく私に、王妃はこれ見よがしに眉を顰めた。
 
「まぁ、嫌だ。陛下にどれほどおねだりなさったというのかしら。卑しい立場に甘んじる方の考えることは、わたくしには想像もつきませんわ」
 
そんな王妃に小さく会釈をし、私は馬車に乗り込んだ――懐かしい故郷に向けて。
 
 
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「ツェーンお嬢様、長のお勤め、御苦労さまでございました……再びこのお屋敷でお仕えできる日が来るとは、感無量でございます」
 
玄関ホールで私を出迎えたタウゼント――我が家の騎士が、青い瞳いっぱいに涙を溜めて眼前に跪く。淡い金色の髪は記憶の中のそれよりも長く背へと流され、体つきもたくましく眩しいほどの精悍さを身に帯びた彼は、私が城に召された時、誰よりも憤り、最後まで反対してくれた幼馴染の青年だった。ほのかな、色づく前の苺ほどに淡い恋心を抱いた相手でもある。けれど今の私には彼の何もかもが明る過ぎ、その姿に、言葉に、暗く沈んだ心の澱が一層濃くなる気配を見せた。
 
「お嬢様が城へ呼ばれた時は胸が潰れる思いも致しましたが……本当に、ようやくあの“うすのろ王”から解き放たれてよろしゅうございました。この日をどれほどお待ちしたことか……」
 
馬車の荷を降ろしながら続けられた言葉に、私の中に張られていた細く固い糸が、ぷつりと音を立てて切れる。
 
「お黙りなさい!」
 
そう叫んだ瞬間、タウゼントは驚いて抱えていた箱を取り落としてしまった――そうして、土の上に広がったのは。
 
「……絵のカード……? いや、裏に言葉も書いてある……これは」
 
呆然とするタウゼントの前にしゃがみこんで、私は散らばったカードを必死にかき集めた。拙い鳥の絵、上手に描けた花の絵、得意としていた海の絵……小さな紙きれの一つ一つに、大切な思い出が秘められている。馬車いっぱいに詰め込まれた、荷物の正体。
 
「ゼクス王はね……あの方はコマドリも知らなかったのよ。コマドリがどんな色をしているのか、ツグミがどんな声で鳴くのか、スミレがとても小さな花だということも、バラの茎に棘があることも知らなかった。私がコマドリの絵を描けば、あの方は目を輝かせて私を見たわ。私がツグミの真似をすれば、あの方は瞳を閉じて耳をすませた。スミレを摘んできた時は侍女に捨てられてしまったし、届けられたバラの茎には棘が無かった。でも……それでも、あの方は笑うのよ。楽しそうに、嬉しそうに、『ありがとう、ツェーン』と」
 
熱を持った身体が小刻みに震え出し、喉の奥から嗚咽が漏れる。彼は無垢だった――余りにも、悲しいほどに。
 
「お嬢様……あなたはもしや」
 
目を見開いた彼の表情(かお)に、衝撃と悲憤を認め、私は哀しく微笑んだ。
 
「あの方の……ゼクス王のことを、侮辱しないで」
 
ようやく拾い終えたカードを抱えて、私は用意された自室へと引きこもる。タウゼントは正式な騎士号を得ながら未だ独り身だと聞く。私を“うすのろ王”に差し出したことに負い目を感じる両親は、もしかしたら彼と私を結婚させるつもりでいたのかもしれない。その唯一の希望を、私は自ら断ち切ったのだ。
 
埃は払われているものの、少し黴臭いにおいの残る久方ぶりの自室の机にカードを広げ、かかった土を払いのける。何も知らない王のために、一枚、一枚描き出したカード。いつの間にかその作業には王も加わり、覚えたものの名前を書き記し始めた。たどたどしい文字と間違いの混じる綴りを丁寧に確かめながら、二人で築き上げた六万枚の言の葉の束。最後の一枚は、あの日、あの部屋で、初めて彼一人で完成させたものだったはず。恥ずかしがる彼が最後まで手放そうとしなかったそのカードを、私は未だ見ていない。
 
「おしまいなんて……寂しいわ。寂しいもの」
 
張り裂けそうな胸の痛みに思わず机の上に伏したその時、小さなノックの音が聞こえた。続けて扉の外から聞こえてきた声は、予想通りの騎士のもの。
 
「お嬢様、ツェーン様……あなたが、ゼクス王に同情する気持ちもわかります。けれど王はあなたの青春を犠牲にしたのです。あなたはもう自由なのです。どうか、余り思い詰めることなきよう……」
 
「誰が、私を犠牲だと言ったのです!?」
 
私は今度こそ叫んでいた。頬をしたたる涙をぬぐい、扉に向かって声を荒げる。
 
「私が犠牲になったと、自由を欲していたと誰が言ったというのです? 私は、私の心は自由でした。ゼクス王の傍で……私は、私は」
 
扉に駆け寄って手を這わせると、その向こうでタウゼントの息を飲む音が聞こえた。
 
「後悔、していないのですか? 四十も年の離れた、白痴の王の元で過ごした日々を」
 
深い絶望と戸惑いを含んだ声だった。偽ることはできない、例え期待を裏切ろうとも――私は覚悟を決めて扉を開く。
 
「……していません。私にとっては、何より実り多き年月(としつき)でした」
 
真っすぐにタウゼントを見すえて告げれば、その目に一瞬激しい嵐が宿り――底の見えぬ群青へと変化した瞳が、ただ静かに天を仰いだ。深い深い溜息が、私の頭上に降り注ぐ。
 
「ツェーンお嬢様……あなたを攫えなかった己を、私は呪いたい。それでも、あなたが望まれた道ならば……」
 
「タウゼント……長の年月、私などよりあなたに、苦しい思いをさせてしまいました。申し訳なく思います」
 
交差した眼差しが果てのない切なさを宿して潤み、遠く隔たった二人の時間(とき)と想いを駆ける。
 
「謝らないで下さい、お嬢様……私にはまだ、これからの生があるのですから」
 
儚い微笑みに、私は俯いた。彼は気づいている。私が、先を“生きる”意志の無いことを。終わってしまったあの方の生と同様に、私の生もまたこの先には存在しない、消え去る覚悟でいることを。
 
踵を返した彼を見送り机の上に目を移すと、乱雑に広げられたカードの中に一通、白い封筒が混じっていることに気づいた。記憶の糸を手繰り寄せれば、唇に人差し指をあてて悪戯めいた笑みを浮かべる王の姿。自分のいないところで開けろ、と暗に伝える彼の仕草に、苦笑しながら受け取った封筒。そう、あれはゼクス王が死の床に就く間際――彼は知っていた。皆が、自分の死を待ち望んでいることを。
 
『ツェーン、いいんだよ、おこらないで。ツェーンがそばにいればそれでいい』
 
『ツェーン、わらって』
 
『なかないで、おはなしして、ねむるまで……』
 
そうだ、この封筒の中身こそ、六万枚目の最後のカード。彼がたった一人で完成させた、最初にして最後のカード。
 
「……開けて、おしまいにする?」
 
一人でに漏れた言葉に唇を抑える。結局そんなこと、できるわけないがない。例え全てのカードを作り終えてしまっても、この想いは終わらないのだから。私は震える手で鋏を掴み、封筒の淵に滑らせた。
 
「え……わた、し?」
 
文字を書くのは覚束なかったはずの彼が鉛筆一本で描いたであろう小さな人物画は、それが誰だかはっきりと分かるほど優れた出来栄えのものだった。そういえば彼に手伝ってもらったバラの絵は、棘は描かれておらずとも見事な一枚に仕上がっていた。
 
「見たことがないから描けなかっただけで、本当は、あなたはこんなに……」
 
カードの裏、意味を表す文字を記した面に目をやった瞬間、私は言葉を失った。
 
『ツェーン――愛』
 
とめどなく溢れる涙が、カードの上にこぼれ落ちる。大切な最後の一枚がふやけていく様を見ても、私は涙を止めることができなかった。立ちつくしたまま、後から後から込み上げる嗚咽を堪え切れずに声を上げた。
 
手入れの悪い白髪、皺だらけの顔、手に握られた重厚な樫の杖――初めは、何もかもが恐ろしかった。白亜の王宮を抜け出して、この家に逃げ帰ろうと、両親に、タウゼントに会いたいと、何度思ったことだろう。
 
『なにをしているの? ツェーン』
 
『し、刺繍をしておりますの』
 
『なんのししゅうをしているの?』
 
『コマドリですわ、陛下』
 
『こまどり……コマドリって、なんだい?』
 
あの日、無邪気に問うてきた老人の幼子のように澄んだ瞳。たったそれだけの言の葉が、私の全てを変えてしまった。
 
「私は、あなたに……愛を教えてあげられましたの? ゼクス……」
 
誰に受け入れられずとも、解されずとも良い。“うすのろ王”を愛した女が、誰もに嘲られ誰もに憎まれた男を愛する女がいることを、私だけが知っている。それで良い。それが、良い――私は顔を上げて微笑んだ。
 
「違うわ、タウゼント……まだおしまいじゃ、なかったのよ」
 
六万枚の言の葉に、愛は確かに生きて在るから。





後書き
 
  番外編:果てなき一葉(タウゼントの息子視点)

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