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日の国シリーズ第三弾。
web拍手は撤去予定なので今後はブログ上で続けます。
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東の果て、日の国。
東の果て、日の国。
統べるは帝、祈るは神官、守るは衛士(えじ)。
帝に仕える三貴族。
大臣(おとど)を出すのは無(なし)の家。
神通優れる然(ねん)の家。
歌い踊るは色(しき)の家。
即位を控えた皇太子(ひつぎのみこ)・知瀬宮(ちせのみや)には妃が一人。
色の歌姫・奏(かなで)の君。
澄み渡る歌声は月の光と称されど、雲居に上りて月隠れたり。
~~~
「一人寝る夜の薄闇に月の光を待ち望む……」
「雲居を避けて我が元へ、夢にも逢えぬ君の代わりに……」
回廊の端で一人口ずさんでいた奏は、重ねられた声に驚いて顔を上げた。
「先ほど終わった月待ちの歌じゃないか。何故宴に出なかった? それほど美しい声をしているのに」
声の持ち主は薄紫の直衣に身を包み、瀟洒な香りを漂わせた青年だった。皇族しか纏うことの許されていない紫――皇弟知瀬宮。奏は思わず手で胸を押さえた。
「本当は、出るはずだったのです。けれど……」
震える声に、知瀬宮は呆れた様子で溜息を吐いた。
「大体の察しはつく。あの者、中納言の許婚と聞いたな」
「わたくしは、鄙(ひな)の出の若輩者でございますので」
俯いた奏に、知瀬宮は舌打ちをした。
「いつまでも来ない恋人を雲居に隠れた月に例えて、恋人の代わりに光の訪いを待ち続ける、おまえもそんな人間か?」
宮の物言いに、奏は胸を突かれる思いで彼を見つめた。
「俺ならば、待つのはごめんだ。雲を散らして月を掴む」
どこか子どもっぽく、苛立たしげに吐き捨てられた言葉に、奏は思わず微笑んだ。
「宮様らしいおっしゃりようです」
二人の始まりは、秋の宴の夜だった。
~~~
「姿を変える月なれど、清き光は永久(とわ)に変わらじ……」
「そこに光のある限り、我は待ちなむ、いついつまでも……」
いつかと同じように重ねられた声に奏が振り返れば、昔と変わらぬ夫の姿がそこにあった。
「その歌は哀しいな。奏には余り似合わない」
おどけたように言って、自らの身体に回された腕に、奏は微笑んで
「あら、でも宮様とわたくしを出会わせてくれた歌ですわ。わたくしにとっては大切な歌です」
と告げた。宮の兄である春雅帝の崩御からまもなく一年。遠からず二人は住み慣れたこの屋敷を離れ、皇宮に居を移さねばならない。
「後宮において后の位に就けば、おいそれとおまえの歌を聴くこともできなくなろうな……」
子どものように肩に顎を埋めてくる夫に、奏は物思わしげな視線を彷徨わせた。色の家でも傍流にあった奏は、妃の一人とはなれても后に立てる身分では無い。いくら皇太子時代の唯一の妻であり、男子を儲けているからと言って必ずしもその地位が保証されているとは言い難いのだ。
「歌はおまえそのもので、おまえにとって歌うことは息を吸うことに等しい行為だとわかっている。それを奪うような場所におまえを伴う俺を、許してくれるか?」
叱られた子どものように頼りなげに自らに縋る夫の手を、奏は一つ息を吐いて握った。
「宮様の傍だけがわたくしの居場所です。宮様がいらっしゃってこそわたくしは生きて、歌うことができるのですよ」
にこりと笑った奏の言葉は本心だった。宮がいる限り、奏は声を出さずとも歌えるのだ。心から、彼のためだけに奏でられる節を――
~~~
「皇后には安芸宮家の萩の君様か、無の家の柳の君を据えられたし」
即位早々の御前会議でその議題が出された時、新帝は憤怒の形相で臣下を見据えた。
「朕には既に一子を生した妃があること、そなたらも承知のはずだが?」
「恐れながら主上(おかみ)、太子の妃と帝の后では違うのです。身分も器も、ふさわしくあらねば国の要が乱れまする」
平伏する大臣に、ぎりりと唇を噛みしめて、帝は黙り込んだ。
~~~
その晩、足音荒く局を訪れるなり寝台に身を投げ出した夫に、奏はいささか戸惑いながら眼差しを向けた。
「わかってはいたが、俺は駄目な男だ、奏。とても兄上のようには立ちまわれない。あと少しでいい、兄上が生きていて下さったら……。なぁ奏、兄上が太陽なら俺は月のようなものだな……兄上無しには輝けない」
ここまで自信を失い、項垂れた夫の姿を奏はかつて見たことが無かった。
「……宮様、いいえ主上、月が無ければ夜は照らせませんから……ですから、大丈夫です。宮様はきっと立派な帝になられますよ」
優しく告げる妃の手を、横たわったままの帝の腕が引き寄せた。そのまま自らの胸に倒れ込むかたちとなった奏の身体を抱き込んで、帝は耳元で囁いた。
「……おまえはどんな時でも傍にいてくれるな? 俺が皇太子になろうと、帝になろうと、どんなことがあっても此処にいると約束してくれ……」
ひそめた声に宿る哀願のような響きに、奏は一瞬目を瞠り、そして頷く。
「奏、奏……俺はおまえの他に、妃を迎えることになった」
泣く寸前のような掠れた声で、帝はその事実を告げた。暫く忘れていた苦い記憶が、奏の脳裏をゆるりと過ぎる。
~~~
「え、出番が無い?」
「ええ、そうよ奏の君。今宵の月待ちはわたくしと風の君が歌わせていただくことになりましたから、あなたは下がって休んでいて結構。風の君はほら……その、中納言殿とのご縁談が持ち上がっていらっしゃるから……」
「……わかりました」
年かさの歌姫の言葉に、奏は黙って頷いた。才に溢れた身であっても、未だ年若く本家から遠く離れた血筋である彼女は色の家の中でそれほど高い地位を得てはいなかった。それに加えて一族の出世頭と目される蓮水(はすみ)の許婚であることが嫉みを買い、嫌がらせのような仕打ちを受けることがままあった。今回も、風の君の縁談にかこつけてそのような意図が張り巡らされていたのだろう。三月も前から準備し、練り上げた歌を披露する機会を直前に奪われるとは――宴の場から遠ざかり、人影の絶えた回廊の端で、奏は一人俯いた。
「歌いたかった、な……」
独りでに漏れた呟きに苦笑しながら顔を上げれば、藍色の夜空には丸い月が輝いていた。うっすらと聞こえる宴のざわめきに、耳を澄ませ、そうして口を開く。桃色の唇からこぼれた旋律は、三月に渡って親しんできた月待ちの歌のものだった。
「声が聞こえるぞ……美しい女の歌声だ。どこからだろう?」
他方、当時皇太子の位にも就いていなかった知瀬宮は、色男として浮名を流しており、手近な女房を見染めて宴を抜け出してきたところであった。若い女の歌声を気にし始めた恋人に女房は気分を害してその場を去り、彼は一人で歌声の源を辿ったのだ。
そうして二人は出会った。やるせなさに満ちた宴が奏にとってかけがえの無い恋をもたらしてくれたのである。蓮水――懐かしい幼馴染。彼は、彼ならば今の自分を見てどう思うだろうか。結局、奏は夫の裏切りを受け入れた。受け入れざるを得なかった。二人の妃を入内させる代わりに奏の立后を認める……夫が貴族たちに決死の覚悟で求めた条件を無為にしてしまうことは出来なかった。それでも、本当は――
「皇后になりたかったわけじゃない。国母と呼ばれたいわけでもない。わたくしは、ただ……」
言葉にできないことを承知で、奏は御簾の内から夜空を見上げた。安芸宮家の姫が後宮に入ったその日、空は曇り、月は一度も姿を見せることはなかった。
~~~
「奏、奏。起きぬか。主の帰還だぞ」
薄暗い夜空を見つめたまま寝入ってしまったのか……不自然な姿勢で脇息にもたれていた奏が身を起こすと、そこにはいるはずの無い人が呆れた面持ちでこちらを見やっていた。
「宮……主上(うえ)様、どうして?」
「どうしても、おまえに会いたかった。会って、自分が変わったわけではないことを確かめたかった」
ぼんやりと彼を見上げる己の身を強く抱きしめてくる腕の温もりに、奏は胸の内にそれまでは感じられなかった仄かな、そして確かな熱い想いが込み上げてくるのを感じた。
「清き光は永久に変わらじ……。主上、月を待つことは、そう哀しいことばかりとは限りませんわ」
雲を散らすことはできずとも、光注ぐ雲居の狭間を探し求めることはできるのだから。
奏がそう告げると、帝は少し身を離して彼女を見つめ、そして頷いた。
「奏、歌ってくれ。誰にも文句は言わせない。おまえの歌が無いと……俺は、雲を散らせないんだ」
奏は覚悟を決め、夫の望みに応えるべく口を開いた。
変わらないものなど、この世には無い。それでも、自分は――自分だけは、この人が望むままの姿であり続けたい。
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東の果て、日の国。
東の果て、日の国。
統べるは帝、祈るは神官、守るは衛士(えじ)。
帝に仕える三貴族。
大臣(おとど)を出すのは無(なし)の家。
神通優れる然(ねん)の家。
歌い踊るは色(しき)の家。
即位を控えた皇太子(ひつぎのみこ)・知瀬宮(ちせのみや)には妃が一人。
色の歌姫・奏(かなで)の君。
澄み渡る歌声は月の光と称されど、雲居に上りて月隠れたり。
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「一人寝る夜の薄闇に月の光を待ち望む……」
「雲居を避けて我が元へ、夢にも逢えぬ君の代わりに……」
回廊の端で一人口ずさんでいた奏は、重ねられた声に驚いて顔を上げた。
「先ほど終わった月待ちの歌じゃないか。何故宴に出なかった? それほど美しい声をしているのに」
声の持ち主は薄紫の直衣に身を包み、瀟洒な香りを漂わせた青年だった。皇族しか纏うことの許されていない紫――皇弟知瀬宮。奏は思わず手で胸を押さえた。
「本当は、出るはずだったのです。けれど……」
震える声に、知瀬宮は呆れた様子で溜息を吐いた。
「大体の察しはつく。あの者、中納言の許婚と聞いたな」
「わたくしは、鄙(ひな)の出の若輩者でございますので」
俯いた奏に、知瀬宮は舌打ちをした。
「いつまでも来ない恋人を雲居に隠れた月に例えて、恋人の代わりに光の訪いを待ち続ける、おまえもそんな人間か?」
宮の物言いに、奏は胸を突かれる思いで彼を見つめた。
「俺ならば、待つのはごめんだ。雲を散らして月を掴む」
どこか子どもっぽく、苛立たしげに吐き捨てられた言葉に、奏は思わず微笑んだ。
「宮様らしいおっしゃりようです」
二人の始まりは、秋の宴の夜だった。
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「姿を変える月なれど、清き光は永久(とわ)に変わらじ……」
「そこに光のある限り、我は待ちなむ、いついつまでも……」
いつかと同じように重ねられた声に奏が振り返れば、昔と変わらぬ夫の姿がそこにあった。
「その歌は哀しいな。奏には余り似合わない」
おどけたように言って、自らの身体に回された腕に、奏は微笑んで
「あら、でも宮様とわたくしを出会わせてくれた歌ですわ。わたくしにとっては大切な歌です」
と告げた。宮の兄である春雅帝の崩御からまもなく一年。遠からず二人は住み慣れたこの屋敷を離れ、皇宮に居を移さねばならない。
「後宮において后の位に就けば、おいそれとおまえの歌を聴くこともできなくなろうな……」
子どものように肩に顎を埋めてくる夫に、奏は物思わしげな視線を彷徨わせた。色の家でも傍流にあった奏は、妃の一人とはなれても后に立てる身分では無い。いくら皇太子時代の唯一の妻であり、男子を儲けているからと言って必ずしもその地位が保証されているとは言い難いのだ。
「歌はおまえそのもので、おまえにとって歌うことは息を吸うことに等しい行為だとわかっている。それを奪うような場所におまえを伴う俺を、許してくれるか?」
叱られた子どものように頼りなげに自らに縋る夫の手を、奏は一つ息を吐いて握った。
「宮様の傍だけがわたくしの居場所です。宮様がいらっしゃってこそわたくしは生きて、歌うことができるのですよ」
にこりと笑った奏の言葉は本心だった。宮がいる限り、奏は声を出さずとも歌えるのだ。心から、彼のためだけに奏でられる節を――
~~~
「皇后には安芸宮家の萩の君様か、無の家の柳の君を据えられたし」
即位早々の御前会議でその議題が出された時、新帝は憤怒の形相で臣下を見据えた。
「朕には既に一子を生した妃があること、そなたらも承知のはずだが?」
「恐れながら主上(おかみ)、太子の妃と帝の后では違うのです。身分も器も、ふさわしくあらねば国の要が乱れまする」
平伏する大臣に、ぎりりと唇を噛みしめて、帝は黙り込んだ。
~~~
その晩、足音荒く局を訪れるなり寝台に身を投げ出した夫に、奏はいささか戸惑いながら眼差しを向けた。
「わかってはいたが、俺は駄目な男だ、奏。とても兄上のようには立ちまわれない。あと少しでいい、兄上が生きていて下さったら……。なぁ奏、兄上が太陽なら俺は月のようなものだな……兄上無しには輝けない」
ここまで自信を失い、項垂れた夫の姿を奏はかつて見たことが無かった。
「……宮様、いいえ主上、月が無ければ夜は照らせませんから……ですから、大丈夫です。宮様はきっと立派な帝になられますよ」
優しく告げる妃の手を、横たわったままの帝の腕が引き寄せた。そのまま自らの胸に倒れ込むかたちとなった奏の身体を抱き込んで、帝は耳元で囁いた。
「……おまえはどんな時でも傍にいてくれるな? 俺が皇太子になろうと、帝になろうと、どんなことがあっても此処にいると約束してくれ……」
ひそめた声に宿る哀願のような響きに、奏は一瞬目を瞠り、そして頷く。
「奏、奏……俺はおまえの他に、妃を迎えることになった」
泣く寸前のような掠れた声で、帝はその事実を告げた。暫く忘れていた苦い記憶が、奏の脳裏をゆるりと過ぎる。
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「え、出番が無い?」
「ええ、そうよ奏の君。今宵の月待ちはわたくしと風の君が歌わせていただくことになりましたから、あなたは下がって休んでいて結構。風の君はほら……その、中納言殿とのご縁談が持ち上がっていらっしゃるから……」
「……わかりました」
年かさの歌姫の言葉に、奏は黙って頷いた。才に溢れた身であっても、未だ年若く本家から遠く離れた血筋である彼女は色の家の中でそれほど高い地位を得てはいなかった。それに加えて一族の出世頭と目される蓮水(はすみ)の許婚であることが嫉みを買い、嫌がらせのような仕打ちを受けることがままあった。今回も、風の君の縁談にかこつけてそのような意図が張り巡らされていたのだろう。三月も前から準備し、練り上げた歌を披露する機会を直前に奪われるとは――宴の場から遠ざかり、人影の絶えた回廊の端で、奏は一人俯いた。
「歌いたかった、な……」
独りでに漏れた呟きに苦笑しながら顔を上げれば、藍色の夜空には丸い月が輝いていた。うっすらと聞こえる宴のざわめきに、耳を澄ませ、そうして口を開く。桃色の唇からこぼれた旋律は、三月に渡って親しんできた月待ちの歌のものだった。
「声が聞こえるぞ……美しい女の歌声だ。どこからだろう?」
他方、当時皇太子の位にも就いていなかった知瀬宮は、色男として浮名を流しており、手近な女房を見染めて宴を抜け出してきたところであった。若い女の歌声を気にし始めた恋人に女房は気分を害してその場を去り、彼は一人で歌声の源を辿ったのだ。
そうして二人は出会った。やるせなさに満ちた宴が奏にとってかけがえの無い恋をもたらしてくれたのである。蓮水――懐かしい幼馴染。彼は、彼ならば今の自分を見てどう思うだろうか。結局、奏は夫の裏切りを受け入れた。受け入れざるを得なかった。二人の妃を入内させる代わりに奏の立后を認める……夫が貴族たちに決死の覚悟で求めた条件を無為にしてしまうことは出来なかった。それでも、本当は――
「皇后になりたかったわけじゃない。国母と呼ばれたいわけでもない。わたくしは、ただ……」
言葉にできないことを承知で、奏は御簾の内から夜空を見上げた。安芸宮家の姫が後宮に入ったその日、空は曇り、月は一度も姿を見せることはなかった。
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「奏、奏。起きぬか。主の帰還だぞ」
薄暗い夜空を見つめたまま寝入ってしまったのか……不自然な姿勢で脇息にもたれていた奏が身を起こすと、そこにはいるはずの無い人が呆れた面持ちでこちらを見やっていた。
「宮……主上(うえ)様、どうして?」
「どうしても、おまえに会いたかった。会って、自分が変わったわけではないことを確かめたかった」
ぼんやりと彼を見上げる己の身を強く抱きしめてくる腕の温もりに、奏は胸の内にそれまでは感じられなかった仄かな、そして確かな熱い想いが込み上げてくるのを感じた。
「清き光は永久に変わらじ……。主上、月を待つことは、そう哀しいことばかりとは限りませんわ」
雲を散らすことはできずとも、光注ぐ雲居の狭間を探し求めることはできるのだから。
奏がそう告げると、帝は少し身を離して彼女を見つめ、そして頷いた。
「奏、歌ってくれ。誰にも文句は言わせない。おまえの歌が無いと……俺は、雲を散らせないんだ」
奏は覚悟を決め、夫の望みに応えるべく口を開いた。
変わらないものなど、この世には無い。それでも、自分は――自分だけは、この人が望むままの姿であり続けたい。
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